奥山さんのメガネ。
奥山さんは真面目。
「奥山さん、おはよう。今日は早いね」
「?」
「ん?奥山さん?どうしたの?おはよう」
「?」
勤め先の雑貨屋につくと、裏口に挙動不審の奥山さんが立っていた。遅刻こそしないが、だいたい毎日ぎりぎりに出勤している奥山さんがあかりちゃんより早く出勤しているなんて、今日は槍でも降るのかな?あかりちゃんは首を傾げた。
「鍵、忘れたの?」
「?」
「ていうか、さっきから黙ってどうしたの?」
あかりちゃんはバッグから鍵を出して、奥山さんに言った。
「奥山さん?なんか変だよ?」
変なのはいつものことだし、気にする必用もないのだけれど、一言も発することなく奥山さんは立っていた。
「おーくーやーまーさーん」
抑揚なく呼びかけると、奥山さんがずんずんと近寄ってきた。
「え?なに?なになに?近い近い」
「あかりちゃんみたいな声出してあかりちゃんみたいなふわふわした服着て、どうせあかりちゃんモドキだろ!」
「とんでもない疑心暗鬼」
「騙されないんだからね!もう!騙されないんだから!」
「すでに何かに騙されてる体なのね?」
「あかりちゃんモドキめ!退散だ!」
「その言い方だと奥山さんが退散することになるけど大丈夫?退散しちゃって」
「口答えするな!」
「いや、本当に大丈夫?相当日本語不自由だけど?退散しちゃえば?」
焦点の合わない目をした奥山さんは、にやりと笑った。
「その冷静沈着に悪意を隠しきらないで人を傷つける物言い……本物!」
「奥山さんの中の私が悪役なのはわかったよ」
あかりちゃんはため息をつき、奥山さんの手をひきながらドアを開き中に進んだ。
「まったく、どこでコンタクト落としたの?」
「そこの角の自販でたまにはあかりちゃんにジュース買おうと思って、そしたら不意に風が吹いてそれで世界が唐突に霞んで」
「ラノベなら異世界行くレベルの表現の貧相さだね、不意じゃない風って台風ですか?って常日頃思っているのは私だけかな?」
「いつもより早く目が覚めた。今日はきっと上手くいくと、無責任にそう思わせるような、そんな朝だった。奥山はいつもより早く身支度を済ませアルバイト先に向かった。角にある自動販売機、いつもであれば気にも留めないが今日はふとジュースを買おうと思い立った。なぜかはわからない。ただ、なんとなく、ジュースを買おうと思い立っただけだった。自動販売機の前に立ち、ポケットの小銭を漁る。その時、どこからともなく吹いてきた風が、奥山の顔面をどーん!画面わっさー!」
「そこまで言ったら最後までちゃんとやりなよ、黙って聞いていた私の努力が木っ端微塵過ぎ」
「黙って聞かないで止めてよ、恥ずかしい」
「だろうと思って止めなかったよ」
奥山さんは涙目であかりちゃんの顔らしきところを見ていた。極度の近眼である奥山さんは、常にコンタクトレンズを愛用している。が、たまに今日のように落としてしまうこともあり、自力解決が不可能な常態になるのだった。
「バッグにメガネ入ってる?」
「入ってるはず!探して!あかりちゃん!私に世界を観せて!」
「世界は観なくていいけど、レジ見てくれなきゃ仕事になんないからね、見えてても仕事になってんのか疑問だけれども」
「なにそれひどい」
「気のせいだよ」
「うん、あかりちゃんがひどいのはだいたいいつもだから慣れてる」
「奥山さんもだいたいいつも困ったさんだからね」
奥山さんのワッペンと缶バッジだらけの大きなトートバッグに手を突っ込んでメガネを探す。
割り箸、手帳、文庫本、ぬいぐるみ、折り紙、ガパオのレシピ、ガパオのレシピ、ガパオのレシピ……
「もう、中を整理しなさいってかガパオのレシピ何枚持ち歩いてるの、メガネがないんだけどまたガパレピ出てきた、あ、あった、メガネ」
「あかりちゃんて独り言多いよね?」
「メガネの左のツルを折ってから渡そうか?」
「微妙かつ致命的なダメージは止めてください、お願いします」
あかりちゃんから受け取ったメガネをかけて、奥山さんはほっと息をついた。
「おお、本物のあかりちゃんだ、かわいいのに悪意を隠しきらないで罵倒しかしないあかりちゃんだ、ありがとう」
「いろいろ余計だけどどういたしまして」
ぐりぐりのメガネをかけた、レンズの向こうの奥山さんの目はよく見えない。だが、それがいい。
「奥山さんてメガネのときだけ真面目で賢そうだよね」
「今の私はメガネで偽っているみたいな意味?」
「常にメガネで偽るべき、が正しいかな」
「偽りの人生に意味はないのだよ」
「偽ることで意味が見つかる人生かもよ」
「それほど人生を無意味に過ごしてはいないよ」
「またまた」
「そこ疑う?」
奥山さんは本当に手間のかかる人だ。どうして生きていられるんだろう?
「奥山さんはさ、うん、生きて」
あかりちゃんは奥山さんを応援した。生きて、奥山さんは生きていてもいいんだから、手間がかかって他人に迷惑しかかけてなくても悲観しなくていいから生きて。
「あ、うん、そのつもりだよ?」
「そうだったの?」
「ええ!?疑問に思われること?」
「もう少し謙虚な人かと思ってたから」
「あー、うん?」
あかりちゃんの憐れむような目で奥山さんを見ていた。
「生きるよ、納得しきれない部分もあるけど、私は生きるよ」
奥山さんは真面目。