第八十三話 「バードマンズ・ブレス」 大妖怪「悪」登場(前)
1
朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす
心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
関ヶ原を越えた。
京まで目と鼻の先だ。
あと少しだ。
あと少しで鞍馬天狗に会える。
シンイチは、はやる心を抑えられない。
牛若丸こと源義経に伝えられた鞍馬流剣術。光太郎が自在に使いこなし、妖怪と闘うに十分な剣術。妖怪は心の弱い所を狙ってくる。シンイチの弱点は弱い心ではない。十分に闘えないと「恐れる」心だ。そこを突かれたら終わりだ。智恵は大事だが、斧で簡単に叩き割られることがある。かのアレクサンドリアの大図書館は、人類の英知を何百年もかけて集めたが、わずか一晩で焼かれたではないか。智恵は脆い。智恵は強いが無防備だ。
剣。それはシンイチ自身を守る武器だ。大天狗に授かり、飛天僧正に鍛え直してもらった小鴉を、オレは十分に使えていない。だから、鞍馬天狗に会いに行く。
京は旧名を山背の国という。つまり「どこも山を背負う」という意味の、山に囲まれた場所である。盆地だからこそ攻めにくく守り易く、長い間日本の中心であり続けた。京に入るには、今でも三つのルートしかない。ひとつは江戸と結ぶ東海道ルート、ひとつは伊賀越え経由奈良盆地から上がるルート、もうひとつは大阪から淀川沿いに入るルートである。
二番目の、伊賀を越えて奈良盆地から入るルートは、織田信長が本能寺に倒れた直後、徳川家康が自国まで戻ったルート(神君伊賀越え)の逆である。信長を討った明智光秀は、第三のルートから京をあとにし、途中の大山崎で討たれた。歴史の重要事件は、京ばかりでなく、京への入り口でも起こっている。
シンイチたち第二のルートから入っても良かったのだが、光太郎が天狗の山、伊吹山を見せたいと、第一の東海道ルートへ戻ることにした。
天下分け目の関ヶ原。そこを北から覆う山が伊吹山である。巨大な溶岩ドームがぼこんと山上で固まった印象がある。ごつごつした男っぽい山で、近江国滋賀県一の高さだ。
世界で一番雪が降る場所はどこだろうか? エベレストだろうか? 南極か? はたまたアルプスか? それとも一年の半分を雪に閉ざされる、ノルウェーやフィンランドか? 実は日本の、豪雪地帯の東北ではなく、滋賀の伊吹山だ。世界一の年間降雪量の記録、十一・八二メートルはギネスにも載っている。
猛烈な吹雪が吹き、伊吹颪と地元では呼ばれる。伊吹の古名は息吹。神の息吹は、世界一の雪を積もらせる。
そこに住む天狗に、伊吹山飛行上人がいる。異名を三朱上人。仏道の修行の結果、体重が三朱(=三匁。約十グラム)になり、自在に飛行できるようになったという。天気のいい時には、麓の日本最大の湖、琵琶湖を渡る姿が目撃されるという。
飛行上人にあやかってか、それとも息吹の風にあやかってか、伊吹山と琵琶湖を挟んだ八幡市には、航空関係者が必ずお参りする飛行神社がある。つまり琵琶湖は、飛行神社と伊吹山に囲まれた水瓶である。
ここで毎年行われる「飛行の祭り」が、鳥人間コンテストだ。数十年の歴史を誇る人力飛行機コンテストは、飛行への願いと科学の力を、存分に発揮する素晴らしきコンテストであった。──妖怪が現れる前までは。
城北大学第二バードマンチーム、「FLY HI」のパイロット赤井善和は、明日のコンテスト本番に向けて、機体の入念なチェックをしていた。
ギアの滑り。骨格のたわみ。湿気を吸って骨格がねじれたりしていないか。エンジニアで親友の登尾のチェックを信用してない訳じゃない。飛ばすのは自分だ。命を預け、俺たちの夢を預ける機体、「朱」の隅々まで把握しておきたいのだ。
城北大学は工学部の盛んな大学で、バードマンチームは第三チームまである。赤井の所属する「FLY HI」は第二チームで、去年は出られなかった。バードマンの命は、サークル活動をする三年間しかない。体力と気力の充実している二年生の時に出られず、赤井は悔しい思いをしている。今年でラストだ。どうしても勝ちたい。
湖畔に駐機している人力飛行機たちの、色鮮やかな機体が目に痛い。どれもこれも夢を追うライバルたちだ。毎年常連の京大、東工大は今年はどれだけ飛ぶのだろう。円環翼や三角翼を導入した意欲的な機体もある。航空力学を学ぶ者の実験の場として、バードマンコンテストは最高の場だ。
今年の注目は、泰明館大のチーム「TO婆娑」だ。予選で一位を飛び、真白で美しい「白姫」を二年ぶりに復活させた。この機体は毎年毎年同じ骨組を再利用している。つまり設計以来、一度も事故ったことがない。ここ十年ほどの、城北大のライバルでもあった。
赤井は作業の手を止め、「白姫」に見入った。美しい。たわみを計算した骨格の反りが本当に美しい。空を飛ぶ者でなければ、「飛行機はたわむ」と知らないであろう。ものすごい風にあおられるのだから、固い機体では折れてしまう。たわみ、しなり、猫のように力を逃がす骨格こそが、美しく機能する飛行機だ。
ふと赤井は、「白姫」の周りに誰もいないことに気づいた。
機体の影に隠れれば、死角になることにも。工具は右手の中にある。
今なら「白姫」の竜骨に、亀裂を入れることが可能だ。
2
上空から琵琶湖を眺めたシンイチと光太郎は、伊吹颪に巻き込まれ、横に流され始めていた。
「やっぱ半端やないな伊吹山! こんな横風の中を突っ切る伊吹山飛行上人って何者なんやろな!」
光太郎も横風を葉団扇で流そうにも流しきれない。
シンイチは雲の向こうを指さした。
「アレのこと?」
「何がや!」
「伊吹山の……」
「飛行上人! 三朱上人とも言うて、修行の末空飛べるようになった坊さんで……!」
「飛天僧正とキャラ被ってるね」
シンイチは同じ所を指さしたままだ。いや、少しずつ風の方向に指の角度は変わっている。
光太郎はその方向を見た。
空飛ぶ僧であった。ぼろぼろの僧衣を纏い、鼻が恐ろしく長く、鼻ごと風に流されていた。
「アレ、天狗だよね?」
「三朱上人様?」
しかしその天狗は、吹けば飛ぶような枯れた肉体だ。そしてほんとうに、吹かれて飛ばされていた。
「アレは飛んでるんちゃうで! 風に流されとる!」
よく見ると三朱上人は手足をばたつかせている。暴れているのではなく、風に溺れているのであった。
「いやあ感謝感激雨あられ。ブリキにタヌキに洗濯機ですなあ」
三朱上人は二人の小天狗に感謝した。百歳の老人にも見えたし、五百歳といわれてもそうかと思う。痩せさらばえた骨と皮だけの体は、インドの断食僧のような風体であった。地上に降りてようやく人心地つき、三朱上人は両手を揉んで感謝した。
「ていうか何やねん! 天狗が風に流されるって!」
「ワシ、三朱しか体重がないのでねえ。最近年取って、二朱になったかもなの。だからよく最近伊吹の風に流されるのよ。とほほ」
「河童の川流れか!」
「天狗の息吹流れやな」
このやりとりを聞いて、シンイチはゲラゲラ笑いだした。
「何がオモロイねんシンイチ」
「いや、ていうか、天狗ってもっと怖くて、山の王って感じなのに、こんなヘロヘロのじいさんの天狗もいるんだね!」
「ヘロヘロとは失敬な」
三朱上人が文句を言いかけた所に風がぴゅうと吹き、上人はコンビニの袋のように流された。
「あれえーーーーー」
「なんやねんジジイ!」
二人は笑いながら風下へと走っていく。
「そもそもワシはあやつを退治しようとしての、そしたら伊吹颪にに巻き込まれての」
「あやつって何?」
「雲の上。お主ら気づかんかったんかいな」
「え?」
「うわっ!」
三朱上人が指した空を見て、シンイチと光太郎はひっくり返った。分厚い黒雲の上に、くろぐろとした大妖怪が浮いていたのだ。耳まで裂け、牙の生え揃った、恐ろしい口元。
「目が……七つ?」
切れ長の鋭い目が、中央に七つ並び、七つの方向を見ていた。多数の触手は……琵琶湖の周辺、滋賀県大津市の街に八方に伸びていた。
「大妖怪……『悪』か」
「なんやそれ。人の心の悪を吸うんかい」
「多分。魔が差したときにでも取り憑かれるんじゃないかな」
「悪ってまた大雑把やな。なんでも悪になってまうやん」
「それほど根源的な心の闇ってことかも知れない」
「見ろやシンイチ!」
スルスルと新しい触手が生まれ、地上めがけて伸び始めた。まるで竜巻が地上と握手しながら生まれるように。よく見ると触手はくるくると回転している。きりもみ、人の心の中にねじ込まれるのだろうか。伸びていく先には、色とりどりの人力飛行機たちがスタンバイしている。
「何あれ! 飛行機……?」
「琵琶湖といえば……そうか、鳥人間コンテストや!」
「とにかくあの中に、『魔が差した』人がいる!」
3
今なら誰も見ていない。赤井も航空力学を学ぶ身だ。どこをどう傷つければ力学的に効率が良く、自然に空中分解するかくらいは分る。状況はそろった。あとは、やるか、やらないかだけとなった。
「不動金縛り!」
稲妻のような声とともに、朱い天狗面の少年と、黒い烏天狗の面の少年と、ぼろきれのジジイが飛んできた。
だがそれより一瞬早く、大妖怪の触手は赤井の心臓にきりもみしながら刺さった。
「ちきしょう!」
シンイチは悔しがる。
「止まれぬーーーーー」
三朱上人は止まれないまま、湖面へと流されていく。
「なんやねんあのジジイ!」
「大妖怪『悪』……」
赤井はシンイチ達に鏡を見せられ、自分の心臓に刺さった黒い触手と、黒雲の向こうに見え隠れする大妖怪を見た。雷鳴が轟く。大妖怪の鳴き声だろうか。
「オレ達が不動金縛りで止めなきゃ、ホントにやってたとこでしょ」
シンイチが話を続ける。
「でもやってねえじゃんか」
「でもやろうと思ったでしょ。『悪』ってのは、ホントにやったかどうかと関係ないと思うよ」
「じゃ、思っても悪か」
「多分。『心の闇』ってのは、負の心だったらなんでも食うから」
「じゃ滋賀県中に、悪の心に取り憑かれた奴がいるってこと?」
「そう」
「……」
赤井は納得のいかない、微妙な表情で「白姫」を見た。
「お主、隠し事があるじゃろ?」
ひょいと空中から三朱上人が降りてきた。
「うわ!」
「『悪』がそれだけで取り憑くかいな。魔が差すには、それだけの過去があるからじゃ」
「……」
赤井は否定しなかった。
「図星やんか! 鋭いなジジイ!」
光太郎が三朱をほめた。
「伊達に歳は取っとらんぞ」
枯れ木のような老人天狗は、長すぎる鼻を高々と上げた。
「実は俺たちバードマンの間で、自主的に『第二鳥人間コンテスト』を開こうって動きがあるんだ」
「第二?」
「どうもここ数年のテレビ局のやり方に問題があって、バードマンたちは結構怒ってるんだ」
「どういうこと?」
「鳥人間は人力飛行機だろ。風向きが重要だ」
「そうじゃ。極限まで軽くすると、風に流される」
三朱は一行が出会った時のように、もがいて見せた。
「それで?」
「テレビの収録時間が、年々短くなってきてるんだよね。予算が減ったらしい。翌日撤収だった矢倉も、当日撤収になってきてさ。年々コンテストに参加する飛行機は増えてるのにだよ? で、強風にもかかわらず、無理にコンテストを進める、って不手際進行が最近増えてきている。昔なら凪待ちをした時に、どんどん『行け』サインを出してくるんだ」
「風で飛べません、って言ったら?」
「失格。一年間練習して作ってきた飛行機を、持って帰らなきゃならない」
「それはひでえ」
「無理やり飛んだ、いや飛ばされた鳥達は、次々に望まない風にあおられ、本来の性能を出し切れずに墜落」
「……」
「鳥人間コンテストに出れるのは、大学の三年間しかない。テレビ局にとっては何十年も続いている一回かも知れないけど、俺たちにとってはワンチャンスだ」
「たしかに」
「だから大手大学のバードマンチーム有志が集まって、三日後に『第二鳥人間コンテスト』と称して、私的な大会を開くことになってるんだ。ちゃんと実力通りの結果を出す為に、風を待とうって。テレビも入らないからゆっくりやれる。『風を待つ』、それが本当の鳥だろ?」
「うむ。伊吹颪は天狗も流すからのう」
「アンタが軽すぎるんや!」
「てへ」
赤井は話を進めた。
「で。俺たちは『第二』には参加しない」
「なんで?」
「遠征費を考えなよ。来週に来る面子は、みんな関西からだ。琵琶湖に来ればいいだけだけど、俺たち東北だし、この飛行機をばらして組み立て直すスタッフもいない」
「あの『白姫』は?」
「『第二』も出る」
「だからか。……自分たちは一回しかチャンスがないから、どうしても勝とうとして、魔が差したんだね」
「でも反省しとるやんか」
と光太郎は反論する。
「反省するだけで『悪』がなくなるなら、警察いらないよね」
「いつもやったら俺が言いそうなツッコミを先に言われた!」
二人の漫才をよそに、三朱上人は天空の大妖怪を見上げた。
「試しにちょっと焼いてみるか」
すう、と呼吸をした瞬間、三朱はロケットのように宙へ舞った。
上空から見ると、大妖怪「悪」の触手は、バードマンたちの半数に刺さっている。
「このままじゃ、悪人間コンテストになりそうじゃな」
言うが速いか、降魔印から金剛童子印を切り結び、尻を向けた。
「風!」
尻から巨大な炎が立ち、「悪」に襲い掛かる蛇のようになった。
「何じゃアレ! 炎の屁や!」
どろり、と「悪」の顔が溶けた。半ば。いや、1/3か。
「むむむ。再生の速度が速いの」
「加勢すんで!」
光太郎は一本高下駄を履き宙に舞い、葉団扇を構えた。
「火の玉!」
ひと煽ぎすると、石礫が飛んでゆく。天狗礫だ。空中でそれらが燃え上がる。光太郎の狙いは正確だ。「悪」の再生しかかった、目に当てた。
「やるの、烏! もいっちょプー!」
火の玉に炎の屁。しかし「悪」は再生してゆく。
「駄目だ! 火力が足りない!」
地上から加勢する力を持たないシンイチは、歯噛みする。
「飛天僧正の火力があったら、七支炎で真っ二つなのに……!」
どん!
その瞬間大きな音がして、赤い流星が落ちた。地面に上がる煙の中から現れたのは、赤い僧衣と、剥き出しで笑う白い歯。
「飛天僧正! 来てくれたの!」
「先程キャラが被っているとぬかしたのは、どこのどいつだ?」
遠野の空飛ぶ赤い僧、地獄耳の飛天僧正である。
飛天は「悪」に向き直り、虚空蔵菩薩印を組んだ。
「ゆくぞ、七支炎」
うなりを上げて七つの支炎をもつ一直線の炎が、指先から描かれた。
「ぬん」
両腕を振りかぶり、振り降ろした。
七支の炎が剣のように「悪」を斬る。周囲の黒雲ごとまっぷたつである。
「いや。浅いか」
黒雲にまぎれ、姿を消そうとする「悪」に、飛天は印を組み変え追い打ちをかけた。火之迦具土神印、別雷命印。
「四象の雷火」
黒雲から幾筋もの閃光が走る。雷を落とし炎を生じる、飛天の攻撃力で一の威力を誇る技だ。だが「悪」の回復力は予想を超えた。炎の中から「悪」がもりもりと増えてゆく。
「儂らの攻撃力より回復力の方が高い。この回りの悪の集まりの方が上だ」
飛天は舌打ちした。
「どうするてんぐ探偵」
シンイチに剣の力や術の力はない。あるのは智恵と勇気と閃きだ。
「儂にひとつ策がある」
飛天は提案しようとする。
「それ……オレの思いついた作戦と同じかな?」
シンイチは笑った。この笑顔は、何かやるぞいとネムカケと罵詈雑は知っていた。
4
「で、どんな作戦や」
光太郎は ワクワクして尋ねる。
「んーとね、バードマンチームたちに、隈なく噂を流すんだ」
「何の?」
「『この中の誰かが、誰かの飛行機に工作した』って」
「はあ?」
「小僧、思ったより『悪』だのう」
飛天僧正は歯を剥きだして笑った。
「儂が考えたのは、『全員に悪を取り憑かせる』までであった。しかし具体的で効果的な方法をまで思いつくとは!」
「ほめとんのかけなしとんのか」
「善悪の彼岸を飲み込んでこそ、真の天狗也」
光太郎の提案で、かくれみので変身した「謎の少女」が現れて告げ口をする、というスタイルにしようとなった。悪乗りも甚だしい。
こうして全チームに噂が流れる。「この中の誰かが、墜落工作をしているのを見た」と。
夜の闇が、静かに広がる。フライトまで、あと十時間。
「第三十回鳥人間コンテスト! 開幕!」
昨日までの天候はさらに悪化し、伊吹の颪はますます厳しい。分厚い黒雲の上には、巨大妖怪「悪」が錨のように動かない。
「鳥人間、中止にした方がええんちゃうのん?」
あまりの強風に光太郎が心配したが、赤井は皮肉に笑う。
「去年延期して予算倍使ったらしいし、今年は中止できないよ」
「延期の予算くらいみとけや!」
「そんだけ削られてんだろ」
愚痴を言ってもしょうがない。赤井は出番を待った。
ライバルの「白姫」の出番が来た。美しく反った優雅な機体。今年も無事故で飛ぶのか。
「風は?」
ぴたりと凪いだ。伊吹の神は、白姫を飛ばせるつもりだ。
「3、2、1、ゴー!」
テイクオフ。息を合わせてチームが送り出す。泰明館「TO婆娑」の名機は白い翼を湖面に映して滑空する。
ばきり。
「あ!」
皆息を呑んだ。尾翼が折れたのだ。
白き美しき処女は初めて湖面にキスをして、そのままゆっくりと沈んでゆく。
「不自然だ! 誰かが工作したのか!」
赤井は叫んだ。皆赤井の顔を見る。
「……俺じゃねえよ! そんなバードマン魂に反することをする訳ねえだろ!」
「ホンマはやろうとしてた癖に」
と小声で光太郎がいじる。
「恥を知れえええええ」
三朱上人も小声で茶化す。赤井はそれ以上声を上げなかった。出番が来たからだ。
「『FLY HI』の『朱』、出ます!」
赤井は愛機に乗り込み、選手宣誓のように片手を上げた。
冷たい横風が吹き始めた。強い。流される。
しかし運営サイドはゴーの旗を揚げた。
「ムチャだ! こんな横風、強度計算に入れていない! 落ちるぞ!」
機体設計者の親友、登尾は叫ぶ。
「任せろ! うまくたわませて風を逃がす!」
「そんなこと出来るのか!」
「昨日『白姫』の竜骨の構造を死ぬほど見てた! たわみ方、逃がし方は大体わかった!」
「待とう! ギリギリまで!」
「待っても、これ以上風は強くなるかも知れない」
「……でも待ったら弱くなるかも知れないだろ!」
「飛行機は風と闘う。任せろ!」
「……」
唇を噛む登尾を背に、赤井は「飛ぶ」意志表示の右手を上げた。
「3、2、1、ゴー!」
上手く横風に乗った。しかしどんどん横に滑ってゆく。
「ヨーの回転が邪魔をしている! 立て直せ!」
登尾はもう聞こえないのに、「朱」に叫ぶ。
一瞬風が止んだ。いける。航続距離、百メートル。百十メートル。このまま持つのか。
べきり。
その刹那、再び不可解な空中分解が起こった。
「そんなバカな! そんなところが折れる訳ない!」
「だとしたら」
シンイチは言った。
「誰かの工作かも知れない」
「……ウチの飛行機に、やった奴がいるってのか!」
空を黒雲が覆ってゆく。
強風により、競技は「しばらく中断」となった。
「この時間で、全機体をチェックした方がいいんじゃない?」とシンイチは皆に言った。
「だって昨日噂広まったよね? 『誰かが誰かの機体に工作した』って」
バードマン達は急に不安になった。
こうして、「すべての」機体に、何者かによる工作の跡が見つかった。
やり方はそれぞれの機体でそれぞれ違い、同一犯ではないことを示唆していた。
「誰もが誰もの機体に工作したってのかよ!」
叫ぶ赤井にシンイチは答える。
「多分ね。だって『全員に悪が取り憑いている』からね」
「はあああああ?」
黒雲が割れた。大妖怪「悪」は、静かに湖面に降りてきた。触手はバードマン全員に絡み、心臓に刺さっている。それは全員が、魔が差して工作したことを意味していた。
「悪の反対は何?」
シンイチは赤井に聞いた。
「何? ……正義だろ」
「そうかな。オレはそうは思わない」
「じゃあなんだよ」
「信頼だとオレは思うのさ」
「? どういうこと?」
「悪は、『相手が悪かも』って思うから起こると思うんだよね」
「え?」
「相手が悪なら、こっちも自衛しなきゃ、向こうがやってくるならこっちもやんなきゃ……そのループこそが悪が蔓延する原因になるんじゃないかな」
「小僧の癖に、見事な考察じゃ」
三朱上人が舌を巻いた。
「流石シンイチ」
飛天も唸る。
「その名を何と呼ぶ? 悪の状態の別名を」
「うん。多分この中で『第二』に出る人たちもいっぱいいるよね? 『朱』のゴーのタイミングは早すぎた。テレビ局は局で、視聴率が取れないかも知れないって焦ってる。つまり……悪の別名とは、疑心暗鬼だ」
「お見事」
飛天僧正は膝を叩く。赤井は呆気にとられた。
「じゃあ、じゃあ、どうすればいいってんだよ!」
「うーん、テレビカメラが『第二』に来ればいいんじゃない、ってオレ思ったんだけど」
「は?」
「今日の鳥人間コンテストは強風中止! 来週まで飛行機は待機! それまでに飛行機は直す! テレビ局は追加予算少な目で、後半戦をやり直せる!」
「……直せるのか? 『朱』」
設計者の登尾に、赤井は尋ねた。
「工作は……致命傷を避けるようになっていた」
「?」
「飛行機の命……主翼は避けられていたんだ」
「なんだと?」
「ウチもだ」
白姫のパイロット、堂下が手を上げた。
「白姫の一番の翼、たわむ主翼には、傷ひとつついていない」
「『殴るなら腹』みたいなことかいね」
光太郎はつぶやいた。
「いいや」
シンイチは言う。
「みんな飛行機が好きだからじゃない?」
ざわめきが、シンイチを中心に広がってゆく。
「工作はした。でも飛行機を壊すまでには至らなかったんだね」
「そんな……そんな都合よく、うまいこといくもんか」
「だってみんなバードマンだろ?」
「あ。……ああ、そうだ。俺たちはバードマンだ」
「そうだ。俺たちはバードマンだ!」
堂下も叫んだ。全員がバードマンの名を口々に言った。バードマンとは、飛行を愛する者の名である。
「俺たちは、バードマンだ! それが誇りだ!」
こうして、みなの心に巣食った「悪」はほどけ、巨大妖怪との紐帯は切れた。
無数の触手は、するすると本体へと戻ってゆく。
「一回全員悪になったら、揺り戻しが来るかもと思ってね!」
シンイチは安堵して解説した。
「お主、人の心を知り尽くしておるわ」
飛天は感心した。
「心の闇は、いつか晴れる。オレはそう思っているよ!」
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「この小鴉で、一太刀でも浴びせたい」
足手まといになってはいけない。しかし黙っているほど臆病じゃない。
シンイチは炎の剣を鞘より抜いた。
小鴉の炎は朱く燃え上がる。それはシンイチの心の炎に応ずると、シンイチは知っている。
「ほんじゃいくで!」
光太郎が音頭を取る。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前!」
シンイチ、光太郎、飛天僧正、三朱上人。四人の天狗が印を組んだ。
「不動金縛りの術!」
これまでの大妖怪との空中戦を経て、一行は闘い方を心得ていた。
「またタコ焼きみたいにひっくり返そか!」
光太郎が提案する。
「ワシ、得意やで」
三朱上人が双頭愛染明王印、双身毘沙門天印を組んだ。
「マニアックな印じゃろ? では、裏と表をひっくり返すぞい。捻!」
風に流されながらも、三朱上人の術力は強大だ。
大妖怪に突如穴が開き、円に広がり、そこから大妖怪が裏返ってゆく。
「そのひっくり返すとちゃうわ! しかし凄い術力やな!」
「ジジイ舐めたらいかんよう」
三朱上人は長い鼻をしごく。
裏返った内臓には、肉壁に卵状の青鬼がびっしりとついていた。
「スジコみたいやな! 気持ちわる!」
光太郎がひるみ、飛天は笑う。
「四象の雷火!」
再び飛天は無数の雷を落とした。炎を上げて大妖怪の「裏側」は燃え上がった。
「斬れい。小天狗たち」
「よし!」
シンイチの小鴉と光太郎の大鴉は、炎を上げて大妖怪「悪」を微塵に刻む。
卵の青鬼を斬ると青い粉になって消えてゆく。小鴉と大鴉の炎がそれを焼く。
「風!」
三朱が尻からの炎で本体を焼く。
「これにて、ドントハレ!」
「ようやく落ち着いて『飛行機まつり』を見物できるわい」
ぷかりぷかりと宙に浮き、三朱上人は伊吹山の上空から鳥人間コンテストを見ていた。朱色の機体。白色の機体。
「まるでトキのようじゃ」
十七番。「朱」の出番だ。
再び強風が吹いてきた。シンイチが叫ぶ。
「また強風だよ! これじゃ飛べない!」
「何を言ってんだ! 大チャンスだろ!」
赤井はコックピットから叫ぶ。
「え?」
「向かい風だ!」
「え? 向かい風じゃ飛べないでしょ!」
「逆! 飛行機ってのは、向かい風で揚力を得て飛ぶの!」
「そうなの?」
「向かい風を味方にするのは、鳥と人間だけだと俺は思う!」
神の息吹を懐に抱き、青空を朱が切った。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
一行は、ついに鞍馬山へ到着する。
だが光太郎の背中に、斬った筈の「青鬼」がへばりついていることに、この時まだ誰も、気づいていなかったのだ。




