第七十八話 「全てを見た男」 妖怪「竹林の賢人」登場
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朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす
心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
京都、鞍馬山を目指すシンイチと光太郎の旅は、いよいよ後半戦、西日本に突入した。千里眼で見れば、鞍馬山が倍に見える所まで来た。
鞍馬流剣術を鞍馬天狗に習うこと。それはすぐにマスターできることと、シンイチは思っていない。だが先日の妙高市上空での闘いでも、シンイチは足立坊や光太郎に後れを取った。積極的に剣の達人になろうとしている訳ではない。大天狗に言われた通り、シンイチにはシンイチの「力」がある。妖怪と人間の架け橋になること。人間の心の闇の、人間にしか出来ない退治の仕方。それこそがシンイチの力であると大天狗は言った。武力を使う悪意の輩から身を護れる程度になること。光太郎に迷惑をかけない程度にはなること。その最低限のことが出来て、はじめて「力」は発揮できる。どんな理屈も、暴力には一瞬で叩き壊されることがある。剣は人を殺す為にあるのではない。悪を止める為に使いたい。
シンイチは大天狗から授かり、飛天僧正の火で修復してもらった小鴉を、時々お守りのように触る。「剣は媒介に過ぎない」という飛天僧正の言葉を思い出す。
中央アルプスは木曽山脈の異称であるが、山脈から外れた西の単独峰、木曽御嶽山を含むことがある。主に観光上の理由だ。アルプス山脈の山々はどれも「連山」形式である。富士や御嶽のような単独峰は稀だ。富士に次いで、御嶽は日本で二番目の単独峰だ。富士と同様、単独峰は孤独なものである。誰よりも高いが、誰も寄せ付けない。
「アレが御嶽山や! 煙出とるな!」
「天狗の山」とは即ち火山のことだ。火を吹き、溶岩や岩山で固まった、草木の生えない岩山は、断層が顕わになり辰砂(金のもと)を産出する。不老不死の妙薬、仙丹の材料を求め、昔日から修験者たちは危険なる天狗の山へ分け入った。
木曽御嶽を御神体とする修験道、御嶽修験(御嶽講)は、日本の修験道の勢力の中でも三大修験(奈良吉野、福岡英彦山、山形羽黒)に次ぐ勢力を誇る。それだけ御嶽山は火山としての勢力が強く、危険に満ちた原初が残る山だ。木曽は特に険しさで知られ、付近には人の手の及ばぬ処女林、未踏の深山が多いことで知られる。
「こないだの噴火、御嶽山六尺坊が怒らはったんかのう! それとも単なる自然現象かいな!」
先日の御嶽山噴火で五十八名が亡くなり、戦後最大の噴火災害となった。警戒レベルが低かった中での突然の噴火であったことも、犠牲者の多さの原因だ。
「いや、六尺坊は、もっとデカかった筈の噴火をその規模に止めたんだよ」
シンイチは悲観的に考えるより、楽観的に考える。その方が体がこわばらない。サッカーと同じだ。ビビってたら動けなくなる。火山にビビってたら、天狗や妖怪にもビビってしまう。
山の麾下には、美濃国岐阜の街が広がっていた。
「どれどれ……おったで!」
千里眼で町を覗いた光太郎とシンイチは、早速「心の闇」を見つけた。
「なんだあれ?……竹に囲まれてる妖怪?」
「本体がよう見えへんね」
「見えた! ……妖怪『竹林の賢人』?」
「なんじゃそら。どういうこっちゃねん」
2
轟輔といえば、自動車界で働く者ならその名を聞けば裸足で逃げ出す、恐怖の御大の名だ。自動車評論で五十年ずっと現役の、「車の生き字引」の異名を取る。彼が褒めた車はカーオブザイヤーになるし、彼が批判した車は、一文字当たり一人の首が飛ぶと言われたほどの影響力だ。彼の前に新車を見せるメーカー達は、ことごとく緊張から逃れられず、担当者は胃の中のものをことごとく地上に戻す。
「……どうでしょうか?」
丁自動車の担当の者が、胃酸の焼けつく痛みに耐えながら、それを悟られてはならぬと笑顔をつくって、轟御大に真新しい新車を見せていた。
丁自動車のある愛知県から御嶽山方面にゆくと、巨大な竹林に囲まれた巨大な屋敷が見えて来る。京都嵯峨野風につくられた、自動車評論界の巨人、轟御大の屋敷である。新車が完成したら、担当が自分で運転して見せに来るのが習わしとなっている。その道は、胃液ロードと異名をとる。
「ふむ」
轟は白いひげをしごいた。広大な自宅ガレージの中で、生まれたばかりのきらびやかな処女を値踏みする。
「丁の車は相も変わらずだ。無難、八方美人、特技のないユーティリティーカー。結局、ケイローラとウォッツとマークセヴンを足して三で割っただけではないか」
「……おほめの言葉、ありがとうございます!」
「……ワシはけなしているのだが?」
「それでも、私共にとっては最高の賛辞です!」
大きな欠点がなければそれで良し、その担当者たちは素早く踵を返し、出来るだけ早く撤収し、轟の大邸宅をあとにした。胃液がまき散らされているという伝説の道を汚さずに済んだ。
「……つまらん」
轟の広大な屋敷の殆どを占めるのは、ガレージである。その莫大な資産をもとに、古今東西の名車五百台を保有している。それはクルマの博物館だ。トヨタ2000GT、フェラーリモデナ、ホンダマクラーレンF1セナモデル(レースに出なかったリザーブマシン)、デロリアン、コルベットスティングレイ、ダッジ、マスタング、フェアレディZ、てんとう虫。
「ワシをときめかせる車は、もう現れないのか」
深く眉間に刻まれた皺を二倍に増やし、轟は四倍のため息をついた。これらの車は思い出補正であってほしい。俺ほど新車に貪欲な男はいないというのに。
ここの所発売される車は、どれもこれも詰まらない。電気になったせいか。自動運転を目指すからか。原因は分らない。だからこの一年、轟はテレビ出演も断り、雑誌の取材も受けず、ずっと自宅の広大なガレージに引きこもってきた。まるで車仙人だ。
ターボ社が新車を出したと思えば、アレとアレの組み合わせに見える。姫丸自動車がハイブリッドを出せば、コレとコレとアレの組み合わせに見える。
「それは全部見た」
ニコラ社のモンスタークラス電気自動車だって、結局はアレとソレとコレの組み合わせではないか。
「はあ……」
再び、轟はため息をついた。
「それはね、妖怪『竹林の賢人』の仕業だね」
デロリアンのガルウィングを上げ、天狗の面の少年と烏天狗の面の少年が突然現れた。
「な、なんだ! どっから入った!」
「どの車も詰まらなくて、わくわくしないのはさ、妖怪のせいなんだ」
「……なんだと?」
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轟は詰まらない理由を、二人のてんぐ探偵と名乗った少年たちに滔々と聞かせた。アレのアレはアレのパクリだ、アレのソレはコレとアレの組み合わせにすぎない。アレとアレを組み合わせればコレになるだろう。なにせエンジンとシャーシは同一なのだ。上物を被せかえただけの車を、新車と呼んでいいものか。ヅラを変えた人は、同一人物だろうが。
「ははは」
轟のたとえ話にシンイチは笑った。
「冗談ではない。もうデザイナーのアイデアは枯渇しておるのか?」
アレはコレの系譜の上に。ソレはアレとコレの系譜。
「……なんか、全部分かっちゃった人、みたいだね」
シンイチはまとめた。
「そうかも知れん。ワシは『全てを見てしまった人』なのか?」
最高峰に登ってしまった人は、そこから自分より低い山を眺めて生きていくしかないのだろうか。自分より上を望むことはもうないのだろうか。
「全然ちゃうことしたらええやん!」と、光太郎は提案する。
「シンイチはこういうときサッカーやらせたりするやん? そういうやつ」
「老人にサッカーは辛いのう」
「あ、そうか」
「……そう思ってな、普段見ない映画を山ほど見てみたのだよ。知らないジャンルなら、新鮮に見えるかと」
「で?」
「暇にまかせて三万本見た。で、だいたい分かってしまった」
「どういうこと?」
「……『プリティウーマン』は『マイ・フェア・レディ』のパクリじゃ。パクリっていって語弊があるなら、翻案じゃな。『ギャラクシー・クエスト』は『サボテン・ブラザーズ』の翻案。『君の名は。』は『ほしのこえ』と『秒速五十センチメートル』の掛け合わせにすぎんし、ほとんどのスポーツ映画は『ロッキー』を見れば事足りる」
「……映画も分解しちゃったのか」
「……ワシは孤高の山にいるようだ。誰もここまで登ってこない。ワシはただ車が好きなだけなのに、この山には誰もいない」
「? そもそも『竹林の賢人』ってどういう意味? 『孤高の人』ってこと?」
「それはちと違うなシンイチ」
知恵袋ネムカケが解説する。
「竹林の賢人は実在の人達じゃ。中国魏の末期、三世紀に政治や哲学を語った七人、阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎のことでの」
「へえ」
「一般に『隠者』の意味で使われることが多い」
「じゃ『孤高の人』じゃん」
「そこが違う。それは誤用じゃ」
「?」
「彼らは『本当の事』を言うたのじゃ」
「本当の事って?」
「本当の事を言ったら殺されるような政府に、酔っ払いの戯言として、本当の事を言って批判したのじゃな」
「へえ。じゃホントの事を言う轟さんと同じじゃん!」
「だから皆ワシを嫌う」
「そうかな」
「?」
「嘘ついて褒めたっていいとこないじゃん! むしろそれでいいんだって思って調子乗ると、間違ったままやって怪我するじゃん! サッカーと同じだよ! キツイ注意ほど正しいんだ!」
「ほう」
「ただキツイのを嫌がる人が多いだけだよね!」
「ふむ」
轟は、五百台の名車を見渡した。
「ワシは車が好きすぎて、車に厳しくし過ぎたのか?」
寂しい顔をした轟の、腹がひときわ大きく鳴った。
「この屋敷で一人で住んでんの? ごはんとかどうしてんの?」
「以前は料理人を雇っていたが、テレビ出演も辞めて収入もなくなったし、暇をやった」
「で?」
「コンビニとかで適当に。でも食べない時が多い」
「それじゃ死んじゃうよ!」
「これ以上名車が現れない世界に生きてても詰まらん。死ぬか」
孤独な老人の目が本気だとシンイチは悟った。慌てて思案する。妖怪のせいで死ぬのか、車のせいで死ぬのか。
「そうだ! 自炊しようぜ!」
「は?」
「やったことないことをするんだ! こういうときサッカーを体験してもらうけどさ、無理なら料理をしてみよう!」
「何を言いだすかと思えば」
「じゃあ出来んの?」
「む。ワシは三ツ星シェフの飯をずっと食べてきて……」
「グルメなだけじゃん! じゃためしに、ごはん炊いてみてよ!」
米を洗い、炊飯器を掃除する所からだった。
待つこと小一時間。轟の炊き上げた米は……
「ベチャベチャ」
「おかゆか思たわ!」
散々に子供たちにダメ出しをされる。
「待て、今一度」
次の米は……
「焦げまくりやないかい!」
「ちゃんと量計ったの?」
「そもそもおかずがない」
巨大な業務用冷蔵庫から出てきたものは、轟が買ったスーパーの総菜だ。
「小学生でも、野菜炒めくらい家庭科で習うぜ!」
かくして小学生二人が、老人に家庭科を教えることになった。
近所のスーパーで食材の選び方(これは学校で習うというより、口うるさい母の口癖を覚えていたことの方が大きい)、野菜の洗い方、包丁の持ち方から切り方まで、一からレッスンしていくことにした。
「ダメダメ! 味噌はドボンと入れちゃ!」
「そんなもん、鍋で溶けるだろ」
「意外とダマになるんだよ! それで焦げちゃうの! お玉で溶かしてからだよ!」
色々なものを焦がしながら、色々なものを切りすぎたり切らなすぎたりしながら、三人の料理教室は続いた。十三回目の調理。ようやくごはんが炊け、味噌汁と野菜炒めがそろった。
「ふむ」
一口食べた轟は喜んだ。
「どうじゃ?」
シンイチと光太郎にも勧める。
「ウチの母さんの方がウマイよ!」
「山で採れる木の実の方がウマイな」
散々な正直ぶりに、轟は落ち込んだ。
「そうか、よくできてると思ったがのう」
「同じことを車作った人にも言うんでしょ?」
「むむ。たしかに」
冷蔵庫を見ると、スーパーで買った食材は尽きていた。
「もう少し付き合ってくれんか」
一行はスーパーに再度行く。妖怪退治と調理実習の奇妙な組み合わせは、夜中まで続いた。
「どうじゃ!」
もう四十回目の野菜炒めの、一口目を食べたシンイチは目を見張った。
「どうしたの? 変わった!」
「包丁を変えて、切り方を変えてみたんじゃ。この時期のジャガイモは固いということがわかっての。肉を切る包丁と分けてみた」
「それだけでこんなに変わるのか!」
「だんだん、料理というものが分かってきたぞ。何をどうすればどうなるか、やっと体で理解できてきた。まるで時計を分解するように……」
言葉を止めた轟の、目の色が変わった。
「どうしたの?」
「そうか。……分解か」
「?」
轟は、ガレージの奥から工具を持ち出し、総額数千億円の名車を、片端から分解しはじめた。
「なにすんの?」
「ネジ一本まで、理解したい。米一粒と同じようにだ」
4
シンイチと光太郎が眠りから目覚め、ガレージへ向かうと、全てのエンジンとシャーシとタイヤの部品が、バラバラになって綺麗に並べられていた。
「寝てないの?」
老人は子供のような輝いた目で、まるで若者が将来を語るように情熱的に語り始めた。
「知らなかったよ! ガレリアのシリンダーは、MR4の部品の再利用だったのじゃ! シルフィオのカムの改良版がラ・エースに密かに使われていて、ということはディンクルとはこの点で兄弟だったのじゃよ! でもこれには欠点があってな、摩擦の機構じゃ! それを設計者は知っておったのじゃな。デルタシオンでは改良が加えられていた! 見事なものじゃ! ところがワシは気づいたのじゃ。これでは強度がもたん。120キロの高速域での不安定性は昔から指摘されてきたが、おそらくはこれが問題じゃ!」
「????」
さっぱり話のつかめない二人をよそに、轟は丁自動車の担当者に電話をかけた。
「すまぬ。先日の新車の話だが、もう一度見たいのだがいいかね?」
どんな不手際があったのだろうかと、担当者の寿命は三年縮み、網走支社に行く覚悟は決まった。
「それで頼みがある。一台買い取らせてくれ」
「はああああああ?」
あの御大がいつもぼこぼこにする弊社の車を買うだって?
担当者は、網走まで届く声をあげた。
白い処女がガレージに納車されるや否や、轟は担当者に聞いた。
「カムの摩擦と強度の関係はクリアされたのか?」
「?……と、いいますと?」
「なんじゃ、お前は『作った者』ではないのか」
言うが早いか、轟は熟練工並みの手際で、エンジンの分解を初めてゆく。
「『庖丁が牛を解く』か」
とネムカケが居眠りしながら感心する。
「なにそれネムカケ」
「庖丁という中国人がおってな。牛の解体の名人だったそうじゃ。それは切れる刃物を持っていたからではなく、牛はどうやって出来ているか知り、腱や筋の切れ目に包丁を添わせるだけで切れるのだという。料理に使う『包丁』の名称は、そもそも庖丁の名からだそうじゃよ」
「へええ」
「戦国時代の人(紀元前三百年)じゃから、竹林の賢人より六百年前の人じゃな」
「スケールでけえ!」
エンジンの部品を、プラモのパーツのように奇麗に並べ終えた轟は言った。
「なんという改良。ワシは感動したぞ」
「……はい? 先生が『感動』などウチの車に?」
「申し訳なかった。ワシは今まで車の何を見ていたというのだ。少し服を脱がしただけで分った気になっていた。内臓がどうやって生きて、どうかみ合うのか、中身の中身までなんで見なかったのか。八十年生きてきて、ワシははじめて車の面白さをわかったよ」
轟は、少年の目をしていた。
「この車は、ワシをときめかせてくれた」
こうして、轟の心に巣食った「竹林の賢人」は、静かに落ちた。
「是非評論を書かせてくれ。これからは、表面のことなんざどうでもよい。中身がどういう構造で、どんな工夫をして、どう効果があるか、一度パーツまで分解して、組み立ててから批評しなければならない」
ガレージに朝日が差し込み、新しい朝を連れてきた。
「竹林の賢人は本当の事を言ったもしれないが、政治に参加したわけじゃない。ワシは、竹林を出て新しい山に登りたいと思う」
「不動金縛りの術!」
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「一刀両断! ドントハレ!」
小鴉の炎は、妖怪「竹林の賢人」を一刀に伏せ、清めの炎へと変えた。
どんな獣の咆哮よりも大きく、モンスターエンジンが唸り声をあげた。
心配された振動は、予想以上に新型ダンパーが吸収している。コップの水ひとつ揺れていなかった。むしろ喜んだ若きエンジニアが飛び上がったことで、びちゃびちゃにこぼれた。
轟はその後、自動車評論家を辞めて、丁社のエンジニアになった。
「すげえ!」
若手エンジニアたちはテストの成果に喜んだ。轟は、オイルで真っ黒になったひげをしごいた。
「なに、野菜炒めよりも簡単じゃ」
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か




