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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
六章 鞍馬へ
88/116

第八十四話 「鞍馬炎上」 大妖怪「悪」登場(後)

挿絵(By みてみん)




    1


     朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 何故オレは人と違うのか?


 ふとしたときに、シンイチは自問自答してしまうことがよくある。何故オレは人より賢いのか? 何故オレは人より足が遅いのか? 何故オレは妖怪が見えるのか? 何故オレは、てんぐ探偵なのか?



 ついに鞍馬寺へ着いた。

朱色の山門を潜り、石段を登り、山道に入ると、シンイチはずっと思っていたそのことを、光太郎に話した。

「時々それで苦しくなる時があるんだ。なんでオレは人と違うのかって。……鞍馬天狗はその事に答えてくれるかな」

 光太郎はふんと鼻で笑った。

「そんなん、人が違うの当たり前やんか!」

「当たり前かも知れないけどさ」

「鞍馬山は化けモンだらけの山やで? 『異能の者』ばっかりやぞ?」

「異能の者?」

「超能力者、預言者、法力の使い手、妖怪の見える奴、中には人間から天狗になった奴までおるから」

「そうなの?」

「牛若丸こと源義経が幼少時代預けられた鞍馬寺は、いまでこそ鞍馬弘教くらまこうきょうちゅうヘンテコ宗教名乗っとる(神智しんち学といって、西洋の魔術と東洋の宗教には共通点があるとする立場。レイキはここから分かれた)けど、伝統的には密教天台宗の寺や。いや、天台宗いうたら名門扱いされるけど、当時は『異能の者』、異端者扱いやで?」

「異端者」

「『山の者』とは時の政府の管理から外れた者のことや。戸籍もないし台帳にも載らん。修験者や密教行者になる『出家』といえば聞こえはええけど、秩序から外れて自由の身になるっちゅうこっちゃ。フリーランスやな。その代わり、山でも生きていける異能が必要なんや」

「それって、術とかサバイバルの方法とか」

「剣術もやな」

「……」

 シンイチは無意識に腰の短剣、小鴉に触れていた。最も古い流派、剣術京八流(八大流派。現在は失伝)の源流、鞍馬流剣術。それを鞍馬天狗に教わりに、東京からはるばる旅をして来たのだ。

 光太郎は続ける。

「町で生きていかれへん『はじかれ者』は山へ行った。ワシもそうや。ホームレスで身寄りも全員死んだし、神戸の街で生きていこうなんて思えんかった。山は、そんなはみ出したモンの受け入れ場所なんや」

「……オレも、はみ出し者かな?」

「天狗の面被っとる奴がはみ出してへん訳ないやんけ!」

 光太郎は笑った。

「でもシンイチは、はみ出しぷりが足らんのや! この山におる天狗や魔物たちはもっとめちゃくちゃやで? 『鞍馬は草木の陰にも天狗の居る地』いうてな! この山は烏天狗だらけやねん! その十の筆頭が『鞍馬十天狗』や。皆烏天狗や。名を霊山坊れいざんぼう帝金坊ていきんぼう多聞坊たもんぼう天実坊てんじつぼう日輪坊にちりんぼう月輪坊つきのわぼう静辨坊せいべんぼう道恵坊どうけいぼう、ほんで蓮知坊れんちぼう行珍坊こうちんぼう。あとで紹介したるわ。ひと癖もふた癖もある連中やで!」

「遠野十天狗みたいだね!」

「遠野十天狗?」

「秋葉原の『死の恐怖』事件のときに駆けつけてきたの、覚えてる?」

 シンイチは遠野の地を統べる十の天狗を数えた。早池峰山薬師坊はやちねさんやくしぼう六角牛炎魔炎寂坊ろっこうしえんまえんじゃくぼう石上山白女いしかみやましらめ権現山飯綱神ごんげやまいづなしん五葉山真人坊ごようさんしんじんぼう物見山鎧丸ものみやまよろいまる白見山立丸坊しろみやまたてまるぼう明神独眼みょうじんどくがん天ケ森(あまがもり)イタチ坊、そして天野山天道坊あまのさんてんどうぼう

「ははあ。どっちが強いんやろ?」

「カードゲームかよ!」

「だって鞍馬十天狗は全員、鞍馬流免許皆伝やで?」

「そうなの? 剣じゃ勝てないかも。あ、でも炎寂さんの火力なら……」

「いやいやワシの師匠の帝金坊の剣速には勝てんやろ!」

「え? 光太郎、鞍馬天狗が師匠じゃないの?」

「ああ。もうあのジイさん耄碌しとって、剣振れる体力はないんや。ほとんどの剣は帝金坊師匠に習った」

「そうなのか」

「でも最初に習う基本中の基本、『一本目』だけは、鞍馬天狗のジイさんの仕事やねん。その名を『正當剣せいとうけん』。鞍馬流の看板技は『変化へんか』やけど、正當剣はそれ以前の考え方、剣とは何かを教えるもんなんや」

「正當剣」

 気づいた時には、シンイチは小鴉を抜き、構えていた。

「それ、どんなの? 教えてよ」

「鞍馬天狗に習えや」

「待ち切れない。予習ってことで!」

「しゃあないなあ」

 光太郎も大鴉を抜いた。

 稽古の場とは言え、シンイチと光太郎が剣を向けあったことは初めてであった。

 妙な緊張感が走る。

 互いに互いの剣先を、相手の喉元に向けた。

「ゆっくりやるで。『ヤー』言いながら、上段から斬り降ろしてみ」

 シンイチは一歩進み、光太郎の脳天を唐竹に斬り降ろした。

「ヤー!」

 光太郎は剣で剣を受けない。一歩下がって体を躱す。受けたら攻撃に剣を回せないからである。剣自体を痛めない予防策で、古流にポピュラーな考え方だ。光太郎は退がりながら大鴉を大上段に構えた。ここからシンイチの脳天に落とすだけでは、ただの力比べだ。剣術が術たるゆえんは、次の瞬間にある。

「トー!」

 腹の底から声を出し、丹田を震わせた光太郎は大鴉を斬り降ろす。シンイチにではなく、「シンイチの剣」にである。だがシンイチの剣を斬るのが目的ではない。剣と剣をぶつける力比べを古流はなるべく避ける。強い方の剣で勝負が決まってしまうからで、それは術ではない。

 光太郎の剣はしのぎの部分をシンイチの剣の背にこすらせ、それ以上の変化を封じただけである。斬り下げたのは、下方向に抑えれば、シンイチの剣は最短距離を走れなくなるからだ。

 その刹那、光太郎の切っ先は最短距離で上げられ、シンイチの喉元をとらえた。

 分ってしまえば単純な術理。しかし簡単シンプルなだけに応用が利き、最も強い。

「これが一本目の正當剣や。『剣に乗る』という言い方をする」

 言い得て妙だとシンイチは感じた。シンイチは『乗られた』と重さを感じたからである。相手の剣に乗って体重をかけ、封じた瞬間に反力で跳躍、最短で喉元。


 ──これが剣術。


 シンイチは、喉元から心臓までぞくりとした。

「ちなみにこれが極まると、ホンマに剣の上に乗れるらしいで?」

「マジで?」

「漫画とかでよう見るやつや。体の軽い、烏天狗ならではの『乗る』やな! いうたらノリツッコミみたいなもんやで?」

「ノリツッコミ?」

「相手が来るやん。一回乗ってからツッコムやん。お笑いと一緒や」

「???」

「やってみよか。はい、ボケて」

「……いや、無理だろ。なんでここで?」

「ノリ悪いなあ! これやから関東人は! なんでもええからオモロイこというんや!」

「無理だよ!」

「ほしたら『布団が吹っ飛んだ』でええわ。言うてみ?」

「……布団が吹っ飛んだ」

「ホンマか! どこまで飛んでん! 誰の仕業やねん! ボーンって……そんなことあるかーい!」

 光太郎は、裏手でシンイチの胸をはたく。

「……」

「な?」

「な?って言われても」

 光太郎のどや顔に対して、シンイチは何も分らなかった。

「鈍いやっちゃのー! ノリツッコミやんか! ボケに対して一回乗るんや! そしたら重心が引き出されるやろ! その瞬間がツッコム瞬間なんや! 剣と笑いは一緒やねん! 人間と人間の関係やさかいな!」

「人間と……人間の関係」

 ざわりと梢が風に鳴った。

 シンイチは今まで剣術を、スポーツや体育のようなものだと思っていた。走りこんで、素振りして、力で力を斬るように、鍛え上げることだと。鞍馬天狗に習うのは、その鍛え方だと思っていた。

 人間関係。それが剣。

 不意に飛天僧正の言葉が思い起こされた。「剣は媒介也」。人間の鍛える力には限界がある。子供であるシンイチなら尚更だ。剣は「何を」伝えるものなのか? 力ではないのではないか?


挿絵(By みてみん)


 ふと光太郎が考え込んだ。シンイチは聞いた。

「どうしたの?」

「いや、……お前がこれをマスターしたら、どうなんねやろ、と思って」

「どうなるもなにも、光太郎に迷惑をかけずに、自分で闘えるようになれる。少なくとも身を守れるようにならないと」

「せやな、足手まといは俺の命も危うくなる。……でもな」

「でも?」

 風が異様な間を連れてきた。光太郎は何を心配しているというのか。

「アレ?」

 光太郎は突然我に返った。

「ここどこや《﹅﹅﹅﹅﹅》!」

「え。……何言ってんの光太郎。さっき鞍馬寺の山門くぐったじゃん」

 周囲は静かな山道だ。

 しかし光太郎の庭のような場所だから、彼には分るのだ。

「ちゃうねん。山門くぐったら次は九十九折つづらおりの道や。右に左に折れながら急坂をのぼってくメチャクチャきついロードで、清少納言が枕草子で愚痴書いたあ言うぐらいで……」

 再び、光太郎はあたりを見回す。

「ここ、九十九折りと違う」

 ざわざわと森が鳴いた。そういえばさっきから鳥の鳴き声ひとつしていない。

「なんか変や! ちょっと見てくる!」

 光太郎は一本高下駄を履き、飛んだ。

「どういうこと? 光太郎が道に迷ったとでも?」

 残された罵詈雑にシンイチは聞いた。

 罵詈雑は空に飛び、周回して戻ってきた。

「阿ー呆ー!(ここがどこか分らへん!)」

 ここは、鞍馬寺ではないのか?

「ネムカケ。戻った方がいいかな」

「はぐれると困る。慣れた光太郎を待とう」


 その時。

 烏天狗が襲ってきた。


挿絵(By みてみん)


    2


 ちんちくりんの僧衣の烏天狗だった。子供の身長のようだったが、手足のバランスは大人だ。つまり、小人症の大人のような体躯だった。剣はすでに抜かれ、白刃をきらめかせてシンイチに斬りかかってきた。からくもシンイチは太刀筋を躱し、距離を取る。「正當剣」なんて咄嗟に出るものではなかった。

「俺様が鞍馬十天狗最強の行珍坊様だ! きさまよそ者だな! 鞍馬に無断で入る者は我が剣の錆となれ!」

 顔は丸顔の烏だ。頬が大きく、目は丸い。

「ちょ、ちょっと待ってよ! オレは鞍馬天狗に会いに……」

「黙れ黙れ黙れ! 一番は俺! 弱き者は死ね!」

 大振りの日本刀。腕や足の一本は飛ぶだろう。あれを止める方法をシンイチは知らない。

「ねじる力!」

 咄嗟に出たのは、使い慣れた力だった。空間を螺旋に歪め、行珍坊の突進を止めようとする。行珍坊が丸まって弾丸のようにやってくるのを、ねじる力で止めようとする。ざざざと枯れ葉が螺旋状に舞った。

「ぬん!」

「え!」

 行珍坊の唐竹割りは、「ねじる力を斬った」。空間を曲げようとする力を、刀で斬ったのである。その次元の裂け目のような空間を、突進してくる。

 行珍坊の二の太刀、払い切りを、かろうじてシンイチは小鴉で受け止めた。両手がしびれる。鍔迫り合いを嫌った行珍坊は飛び退く。烏の羽が羽ばたき、人間には不可能な距離を飛び下がる。

「つらぬく力!」

 シンイチは右手の人差し指からつらぬく力を出し、面積の大きい翼をつらぬいた。行珍坊を串刺しにし、背後の大木にピン留めのようにする。

「あ! しまった! 飛び道具か!」

 じたばた手足をもがく行珍坊。シンイチは刀印で四縦五横の早九字を切る。

「不動金縛りの術!」

 昆虫標本のようにピン刺しになった行珍坊は静止した。

 息つく暇もなく、背後からぬっと手が伸びた。

 シンイチの腰のひょうたんを掠め取ろうとする烏の手。

「うわっ!」

 シンイチは飛び退く。

 禿げ頭の烏天狗が舌打ちをする。

「それ、遠野のひょうたんだろ。よこせ」

 烏天狗──鞍馬十天狗の九、蓮知坊はぬらりと剣を抜く。

 長い。長刀使いである。銀の刀身に禿げ頭が反射する。

「阿呆! 阿呆!(蓮知坊なにやっとんねん!)」

 罵詈雑が突っかかるが、蓮知坊は剣で斬った。

「罵詈雑!」

 からくも罵詈雑は宙で回転し、剣撃をかわしていた。

「オイみんな。よそ者の剣を見ろ。あれも遠野製だな。欲しい」

 草葉の陰から、無数の烏天狗が現れた。蓮知坊とシンイチの対峙を遠巻きに囲んで観察している。

「なんなんだこれ! 鞍馬山はオレを歓迎していないの?」

「シンイチ! 目線を外すでない!」

 ネムカケの叫びにシンイチが蓮知坊に視線を戻すと、蓮知坊は四縦五横の印を完成させて、最後のひと切りを終えた。

「しまった!」

「不動金縛りの術」

 シンイチはたちまち体が痺れ、動けなくなった。蓮知坊は禿げ頭をさすりながら、にやにやと近寄ってきた。

「ひょうたんを貰おうか」

「待てよ! それには色々入ってるんだ!」

 声を出そうにもシンイチは全身が動けない。

 蓮知坊はひょうたんを手にもてあそぶ。

「あとで中をじっくり見ようっと。あとその剣も寄越せ」

 動けないシンイチの手の小鴉に烏の手がかかったとき、それを「つらぬく力」が弾いた。

「金縛り解除! 喝!」

 その一声で、たちまちシンイチの体は動き出す。


挿絵(By みてみん)


 鞍馬十天狗の七と八、静辨坊と道恵坊である。

二人とも真っ白の修験者服を纏い、静辨坊は十文字槍を、道恵坊は月牙槍を持っている。静辨は痩身で知性を感じさせ、対比的に道恵は巨躯で力を感じさせる。

「返せ!」

 シンイチは蓮知坊の手の中のひょうたんを奪い返そうとする。蓮知坊はシンイチの喉元に剣を向ける。

「静辨坊どの。これが鞍馬流の歓迎法かや?」

「ネムカケ殿!」

 静辨坊とネムカケは知り合いらしかった。

「遠野からの客人であったか! 申し訳ない。これは鞍馬流ではない!」

「どういうことじゃ?」

「この行珍坊と蓮知坊の様子が、突然おかしくなったのだ!」

「なんじゃと?」

 その様子を目撃していた道恵坊が言う。

「突然九十九折りの道にねじる力をかけ、千度折りの迷宮にしてしまったかと思うと、突如飛び去り……」

「ちょっと待って! まさか!」

 シンイチはねじる力で金縛りにかかったままの行珍坊の胸に、「穴」を開けた。

「『心の闇』だ!」

「なに!」

「天狗の聖地、鞍馬山に『心の闇』だと!」

 その妖怪はどす黒く、切れ長の一ツ目で、烏天狗たちを見た。

「妖怪『うぬぼれ』」

 シンイチは妖怪の名を看破する。

「誰だ! 鞍馬に妖怪を持ち込んだのは!」

 道恵が唸る。

 と、天から炎が降ってきた。

 炎ではない。火の太刀。大鴉だ。

 シンイチに真っ向に振り降ろされた炎を、からくも小鴉で受け止めた。

「シンイチイイイイイイイイ!」

「こ、光太郎!」

「さっき教えたやろ! 受け止めたらアカンのやボケ! 死ね!」

「はあ?」

 光太郎は膂力でシンイチを突き飛ばした。

 地から再びシンイチを斬り上げる。シンイチは躱す。返す太刀。シンイチは左に躱す。胴払い。それも小鴉で受け止めた。受け止めないと、胴が真っ二つになっていたかもしれない。

「なにすんだよ光太郎! 心の闇が鞍馬寺にいるんだぞ!」

「ワシはシンイチが! 憎い! 憎い! 憎い!」

「はあ?」

「殺す! 殺す! 殺す!」

 シンイチは小鴉で押し、飛び下がる。さっきから下がってばかりだ。不動金縛りの印を結ぶ時間はない。ねじる力は? 考えている暇もなく、光太郎は飛んできた。一本高下駄の縮地は一瞬だ。

 三度剣を交錯させた。もう腕がしびれて上がらない。殺らなきゃ、殺られるのか?

「光太郎! なんなんだ! なんなんだよ!」

 木の根に足を取られ、シンイチは尻餅をついた。光太郎は片手突きで喉元を狙ってきた。

「不動金縛りの術」

 地の底から響く声に、光太郎は金縛りにかかった。どんと大きな音を立てて、赤い僧衣がひらりと舞った。遠野の赤い流星の登場である。

「飛天僧正!」

「やれやれ。琵琶湖見物もゆっくり出来ぬとは」

 バードマン大会で別れた飛天僧正であった。僧正は右手を、金縛りになった光太郎に向けた。

「てんぐ探偵同士が切り結ぶなどという異常な光景。原因はこれだな」

 掌をねじり、光太郎の胸に穴をあける。

「妖怪『うらやみ』!」

 心臓に取り憑く、黒い妖怪が暴かれた。

「心の闇か。大方そちらの禿げ烏もだな」

 ひょうたんを奪った蓮知坊に飛天は向き直った。蓮知坊は禿げ頭に汗をかいて否定する。

「妖怪だって? そんなわけないだろう。ここは烏山鞍馬山。これだけ烏天狗がいる中で堂々と妖怪が……」

「黙れ」

 飛天は蓮知坊の胸にもぐにゃりと風穴を開ける。

 黒いわだかまり──心の闇。

「妖怪『ほしがり』か」

 静辨坊がおどろき、光太郎に詰め寄った。

「光太郎! まさかお前が外から『心の闇』を持ち込んだのか!」

「くっそ!」

 ひょうたんを片手に、蓮知坊は翼で空へ逃げた。

「待て!」

 静辨坊、道恵坊も翼を広げ、天に舞う。

「つらぬく力!」

 飛天は飛ぶ間もなく、つらぬく力で蓮知坊を串刺しにする。

 その隙に光太郎は不動の結界を破り、飛天のげんの下から抜け出した。

「光太郎!」

 一本高下駄で飛び、空中で止まった蓮知坊の手の中からひょうたんを奪う。

 がさり。森へ消えた。

「……すばしこい奴め」

 静辨坊と道恵坊は力づくで蓮知坊を捕らえ、地上に引きずり降ろし不動金縛りにかけた。


 シンイチは大木に縛られた行珍坊、蓮知坊の心の闇を観察する。

「ネムカケ。この妖怪、琵琶湖の奴に似てない?」

 飛天も観察する。

「うむ。禍々しき黒。光る眼。大妖怪『悪』に瓜二つ也」

 ネムカケは考え、みっつを数える。

「『うぬぼれ』、『ほしがり』、『うらやみ』か。まるで七つの大罪のような感情じゃな」

「七つの大罪?」

「キリスト教で戒める七つの罪のことじゃ」

 飛天が続ける。

「暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬だな」

「左様。そのうち傲慢、強欲、嫉妬ではないかこれは?」

「そうか! 琵琶湖で倒した大妖怪『悪』には七つの目があった。それが七つに分裂して……?」

 シンイチは「目」を観察した。どれも角度が少しずつ異なっている。飛天は続けた。

「ネムカケ殿。七つの大罪には誤訳がある」

「なぬ?」

「元のラテン語のニュアンスとはやや違うのだ」

「ほほう」

「原典のラテン語を辿ると、貪食、催し、物欲、不正への憎悪、無精、思い上がり、妬み、と訳したほうが日本語に近い」

「ほほう。ワシより博識とは驚いた!」

「ふん。人の悪と善について長年考えてきたのでな」

 飛天僧正が人に褒められることがあるのか、とシンイチは横から見ていて不思議な気分だった。

「さしずめ、『うぬぼれ』は思い上がり、『ほしがり』は物欲、『うらやみ』が妬みに相当するということか」

 飛天はまとめる。

「それって要するに『悪の素』みたいなことだよね?」

 シンイチが割り込む。

「悪の素か。うまいこという」

「これが育って、そのうち悪に成長し……」

「大妖怪『悪』に合体するんじゃない?」

 あれだけいた烏天狗が、いつの間にかいなくなっていた。光太郎を追ったのだろうか? 再び森がざわつく。

「光太郎を追おう!」

 シンイチの言葉に皆はうなづいた。

 行珍坊と蓮知坊に、飛天、静辯、道恵、シンイチの四重の金縛りをかけておく。

「阿呆」と、光太郎に取り残された罵詈雑が一声鳴いた。


 まだ手が痺れている。光太郎の打ち込みは本気だった。

 ──光太郎が妖怪に取り憑かれた。あいつに一番近いオレが、あいつの心を救えなくてどうする?


    3


 一行は、行珍坊と蓮知坊がねじる力で作り上げた迷宮を抜け、本来の参道、九十九折りへ戻った。

 九十九回の曲がり角を曲がると、樹齢八百年の巨大な杉、通称「大杉さん」が現れる。石段はこれを避けるように作られている。由岐ゆき神社の参道だ。人の営為より先に住む者への、人間の敬意が感じられる。鬱蒼と茂る杉林の中で、大杉さんはひときわ大きな木であった。

 シンイチ、ネムカケ、罵詈雑、飛天僧正、そして静辨坊と道恵坊の一行は、大杉を前に立ち止まる。

 金の衣の双子の烏天狗、日輪坊と月輪坊が、朱の弓に金の矢をつがえていたからだ。


挿絵(By みてみん)


「日輪坊! 月輪坊! お前らも『心の闇』にとらわれたか!」

 静辨坊が叫ぶも、二人の烏天狗は黙ったままこちらに矢を向けた。

 鞍馬十天狗の五と六。目の周囲に特徴的な模様のある双子の兄弟は、左右対称のように動き、弓を天空に向けた。

 刹那。二本の矢が同時に天に放たれる。

「いかん!」

 静辨坊はひらけた場所にいたことを後悔した。

 二本の矢はそれぞれ千の矢に分かれた。火を生じ、天から降り注ぐ火の矢となった。

「九尾の火柱」

 飛天僧正は九本の火柱を立て、一行をかばおうとした。

「その火力は間に合わぬぞ!」

「なに」

毘沙門びしゃもんの壁」

 声とともに、黄金の革の壁が現れ、九尾の火柱の前にひらりとかけられた。

 二千の火矢はことごとく壁に刺さるが、貫通はしない。

「鞍馬十天狗の三、多聞坊が助太刀致す」

 多聞坊は毘沙門天のような革の甲冑を着込み、大柄な戦闘用の肉体を持った烏天狗であった。多聞天とは四天王毘沙門天の異名である。日本に毘沙門天信仰が広まったのは、鞍馬寺がその発祥という。多聞坊は鞍馬十天狗の中で最も戦闘的な、最も頼りになる、要のような存在だ。

「多聞坊! 霊山坊と帝金坊は?」

 静辨坊は多聞坊に、鞍馬十天狗の一と二の名を聞く。

「駄目だ。奴らも『心の闇』に堕ちた」

「なんと!」

「行珍坊に蓮知坊。日輪坊に月輪坊。霊山坊に帝金坊。鞍馬十天狗、十がうち六がやられるとは、なんたる歴史的失態」

 目の前の日輪坊、月輪坊はもはや体内にではなく、体の外に「心の闇」が噴出している。日輪坊は「お前らを全員食うぞ!」と叫び、月輪坊は「鞍馬を正しくするのはこの俺だ!」と叫び、矢をつがえる。

「妖怪『はらいっぱい』、『ただしたい』……貪食、不正への憎悪か……」

 シンイチが闇の名を告げる。

 飛天は九尾の火柱を体内に収めながら呟く。

「あの矢は」

「尽きぬ」

 多聞坊が覚悟を決める。

「この壁ごと前進する。矢は鞍馬十天狗の四、天実坊が叩き落す」

 再び二千の火矢が、ゲリラ豪雨のごとく襲ってきた。

 立ち向かうは、四本の腕に四本の刀を持つ烏天狗、天実坊だ。

「おのれら、それでも鞍馬の十天狗か!」

 そう叫びながら、降り注ぐ火の雨を、四本の刀で次々に叩き落す。

 顔は奇怪な異形相。タイやインドネシアの迦楼羅天かるらてんの面のような顔つきをしている。奇怪な顔と言えど、四本腕による四刀流は、確かな腕であった。

「多聞! 前進するぞ!」

「応!」

 天実坊が四本の腕を振り回し、毘沙門の壁はゆっくりと進む。

「千手観音なら一発で千の矢を落とせるのにのう!」

 死の雨の中で、天実は冗談を吐く。


挿絵(By みてみん)


「お前らを全員食うぞ!」

「鞍馬を正しくするのは、この俺だ!」

 双子は叫び、三度、二千の矢が降り注ぐ。

 飛天僧正は三宝さんぽう荒神こうじん印を組んだ。

八岐やまたの竜」

 八方向に別れる火の柱。広範囲に火矢を焼く。

 毘沙門の壁を越え、単騎飛んだ。印は大黒天だいこくてん印、歓喜天かんぎてん印、持国天じこくてん印。

「六自由度の火」

 巨大な火球を掌より生み出す。

 四度目の火矢の多くは、不規則な回転をする不気味な火球に吸い込まれる。重力場だ。残りを天実坊が落とす。こぼれたものは毘沙門の壁が守る。

「鞍馬十天狗、遠野の飛天の名を知れ」

 組んだ印は虚空蔵菩薩こくうそうぼさつ印。大妖怪「悪」を斬った、得意の炎の剣。

「七支炎」

 七つの牙のついた一直線の炎は、日輪坊、月輪坊を一息に貫く。

 だが双子は左右に別れ、消えた。

「天狗のかくれみのか!」

「いや、摩利支天法まりしてんほうかも知れん」

 辺りは高い杉に囲まれている。何処だ。

「多聞の壁」

 多聞坊は印を切った。と、毘沙門の壁の裏に、百の耳が現れた。

「なにこれ!」

「多聞天の名は、庶民の声を多く聞くの意味じゃ」

「阿呆(静かにっ)!」

 罵詈雑に言われ、シンイチもネムカケも口をつぐむ。

 かさり。かさり。

 音の方向は左と右。杉から杉へと飛び移る小さな音が、百の耳から増幅され、聞こえてくる。矢をぎりぎりとつがえる音。左右からの挟撃だ。

「俺は左。多聞は右」

 天実が左に構え、多聞が右を向く。

「応」

 右から迫る千の矢を、毘沙門の壁で受ける。左から迫る千の矢を、天実の四本刀と飛天の炎で落とす。

 かさり。かさり。見えない烏天狗は枝から枝へ。

「大杉さんを背にしよう!」

 シンイチが提案し、皆が乗った。それならば背後を取られず、毘沙門の壁で防げる。

 皆で走り、大杉を背につけた。

 神の御加護を。祈らざるを得ない。

「おそらく、次は直角方向から挟んでくるな」

 飛天が予測する。

「十字砲火か」

 多聞坊、天実坊が舌打ちする。

 突然、シンイチは思いついた。

「静辨坊さん、その十文字槍は延びる?」

「? 術を使えば」

「十字砲火には、十文字槍を無限に延ばせば絡みとれるかなと思って」

「やってみよう。天実、飛天殿、援護を頼む」

「シンイチはアイデアマンの軍師だな」

 飛天は歯を剥き、笑った。

 矢をつがえる音が、多聞の百の耳から聞こえた。右と左、斜め四十五度。

「延!」

 静辯は印を切り、十文字槍を十文字に延ばす。左右の十字砲火をぐるりと槍を回転させ、叩き落した。

「ねじる力!」

 その隙に多聞坊が矢の来た方向へねじる力を放ち、空間を暴き、金の衣を捉えた。

「手応えあり!」

「延!」

 月牙槍の道恵坊は槍を螺旋に延ばし、もう一方の金の衣をひっかけた。

「つらぬく力!」

 飛天は日輪坊を、シンイチは月輪坊を、それぞれ空中に串刺しにすることに成功した。


    4


「日輪に『はらいっぱい』、月輪に『ただしたい』か……」

 大木に縛られた双子を見てシンイチは言った。二人の目の隈取は、いまや泣いているように見える。

「鞍馬十天狗が心の闇に憑かれるとは、情けなし」

 多聞坊が不動金縛りに縛られた二人を眺めて言った。

「ふん。天狗は聖人ではないだろう。欲も沢山ある。それに付け込まれただけだな」

 と飛天は返す。

「鞍馬は人界から離れすぎて、醜い欲望に免疫がなくなったのではないか?」と更に皮肉った。

「言うね」

 多聞坊も受ける。天実も嘆いた。

「返す言葉もない。鞍馬は未熟也」

 シンイチはさらに遠くの森の方を見て言う。

「とにかく光太郎を探そう! 大妖怪『悪』を光太郎が持ち込んだとしたら……」

 居てもたってもいられず、石段を走り出した。光太郎に奪われたひょうたんには、天狗の面も七つ道具も入っている。今のシンイチの手元には、小鴉しかない。

「この上は?」

「鞍馬寺本殿」

 七つの大罪。それは七つの罪源とも訳される。

 貪食、催し、物欲、不正への憎悪、無精、思い上がり、そして妬み。七つの悪。それはひとつの巨悪に凝集するのだろうか。



 鞍馬寺の狛犬は虎であることは、あまり知られていない。源義経牛若丸が、寅年寅月寅日に生まれたことにちなむそうだ。ミトラ神(マイトレーヤ=毘沙門天)、三寅ミトラに引っかけてもいるそうだ。

 石段の先に視界が開け、両虎の阿吽の門を抜けると、朱色の鞍馬寺本殿が鎮座する筈だ。

だが、それをくろぐろと遮られた。巨人の烏天狗が寝ころんでいたのだ。

挿絵(By みてみん)


「ああ。なんでこんなことになったんだろう。もうめんどくさいよう」

 四枚の羽根で顔を隠し、ごろりごろりと六芒星をかたどった石畳の上をごろごろしている。

「鞍馬十天狗の長、霊山坊が心の闇に堕ちるとは」

 多聞坊は嘆いた。

「妖怪『めんどう』だ」

「ああ、鞍馬十天狗の長として尊敬していたのに……」

 道恵坊は、幼児のような巨人の駄々っ子ぶりに幻滅している。

「あれはあの人のせいじゃない。妖怪のせい」

 シンイチは道恵坊をたしなめた。

「誰にでも悪の心くらいあるでしょ」

「……驚いた」

 静辨坊は修験の衣をさわり刮目した。

「この子、この齢にして悪の正体を悟っているのか。悪そのものは消えず。人の本質の一面に過ぎないと」

「『心の闇』は、どこかにスポットを当てるだけなんだ」

 シンイチの言葉にネムカケが鼻を鳴らす。

「てんぐ探偵をなめたらいかんぞよ」

「(それに引き換えウチの光太郎は)阿呆」と罵詈雑は嘆く。

 シンイチは指折り、順番に数えた。

 光太郎=「うらやみ」、行珍坊=「うぬぼれ」、蓮知坊=「ほしがり」、日輪坊=「はらいっぱい」、月輪坊=「ただしたい」、霊山坊=「めんどう」。妖怪に取り憑かれていない鞍馬十天狗は、静辨坊、道恵坊、多聞坊、天実坊の四。

「あと一人の烏天狗。あと残りひとつの大罪か」

「鞍馬十天狗の二、帝金坊だな」

「厄介な奴が残った」

 道恵坊が呟く。

「なんで?」

 帝金坊の名に、シンイチは覚えがある。光太郎の剣の師のはずだが……

「剣の腕では、やつが一番だ」

 突然そこへ、女性の金切り声が響いた。多聞坊がため息をつく。

「色欲、催しか……スケベ烏の帝金坊にぴったりだ」

 一行は、ごろごろ転がるだけの霊山坊を迂回し、奥の院へ続く道へと入る。


 本殿を抜けると、鞍馬天狗の棲む僧正ケ谷へ向けて、「木の根道」がひたすら続く。木の根が地下に広がらず、地上へ這い出て絡み合う奇景だ。

 八百年前、牛若丸はこの木の根を日々飛び越え僧正ケ谷に通い、八艘飛びを身につけたという。

 鞍馬山──古名を松尾山まつおさん、その入り口を松ヶ崎と称するが、この山は火山性の岩が多く含まれる。木が根を生やそうとしても溶岩層に当たる為、地上に根を出すしかないのだそうだ。このようにして、木の根たちが波紋のようにうねり、絡む、奇怪なる「木の根道」が出来たと推測されている(現在は景観保持の為、木の根を踏むことは自粛されている)。

 この岩山は古代から修験者たちのメッカであり、謡曲「鞍馬天狗」にも、鞍馬天狗は修験者の姿で登場する。それだけ修験道は当時メジャーな「山の者」の道であった。

 女人禁制の時代が長かった御山も、近代になって女性にょしょうの行者が増えてきた。妖怪「もよおし」の対象になっても不思議ではない。


 木漏れ日が複雑な陰影を地面に落とし、複雑な木の根の這い出す光景を、よりいっそう複雑に見せた。辺りの木は、すべて天狗によってねじられたかのような錯覚を覚える。

「やめて!」

 女性の行者を組み敷く黒い烏天狗。「もよおし」に取り憑かれた帝金坊だ。

「むん」

 飛天僧正が掌を突き出し、つらぬく力で吹き飛ばそうとした。

 だが、その衝撃波は帝金坊を素通りした。

「なに」

「これが奴の厄介な所だ。帝金坊は修行の末、術を無効にする結界を身につけた」

 静辨坊が解説する。

「物理しか彼には効かぬということか」

 飛天は歯噛みする。

「しかも……剣の腕では奴が一」

「何だい。そろいもそろって」

 帝金坊は顔を上げた。ぞくりとする色気のある烏であった。妖怪「もよおし」の所為で余計にホルモンでも出ているのだろうか。

「流石にみんなの前でプレイするのは気が引けるな」

 帝金坊は身を起こし、女性の行者を離した。彼女は服の乱れも気にせず、走って逃げてゆく。

「ヤリ逃しの怒りは大きいぞ」

 帝金坊はゆらりと構え、腰に佩いた刀を抜いた。セオリーの青眼せいがんに構えない。流れる水のように、定まった構えを見せない。


挿絵(By みてみん)


「流水……どこから打ち込んでも『変化』で返される。鞍馬流の極みなのだ」

 静辨坊は十文字槍を構えながらも、脂汗が出てきた。

 道恵坊は月牙槍を、天実坊は四本の刀を、多聞坊は二刀を構えた。

 飛天はあきれた。

「二槍に六本刀。それだけあってあの一本の刀に勝てぬと?」

「おそらく」

「……なんと」

 飛天はにじり寄る帝金へ再び視線を移した。いざとなったら天へ飛ぶか。いや、烏天狗の翼に追われるか。飛天の攻撃力は火の術だ。すべての攻撃が通用しないとしたら。

 静辨が多聞に告げた。

「俺か道恵の首が落ちる。その隙に一太刀でも」

 天実が言う。

「四本刀の全てを『変化』で巻き込めはせん。一太刀浴びせて動きを止める。その隙に後ろから槍で俺ごと貫け」

 多聞が言う。

「初太刀はワシの喉に刺させる。さすれば抜けぬ。その隙に殺れ」

 静辨坊、道恵坊、多聞坊、天実坊、皆、死の覚悟をした。不老不死とはいえ、怪我や病気で天狗は命を落とす。鞍馬十天狗同士が殺しあうことになるとは、誰も思っていなかった。

 その時シンイチは、空気を読まずに聞いた。

「もよおしって何?」

「はあ?」

 全員が呆気に取られた。

 小学生に肉欲、色欲をどう説明しようか、誰もが頭が真っ白になった。

 帝金坊が答える。

「男なら、誰でも女の人が好きだろ。そのことさ」

「それだったら、オレも好きだよ!」

「そうだろう」

「でもオレは妖怪に取り憑かれていないし、帝金坊さんは取り憑かれてる。なんで?」

「なんで、って」

 二本の槍と六本の刀は驚いた。そんなことを、命のやり取りの前に聞くのか?

 帝金坊は考え、答えた。

「最近ご無沙汰だったからか?」

「ご無沙汰?」

「えっと……ひさしぶりに女の人に会ったってこと」

「でも相手の人は嫌がってたじゃん」

「なに?」

「いくらイケメンでも嫌われたら駄目だよ」

「む……」

 帝金坊はひるんだ。この少年が、烏天狗に出来ぬ一太刀を浴びせることに成功した。

 この少年は、言葉で剣術チャンバラをしているぞ。実に痛快、と飛天はほくそ笑む。

「あのねえ」

 帝金坊は返した。

「俺は女の人が大好きで、毎日女の人と寝ないと駄目な体質なのさ。山にいるとそれができないからしょっちゅう街に出て、最近街に行ってなかったから余計に……」

「女の人と寝ないと駄目って子供みたい」

「は?」

「オレだって低学年までは母さんと一緒の布団だったけど、もうそんなことしてないし」

 帝金坊は顔が真っ赤になった。自分以下だというのか、この子供は。

「剣の腕が立っても、まだ自立してないんだ」

「なんだと?」

「だから『心の闇』にやられたのか」

 お前は仏陀か。少年に全員が思い、空気が止まった。七つの大罪になる「悪の素」に付け込まれるのは、少年のように澄んだ心でないからか?

 そこへ光太郎が再び現れた。

「見つけたでええええシンイチ!」

「光太郎!」

「帝金坊師匠! あいつがシンイチですわ! 二人でボッコボコにしたりましょうや!」

 いきり立つ光太郎に帝金坊は聞いた。

「なんで?」

「なんでって……ワシ、アイツが憎いんですわ!」

「なんで?」

 シンイチの「なんで」が帝金坊に移ったかのようであった。

「いや、なんでもほんでもないでしょ!」

「?」

「うらやましいのに理由なんてあります?」

「んー。……たしかに」

 いったんはシンイチの側に寄ったと思われた帝金坊の心は、光太郎によって向こう側に傾いた。

「ヤリたいのに理由はないよね。うん」

 悪の素は悪の素を呼ぶ。光太郎に取り憑いた妖怪「うらやみ」は帝金坊に取り憑いた妖怪「もよおし」に触手を伸ばし、栄養をやり取りしたかのように見えた。角度の異なるそれぞれの一ツ目は、微笑んだ。

 帝金坊は剣を構えた。光太郎も大鴉を抜く。

「あ。仲間呼ぼうか」

 帝金坊は宙に飛び、四縦五横の印を逆順で切った。

「喝」

 帝金坊に取り憑いた妖怪から、触手が伸びてゆく。

「つらぬく力!」

 飛天や多聞坊、シンイチ達が触手をつらぬく力でぶつりぶつりと切るが、触手は再生し、驚くべき速度で八方へ伸びた。

「……合流するのか。十天狗」

 飛天は苦虫を噛み潰した。

 ずん。

 巨人の烏天狗──霊山坊が来た。

「めんどうだから、みんな殺すか」

 妖怪「めんどう」の一ツ目が光る。

「食うぞ」

「ただす!」

「よこせ」

「俺が一番だ!」

 金縛りが解かれた十天狗たちがやって来た。金の矢をつがえた金の衣の日輪坊と月輪坊。禿天狗蓮知坊、小人の行珍坊。妖怪「はらいっぱい」「ただしたい」「ほしがり」「うぬぼれ」に、光太郎から伸びた触手がつながり、ひとつの大きな塊になろうとしている。

「キリスト教徒にとっての七つの大罪──暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬を抑えるには、七つの美徳を持てと教える」

 飛天が呟く。ネムカケが応える。

「すなわち節制、純潔、救恤きゅうじゅつ(寄付)、慈悲、勤勉、忍耐、謙譲。しかしそれは普段からそうせよという日常の務めであり、妖怪退治には役に立たぬな」

「たしかに」

「知識で刀を納めることは出来ぬか」

「シンイチ、どうする」

 飛天をはじめ、誰もがシンイチの「心の闇の退治法」を欲しがった。

 武力では心は変えられない。美徳が今効くわけじゃない。

 心は、心でしか救えない。

「大妖怪の倒し方は、その最も強い心の部分から崩していく」

 シンイチは小鴉を握りしめた。

 七つの妖怪はひとつになり、七人はひとつの悪として繋がった。大妖怪「悪」の降臨である。耳まで裂けた牙だらけの口が開く。七つの角度の異なる目が、その上に見開かれる。

 一行は武器を構える。

 シンイチは、己の武器、言葉を放つ。最初からシンイチが見ていたものは、同じだ。

「光太郎と、話さなきゃ」


    5


 七人は、ひとつの悪として繋がった。

 光太郎、帝金坊、霊山坊、日輪坊、月輪坊、蓮知坊、行珍坊。

 対するは、シンイチ、飛天僧正、多聞坊、天実坊、静辨坊、道恵坊。

 敵七、味方六。ネムカケと罵詈雑はいるが、非戦闘員だ。そもそもシンイチだって戦闘要員といえるだろうか。だとすれば、七対五。

 敵は剣を構えた。話し合っている余裕はない。

「光太郎、話したいんだけど」

 シンイチは小鴉を鞘に納め、両手の掌を光太郎に向けた。闘う意志のないことを示す。しかし光太郎は激怒した。

「やかましいわボケ!」

 皆、得物を構える。

「不動金縛り!」

「つらぬく力!」

「天狗礫!」

「天狗大風!」

「二千の矢!」

「毘沙門の壁!」

「八岐の竜!」

「四刀流!」

 炎と剣と風と殺意が、交錯しあった。


 飛天の八岐の竜を真っ向から切り裂き、帝金坊が襲い掛かる。

 毘沙門の壁で多聞が受け止め、剣を動かなくさせた。帝金坊は横っ飛びに飛んで天実坊から剣を一本奪い取る。道恵坊の月牙槍が伸びて手首をはじく。

 蓮知坊の長刀が横から切り込み、道恵坊は石突きの部分で応じる。

 日輪坊と月輪坊の二千の火矢が降り注ぎ、飛天の六自由度の火に吸い込まれてゆく。静辨坊の十文字槍も矢を払う。しかし山のような巨人の霊山坊が飛天の火球を踏み砕いた。霊山坊は、巨腕を振り回すだけで、何本も杉をへし折った。

 多聞坊は口から火を吐き、妖怪の触手を焼き払うが再生速度は速い。

 光太郎は三度、シンイチに切り込んだ。シンイチは小鴉を抜き、受け止めた。

「光太郎! 何を『うらやむ』っていうのさ! 光太郎はオレより術は強力だし、剣の腕は段違いで、オレより笑いが上手いし! 何をうらやむ必要があるんだよ!」

「ワシはな、お前がうらやましくてしょうがないんや! だから妖怪に取り憑かれて、ワシの心の闇は増幅したんや! ご明察の通り、大妖怪『悪』の芯はな、お前への嫉妬や!」

「はあ? どこにそんな要素があるんだよ!」

「この剣術は、ワシが苦労して苦労して身につけたもんや! お前も使えるようになったら、ワシの存在価値がなくなるやんけ!」

「え? ……そ、そういうこと?」

 天狗たちの炎が木の根を焼き、奇景を台無しにしてゆく。天狗たちの風が木の葉を散らし、木々を丸裸にしてゆく。

 飛天の火の術はすべて帝金坊に無力化され、山のような霊山坊に、ことごとく踏み潰された。

「こうなったら、遠野十天狗の応援を呼ぶか……」

 珍しく飛天は弱音を吐いた。薬師坊ごときに助太刀を頼むのは片腹痛い。しかしその腹も、背には代えられぬ。


 そこへ、天地を揺るがす大音声が響いた。

「助太刀御無用。鞍馬のことは、鞍馬で決着をつけ申し候」

 天から光のカーテンが降りて来た。

 霊山坊の竜巻のようなねじる力を、日輪坊と月輪坊の二千の矢を、飛天の四象の雷火を、まとめて瞬時に蒸発させ、光の柱へ変えた。

「なに」

「その強大なる『つらぬく力』を長い鼻から放つだけで、すべてのものが蒸発する。名を『破魔矢』」

 静辨坊が飛天に解説を加えた。

 その通り、光の柱は、空から飛来した朱い顔の老天狗の鼻から放たれていた。

「儂の鼻一本の『つらぬく力』ごときで消えるとは、修行が足らぬ」

 その恐ろしい声が響くだけで、全ての天狗は不動金縛りにあってしまった。八枚の羽根を畳み、その天狗は地上に降り立った。

 名を、日本八大天狗の四、鞍馬山僧正坊。牛若丸に剣を授けた男。

「あれが鞍馬天狗……!」

 シンイチは息を呑んだ。

 草葉の陰にも天狗の地、とうたわれる鞍馬山に棲む天狗は、すべて烏天狗である。「烏山鞍馬」と蓮知坊も言っていた。だがただ一人だけ、鞍馬天狗だけが、朱い顔で長い鼻の、大天狗の容貌である。

 それまで鳶や烏の姿一辺倒だった天狗の図画に、鼻が高く顔の朱い、いわゆる「鼻高天狗」の姿を描いたのは、狩野元信かのうもとのぶの「鞍馬大僧正坊図」(鞍馬寺蔵)が最初である。人間が天狗の姿を見ることは稀だ。妖怪は人には見えない。元信は、夢に出た天狗の姿を描いたと伝えられる。以後の天狗画には、この鼻高天狗の絵が増えた。跳梁跋扈の回数が増えたのだろうか。

 戦闘をしているうちに、いつの間にか一行は、鞍馬天狗の棲家、「僧正ヶ谷」に足を踏み入れていたようだ。金縛りになった十天狗の輪の中へ、鞍馬天狗は赤い衣を翻して入ってきた。大僧正の名に相応しい、赤の衣に白の袈裟懸けである。


挿絵(By みてみん)


「鞍馬十天狗ともあろう者が、心の闇に堕ちるとはなんたる失態よ。霊山坊に山を任せたのが間違いであったか。鞍馬は天狗材不足よ」

 ぎろりと霊山坊と帝金坊を鞍馬天狗は睨んだ。帝金坊の術力無効化も鞍馬天狗の前には通用しないらしい。術力の大きさに関係するのだろう。たちまち不動金縛りとなる。

「遠野の小天狗よ。鞍馬の地へようこそ。滅茶苦茶な歓迎で申し訳ない」

 鞍馬天狗がシンイチを見ると、シンイチの体の自由が取り戻された。

「鞍馬天狗! 前京都に来た時、雲の上から挨拶したの、見えてた?」

「勿論。妖怪『横文字』のときだな」

「ワシがまだ会うべき時ではないと判断したのじゃ」

 ネムカケが横からつけ加えた。

「聞いておったよ。賢明な判断だ。まだあの時点では天狗の修行も経験値も足りていなかった。むろん剣術もだ。しかしここへの旅の途中、少しずつ成長してきた様が手に取るように分かった。全く遠野は、いい弟子を取った」

 鞍馬天狗は金の目を細くした。だが光太郎が反発する。

「それはワシへの当てつけかい!」

 声を出すだけで周囲を金縛りにするほどの呪力を、大妖怪「悪」の力が破る。

 それほどまでに光太郎の嫉妬の力は大きいのだろうか、とシンイチは思う。

「ふむ。大妖怪『悪』の核は、光太郎、お前の『うらやみ』か」

 鞍馬天狗は光太郎の巨大な心の闇を見透かして言った。

「せや! ワシはシンイチに剣術を取られるんが嫌なんじゃ! シンイチに嫉妬しとるんじゃ!」

 光太郎は顔を真っ赤にして言った。シンイチは、ふと思ったことを言う。

「それ……嫉妬じゃないかも知れないよ?」

「なにがや!」

「嫉妬と妬みの違いって知ってる?」

「はあ?……どうちゃうねん」

「嫉妬は、自分の大事なものを他人に取られないか、と恐れる心理。妬みは、他人の持っているものを欲しいって思う心理。女の人が浮気に怒り、男の人を責めるんじゃなくて、泥棒猫に怒るのは、嫉妬。他人のハンドバッグを欲しがるのが妬み。光太郎は剣術が取られるって思ってる。でも鞍馬流が出来るようになったって、光太郎の剣術が無くなるわけじゃない。剣術はその人から奪うことはできないじゃんか。そもそも」

「……だからなんやねん。じゃあワシは、ワシの持ってへんもん、お前の頭の良さとか機転の利き方が、欲しいって思っているんやな。ワシがどう逆立ちしても、お前の頭の良さにはかなわへんからな」

「オレ……ほんとはそれが嫌なんだよ」

「はああああああああ?」

 シンイチの告白に、光太郎は天地がひっくり返った。

「頭が良すぎて、みなに気味悪がられることがある。もっと子供らしくしろって言われたこともある。子供らしくって何だか、オレにはよく分らない。みんながオレから引いていく時、オレは孤独を感じるんだ。『俺のなにもかもお前は分るんだろ』って恐れるみたいね。妖怪(さとり)を前にした怖さなのかも知れない」

「……」

「それがずっと嫌だった。どうしてオレは皆と違うんだろうって。……『心の闇』って、『自分と違う者を認めたくない心』から発生するんじゃないか、ってオレ最近考えてる。心の闇はどこから来るのか。青鬼はどこから来たのかってね」

「じゃあ何かい」

 光太郎は突っかかってくる。

「この異能だらけの鞍馬で、ワシは『お前みたいになりたい』って思ったってことか」

「妬み、って多分そういう感情」

「調子乗るのも大概にせえ!」

 光太郎の感情に合わせて、妖怪「うらやみ」は巨大化する。烏天狗たちをつなぐ触手は太くなり、ネットになり、様子を見守る烏天狗たちをも巻き込んでいく。

「むう」

 鞍馬天狗は「破魔矢」を放つ。一瞬で大妖怪「悪」は消滅するも、同じ速度で大妖怪は再生する。

 時を止めた烏天狗たちは、その再生の力をどくどくと貰ったように、金縛りを解いた。

「生贄が足りん。十天狗以外の烏天狗はどこにいる」

 帝金坊が言う。

魔王殿まおうでんにでも隠れたか」

 霊山坊が言う。

 大妖怪「悪」と一体化している十天狗たちは、ひとつの意志を持った生き物のように動き始めた。

 太い触手は黒い巨大な闇として広がり、山を覆い始めた。そしてその闇の中に、光太郎が取り込まれた。闇は、鞍馬山山頂へ動き出した。

「追わなきゃ!」

 シンイチは焦る。自分を責めてもしょうがないが、シンイチは光太郎の気持ちを理解していかなかったことに気づいた。

「魔王殿とは」

 飛天は静辨坊に尋ねる。

「鞍馬山の頂点は、鞍馬天狗ではない」

「なに?」

護法魔王尊ごほうまおうそんという、更なる大天狗がおわす。その御殿を山頂の魔王殿と号す」


 六百五十万年前、金星より流星が飛来した。鞍馬山の山頂に落ちたと言われている。

 それは流星ではなく、一人の少年であった。金色に光り輝き、十六歳の少年の容貌を今なお保っているという。その流星が降り立った場所に巨大な磐座があり、その巨石が魔王尊の棲家というのだ。


「マンガみたいな話」

 シンイチは思わず言った。

「鞍馬寺縁起にもある、事実也」

 鞍馬天狗は笑う。

「いざ、魔王殿へ」

 天狗はすらりと剣を抜いた。


    6


 鞍馬山を巨大な黒い球体が覆ってゆく。無数の触手を山の頂点から伸ばし、草葉の陰のすべての烏天狗を胎内へと取り込んでゆく。霊山坊、帝金坊、日輪坊、月輪坊、蓮知坊、行珍坊、そして光太郎も黒い球体に呑み込まれた。すべては「悪」に。鞍馬山全体を、ひとつの生物が覆わんばかりだ。

「あれが魔王殿!」

 岩山を登り、シンイチ達は頂上の魔王殿にたどり着いた。巨大な苔むした岩が祀られ、小さな建物に天狗の葉団扇紋が染め抜かれている。六百五十万年前、金星から落ちてきた一人の少年が、この神殿の磐座に眠っているだって……?

「糞が!」

 飛天は九尾の火柱を、八岐の竜を、七支炎を大妖怪に叩き込む。しかし大妖怪の成長速度はそれをはるかに凌駕した。いつの間にか、シンイチ達は大妖怪に「囲まれていた」。いや、ドーナツ状の穴の中にシンイチ達は取り残されたのである。穴の中心は魔王殿。それを中心として退魔結界でもあるようだ。多聞坊が火を吹き、天実坊が四刀で斬り、静辨坊と道恵坊が葉団扇で大風を起こしても、シンイチ達を囲む黒い輪は、みるみる狭まっていく。

「むん」

 鞍馬天狗が一回転して「破魔矢」を三百六十度に放つも、勢いを一時止めるに過ぎなかった。

「飛ぶか」

 飛天が空を見上げる。

 だがそれより早く、空は大妖怪に閉じられた。

「既に奴の胎内のようなものか」

 視界は真っ黒となった。太陽が隠れ、絶望の色が広がった。

 その時、金色の声が、皆の脳内に響いた。

「こんなに鞍馬山が賑やかになるのは、何百万年ぶりだろうね? 鞍馬天狗」

「誰?」

 シンイチが辺りを見回す。

「魔王よ」

 鞍馬天狗がその名を言った。

 本名サーマート・クマラ。全員の皮膚にぴりぴりと電気が走る。金色の光が魔王殿より漏れてきた。

「儂も知らぬ。初めてだ、ここまで鞍馬山が蹂躙されたのは」

 鞍馬天狗の言葉に、その少年は笑った。

「僕は楽しいよ。ざわざわしてね。久しぶりに起きようかな」

 目を瞑っても見える金色の光が、魔王殿から激しく発せられた。

 その光に大妖怪「悪」は焼かれ、魔王殿を中心に溶かされる。太陽と青い空が覗く。

 金色の光の中から現れたのは、金の服を着た金の少年であった。

 「魔王」という恐ろし気な名とは真逆の、手も足も華奢な、はかなげな少年。

「僕がここに来た頃、ここは火山だったからね。人類の言うメッシーナ紀──中新世末期だった。でも地殻変動がこのへんは激しくて、恐竜のいたジュラ紀や白亜紀のころの地層もこの辺に露出しているくらいだからね」

 大妖怪の触手が魔少年を襲う。しかしその少年が金の瞳で見るだけで蒸発する。

「しかし大妖怪『悪』とは。天狗が悪に取り憑かれるとはね?」

「天狗に悪も善もないと思うよ」

 突然シンイチが言った。

「悪とか善とかって、人間の考えた基準だと思う」

「ほう、シンイチ君。面白いことを言うね」

「妖怪は人間の心を利用してるんだ。大妖怪『悪』に取り憑かれた烏天狗ってさ、元々人間だったんじゃないの? 鞍馬天狗」

「御明察」と鞍馬天狗は笑った。

「霊山坊、帝金坊、日輪坊、月輪坊、蓮知坊、行珍坊、そして光太郎。もともと『はみ出した人間』がここで修行をすることで異能者となったのだ」

「ビンゴか!」

 シンイチは指を鳴らした。魔王は喜ぶ。

「シンイチ君は大変面白い子だね。この大事態に冷静さを失わない。大した胆力だ」

「胆などという難しいものを知らぬよ」

 ネムカケが解説する。

「ただこの子は、全てを自分で考えることで解決してきただけじゃよ」

「なるほど」

 魔王は更に微笑む。

「知恵が君の剣なんだ」

「先ほども帝金坊相手に、『言葉の剣』を見せてくれたしな」

 鞍馬天狗はその時の様子を見ていた。天狗の千里眼でだ。

「不思議な子じゃのう」

 ネムカケは遠野での妖怪「不安」の事件を思い出さずにはいられなかった。あの時もシンイチは遠野の重鎮、十天狗たちに気に入られていた。今度は金星よりの使者、サーマート・クマラ魔王尊にまで気に入られている。この子の天性かも知れぬとネムカケは思う。

「で?」

 魔王はいたずらっぽい少年の顔で、シンイチに訊いた。

「どうやって倒すの?」

 大妖怪「悪」の再生速度と魔王の金色の光は、現在拮抗している。

「ぼくが本気を出せば、この山ごと蒸発させられる。でもそれじゃ面白くないでしょ。シンイチ君の知恵を見たい!」

「知恵かどうかわからないけど……」

 シンイチは遠慮がちに言う。

「大妖怪ってたいがい核になる『一人の感情』を開放すればいいんだよね。今回の場合は光太郎の感情。だから光太郎から妖怪を外せれば……」

「やってみて!」

 魔王は人差し指を大妖怪に向けた。たちまちその辺りは黒い肉体が金色になって蒸発する。妖怪の「肉」の中から、触手に絡み取られた光太郎が出てきた。


挿絵(By みてみん)


「なんやねんシンイチ!」

 光太郎は抗議した。

「もうお前と話すことなんてないわ! ワシはお前に嫉妬しとる! そんでおしまいや! 暴れさせろ!」

 シンイチは、一歩光太郎に近づいた。

「妖怪ってさ、弱点を突いてくるじゃん?」

「は?」

「『心の闇』ってさ、多分その人の弱点だ。光太郎の弱点って何? 何が嫉妬に絡み取られたんだ?」

「弱点て」

「温泉旅館のあの人?」

 心臓をひと突きするような言葉をシンイチは放った。「かな沢」の女将、谷川良恵。

 時を隔てた、光太郎の初恋の人。彼女は永遠の命を目指す光太郎の、タイムカプセルのような人だ。

「なんで今ここでその人のことを言うんや! お前! ずるいぞ!」

 光太郎は動揺した。

 シンイチは更に一歩進む。

「オレの弱点は、『自分が何故、他の人と違ってるのか?』って恐れてる事さ。多分」

「……は?」

劣等感コンプレックスってやつかな。オレ、音痴とか足遅いとかは、あんまりコンプレックスはない。でも特別に感じるのはさ、『シンイチは頭がいいから』って、みんなが引くことさ。それで孤独になっちまうことなんだ」

「え? ……そうなん?」

「オレだって全知全能なわけないじゃん? でもみんな『シンイチは何でも知っている』『シンイチに話すと何もかも知られてしまう』って引いていく奴もいるんだぜ。オレだって必死で考えているのに。毎回正解を引けるかどうかわからない状況で、よりよい答えを考えてるだけなのに」

「……そうなんか。意外やな」

「だろ? 誰もオレのことなんか分っちゃいないのかも知れない。だから剣が強くなりたいんだ。知恵で解決できないことに出会ったとき、剣で切り抜けられるように」

 そもそもこの鞍馬への旅の始まりは、シンイチが光太郎を助ける為に、小鴉を投げて避雷針にし、小鴉を戦闘中に失ったことだった。

 それ以前に剣の腕があれば。シンイチは知恵だけで妖怪が倒せないことも知っている。

「人には得意不得意がある。オレは剣が不得意だ。でも仮にオレが剣が出来るようになっても、光太郎と手の長さも足の長さも体重も違うんだから、一緒になる筈ないじゃんね」

「……分らんやろ。なってみな」

「なったとしても、光太郎はオレより優れた所が一杯あるじゃん」

「はあ?」

「笑いのセンスとかさ、ぶっこみの強さとか、立ち直りの速さとか、機転が利くところとか。そういうところはオレは敵わないと思ってるよ?」

「なんや、褒め殺しかいな」

「逆に、ここは笑わす所じゃないってのに空気読めなかったり、強引だったり、深く考えなかったり、一貫性がないとも言えるだろ」

「どっちやねん!」

「どっちとも言える、ってことさ。人は、凸凹なんだ」

「……」

「凸凹ってのは頭では分ってるのに、オレは自分の凹を見て凹むことが多い。それが人の心の性質なのかも知れず、そこに心の闇が生まれるのかも知れないけど」

「……何が言いたいねん」

「オレが剣が出来るようになっても、オレと光太郎の凸凹コンビは変わらないよ、ってことかな」

「は? いつコンビなんて組んだ?」

「オレはいいコンビだって思ってるよ? お互いがお互いの長所を消さず、弱点をフォローしあってたと思う。……光太郎がコンビを解散したいって思ってるんならしょうがないけど」

「……」

「オレさ、また光太郎と、ケンカしたいんだ」

「なんやと?」

「人はそれぞれ違う。だからケンカするし、仲直りも出来ると思う。ていうか、違う限り一生ケンカと一生仲直りの繰り返しだよ。それが闇になったり晴れたりする人の心の性質だと思う。光太郎、オレはまたお前とケンカしたいんだ」

「……」

「目の前のやつを殺したり、自分が去るのはカンタンなんだよ。ずっと一緒にいて、ケンカしながらやっていく。それが、違う奴を認める、唯一の方法だと思う」

 光太郎を覆う無数の触手が、一本、二本とほどけてゆく。

 魔王も鞍馬天狗も、固唾を飲んで見守っている。しかしシンイチには光太郎しか見えていなかった。

「そうだ! じゃ今ケンカしようぜ! オレ、光太郎に納豆食べさせたいんだよ!」

「ハア?」

「関西人、絶対納豆食べないんでしょ?」

「アホか! あれは食いもんちゃうわ! ケンカ売ってんのか、お前!」

「うん!」

「うんって!」

「納豆だけに、ネバーギブアップ。ねばーねばー……なんでやねん!」

「?」

 周囲の空気が凍った。シンイチはそれを察した。

「あれ? ノリツッコミってこうじゃないの?」

「お前、全然わかってへんな!」

 ようやく光太郎が顔を真っ赤にして怒った。血の気が光太郎に差した、と皆が理解した。

「笑いを、一から教えたる! このボケ!」

 触手がびちびちと音を立てて光太郎から外れていく。光太郎は自分の胸に手を当てて、正直に言った。

「ワシ、お前より上になりたかったのかも知れん」

 こうして、光太郎の心に取り憑いた心の闇、「うらやみ」の触手は、音を立ててちぎれて、はじけ飛んだ。その波動は大妖怪「悪」全体へと伝わっていく。

 鞍馬天狗は拍手した。

「鞍馬流一の太刀、正當剣。言葉による剣、見事也」

シンイチは笑った。

「光太郎が一番大事なことを最初に教えてくれた。剣は人間関係だって。だから、光太郎とならなんとかなる、と思ってさ」

「お前、やっぱりワシを舐めてるやろ!」

 光太郎は笑いながら勢いよく突っ込んだ。


 魔王殿と光太郎を中心に、球の波が広がってゆく。

 次々に烏天狗たちが弾かれて肉の球の中から出てくる。

 行珍坊、蓮知坊、日輪坊、月輪坊、霊山坊、帝金坊。

 すべての烏天狗は、大妖怪「悪」の触手から放たれた。「悪」は鞍馬の上空に舞った。

「鞍馬の全烏よ。九字を切れ」

 鞍馬天狗が獨古印どっこいんを組む。

 草葉の陰の烏天狗、鞍馬十天狗、光太郎。そして遠野組のシンイチ、飛天僧正。大金剛輪だいこんごうりん印、外獅子げじし印、内獅子ないじし印、外縛げばく印、内縛ないばく印、智拳ちけん印、日輪にちりん印、隠形おんぎょう印。

 臨、兵、闘、者、陣、烈、在、前。

 出自の違う者といえど、皆は同じ術を使った。

 皆が同時に唱和する。

「不動金縛りの術!」

 全鞍馬を覆いつくした大妖怪「悪」は、波打った態勢のまま、動きを止めた。

 再び鞍馬天狗は、山に轟く鬨の声を上げた。

「鞍馬の火祭を見せてやれ! 火よ在れ! 火よ吹け! 火よござれ!」

 光太郎は奪ったひょうたんをシンイチに投げた。シンイチは左手で受け止め、右手で天狗の面を出す。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

 光太郎は烏天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、烏てんぐ探偵である。

「火よ在れ! 小鴉!」

「火よ在れ! 大鴉!」

 霊山坊がねじる力で、大妖怪を雑巾のようにねじ切った。帝金坊が上から下まで切り落とす。多聞坊が炎の二刀で切り刻む。天実坊は爆炎を四の手で投げる。日輪坊と月輪坊は二千の矢をことごとく大妖怪に突き立てる。静辨坊と道恵坊は槍に火を灯し、大妖怪を貫き、火を放つ。行珍坊も蓮知坊も火の剣で切る。無数の烏天狗たちは葉団扇で煽ぎ、炎の礫をぶつけ、大風で火の手を上げた。

「三絶」

 四象の雷火を超える火球三連弾を飛天僧正は打ち込む。シンイチは小鴉で、光太郎は大鴉で、大妖怪の破片を斬った。

「ファイヤー!」

 鞍馬天狗が両手をねじり、天狗たちの炎を螺旋の業火へと変えた。

「鞍馬山が火山だった頃を思い出すねえ」

 魔王はそう言い、指先から金色の光を出して、炎の温度を無限に上げた。


「これにてドントハレ……!」

 そうシンイチが言おうとした時、光太郎が止めた。

「まだや!」

 燃え盛る炎の中から、巨大な青い貌が現れた。一本の角が、炎を切り裂く。

「青鬼!」

 シンイチが剣を構える。

「ラスボスやな!」

 光太郎も剣を構える。

 山を覆っていた巨大妖怪の中から、小山のような青鬼が出た。



挿絵(By みてみん)


    7


「青鬼! お前の正体は一体なんやねん! ある時は大妖怪の素、ある時は大妖怪の卵、妖怪『心の闇』とは一体何なんや!」

 青鬼は空気に触れた所から自壊し、さらさらと粉になってゆく。しかし大きさの桁が違う為、まだ持ちそうだ。光太郎はその隙に尋問できないかと思ったのだ。

「お前が『心の闇』の元凶か!」

「違うな」

 青鬼は口を開いた。

「我々は闇から生まれ、闇に消えるだけだ。いや、そんなこと言ったら人間も同じかも知れん」

「時間稼ぎはええねん! どういうことやラスボス!」

「ラスボス? それは違う。青鬼は、どこにでも存在する」

「は? どこにでもやって?」

「今私は粉になっている。それは消えてなくなっているのではない」

「まさか、小さい青鬼の粉になっているんじゃないの?」

 シンイチが叫んだ。妙高山上空で捉え、伊勢神宮で消失した青鬼。まるでカビのようだとシンイチは言った。つまり青鬼は、空気中にいる胞子のようなもの。青鬼は遍在する。空気中に、目に見えないほどの大きさで。

「それで人の心の負の部分──影と影が交わった所に胞子の青鬼がいると、『心の闇』に成長するんじゃないの?」

 シンイチは、これまで考えてきたことを全て青鬼にぶつけた。

「良く分ったな」

 青鬼は笑った。

 ある日突然、精神病院で一斉に描かれ始めた「青鬼」の絵。精神を病んだ人たちは、空気の中の青鬼が、見えていたのかも知れない。

「てことは何や? 最初の青鬼はどっから来たんや?」

 光太郎は尋ねる。青鬼は一通り高笑いした。

「お前らは最初の人間がどこから来たのか、答えられるのか?」

 時間切れだ。青鬼は青い粉になり、散り散りになってゆく。

「青い粉も焼こう」

 飛天は印を組んだ。

「六自由度の火」

 火球を出現させ、重力場を歪めて青い粉を球体に寄せる。

「再びファイヤー!」

 鞍馬天狗と魔王は、火球ごと時空が消失するかと思うほどの、炎と光の柱を叩き込んだ。




「この霊山坊、十天狗筆頭として鞍馬を預かる身でありながら、『心の闇』にやられてしまい申し訳ありませんでした」

 霊山坊が巨体を震わせて鞍馬天狗に謝った。

「そうやってすぐ謝る。その生真面目さが『心の闇』の付け入る隙となったのじゃ」

 鞍馬天狗は少々愚痴っぽく言う。

「ふん。清濁併せ呑むのが天狗というものだろうが」

 飛天は毒づく。鞍馬天狗は笑いかけた。

「お主、半人半天狗といいながら、天狗の何たるかを理解しておるではないか。遠野におらず、鞍馬の山に来ないか」

「ふん。自在に天を飛び回って初めて天狗。儂は誰の制約も受けぬ」

「天晴。霊山坊も爪の垢もらえ」

「返す言葉もございません」

「その生真面目さがいかんのだあああああ」


 こうして、大妖怪「悪」を持ち込んだ鞍馬山の大騒動はドントハレとなった。ようやく、鞍馬天狗直々の指導、シンイチの剣の修行が始まったのだ。


「と、言ってもな」

 鞍馬天狗はぼやく。

「一番大事な所は大体できとるからのう。光太郎、ワシが見とるから教えてみ?」

 と座り込んで、光太郎に任せてみるのであった。

 ここは僧正ヶ谷。牛若丸が剣を習ったまさにその場所で、現代の牛若丸シンイチは、緊張して剣を構えている。

 光太郎は師範代を気取り、調子よく第一声を言った。

「まずは『なんでやねん』の稽古から始める!」

「そうかそうか、『なんでやねん』からか……って、剣の稽古に来たんだよ!」

 見守っていた烏天狗たちは、おおおとため息を漏らし、拍手した。見事なノリツッコミ。鞍馬流一の太刀、正當剣である。

「シンイチ、うまなったやんけ!」

「え、いまのマジで言っただけなんだけど……」


 鞍馬流剣術十二本の伝授は、まだ始まったばかりである。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か







挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

第7章、準備中。

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