雪降る大晦日
夕方に今日は出勤する。夜行列車の仕業だからだ。寮母のおばさんからお弁当と水筒を受け取る。おばさんは、今日、何時ものお弁当に付け足してお餅も呉れた。これは、前に萩野機関士が機関車に芋を持ち込んで、焼いて二人で食べた話をしたのが元だろう。ボイラの上の方にある、蒸気分配箱。ここに高温の蒸気が通るため、その上に置けばお茶もわくし、芋だって焼ける。夏場は冷水が恋しいが、冬場は温かいお茶が欲しい。そういや立脇機関士、飯盒持ち込んで、飯炊いてたな。本当に機関車は万能だ。
大晦日だろうが、正月だろうが、それこそ戦争だろうが、鉄道に休みはない。特にこの大晦日に出る夜行列車に乗る人は多い。何だかんだいって、機関車を繋いでしばらく待つ。発車合図なしに発車したらそれは事故だ。雪が降る。自動投炭機の調子もよいけれど、雪は怖い。視界を塞ぎ、時には転轍機を詰まらせる。萩野機関士は、身を乗り出しながら、出発合図を待つ。帽子の目庇に雪が積もる。ボクはホームを見る。機関車から蒸気を分配する暖房の管から漏れる蒸気がホームに立ち込めている。雪の降りしきるなか、妙な静けさがある。普通の急行とかの別れが満ちたホームとは異なり、帰省する希望に満ちたホームだ、あの心を締め付けるような別れはない。
じりり、じりりりり…ベルがなり、笛が吹かれる。機関士が汽笛を鳴らして、加減弁を引く。
「発車、出発進行!」
「―、――!」
機関助士は応答喚呼せねばならないし、機関士も時には応答喚呼する。ホームを見詰める。一人の男が駆け込もうとする。よくある光景で、出来そうな人ならばさせてしまうこともある。だけれど今日は雪。事故に繋がりかねない。それがわかっているから、萩野機関士は、いつもより速く加速させるし、駅員も取り押さえに当たる。そして、何事もなく列車はホームから離れる。
「―――!」
「後部オーライ!」
機関士がさらに加減弁を引く。加速がさらに強まる。雪がパッと飛んでは当たる。焚口を開ける。ストーカーのお陰で、補助投炭以外は要らないとは言え、まんべんなく燃えているか確認するのは当然だ。
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雪がますます強まってきた。視界は殆ど無い。
「信号わからん、わからんぞー!!そっちからは見えるかー!!」
ダメだ、硝子曇ってる。身を乗り出すが、見えない。
「――!」
「えぇい、クソ。だから雪は嫌いなんだ。」
その瞬間に見えたらぼんやりとした緑色の灯火。信号だ。二人はほぼ同時に叫ぶ。
「第一閉塞、進行!!」
と。
「クソ、今あの信号だとすると、だいぶん遅い。」
寒さにボイラが冷やされて圧が上がりにくく、さがりやすい。更には客車の暖房にも蒸気を使う。そんな雪の日は補助投炭も増える。石炭の使用量も増える。ただでさえ無くなりやすい水も大変だ。そして、温かいお茶を飲んで暖をとると、下の処理が大変なことになるから、耐える。いくら火の側とはいえ、吹きさらしで、下手すると身をのりだす仕事。凍えない訳がない。だからついつい飲んでしまう。
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なんとか途中駅に着く。二十分の延着。挙げ句に先行列車の都合でまだ発車しない。石炭はここで何度も積み込む。水は入れたり止めたりしている。炭水車の後端には氷の幕が張り、ランボードや動輪のロッドに雪が積もる。
薄暗い明かりのなか、ボンヤリ浮かび上がる機関車に下がるつららは、なんだか機関車が流す涙のようだ。等と思いながら駅員の便所を借りる。荒業もあるにはあるが、それはこの躯には向いていない。ツイてないなぁ。そして、機関車に戻る。萩野機関士は身を乗り出して出発合図を待ち続けている。帽子のつばには雪が積もって、固まっていた。ボクが機関車に戻ると、合図の見張りを交代して、萩野機関士は機関士席に座って煙草をふかし始める。煙とつくづく縁の深い仕事だ。と、その時に駅長が車掌のところに行くのが見てとれた。何事か車掌に話した後にこちらに来た。現車十両、二百メートルの距離を小走りで来る駅長。帽子の金線は一本。判任官の中間駅の駅長と言ったところで、萩野機関士よりも若い。
「もう後四、五分したら発車だね、いやぁ参った。隣の信号所でね、どうも転轍機が凍ったらしくてね。」
「いや、転轍機がね、どーとか言われてもね、列車動くかが問題でしょーが。」
「あーっ?機関士風情がなに言うか、テメーら駅の苦労知らねーだろーが。こちとら雪んなか電話機抱えて指示待っとんだ!暖けー火の側に居る奴に言われたかねーわ!」
「んだとこるぁ!こん雪じゃ前見えねーんだよ。身ぃのん出して運転しとるのなめとんのか!そいで何だ、機関士風情たぁ?客はな、金払って俺達に命預けとる!!それにな、この帽子の金線が見えんのか。テメーと同じ判任官だぁ!」
喧嘩が始まった。悉く聞き流すことに決めた。うん。発車まで石炭を節約しよう。そうしよう。