第九十話 「七角形の角」 大妖怪「カオス」登場(前)
心の闇の奥底に さらに広がる闇がある
集え天狗の弟子たちよ 若き炎で闇を焼け
1
「七角形の角をした青鬼を捕獲した」と光太郎は言った。「心の闇は七つの基本形がある」とも。
シンイチはそれが一体どういうことか、知りたかった。
「ワシもホンマの所は分らんのや! その青鬼がそう言いよったんや!」
光太郎は答えた。
「その青鬼はしゃべれるのか?」
「せや」
シンイチはひょうたんから一本高下駄を出した。
「行こう」
四国、愛媛の石鎚山。西日本最高峰の岩山の頂上に、巨大な青鬼を縛り付けることに成功したという。
「どうやって?」
「見たら分るで。ホレ、あの峯の旦那がやらはったんや」
光太郎は行き先を示す。
「……誰?」
石鎚山が見えてきた。
「なんだあれ!」
雪を被った石鎚山、その頂上に――鞍馬山で遭った巨大な青鬼の、さらに数倍にも渡る大きさの、どの岩よりも大きな青鬼が、鉄鎖で縛られていた。その顔の中心に、朱色の槍を突きつける、黒いマントの大男がいた。
「あのオッサンが、六人目のてんぐ探偵、峯丈、妖怪ハンターやっとるお人や!」
男の全身は傷だらけで、戦闘の跡を物語っている。
「二人のてんぐ探偵、峯ハンと、酒田鉄男ハンがなんとかして青鬼の封印に成功したんや。全部で七人のてんぐ探偵が、今集うべきちゃうか!」
「……そうだね」
シンイチの胸の動悸は止まらない。
心の闇の七つの基本――それは一体なんだろうか?
そこへ金の目が、現れた。スカートの裾を翻して。
「さく姉やんか!」
「うふふ。聞いとったで?」
〈万里眼〉蔵王さくらが一行に加わった。
「才一ハン! 出番やで!」
さくらの声に応えるように、金の扇が長襦袢を翻した。
「霧谷さん!」
「青鬼とスパーリングできるかもですよ?」
と才一が虚空を呼べば、そこに臨戦態勢の鬼塚善次が現れる。
高畑シンイチ、鞍馬光太郎、五人のてんぐ探偵と、峯、酒田の二人のてんぐ探偵が出会う。
石鎚山の頂上は、すでに白い冬の中にいる。だが、縛り付けられた青鬼を中心に、円を描くように雪が解け、岩肌が露出していた。その岩が溶けた跡すらある。火の力――戦闘があった証拠だ。
見上げんばかりの巨大な岩に、巨人の顔だけのような存在、青鬼。体中に護符が貼られ、身じろぎする度に火花が上がった。その護符には、不動明王もあれば急急如律令と道教の札もあった。なりふり構わぬ、雑多な術が使われたのだろう。
その青鬼の眉間に、朱の槍を向けたまま、微動だにせぬ男――彼がてんぐ探偵峯だ。
「峯ハン! 応援呼んだったで! 五人のてんぐ探偵只今参上や!」
「応。助かる」
男は二メートルもの上背があり、ボロボロの黒いマントに覆われている。黒いマントが朱の槍を突き出しているように見えた。体中に古傷があり、マントはそれを隠すものだと想像がつく。
その深いフードの中から覗いた顔も傷だらけで、瞳が白濁していた。
「我が名は峯丈。師は、羽黒山能徐仙蜂子皇子。この目は幼少の頃に羽黒の地獄谷温泉にて失明した。だが心の眼で大体のものは見えておる」
光太郎がアカンベーや変顔をすると、
「お主がおちょくっていることぐらいは分るぞ」
と笑った。
「峯ハン! 峯ハン! こっちは限界や! 鎖が切れるで!」
青鬼の背後から声が聞こえた。
太っちょの男が顔を出す。
「あっ! 光太郎おおきに! 加勢呼んできてくれたんやな!」
七人目のてんぐ探偵、酒田だ。白い手ぬぐいを頭に巻き、まるでラーメン屋みたいとのちにシンイチが言った。髪の毛を樽に落とさぬためだと酒田は笑った。杜氏――酒造りが彼の仕事らしい。
光太郎が仕切る。
「よっしゃみんな! とりあえずこの場に不動金縛りをかけて、青鬼の巨体を動かんようにするんや! 七人分の不動金縛りなら行けるやろ!」
「小賢しい」
突如、青鬼が耳まで裂けた口を開き、地の底から響くような声を出した。
学校の校舎より大きい、とシンイチは感じた。空を飛ぶ頭だけの妖怪、飛頭蛮は人間の頭の大きさであるが、この青鬼は、学校の校舎が飛ぶがごとくだ。
「たかが人間の分際で」
「皆の衆! 時間稼ぎに引っかかるな! 不動金縛りをかけるぞ!」
峯は左手で槍を構えたまま、右手で刀印を切った。
「臨!」
シンイチたちは九字を継ぐ。
「兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛り!」
轟音が響き、山上の空気はりん、と鳴る。風が緩やかに吹き、新雪を飛ばしている。青鬼の見開いた目は、七人のてんぐ探偵を写したまま、時を暫し止めた。
「とりあえずなんとかなったかな? おおきに皆さん!」
背後の鎖を結び直しながら、ふとっちょの酒田は大汗をかいて一息ついた。
「うむ」
峯は構えを解き、槍を地面に突き立てた。ずむ、という重い音が、兵器としての存在を物語る。
シンイチはあらためて、青鬼を仰ぎ見た。青い肌、吊り上がった目、裂けた口。これまで見てきた青鬼と同じようである。だがただひとつ違うのは、額に、大きな黒い角があることだ。
「あの黒い角……断面が七角形?」
シンイチは角度を変えて角を眺める。
「つまり、七角柱の形をした角が生えてるってこと?」
「その通りだ」
峯が答えた。
「鋭い観察眼だな、シンイチ君」
峯は白い瞳で笑った。心眼で見えているというが、角が七角形をしているところまで見えているらしい。
峯は腰のひょうたんから朱の筆を出し、見たこともない呪文や魔法陣を、直接青鬼の青い肌に書き始めた。目が見えないはずなのに達筆で、シンイチは驚いた。
「中国の剣の達人は、書もやるんやて」
と、光太郎は解説した。
「剣の太刀筋、力の入れ方、抜き方は、書道と通じるところがあるんやと。これがみんな槍の捌きやと思たら、達人レベルやでこれ」
「たしかに」
シンイチは自分の小鴉がこのように動くのか想像する。とてもじゃないが、この速さは出来ない。この盲目の大男は、先ほど地面に突き立てた重そうな槍で、それをやるのか?
光太郎は誰とでも友達のような軽口を叩く。
「耳なし芳一やなそれ」
呪文の書かれなかった芳一の耳に当たるのは、七角形の角である。
2
七人のてんぐ探偵は、互いに師の名を明かし、自己紹介をした。
東京の高畑シンイチ。小学五年生。遠野早池峰山薬師坊の弟子。
京都の鞍馬光太郎。小学六年生。鞍馬山帝金坊、鞍馬天狗の弟子。
奈良の蔵王さくら。十七歳の高校生。吉野皆杉小桜坊の弟子。
長野の霧谷才一。二十一歳、能楽師。信州飯綱山飯綱三郎の弟子。
和歌山の鬼塚善次。二十五歳、プロボクサー。那智大滝前鬼坊の弟子。
山形の峯丈。二十八歳、強力(登山者の荷物持ちをする山の案内人)、盲目の妖怪ハンター。羽黒山能徐仙蜂子皇子の弟子。
愛媛の酒田鉄男。四十二歳、杜氏。酒飲みのオッチャンで、石鎚山法起坊の弟子。
それぞれの眷属、妖猫のネムカケ、烏の罵詈雑、白鹿の蛾次郎、管狐のすず、土蜘蛛のクロオ、隼のファルコ、柴犬の山田もそれぞれ挨拶を交わす。
「七人と七匹の、大所帯になってきよったな」
光太郎はこの光景を眺めた。
「ウチがこないだ予知夢で見たんは、この光景か」
さくらは七角形の角を見上げた。
「アラ、アタイはここにこいつがいることまで予知してたけど?」
管狐のすずは、相変わらずさくらに当たりが強い。才一を取られる、とでも思っているようである。
「美しいな」と才一は別の角度から角を評価し、
「正面は強くても側面からのフックに弱いのでは」と、鬼塚は戦う前提で角を見ている。
正七角形の、大人の身長より大きな角。
黒光りしたその角は、見る角度を変える度に、赤や青や黄色に光を反射するように見えた。全ての色が混ざった色、黒はそのような意味かも知れない。シンイチは率直に峯に尋ねた。
「『心の闇』が七つの基本形から出来ている、ってどういうこと?」
それは妖怪「心の闇」の正体に迫る、核心をついた質問であった。
これまで倒してきた様々な妖怪「心の闇」は、人間の様々な形の心の闇に、空中にいる微細な青鬼が感応し、その形に成長したものであることが分っている。
その複雑で雑多な「心の闇」が、七方向に分類できるとしたら?
シンイチはその先を知りたかった。
「シンイチ、アレが『心の闇』のモトやとしたら、なんの名前が書いてあるんや?」
光太郎の問いに、シンイチは口ごもる。
「どないしたん」
「なんかよく分らないんだよ。全部が混じっている感じがする」
「どういうことや?」
「心の闇は、『色』に似てるんだよね」
「色?」
「その色を見ればなんとか色、みたいにすぐ分るじゃん? そんな感じ」
「で?」
「でもこの七角形の角は、全部の色が混じった色――黒に見える感じなんだ」
峯が感心したようにその会話に入って来た。
「まさにそうだ。東日本大震災のときの、津波の色に似てると俺は感じる」
「津波? たしかに、そんな感じ」
「俺はこの青鬼を東北で見つけた。そして追い続け、十年かけて徐々に弱らせて来たのだ」
「十年前も? 東北。……大震災」
「おそらく、震災で沢山の人の心の闇を吸ったのだろう。『津波の色』のように、沢山の心の闇が混ざってしまい、全てのバランスが等しくなってしまった色なのではないか」
「ただの七角形じゃなくて……」
シンイチは一本高下駄で飛び上がり、角を真正面から観察した。
「やっぱそうだ。正七角形の形をしてる!」
「心の闇は七つの要素から成るとして、どれかひとつが大体でかい。そうすると、そっちの方向へ青鬼は成長する。六角形の角になり、五角形の角になり……ついにひとつの面、丸の断面の角になる。それが、均等にあった闇なのだと思う」
シンイチは以前から、心の闇には原型になる何かがいくつかあって、それが人の心と触れたとき別々の方向へ花開くようなイメージを持っていた。その素となるような感情を、シンイチはいくつか説明した。
「たとえば【恐怖】。これは心の闇『弱気』『死の恐怖』『不安』に強い感情だと思う。あるいは、【上下関係】みたいなもの? 『ねたみ』『ステータス上位』はそうだった。【他人との比較】みたいなのは、『キャラ立ち』とかがそう。『なかまはずれ』『カリスマ』『スケープゴート』『信者』『選ばれた民』など、バリエーションも多かったね。あるいは、【考えるのが嫌】みたいな感情もあると思う。『あとまわし』『独裁』『ほめて育てて』みたいなのは、そうかも知れない」
「シンイチは、ずっとそんなことを考えてたんか」
と光太郎は感心した。
さくらは万里眼で角を見る。
「アカン。ウチの目でも見分けられんわ。過去通でみたら……ちょっと心が重くなる感情の渦が巻いとる」
心の闇はどこから来たのか。たしかにそれはシンイチたちが時折考える、新型妖怪「心の闇」の謎であった。だが「お前はどこから来たのか?」とシンイチが問われれば、「お母さんから生まれた」と答えるに違いない。はたとシンイチは気づく。
「青鬼を生む、母がいるってこと?」
ざわりと空気が鳴る。
「鋭いなシンイチ。俺はそうかも知れないと考えていたのでな」
峯が答える。
「え? じゃあその母は誰から生まれたの?」
「……お前、なかなかさとい子だな」
「だからこないだ言うたやんけ! シンイチって頭のええ奴がおるぞって!」
光太郎が自分の手柄のようにシンイチを自慢する。
――どういうことだろう。
シンイチは考える。どこからか、心の闇はやって来た。心の闇は、七つの基本形があり、それらのバランスの配合で色んな闇の色になる。それが、これまで戦ってきた個別の妖怪たちだ。弱気、ねたみ、なかまはずれ……。
ひとつひとつの基本形の対処法が分れば、それを組み合わせればすべての「心の闇」の対処法になるのではないか? シンイチはそう考えていた。つまり――シンイチは、「だれでも出来る、『心の闇』の対処法」を確立したがっている、と自分で気づいた。
心の闇は、人間の心の負の部分と関係している。だからそれがなくなることはない。だがそれを妖怪につけこまれる必要もないと、シンイチは考える。強盗に侵入されても、退治して追い出せばよいのだ。その「一般的なやり方」が確立されたら、つまり、誰でも「心の闇退治」が出来るようになったら? それが人類の勝利条件ではないかと、シンイチは考えていたのである。
「ふん。では、この角折ってみるか。断面から何か出るだろ」
鬼塚は拳を握って見せる。
「こらまた乱暴な」
酒田は汗を噴き出して答える。
だが、ワン、ワンと酒田の柴犬、山田が吠えた。
「皆ハン……青鬼さんのお目覚めの時間や」
酒田は腰のひょうたんに手を賭ける。
「七人がかりの炎なら、焼ききれるやろ、たぶん」
「うむ」
峯も、地面に突き立てた槍を抜く。
「あ、ちょっと待ってよ!」
シンイチは皆を止めた。
「なんやシンイチ」
「この青鬼と、話せないかな?」
「なんやて?」
不動金縛りの効力が切れる。
青鬼の見開いた目に、ゆっくりと光が戻った。
3
青鬼は巨大な口で笑った。
青い稲妻が走った青鬼は、呼吸するように雷を吐ける。だがそれはことごとく空中に静止した。峯の描いた封呪が、効力を発揮しているようだ。空中に咲いた花のように、広がった稲光は静止している。
「口から出るハリセンボンみたいやな」
光太郎は軽口を叩く。シンイチはとんび野町上空で、光太郎に落ちる雷をそらす為、咄嗟に小鴉を手放したことを思い出していた。こんな戦い方もあるのか、と感心する。術、それは戦うために使うものだ。
「むん」
峯は重い槍を振り上げ、銀の穂先の反対側、石突き部分を地面に突き立てる。空中の雷は全て避雷針の穂先に集まり、地面へと散る。岩肌に走った雷は、雷と同じ形、雷紋を岩に刻んだ。
シンイチは次雷が来たら、鞍馬流の「変化」で巻き取れないかと考えていた。だがこの速度では無理だ。捌ききれないだろう。
「たかが人間が」
青鬼は自分の思い通りにならないことに呪詛を吐く。
「天狗の弟子風情が思い上がりやがって。天狗ごときが、世界の王を名乗るなよ」
臆している場合ではない。シンイチは、青鬼の目を見ながら言った。
「青鬼。オレは、きみと話したい」
「はあ???」
青鬼は轟く声で笑う。
殺しあう妖怪と妖怪ハンターたちが、話をするだと? 聞いたこともないぞ。
「知りたいことが知れたらそれでいいんだ。聞きたいことがあるのさ」
「それで俺を生かしたのか」
青鬼はぎろりとシンイチを見た。吊り上がったどす黒い目に、シンイチはまっすぐに疑問をぶつけた。
「あのさ、心の闇って何?」
呆気にとられた。まさかこんな根本的なことから尋ねるとは、全員が予想できなかった。これがシンイチのオモロイとこやぞ、と光太郎はほくそ笑む。
「はは」
青鬼は笑った。
「ははははは」
大地を震わせ、再び口から雷を吐く。それは峯の槍へと吸い込まれる。
「では同じ問いを聞こうではないか。人間とは何だ?」
「え?……」
予想しなかった問いに、シンイチは同様に、咄嗟に答えられなかった。
「人間は……人間は……えっと、……地球に生まれて、猿から進化して……増えて……文明をつくって……」
「心の闇も妖怪も、青鬼も同じよ。地球に生まれて、増えた。それだけのこと」
別の種族と別の種族の闘争。そんな言葉がシンイチの脳裏をよぎった。適者生存。結果的に生き残った者が勝者。ただそれだけの為にシンイチは戦っているのだろうか。
否。
闇を覗く者は、闇に落ちぬように心せよ。自分自身がてんぐ探偵になった理由を思い出せ。
「心の闇は悲劇を起こすんだ」
シンイチはまっすぐ青鬼の目を見た。
「人は多少の闇に落ちても、自力で立ち直ることが出来る。だけど妖怪は闇のループを固定して、悲劇を起こすんだ。それがオレが天狗の弟子になった理由だ」
「妖怪は人間に悲劇を起こす、ねえ? 人間たちは、青鬼に悲劇を起こしていないか?」
「え?……」
咄嗟に、シンイチは答えられない。このような角度で妖怪と人間について、シンイチは考えたこともなかった。
「阿呆!」
議論を切り裂くように、罵詈雑がネムカケと共に叫んだ。
「シンイチ! 『闇を覗く者は』じゃ!」
「そうか! これじゃ相手の議論に乗ってるってことになる……!」
まるで鏡を相手に問答しているような気分は、そういうことかとシンイチは理解した。相手への攻撃が全部自分に戻ってきているような感覚だったからだ。
「そういう時は、力を流す『変化』や!」
鞍馬流の看板技を光太郎は大鴉で示した。だがシンイチはかぶりを振り、一之太刀、言葉の「正當剣」で青鬼に応じて見せた。
「そうかも知れないね」
相手の攻撃に乗り、それが攻めになる。それこそが正當剣。
「じゃあ、その悲劇を教えてくれないか? 人間が青鬼にしたことを。君には、家族はいるの? 母親の記憶はあるの? 友達とかいる?」
母親の記憶? 友達? その場の誰もが、青鬼にそんなものがいるなどと想像したことすらなかった。妖怪は妖怪。そのように勝手に思っていた。だが青鬼も生命体なら、それがある筈である。
「考えたことなどないな。お前は、台風や地震にも同じ質問をするのか?」
人間に規制するウイルスは、生命だとする人もいるし、定義に当てはまらないから無生物だとする人もいる。
「いや。台風や地震とは、ちょっと違うと思うんだよね」
シンイチは相手の言葉の剣を乗ってかわす。鞍馬流の動きそのものであった。
「だって君には意志があるもの」
「ははは。ははははは」
青鬼の笑いは、石鎚山中に響き、こだました。
「台風や地震が、意思を持っていないとでも思うのか? 人間とは、どれだけ無知なのだ」
青鬼が笑うたびに顔全体がよじれ、朱の呪文がそのたびに火を吹いた。呪文の文字から青い皮膚がひび割れる。肌が崩れ、粉になってゆく。その粉の中にも極小の青鬼がいる筈だ。
「鎖が緩むぞ!」
峯は槍を掴み、いつでも刺しに行く構えだ。
「はいな!」
酒田が鎖を締めあげる。
「わはは。わははは」
青鬼は巨顔をよじり、鎖をほどこうとする。
苦悶の表情はさらに濃くなり、顔中のしわが中央に寄った。それは全て七角形の角へと集約した。しわが深いほど炎は赤く燃える。青い粉は煙となり、雲となった。てんぐ探偵たちはその雲煙を火で焼き払うべく、それぞれの得物を構えた。
その刹那。
顔の中心から、七角形の角が飛び出した。
まるでミサイルが発射されたかのように、上空に弧を描いた。
「え?」
「ファルコ!」
上空で待機していた峯の眷属、隼のファルコは猛烈に追う。落下時は時速三百九十キロを誇る隼の速度でも、その角には追い付けなかった。
七角形の角は空中ではじけ、七色の煙となった。
七方向へ、七の七、四十九方向へ、七の七の七、三百四十三の方向へ、黒い触手を広げた。
「大妖怪化だ!」
「角のほうが本体やったんか!」
巨顔の方は既に表情が止まっている。青鬼の顔は抜け殻のように正気を失い、青い粉へと自壊を始めた。黒い瞳は白くなり、死が訪れたことを示していた。さくらは法螺貝で音波の炎を与え、すべてを燃やし尽くす。
「火よ在れ!」
峯は火槍を青鬼の眉間に突き込む。炎は貫通し、残りの体を消し炭へと変えた。
「麓の町が!」
触手のスピードは速く、てんぐ探偵たちが一本高下駄を履いて飛んでも間に合わなかった。
町の人々の心の闇。七種類に分類できたかどうかは分らない心の闇、その全てに七の七の七の七倍の触手が絡みつき、取り憑く。すべての色の混ざった、グレーのような黒い色のような大妖怪へと変貌する。
「大妖怪……カオスか」
シンイチは、その名を告げた。
4
「これだけの触手を持つ妖怪、どないせえっちゅうねん!」
さくらが絶望する。法螺貝で届く量ではない。
「大丈夫や、まかせとけ!」
光太郎は安請け合いをするように胸をドンと叩く。
「なんか策があるん?」
「ワシらにはシンイチがおるやんか! な、シンイチ?」
「うんオレがなんでも解決……なんてうまくいくわけないだろ!」
「ええノリツッコミやで! エンジンかかって来たな!」
シンイチはだいぶ光太郎の捌き方がわかって来たようだ。上空の本体、触手たちを観察する。
「『カオス』の色は黒……というより、グレーっぽいね」
「どういうことやシンイチ?」
「18%グレー近くに儂には見えるがの」
と物知りのネムカケが言う。
「18%グレー?」
「写真の基本ぞな。この世の中の物体の全ての明るさを平均すると、明るめのグレー、数値でいうと18%になるそうじゃ。写真の明るさ(絞り値)は、それを基準に、何倍の明るさ、のように決めておるぞい」
「夜とかあるやんけ」
「鋭いの光太郎。これは昼間の話じゃ。18%ということはつまり昼間光に満ちた世界が基準ということじゃな」
「全ての明るさが混じると、あんな色になるのか……」
シンイチは改めて、心の闇を分析しようとする。光太郎が尋ねる。
「心の闇『カオス』ってどういうことや。七つの感情が、全部混じってるってことかいな?」
「うん。多分、あの色の通りの感情」
「?」
「グレーな気分」
「?」
「感情ってさ、どっちかの方向へ行くことじゃない? どの方向にもいかない感情……無感情な状態なんじゃないかって思う」
「それがカオスか」
分析の間にも、鬼塚は黙々と一本一本パンチで抉り、燃やしている。峯は火の槍で触手を貫き、燃やしている。きりがないのは分っていてもだ。シンイチは皆に言った。
「触手を一つ一つ見て! 一番太い触手に取り憑いた宿主を探すんだ!」
七の七の七の七倍の触手は、さらに七つに分裂し、さらに七倍に増えた。天空が無数のグレーで埋め尽くされ、「一番ってどれやねん!」と光太郎は文句を言う。
「……アレちゃうか!」
さくらが指さした。
「この町で一番グレーな心の人が、この先に?」
河原で、石を拾う高校生がいた。
ひとつ、ふたつ拾っては吟味し、一つを残して他は捨てる。右手で、そのすべすべの丸石の手触りを確かめる。そのまま投球フォームに入った。だが振りかぶった段階でやめてしまい、丸石を左手に持ち替えた。ぎこちない投球フォームから投げられたその軌道は、河原にぼちゃんと落ち、波紋が流されてゆくのみだ。
左手投げの石は、何度投げてもバラバラな場所に波紋をつくるのみだ。
彼は座り込み、水面を眺めた。
「もうどうでもいいさ」
彼――拝島秀人は呟いた。
右の投球フォームをやってみる。左のフォームをやってみる。同じようである。だが決定的に違うことは、本人が一番よく分っている。
今治西高野球部のエース、拝島は大きくため息をついた。
そこへ、自転車に乗った体格の良い男がやってきた。
「こんなとこでさぼってたんか拝島」
「もういいよ。放っといてくれ徳川」
「風邪引いたいうんは嘘やったんか」
「……風邪みたいなモンだよ。心のな」
徳川は自転車を降り、拝島の前に立った。
「どういうことよ」
拝島は目線を逸らした。
「やる気がなくなったんだ。甲子園も行かねえ。お前らで行ってこいや。応援してるぜ」
「はあ? どういうことや!」
「野球、辞めるよ」
「何でや! 拝島! せっかく春の甲子園決まったってのに!」
徳川は拝島の胸倉をつかんだ。拝島は咄嗟にその手を外そうと、右手で彼の両手をつかんだ。だが、その右手にまるで力が入っていないことに、徳川は気づいた。
「何で何もせん」
「何も、出来ねえんだよ」
「は?」
「俺の右手……壊れた」
「……何だって?」
拝島は右手で石を拾い、正式な投球モーションで投げた。
小学生でももう少し勢いよく投げるだろう。
「七色の変化球」とマスコミに騒がれたキレなど、どこにもなかった。
「医者に行ったが、手遅れだと言われた。肘にメスを入れればあるいは、と言われたが、リハビリしても春のセンバツには間に合わん」
「お前……黙っとったんか」
「秋季大会優勝が、俺のピークだったな」
そこへ、朱い天狗面の少年と、六人の仲間が現れた。
「あなた、妖怪に取り憑かれてますよ」
心臓より太い触手。それは拝島の胸を貫き、右腕に絡みつき、上空へ延び、他の触手と合流して空を覆う巨大なグレーの金平糖型大妖怪に注がれている。
「つまり、俺のこの『もうどうでもいいや』って心は、妖怪のせいだと?」
「そうだね。事情を聞く限り、前々からその可能性はあったものの、取り憑かれたのは今さっきだろうし」
「何で分る?」
「オレ達、山の上から目撃してたんで」
石鎚山をシンイチは指さした。鏡の中の世界でぐねぐね動く巨大妖怪を見せられても、拝島はまだ「心の闇」を信じられない。
シンイチ少年は六人の仲間を連れている。修験者姿の子供、セーラー服でミニスカートの女子高生、能の衣装の人、筋肉質で骸骨顔の男、デカイマントの男、ラーメン屋みたいなデブのおっさん。なんなんだこの奇抜な一行は。
「……なんか分らんけど」
相棒の徳川が、キャッチャーミットを持ったまま尋ねた。
「妖怪退治をすれば、拝島の腕も元通りになるのか?」
「いや」
シンイチは事実を言う。
「残念だけど、腕と心は別々だよ。右腕が壊れて心が病んだのは確かだけど、逆の因果はないでしょ」
「そうか……そんな都合よくはいかんのか」
「医者は体を、オレ達は心を治す、といってもいいよ?」
「心」
と、拝島は反応する。
「そう。エースピッチャーの拝島さんを野球部に復帰させれば、心が立ち直ったことになる?」
「ふん。そんなバカな」
拝島は毒づいた。
「野球部に戻る意味あんのか? まともなボール投げられねえのに、意味あんのか? 球拾いくらいしか出来ねえだろ」
「すればいいじゃん」
「そこまで野球好きじゃねえよ。もうどうでもいいんだ」
シンイチは頭をかく。何かいいアイデアはないか。グレーの心。感情を閉ざした心。もう壊れてしまった右腕。
光太郎が頭を突っ込んできた。
「要するにその兄ちゃんは『もうどうでもええわ』って思ってる訳やんな? それがカオスな心やと。そのグレーな心が晴れればドントハレやということやろ?」
「うん。たとえば左投げに転向とか?」
「野球はそんな簡単じゃねえよ」
拝島は石を拾い、左で投げた。
「え。でもオレらより凄くね?」
シンイチは真似して投げてみて、半分の半分も届かないさまを示した。
「高校生と小学生を比べんなよ。高校野球舐めんな。徳川なんかキャッチャーからセンターまで真っすぐ投げられるくらいだぞ?」
「マジで?」
徳川は石を拾い、全力で投げる。川幅を軽く超え、レーザービームのように向こう側の土手に突き刺さった。
「はええええ」
ニヤリと笑った徳川に、シンイチは聞いた。
「なんでキャッチャーやってんの? ピッチャーやればいいじゃん!」
「俺は、打者の心理の裏をかくのが得意でな」
拝島が付け加える。
「だから配球の作戦は全部徳川、俺はそこに理想のボールを投げるだけで良かった」
「俺より曲がる球を拝島が投げるんで、組み合わせを考えるのが楽しくなってきてな」
「ふん。だが」
拝島は自虐して笑う。
「その球は、この世から消えたのさ」
そうして三度目のため息をつく。ため息は心の闇の好物だ。触手はいくらか太くなって、拝島の心はさらに深く闇に蝕まれたことだろう。
「どないすんねんシンイチ?」
光太郎が無茶ぶりをする。シンイチは考える。
「ちょっと待ってよ! 一休さんじゃないんだから!」
不思議なコンビだと、さくらも才一も鬼塚も、峯も酒田も見守っている。自分たちが今まで妖怪と闘ってきた温度感と、あきらかにこのコンビは違うからだ。
光太郎が無理やりにシンイチの頭に指をぐりぐりしているが、シンイチがそれで何かを思いつくはずがない。
「あ。そうだ!」
「おっ。来たか?」
「ピッチャーとキャッチャー、逆やるのはどう? バッテリーの関係を逆にするの」
「ボケとツッコミ入れ替えるみたいなことか! できるんかいな?」
「ピッチャーレーザービーム徳川、キャッチャー俺か」
拝島の表情が、少し明るくなった。
5
徳川が乗って来た自転車には、一通り野球の道具が積んである。
「えー、高校野球の球ってこんなに硬いの?」
シンイチは初めて触る硬球に興味津々である。
「河原の石投げるのと変わりないじゃんね!」
「そうかも知れんな」
徳川は笑って、初めてキャッチャーの恰好をする拝島を見て笑った。
「不恰好だな」
「お前の頭がクソデカなんが悪いんだ。サイズデカすぎ」
「お前専用のを買えばいいだろ」
「上手く行くんならな」
拝島は慣れぬ装具で片膝をつく。河原の石が痛い。グラウンドでは土とはいえ、徳川は毎回膝をついていたのかと気づく。
「レーザービーム、いっちょこいや」
徳川は振り被り、初級低め外角へ剛速球を放り込む。
ばしんと響く音は、聞いたことない位大きかった。
「ボール一個外」
「まだ初球だ」
次は外角低め。ストライク。
。次は内角高めぎりぎり。外角へ逃げる低め。
「……」
「気づいたか」
「俺たちが春の甲子園決めた決勝のラストじゃんか」
「どう思う」
「俺の方がスライダーが切れる。……いや、『切れた』か」
拝島はボールを握ったまま、何度も手首を動かした。
未練があるのは誰の目にも明らかだった。
「で、交代作戦は行けそう?」
「草野球なら」
拝島は冷静に言う。
「鍛えても甲子園レベルは無理だろ」
「俺も、そう思った」
「まあ、抑えのピッチャーが一人見つかった、くらいか」
「抑えって何?」
野球の用語を知らないシンイチが尋ねる。
「ピッチャー一人で投げ切ると疲れるし、、球のキレも悪くなるから、交代して投げるんだ。エース一人で投げるんじゃなくて、二人とか三人がかりでひと試合投げるんだね」
「へえ。じゃ拝島さんが半分投げて、徳川さんがもう半分投げるのは?」
「ボケツッコミとツッコミボケを切り替えるスタイルか! それは新しいで!」
唸る光太郎に、「なんでもかんでも漫才かよ!」とシンイチは突っ込む。
「……いや」
拝島は大きく振り被り、やはり腕に違和感を覚えたようだ。
「三回くらいまではなんとかなっても、その後はダメだ。ピッチャー徳川のつなぎにもならん」
「そっかあ……」
シンイチは河原の小石を拾い、川に投げた。
川の真ん中すら届かない。流れる水面を、ぼちゃんと波紋が乱していく。
次に水切りをしようと、下手投げをした。
1、2、3、4、5回。水に跳ねた石はぽちゃりと川半ばまで届いて消えた。
「……アレ?」
「どうしたの?」
「下手投げの方が、腕が楽だけど?」
「……ほう」
拝島は興味を持ち、シンイチの隣に立って水切りに参加した。
丸く、平たい石を選び、下手投げを試みる。
1、2、3、4、5回。シンイチと同じだ。
「あ、その石の選び方は違うぜ!」
シンイチは拝島が次に拾った石を見て言った。
「丸い方がスピンがかかって跳ねるって思うじゃん? 違うの。底が平らなのは絶対なんだけど、角がある、たとえば三角形みたいな方が跳ねるんだぜ?」
「三角形の平たい石?……何でだ?」
拝島は、平たく丸い石と、平たく三角の石を持ち比べる。
「……分ったぞ」
拝島は丸い石を捨て、三角形の石を選んだ。アンダースローのフォームをゆっくりと取り、低いリリースポイントから低い軸足で石を放つ。
1……2……3……4、5、6、7、8910111213141516171819。
「えっ! スゲエ!」
シンイチは大興奮だ。
「ピッチャースゲエ!」
「どういうことや拝島」
不思議に思った徳川が尋ねると、拝島は硬球を握って見せた。
「ボールの縫い目に指を引っかけるだろ? 指を引っかけられる石の方が、回転をかけやすいんだ」
再びアンダースローで低く投げる。
今度は三十を超える。
「ねえねえ! 水切りチャンピオンの橋田さんのフォームならもっと行くんじゃない?」
シンイチはYouTubeで独特のフォームで投げる、国際水切りチャンピオンの動画を見せた。
「なにこれ?」
野球のアンダースローに似て、非なるものであった。
まず左右の手を両手いっぱい横に広げる。左手で内側から円を描き、右手で逆に外側へ円を描く。左足を踏みこみ、右足を左足に揃えて右手をリリースする。
「なんでこんな変なポーズで飛ぶんだ?」
拝島は常識を覆された。
「真似してみようよ!」
シンイチは拝島を誘う。
見よう見まねでやってみる。
左手の振りを先行させ、右手の振りを付いていかせる……
「成程」
「?」
「左手の勢いを利用するから、右手が楽になる」
「ホント?」
「そして低く踏み込んだとき、両足揃えだとぐらつかない」
「ホントだ!」
右膝を左膝の裏にぶつけるようにして急停止。全身のバネに溜めたものを、ここで開放する。
「よし。大体分った」
拝島は呟き、何度も何度も素振りをする。そしておもむろに三角石を構え、水面に投げた。
1……2……3……4……5、6、7、8、9101112131415161718192021222324252627282930……45。
「マジで!」
「卍投げ、とでも名付けるかこれ」
左手と右手が互い違いに動くポーズで拝島は笑った。
「来い」
徳川は既にキャッチャーミットを構えている。右膝を河原にすりつけて。
「うん」
拝島は右手に硬球を握った。さっきと同じところに指を引っかける。
左手先行、その勢いで右手スタート。左足踏み込み、右足遅らせて左足にぶつけて静止。その勢いで鞭のように右手をリリース。
低い軌道のまま、徳川のミットにそれは吸い込まれた。
「卍マン誕生」
拝島は笑った。だが徳川はストレートじゃ満足しない。
「曲げてみろ。お前の持ち味はそれだろ」
「やってみる」
右、左、斜めに落ちる球。
ありとあらゆるカーブで拝島は投げた。
「たしかにこれなら右手は楽だ。六回までは投げられる」
「だがかつての球威はない。アンダースローだからな」
徳川が正直に言う。
「だが、スピンはアンダースローの方がかけられる。もっと曲がる球になるかもな」
拝島は笑った。
「ボケツッコミとツッコミボケ。ダブルで行けるんじゃないか?」
全ての感情が静止したグレイから、拝島の心に感情が芽生えた。その名を、希望という。偶然や他人の力を期待する願望ではない。自分自身が切り拓けそうだという、期待や覚悟である。
「流ッ石やで、シンイチ!」
かくして、拝島秀人の心の闇「カオス」は彼の心から離れた。
光太郎は飛び上がって喜んだ。さくらも才一も鬼塚も、すでに一度は見ていたとはいえ、感心する。峯と酒田は初めて見る「シンイチの妖怪退治」に、そんなやり方があり得たのかと目を丸くした(峯は見えていないので、白い目をむくのみだが)。
「さあこれでこの波動が本体に伝わって……!」
拝島に取り憑いていた巨大な触手は、本体に心の波動、炎の心を伝えてゆく。これで「心の闇」は晴れる――筈だった。
「なに?」
とげだらけの大妖怪「カオス」はゆっくりと脈動しはじめた。
18%のグレーは、脈動のたびに変化し、色が分離していった。赤に、青に、オレンジに、ピンクに、緑に紫に。
「なんやアレ……まるで虹とかシャボン玉みたいな色やんか!」
光太郎は大鴉の柄に手を懸けたまま叫んだ。
混色の「カオス」から七色の「カオス」へ。
大妖怪は、第二形態へと変化を遂げた。




