第七十五話 「何を継ぐのか」 妖怪「まるなげ」登場
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朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす
心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
ひなびた温泉旅館「かな沢」の女将、谷川良恵は呟いた。
「もうやってられない……」
昭和から改装していないその旅館は、幽霊が出ると噂されるくらいだ。どんなに掃き清めたって、廊下も調度品も新品になるわけがない。ずっと湿っていて、染みが取れていない。ここは小さく古い温泉街。ガイドブックに載るわけじゃなし、まれに来る客を、長屋みたいにつながる小さな旅館が取り合うだけの場所だ。
「コストダウンをしなければ」
それは普段からつきあいのある業者を整理し、全く別の所に委託するということだ。先々代から付き合いがあるという石鹸屋を代え、割箸が環境破壊だと思い再利用可能なプラスチック箸に代え、食事の皿に引くプラスチックの緑の葉なんて意味がないとやめた。長いこと働いてくれたおばあちゃんたちに辞めてもらい、若いバイトを雇う。経費削減である。いくらか風情は失われる。しかし背に腹は代えられない。コストダウンしなければこの先、生き残ってゆけない。
だが、食事を作ってくれる業者ごと替えて一週間後、不幸なことに「かな沢」は食中毒を出してしまった。
女将――女将といってもまだ三十三歳の若女将だが、その若女将良恵には、妖怪「まるなげ」が取り憑いている。
シンイチと光太郎は、日本の大山脈、南アルプスを秋葉山から赤石山脈沿いに北上、諏訪湖を目指していた。
「諏訪は、日本のヘソなんやで」
光太郎の解説によるとこうだ。
東日本と西日本の大陸の分け目がフォッサマグナ、アルプス山脈である。東日本には伊豆半島が南からぶつかり、境目には丹沢山系(入口は相模大山)や箱根と富士山が出来た。一方、西日本は更に南北に分けられる。南海トラフからやってきた大陸がドーンとぶつかったらしい。九州の阿蘇から四国の石鎚山脈を通り、紀伊半島を横断、伊勢湾を通り知多半島に至る、「中央構造線」がその境目である。火山と温泉のオンパレード地帯で、知多の入り口は「熱田」神宮があり、今も熱い温泉が湧く。その大断層はそこでは終わらない。そこから東北へうねり、中央アルプスでぶつかる。そこが日本のヘソ、諏訪湖である。諏訪湖はつまり、ふたつの巨大構造線の交差点だ。
「古代の人々は火山断層を中心に移動してきた。そこに出る朱砂=金が目当てやったんやな。ここは古くから諏訪一族が支配した。出雲から来た、古い古い一族や」
「へえ」
「今の天皇家より、出雲の一族の方が古いって知っとるか?」
「え? そうなの? 神武天皇から続く……」
「それは天皇はんの系図やな。それより前から出雲を支配した一族がおった。『国譲り神話』いうて、古事記には大国主命から天皇一家が国をもろた、という記述がある。出雲大社には、いまだに現天皇家ですら立ち入ることを禁じられとるらしい。元々日本におった一族より、天皇家の方が後発なんやな」
「光太郎詳しいんだなあ」
「この国がどうやって出来たか、ちゅうことや。諏訪大社はだから、そこから来た一族が作った、日本で二番目に古い神社や。それこそ天皇はんの天照大神の伊勢神宮よりよっぽど古い」
火山断層のその地には、当然温泉が湧く。この盆地の近辺には、「信玄の隠し湯」が点在している。火山の近くには温泉が湧き、同様に金も出る。信玄の「隠し財宝」の黄金伝説は、隠し湯と表裏一体である。
諏訪大社に天狗の者として挨拶を終えた二人は、辺りを千里眼で見渡したが、「心の闇」に取り憑かれた人はいなかった。
「すごいな。ミシャクジ様のお陰かのう」
「ミシャクジ様って?」
「この土地の、蛇の化身の神さんや。諏訪大明神というのは、ミシャクジ様のことやで」
京都への旅は、ここを境に東日本から西日本へ入ることになる。今夜は山に一泊し、西へ向かうことになった。
その夜。
シンイチが気になっていたことが起こった。
光太郎が再び寝床から消えたのだ。
シンイチは、光太郎を尾けることにした。ネムカケと罵詈雑はこんこんと眠っている。シンイチは千里眼を出し、辺りを見回した。
光太郎は毎晩同じ所へ行っているのか、それともフラフラしているのか。オレに言えない隠し事とは一体何か。
富士山方向を見たとき、シンイチは光太郎の姿をとらえた。
甲府盆地の温泉旅館。信玄の隠し湯のひとつだ。看板には「毒沢温泉郷へようこそ」とあった。
シンイチは一本高下駄を履き、跳んだ。
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そこは人気のない温泉街だった。案内板が出ている。
『毒沢鉱泉は、戦国の武将武田信玄の隠し湯として知られます。戦で傷ついた兵の治りがあまりにも早く、「毒」と名づけて他人を遠ざけよう、と信玄が思いついたことで知られます。鉱泉で、日本の温泉には珍しくアルミニウムが含まれます。泉質、硫酸イオン、鉄イオン、マグネシウムイオン……』
「しかし『毒』って、スゲエネーミングだな……」
小さな温泉街を歩くと、ほどなく光太郎が見つかった。
温泉旅館のゲームコーナーだった。
「なにやってんの光太郎?」
「うわっ! シンイチ、なんでここに?」
「なんでって、毎晩いつもいなかったろ」
「ええっ、気づかれとったんかいな!」
「そりゃそうだろ。うるさいいびきがなかったら気づくさ」
「あ、あの、オレ、ゲームマニアでな! ホレ、ひなびた所は昔のゲームとか置いてるやんか! ここ最高なんや! アウトランあるし、ストⅡ初代あるし、アルペンレーサーもある、首領蜂も究極タイガーもや!」
「そんなの知らないよ!」
二十年か三十年、時を止めたかのようなゲームコーナーだった。かつては賑わったのだろうか。
「でも営業してんの? ここ」
無人のコーナーを見渡してシンイチは言った。光太郎が触っているゲームだけコンセントが入っている。
「な、な、温泉入ってこうやシンイチ!」
光太郎がごまかすように言った。
毒沢温泉の湯は鉱泉だから酸化して赤くなる。それはまるで血の湯のようであった。
「ん? 全然石鹸泡立てへんな」
光太郎が真新しい石鹸を必死でこすったが、泡ひとつ立たない。
「見せて」
シンイチは石鹸を観察した。
「多分、温泉用の石鹸じゃないよねコレ。ウチの近くのスーパーでも見るフツーのやつだよ」
「は? 温泉用の石鹸なんてあんのん?」
「うん。金属が解けてる温泉だと、石鹸が効かなくなることがあるらしいよ。ここの泉質はマグネシウムってあったし、イオンの関係だね」
「はああシンイチよう知っとんなあ」
「でも温泉用の石鹸用意してないってどういうこと? 温泉宿だったら常識なんじゃね?」
「たしかに」
温泉はとても暖かく、体の芯から疲れが抜けてゆく。ネムカケも連れてくれば良かったとシンイチは後悔した。
温泉から出た光太郎は、人の気配を感じると、とっさに烏天狗の面を被った。
「?」
「女将さん、今日もええ湯でした」
急に光太郎がかしこまって言った。
「そう。ゲームは楽しんだ?」
「めっちゃ! いつもタダでゲームやらしてもろて最高ですわ!」
「……でもね、しばらく営業出来ないかもしれなくて」
「なんで?」
「業者さんの責任とは言え、食中毒を出してしまって」
シンイチはその会話を聞きながら、女将の肩に憑いた、巨大な妖怪を見詰めていた。光太郎は、この妖怪の為にここに来ていたのか。
その妖怪「まるなげ」は、丸まった人の形をしていた。紫の不気味な色で、触るのも憚られる。よく見ると、妖怪には何度も切り傷があった。生命力の強い木を切ると、そこから復活する。節くれだった復活の跡、また切る、また復活……。それらを繰り返した街路樹のように、その妖怪は復活し続けているように見える。何度光太郎は、この妖怪を斬ったのだろうか?
光太郎は慌ててシンイチを紹介した。
「あ、こいつはワシの親友でシンイチ。妖怪退治のスペシャリストをつれてきたで!」
「ああ。今夜もお願いできますか。もう妖怪の成長が早くて……」
ちょっと話が、と光太郎は宿の外にシンイチを連れ出した。
「なに光太郎?」
光太郎はいきなり額を地面に擦り付け、土下座した。
「一生のお願いや!」
「な、なんだよ、いきなり」
「なんっっっっっも聞かずに、あの妖怪退治をしてくれへんか!」
あのプライドの高い光太郎が? にわかにシンイチは信じられなかった。あのいつもツッコミまくる強気の烏天狗が、いまはひ弱で不安なただの少年に見えた。
「どういうことなんだよ?」
「だから、なんっっっも聞かんといてくれって! ワシ、定期的にあの人に取り憑いた妖怪をぶった斬ってきたんやけど、どんだけ斬っても復活してきよんねん! もうワシ一人の力じゃ無理やねん! ワシがただ斬っとるだけでは、あの妖怪を退治したことにはならへんねや! あの人に嘘つき続けることになるんや!」
「だから光太郎の『ただ斬る』やり方は対症療法だってケンカしたろ。根本的にその人の心が晴れない限り……」
「ワシにそんなことでけへんやん! お前みたいにナイスアイデアが毎回出えへんねん! 斬っても斬っても生えてきよるんや! 心臓にやつの根が巣食っとって、ワシの力じゃ取り除ききれへん! ワシが何年知恵絞っても、でけへんもんはでけへんのや! だから……だから……たのむさかい……」
烏天狗面の額と嘴が地面にこすられて、すり減るのかと思う。光太郎がここまで追い詰められている姿を、シンイチは見たことがなかった。
「なんでずっと素顔隠してんのさ」
「男子一生のお願いや! 言うことなんでも聞くから!」
「夜な夜な、あの人の為にわざわざ来てたの?」
「なんも聞かんといてくれ……」
「困ったな……」
「なんも聞かんといてくれ……」
「心の闇のことも聞けないのかよ?」
「シンイチ!」
顔を上げた光太郎の仮面の下から、涙が流れているのをシンイチは見た。
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「じゃあいつものように斬りますよってに」
仮面をつけたままの光太郎は、女将を正座させ、顔を横に向けさせた。節くれだった脚と体を持つ、肩の上の妖怪は烏天狗の面を睨んだ。
音もなく大鴉が鞘から走り出た。神速の居合というにふさわしい斬撃。紙一重で彼女の体に触れないように、妖怪だけを削り取る。彼女の髪が遅れてふわりと風になびく。あまりに鮮やかな太刀。これを鞍馬山に習いに行くのだ、とシンイチは心を新たにする。
「シャンシャンシャン、あなかしこ」
光太郎は弱気に呟いた。いつもなら得意満面のドヤ顔が。
「……見てくれ、シンイチ」
妖怪「まるなげ」は、ぶくぶくと切り株のような足から復活を遂げてゆく。切り離された妖怪が大鴉の炎に包まれ、清めの塩になる前に、軽々と肩の上に復活を遂げてしまった。
「復活の速度が上がっとるんや。これまでは何か月かに一回斬ればOKやったのに」
「……それってさ」
シンイチは妖怪と彼女を見比べながら言った。
「この人が、仕事を誰かに丸投げしようとしてる心のせいだろ?」
「お前、何失礼な事言っとんねん!」
光太郎が切れてシンイチの胸倉を掴んだ。
「そんな下衆な事、この人が考える訳ないやろが!」
「下衆も何も、そもそも『自分は楽して丸投げしよう』と思う心がこの妖怪に取り込まれたんだろ?」
「言ってええ事と悪い事があるぞ!」
光太郎は思わずシンイチに殴りかかった。
シンイチが避け、光太郎の右拳は空を切った。たたらを踏んだはずみに、光太郎の烏天狗の面が外れた。
慌てて光太郎は面を拾い、再び被り直した。
しかし光太郎の素顔は、良恵に見られていた。
良恵は表情をこわばらせた。彼の正体に気づいたのだ。
「……関口君?」
関口とは、聞いたこともない姓だった。
光太郎は仮面を拾って被り、くぐもった声で否定する。
「いや、違います! 人違いです人違いです! 大体、年齢が合わんでしょうに!」
「? ……どういうこと? じゃ、関口君の息子さん?」
良恵は立って、光太郎の前にしゃがんだ。
「仮面を取って、顔を見せてくれない?」
蛇に睨まれた蛙のように、光太郎は固まってしまった。良恵は光太郎の仮面をゆっくり取った。
目をきつく瞑り、やってしもたとこわばる光太郎がいる。
「私の記憶が確かなら……あの《﹅﹅》六年四組、同級生の関口君にそっくりなんだけど」
光太郎は両目をきつく閉じて答えない。
「そんな馬鹿なことがある? まるで関口君が二十年前のあの小学校からタイムスリップしてきたみたい。関口君が烏天狗になって、私に取り憑いた妖怪を、二十年前から時々斬りに来てくれてたの?」
光太郎は首を強く振った。
「ちゃうねん! ちゃうねん! 関口光太郎はあの日死んだんや! ワシは鞍馬光太郎や!」
「あの日って、何?」
隠されていた事実を感じ取り、シンイチは光太郎に尋ねた。
「あの日って……」
良恵が口を開いた。
「小学校がなくなった日?」
「……」
光太郎は答えない。
「小学校がなくなった日から、関口君は来たの?」
「それって……」
尋ねたシンイチに、良恵は答えた。
「震災」
「震災?」
「阪神大震災」
4
観念した光太郎は、少しずつ語りはじめた。
「修験道とは何か。……それは仏道の修行により、永遠の命を得るものなり」
「知ってるよ。でも、それってまさか」
「ワシは二十年前から、修験道の術で自分の時を止めとるんや」
「えええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
一九九五年、一月十七日、午前五時四十六分。
神戸市長田地区。震度六の大地震が起きた。
淡路島、神戸市、その近郊。合わせて五千人の死者が出た。のちに付けられた名称は阪神淡路大震災。高速道路は倒れ、消防署が入れなかった長田地区は、火事で焦土と化した。
そこに関口光太郎も、旧姓細部良恵も住んでいた。小学校六年生、十二歳のときである。
「地獄絵図やった」
光太郎は述懐する。
「みんな屋根の下敷きになって即死やった。おとんもおかんも犬も弟もおばあも。周りの家からは最初は返事が聞こえたけど、ちょっとずつ減ってった」
当時の神戸地区には地震が来ないという神話があった。だからほとんどの民家やビルは、地震に耐え得る強度を持っていなかった。このことが、辺り一帯の壊滅的被害の遠因となった。
「ワシの上に倒れてきたタンスが、たまたまコタツに当たって斜めで止まって助かった。おばあの嫁入り道具のええタンスやったから、引き出しがぶちまけてこおへんかったんやな」
外に出た光太郎は、炎の竜巻を見たという。
「火は、なんにでもついた。家にも、人にも、友達にもや。先生も、近所のおっちゃんも、ワシの知ってる人は誰もおらんようになった。みんな死んだ。みんなやで? なんでみんな死んだんや! なんでワシ一人取り残されたんや!」
天蓋孤独の身となった光太郎は、しばらくは焼け野原で配給の物を盗むホームレスをしていた。避難所に来いと誘われたが、家族が、友達が死んだ場所を動きたくなかったのだ。瓦礫が撤去される頃、ホームレス少年光太郎は六甲山に逃げた。
「そこでたまたま修験のオッサンに出会ったんや。六甲修験の偉い人やった。ワシは聞いたんや。『命って何や』って。そしたらそのオッサン、『知りたかったら、永遠の命を知ってみよ』と修験道に誘ったんや。それでワシは道に入った。命って何か、知るためにな。……それで、流れ流れて鞍馬に入って、寿命をその時止めた」
シンイチは指折り数えた。
「光太郎って、今……三十四歳?」
「あほか。ワシは十二歳のまんまや。その時からワシの時間は止まったまんまなんや」
シンイチは光太郎のねじる力が年齢にしては強大であることに疑問を持っていた。才能やと光太郎は言っていたが、そうではなかった。時を止めたまま、二十年も光太郎は修行を続けてきたのだ。
「ワシはあの時のまんま、命の意味を知りたいんや。なんであいつらが皆死んだのか。なんで家族が皆死んで、ワシだけ生きとるんか。命って何や、って。鞍馬天狗のジジイは、自分で知れと答えを教えてくれへん。で、修験道の修行の一環で妖怪退治しとったら、良恵はんが生き残ってたことを知ったわけや」
「私は……」
良恵が口を開いた。
「震災の前日、両親が離婚したんよ。で、父方に引き取られたん。あの日は父方の家の和歌山におって。……母は神戸の家で死んだ。学校も地域も誰も生き残りがおらんて聞いて、あそこに戻るのも怖くて……」
「それでワシも知らんかったんやな。まさか生き残りがおるとは」
「……はじめて来てくれたのは、三年くらい前かしらね」
「温泉だまって入ったろ、て思たら、妖怪に取り憑かれてるのを発見して。……でも正体さらすわけにはいかんし、仮面のままの付き合いやってんや」
「……関口君って知ってたら」
「知ってたらどやねん。話がややこしなるだけやんけ」
「……事情は分かったよ」
シンイチは言った。
「光太郎が一生のお願いって言った秘密を、全部聞いちゃったじゃないか。この妖怪を退治しないと、一生恨まれるぜ」
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シンイチは良恵の肩の妖怪「まるなげ」を観察しながら彼女に聞いた。
「そもそも妖怪に取り憑かれた時の心当たりは?」
「業務委託……からかしらね。付き合いのある温泉街の業者さんをやめて、県外の安くやってくれる新しい業者さんに頼んだことかしら……」
そこで二人は、バランの食中毒も割箸の話も、石鹸の話もはじめて聞いた。
「温泉用の石鹸があるってこと、知らなかったんだ」
「恥ずかしながら……」
「バランだって、ただのプラスチックじゃなかったりするぜ!」
「え?」
「アレ、昔は笹の葉だったじゃん。笹の葉って抗菌作用が強いんだ。だから昔のおにぎりは笹の葉に包んでた。時代劇でも出てくるよね。腐りにくくなるんだ。料理でも刺身の下に引くと痛みにくくなるというわけ。バランはその名残だ。でも最近のバランはただの飾りじゃなくて、抗菌成分が塗ってあって、天然の笹と同じ抗菌作用を持つやつがあるんだ」
「てことは、私がとりやめたバランは……」
「やめたら食中毒、ってことは、おそらく『ちゃんとした』抗菌バランだったんだ」
「ただのビジュアルだと思ってた……」
シンイチは物置にあった小さな段ボールを持ってきた。「抗酸化バラン」と小さく書いてあったことが、今の良恵には理解できた。
「あと割箸」
シンイチはプラスチック箸を見ながら言った。
「『木の割箸は環境破壊する』なんて完全にデマだよ」
「え? そうなん?」
すっかりそれが常識だと信じていた光太郎が聞いた。
「割箸は材木の端切れからつくるんだぜ? もともと捨てるのは勿体ないってところで生まれた。割箸って何で出来てるか知ってる?」
「? 木やろ」
「どの木?」
「どの木? 考えたこともないわ」
「そうだろ? アレ、たいがい杉の木なんだ」
「杉って、花粉症の杉の木?」
「そう。東京近郊にある杉林は江戸時代からの人工植林だ。何故植えたかって? 家を作る為さ。成長が早くて丈夫で加工しやすい杉を、大量に植えたんだ。日本人は賢いから、家を作っては杉の木を伐り、また植えることで山と町を共生させてきたんだよ。その端っこを使って割箸にまでして」
「へえ」
「でも木造建築をしなくなって、杉を伐らなくなった。要するに東京近郊の杉は、山でだぶついているんだ。だから想定以上に花粉が飛ぶ。それが花粉症の原因さ。東京都は予算を杉伐採に一億とか使えばいいんだよまじで」
「じゃあ割箸をプラスチックにしたかて関係ないやんけ。むしろ杉の木を伐らんと」
「そうなんだ。すべては循環を断ったことが原因さ」
シンイチは一呼吸おいて、良恵に言った。
「良恵さんは、そういう循環を知らなかった。温泉で代々継がれてきた石鹸の知識。笹の葉のこと。杉の木の割箸のこと」
「……おっしゃる通りです。私は関西を離れてここに嫁いだので、温泉旅館の勉強が足りなかったということですか……」
「ダンナはんは何してはるんです?」
「東京へ出稼ぎに。だから余計教えてくれる人もいなくて……」
「事情は色々あるだろうけどさ」
シンイチは壁に貼られた日本地図を見て言った。指さしたところは東北だった。
「東北大震災の津波の時、助かった所と、助からなかった所があった。なんでか分かる?」
「?」
「見に行こう」
シンイチは一本高下駄を履き、良恵をおぶって東北の津波の爪痕が残る海岸へ飛んだ。
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「月明りだけどさ! 堤防見える?」
「はい!」
「ここら一帯が震災で助かった所!」
「?」
「『ここまで津波が来る』っていう言い伝えをちゃんと受け継いでて、予算を度外視して高い堤防を作ったんだ! 助からなかった所は、堤防を低くしか作らなかった所。どうして高く作らなかったか?」
「どうして?」
「合理化、と役場の人が言ったからさ!」
良恵はショックを受けた。
「……私と同じ」
「きちんと受け継いでいたら、合理化という予算削減は間違いだって分るはずさ。『まるなげ』の敵は合理化か? いや。そうじゃない。『受け継いでない』ってことさ」
「……」
良恵は言葉を失った。
「世の中は正しく循環していれば回る。おかしくなるのは、循環が途切れたとき。東北も、温泉旅館も、そして人の心も」
「……私は、自ら循環を切ってしまったと。……無知ゆえに」
一行は温泉宿に戻って来た。
言葉を失っていた良恵は、ようやく口を開いた。
「……私、バカみたい。何にも知らないで女将やってたのね」
「バカじゃないよ。これから知っていけばいい。ほんとのバカは、それを知ってなお知ろうとしないバカだ。ネムカケに教えてもらったんだけど、そういうのを『無知の知』というんだって!」
「たしかにそうね……」
良恵は、お腹をさすった。
「実はね、お腹に赤ちゃんがいるの」
「ええええっ!」
光太郎は尻餅をつくほど驚いた。
「この子に色々教えられるようにならなきゃ」
「そうだね」
「私が何も知らないんじゃ、この子が知恵を受け継げなくなる。まるなげする無知に育ってほしくないわ」
「うん」
「受け継ぐことが、循環すること」
こうして妖怪「まるなげ」は、彼女の心から遊離をはじめた。
「不動金縛りの術!」
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「ホラ! 光太郎を大鴉を抜けよ! さんざんぶった斬ってきた妖怪を、今度こそ真向唐竹割りだぜ!」
「……ワシに花もたすんか?」
「じゃあオレが斬るぞ?」
「ちょう待て!」
光太郎は烏天狗の面を被り、大鴉を抜いた。
「火よ在れ! 真向唐竹!」
光太郎の一番力が入る唐竹割り。ふてぶてしく頑固な妖怪「まるなげ」は、頭から両断された。
「こんでめでたしや!」
妖怪は清めの塩となり、赤い炎に包まれた。震災の時に見た、炎の竜巻より赤かった。
山で眠っていたネムカケと罵詈雑を連れてきて、二人と一匹は旅の疲れを温泉で癒した。
「妖怪退治じゃなくてもいいから、また来てね。ちゃんと旅館は復活させるから。ゲーセンの電源も入れとくからね?」
「……」
あれだけマシンガンで話す光太郎は、一言もうまい事が言えなかった。たった一言、自分より二十歳上の同級生に、「また来るわ」と言い残した。
一行は元のコース、日本のヘソ諏訪湖にやってきた。
光太郎は湖畔から見える諏訪大社を見ながら言った。
「しょうもない動物愛護団体が抗議してきよった諏訪大社の正月神事あるやん。蛙を串刺しにしていけにえにするやつ」
「ああ。ニュースでやってた」
「アレも、ここの神さんが天皇家より古い蛇の化身、ミシャクジ様って知らんから抗議できるんやろな。受け継いでるから、循環するのにな」
光太郎は湖面を見詰めていた。シンイチは少し離れた距離から言った。
「光太郎さ、あの人好きだったんでしょ」
「……なんでわかんねん」
「いつもと違ったもん」
「初恋の人や。……そんだけや」
光太郎は、石を拾って諏訪湖に投げた。
波は、繰り返し循環していた。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
予告
とびきり美人の受付嬢を射止めたのは、どぶ板営業の竹田。しかし、どんどん彼女の考えていることがわからなくなってきた。迷いに迷った竹田は、ついに占い師に頼る。それは妖怪「私の思っていることを当てて」のせいなんだ! さて、ヒントはどこにある?
てんぐ探偵第七十五話「お高い女」に、ドントハレ!




