皮膚
追われる恐怖。
逃げられない恐怖。
悪意の 恐怖。
小さな頃から皮膚の弱かった私は、定期的に皮膚科に通っていた。
いつもの様に母に病院まで送ってもらい、入り口から院内へと入る。
待合室は、混み合っていた。
少し変わったレイアウトの病院で、入り口に入って左手に受付、その並びにひとつ、入り口から見て正面にひとつと
右にひとつ診察室がある。
受付を済ませて待っていると、右の診察室から顔を出した看護師に呼ばれた。
いつも通りの診察、いつも通りの処置を終わらせて診察室を出ると
先ほどまで溢れかえっていた待合室は、人ひとりいないもぬけの殻になっていた。
玄関に、小さな女の子の靴が一足。
それをぼうっと見つめていると、背後から子供のすすり泣く声が聞こえた。
ふと振り返ると、六歳くらいの女の子が泣きながら正面の診察室から出てきた。
診察が怖かったのだろうか。
右腕を抱えて、静かに泣きながら靴を履き、病院を出ていく。
すれ違う瞬間に見えた、その子の右腕は
肘から先、綺麗に皮膚が剥ぎ取られ、赤い肉が露出していた。
出て行った女の子の背中を見送る私の耳に届いた、微かな笑い声。
心の底から楽しいのを堪えているような、喉の奥を鳴らすような。
その音の出所を探して振り返った先には
女の子が出てきた、正面の診察室。
扉が、少しだけ開いているその隙間から。
三十前後の白衣を着た医師の横顔が、見える。
男は何かを見つめて、不気味な笑顔を浮かべていた。
音を立てないように、そうっと体をずらしてその視線の先を探る。
瓶だ。
大きな瓶。
その中は、薄黄色の液体で満たされている。
そしてその中に浮かぶ、何か。
皮膚 だ。
人間の。小さな子供の腕の 皮膚。
先ほどの女の子のものだと、すぐに理解する。
ぞっとした瞬間。
角度が変わって扉の陰になっていた医師の顔が
ばっと 隙間からこちらを覗いた。
目が合って一瞬動きが止まり
しばらく呆然とする私を見つめたあと
笑った。
にやりと 口元だけが 歪に。
逃げろ。すぐに、今すぐにここから。
自分の本能が、危険信号を出す。
「あれ」は 危ない。
咄嗟に踵を返して病院を飛び出す。
そこには見慣れた風景があるはずなのに、あたりは真っ暗で、道もほとんど見えない。
どちらに逃げればいいのかもわからないまま、とにかく走る。
後ろを、メスを持った男が追ってくる。
笑いながら。
逃げろ、逃げろ。
必死に走る私の足は、私の世界だけが遅くなったようにスローモーションで。
徐々に詰まる距離。
強い力で首元を掴まれて、地面に引き倒される。
倒れた私の顔に向かって
メスを振りかぶる 男。
嗚呼、笑っている。
楽しそうに 口元だけが。
悪意に満ちたその表情が、色濃く残って。
振り下ろされる 刃物。
目が覚めた。
また眠れば、繰り返し。繰り返し。
繰り返し追われ、植えつけられる 恐怖と 悪意の塊。
もう 眠りたくない。
Endless
学生の頃、半年間毎日見続けた夢。
男性医師の顔は今でもはっきり覚えているのに
現実世界では会ったことがないのです。
いつか、あの医師に会う日が来るのでしょうか。