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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
六章 鞍馬へ
75/116

第七十一話 「正義のスクープ」 妖怪「隠蔽」登場



    1


     あかい仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 鞍馬天狗に、剣を習いたい――シンイチの唐突の申し出に、光太郎も大天狗も飛天僧正も、ネムカケも罵詈雑もとまどった。

「鞍馬天狗に剣を習って、牛若丸は強くなったんだろ?」

 シンイチは続ける。

「『ねじる力』や『つらぬく力』、あるいは『火の力』は、天狗の力だよね。それはこれから修行して強化していきたい。それなら大天狗からも習えることだと思うんだ。飛天僧正もいるし。でもオレは、天狗の力でなく、『人が習える剣』が欲しいんだ」

「人が習える剣?」と光太郎が聞く。

「だってそうだろ? 鞍馬天狗の教えた剣は、人が習える技術なんだろ? それが鞍馬流として現代まで京都で伝承されてきたんだよね?」

「おう。せや」

「人が使える、ってとこがいいと思ったんだ。オレは色々弱い。だから、人として強くなりたい」

「天狗の力ではなくか」

 大天狗が尋ねた。シンイチは考えて答えた。

「うん。剣はオレの弱点だ。弱点を突かれたら、今度はどうなるか分からない。だから」


 雷を使う青鬼との闘い。その余韻はまだシンイチの手にある。光太郎を守る為、避雷針代りに小鴉を投げた。もし剣の腕があれば、光太郎と同様雷をさばき、光太郎の足手まといにならずに戦えたかも知れない。シンイチの手を離れ、雲の中に消えていった小鴉を、シンイチは忘れないだろう。大天狗が来なかったら、小鴉は永遠に失われていた。


 光太郎は、思い詰めたシンイチを心配する。

「お前にはお前のええとこあるやんけ。頭ええとことか。ワシには気づかん所に気づいたりとか、うまい妖怪退治の手思いついたりとか」

「でもそれだけじゃ、光太郎をの脚でまといになる。見殺しにしてしまうかも知れない。それじゃダメなんだ」

 シンイチがはじめて「弟子にしてくれ」と頼んできたときのことを大天狗は思い出していた。妖怪「弱気」に取り憑かれた男――玄田洋くろだひろしを力足らず見殺しにしてしまったことは、シンイチの原罪のようなものだ。

 飛天はにやりと笑う。

「天狗の力のみに頼らぬとは面白い。剣は人、人は剣也」

 光太郎はぼりぼりと頭を掻いた。

「鞍馬のじいさんは気まぐれやからのう。教えてくれるとは限らんで?」

「それでもいい」

 シンイチは言う。

「オレはとんび野町と東京しか知らない。光太郎が前言ってたじゃん。京都から天狗の山経由で東京まで来たとき、見たこともない『心の闇』たちが独自に増えてたって」

「ああ。せや。ワシが退治したったけどな」

「それも見たいんだ。光太郎の来たルートを逆に辿って、京都に向かいたい」

「なんでや」

「つまり、シンイチは武者修行をしたいという訳じゃな?」

 ネムカケが話をまとめた。大天狗はただの「力」の話でないことを理解した。

「シンイチは、世を広く知りたいのだな」

「……うん。オレの知ってる世界より、広い世界を知りたい」

 大天狗は、シンイチの瞳に男を見た。

「ならば見てこい。人の心と人の闇が、そこらに拮抗して充満している様を、実際に見てこい。鞍馬の大天狗が剣を教えてくれるかどうかは、その旅の価値の先にある」

 大天狗は納得した。シンイチは光太郎に向き直った。

「光太郎、案内してくれる?」

「モチのロンじゃい! 途中で天狗に会えるかもやろし、別の青鬼に遭遇するかも知れんし」

「わしもお供するぞい」

 ネムカケが言った。

「東京をしばらく留守にすることになるな。大天狗は定期的に『心の闇』を焼きに東京へ来るといい。太郎焼亡のようにしてはならんぞ」

「はっ」

「阿阿阿阿!」と烏の罵詈雑が啼いた。


 かくして、シンイチと光太郎は、ネムカケと罵詈雑をお供に、東京から鞍馬を目指して、天狗の山経由で「心の闇」退治の旅に出かけることとなった。

 担任の内村先生は、「二週間までなら学校を休んでいいぞ」と言ってくれた。鞍馬山での修行は「時の流れの違う天狗の山」だ。帰りは一本高下駄でひとっ飛びだから、行きに二週間かけられる。つまりそれぞれの街に住む人をじっくり見ることができる。シンイチはそう思った。そこにどんな闇があるというのだろう。


 ――鞍馬へ。

 シンイチは、最初の山へたどり着く。

 第一の山は、相模さがみ大山おおやま。隣の神奈川県伊勢原(いせはら)市である。


    2


 エース部署から外された冴島さえじまは、しみったれた地下の暗室で、現像液の酸っぱい匂いに囲まれながら一枚の写真を現像していた。

 地下の現像室は冷える。湿気もひどい。

 デジタルカメラやデジタル入稿が常識になってから、もう誰もアナログの暗室や銀塩フィルムカメラなんて使っていない。埃を被った地下二階の暗室は、もう冴島しか使わない。

 実際の所、ここ報道四部で、カメラを使っているのは冴島だけだ。みんな適当に記事を書いていて、現場にわざわざ出向くことなんてしていない。逆にアナログのカメラを独占して、冴島は密かに取材を続けていた。

 赤外線ランプの赤い光に照らされて、現像液にひたした印画紙に、ぼんやりと像が現れる。

「……ピントの手動って難しいなあ……。いや、これはシャッタースピードの手ブレか……」

 デジタルカメラと違い、アナログカメラは現像してみるまで何がどう写っているかは確定しない。そしてデジタルカメラと違い、アナログカメラには、妖怪が写る。

「……ボケボケだけど」

 ぼんやりと写ったそのアナログ写真には、心霊写真に似た顔のようなものが見て取れた。そしてその隅に、走る少年のようなものが写っている。

「……次は正面の顔を撮ってやる」

 写真の中の少年は、朱い天狗の仮面を被っているように見える。

「現代の天狗……天狗少年……」

 ぶつぶつ呟きながら、冴島は壁にそれをピン留めした。


「東京に天狗が出る」。

 西神奈川新聞社報道四部の冴島恭平(きょうへい)は、ずっと前からこの噂をキャッチし、彼を追っていた。最初はただの都市伝説だろうと考えていた。だがネタを拾うたびに、あらゆる東京のどこかで、目撃談のような噂のようなものに辿りつく。いわく、妖怪とともに出没する、いわく、鬼火のようなものも見た、いわく、大人ではなく少年らしい。

 冴島は別件取材中、偶然彼の走る姿をフレームの中に見つけ、夢中でシャッターを切った。ファインダーから目を外して辺りを見たが、もうその少年の姿はなかった。このボケボケの写真と、心霊らしき「顔」が残った。


 冴島は西神奈川新聞社の記者である。

 かつては敏腕スクープハンターだったが、その腕が災いして、上司の古森こもりに左遷された。地方新聞なんだから地方のニュースだけやってればいいんだと言われ、第一報道部から四部に異動となった。

 きっかけは、冴島の書いた記事だった。

 サガミ電子の粉飾決算のスクープを嗅ぎつけ、裏取りして記事にしたのだ。編集長古森が目を通せない午前一時に入稿した。印刷ギリギリで記事を差し替える作戦だった。

 大手企業のスキャンダラスな内容であったが、冴島の目的は売上部数ではなく正義であった。ジャーナリズムは正義を質す為にあると冴島は信じる。ペンは隠蔽を暴く灯りであるべきだと。

 だが古森からの圧力があった。

「サガミ電子は藤沢商社と付き合いがある」

「知りませんでした」

「嘘をつくな。ウチの親会社浜松食品の大得意が藤沢商社ってぐらい知っているだろう」

「調べが足りませんでした」

「シラを切るのかよ。俺が責任取ることになるだろうが」

「じゃあ、知っててやりました」

「お前さ」

「なんでしょう」

「俺たちがどうやって飯を食ってるか分ってるだろう?」

「真実を広く伝えることで、です」

「……そりゃ建前だろ。伝えなくていいことだってあるだろ」

「隠蔽するんですか」

「そんな大ごとじゃねえよ。大人になれ。『寝た子を起こす』のはよくない」

「人は、目覚めるべきですよ。目も頭もあるんだから」

「じゃあ弊社は飯を食えなくなる」

 冴島はスクープハンターでありながら問題児でもあった。親会社の業績を正直に記事に書いたり(よくない情報を消すように赤が入った)、残業問題を取り上げるときに社の内部のことを書いたり(記事に穴が開き、自社広告に差し替えられた)。

「正直すぎるんだよお前は」

「社会の公器が正直で、悪いわけがないでしょう」

「……たかが、地方新聞だぞ。公器も糞もねえわ」

「地上はどこも同じです。中央も地方もない」

「福沢諭吉かよ」

 主義を曲げなかった冴島は、商店街広報や葬儀担当の四部へ異動となった。誰も使っていない古い暗室と、古いアナログカメラだけが、彼のペンになった。


「天狗の少年が、妖怪の元締めをしている」とネットの噂で見た。幽霊や妖怪を見た、というのはいつでも夏になると増えて来る噂だが、「妖怪の元締め」とは面白いじゃないか。

「……俺も、ヤキが回ったかな」

 取材費の出ない四部では、時事ネタを追うことは困難だ。「取材費」とは要するに口止め料や情報料なる賄賂である。「実弾」のない記者は無力だ。足で稼げるスクープを探しているうちに、天狗と妖怪についての写真を偶然ものにしたわけである。

「……『部数が売れる方が優秀』なんだろ? だったら一部に戻れるんだな?」

 外道と言われようが構わない。大義たる正義を成すには、三流新聞のようなスクープも武器になる。人の道にもとる訳でもなし。

「待ってろよ天狗少年。正面から決定的な写真を撮ってやる」

 冴島は重いカメラバッグを担ぎ、タクシーも使わず東京へ通っていた。


    3


 一本高下駄でシンイチと光太郎は飛ぶ。背中にお供のネムカケと罵詈雑を乗せて。

 多摩川を西に渡り、横浜と鎌倉を越えると、相模平野の向こう、青い富士山の手前に山塊が見えてくる。丹沢たんざわ山系である。光太郎が解説を始めた。

「伊豆半島は南からやってきたプレートの上に乗っとる。それが本州にぶつかって、めりめりめりドーンって出けたのが富士山や。そのしわ寄せで、屏風みたいに周辺に山が出来とるやろ」

「ホントだ」

 空から見ると、「南からやって来た伊豆半島が本州にぶつかった」ことが想像しやすい。衝突地点が富士で、箱根山系、丹沢山系がその衝撃波のように中心を取り囲むように盛り上がっている。

 その丹沢山系の最も手前の高い山が、大山おおやま。富士衝突インパクトの衝撃波の、最も東端である。

「天狗の山ってな、要するに火山なんや」

「えっ、そうなの?」

 考えもしなかった、知らないことを光太郎は説明しはじめた。

「理科で習ったやろ。プレート移動説テクトニクス。大陸と大陸がぶつかって盛り上がったのが山や。せやから地中のマグマかめっちゃ出て来る。火山ってのは下の溶岩までつながっとる地面のことや。しょっちゅう溶岩が湧いて出て来るから、岩山なんや。木が生えてへん岩山は、元か現役の火山なんや」

「そうか」

 遠野で修業した場所は、全て岩山だった。天狗は火の妖怪である。その火の力とは、火山に由来するのかも知れない。

「ワシらみたいな修験者しゅげんじゃは、岩山で修業するやん? その方が体鍛えられるしの。せやから昔の人は、修験者と天狗をまちがえたんやな。天狗が大体修験者の格好しとるのは、そういう訳や」

「知らなかったよ……」

 奈良時代、唐帰りの僧、えんの小角おづぬえんの行者ぎょうじゃ)がはじめた修験道しゅげんどう。山に籠り、岩に登り、滝に打たれて修行するという。後世、修験道を極めた僧は、幾人も天狗にったという。

「天狗って修験道なの?」

「逆や。修験道の信仰する神さんが天狗。天狗は元々日本におった妖怪の王で、山の王で、火山の王や」

 大山が近くに迫って来た。

「ここには日本八大天狗の一、大山だいせん伯耆坊ほうきぼうが居てはる」

「八大天狗って何?」

「えっ」

 光太郎がドン引きする。

「日本八大天狗やん」

「?」

 ネムカケがフォローする。

「遠野は京都のような歴史の中心だった場所とは違い、中央の天狗業界とは隔離されておってな。知らぬのもしょうがないわな」

「そうか。天狗世界のイロハやぞ!」

 光太郎は、天狗世界の秩序のことを教えてくれた。日本には、八大天狗といってそれぞれの勢力圏があること。八の筆頭、日本一の天狗は、京都愛宕山(あたごやま)の……

「愛宕山栄術(えいじゅつ)太郎坊たろうぼう

「なんや知っとるやん」

「いや、こないだ『太郎たろう焼亡じょうもう』ってみんな言ってたじゃん」

「せやせや。その平安時代から居てはる大天狗はんや。二が比叡山ひえいざんの裏、比良山ひらさん(近江、現在の滋賀県)の、比良山ひらさん次郎坊じろうぼう。元々比叡山に住んどったけど、叡山天台宗のボンさんに追い出されたらしい。三が信州(長野県)飯綱山いづなやま飯綱いづな三郎さぶろう(飯綱の術の祖)。四でようやく鞍馬山の師匠、鞍馬天狗やな。本名を鞍馬山僧正坊(そうじょうぼう)

「鞍馬天狗の上にまだ三人も大天狗がいるんだ」

「せやで。あとは順不同で、大山伯耆坊、彦山ひこさん豊前坊ぶぜんぼう(豊前国英彦山(ひこさん)。現福岡県。彦山は英彦山の古名)、大峰山おおみねやま前鬼坊ぜんきぼう(紀伊国大峰山。現和歌山県の熊野)、白峰しらみね相模坊さがみぼう讃岐さぬき国。現香川県)と続く。どこの山も岩山で、どこの山にも修験者たちが修行してはるわ」

「全国の山にいるんだね」

「津々浦々どころか、戦国時代には十二万五千五百の天狗がおったっちゅう話やで」

「どうやって数えたの?」

「知らんがな。千里眼で数えたんちゃう? で、元々この相模大山には大天狗相模坊がおったんやけど、崇徳すとく上皇の『讃岐流し』についていって、相模国から山移りして白峰相模坊となったんや(世阿弥ぜあみ「松山天狗」「雨月物語」)。ほいで、伯耆ほうき大山だいせん(現鳥取県)から来はった大天狗さんが、この相模大山に居ついたんやって」

「へええ」

「ちなみに流罪にされた崇徳上皇は恨みの為、生きながら大天狗に化ったそうや。金色の鳶になって飛び去った。これを祀ったのが金刀比羅ことひらぐう。『こんぴらさん』いうて、西日本のそこら中に分社があるで」

「あ。……愛宕神社って結構見るけど」

「せやせや。全部愛宕太郎を祀る京都の愛宕神社の分社やで」

「天狗を祀ってんの? 神社って」

「日本に先住する、色んな神さんを祀る場所が神社やで?」

 東京在住の方は、新橋の愛宕神社にお参りすると良い。縁起書の主祭神の一に太郎坊の名があり、本殿脇に「太郎坊社」が鎮座している。

「知らないことを色々知ってるなあ光太郎」

「まあええわ。それを知る旅やいうことやからな」


 二人は大山山頂の阿夫利あふり神社にお参りした。柏手を打ち、天狗葉団扇紋が入った小鴉、大鴉を掲げる。

「遠野早池峰薬師坊の弟子、通ります」

「鞍馬僧正坊、帝金坊の弟子、通ります」

 天狗の弟子として、大山伯耆坊に挨拶をする。山の上の境内からは丹沢山系と、東京から見るより大きな富士が見えた。ネムカケと罵詈雑は境内の猫と烏に挨拶し、たわむれている。

 光太郎は金色の遠眼鏡「千里眼」を腰のひょうたんから出して覗いた。

「うーん。あんまりおれへんな。『心の闇』。伯耆坊はんが退治したか、それともここらへんの人々が素直なんか……」

「いや」

 光太郎と同じく千里眼を覗いていたシンイチが言った。

「いたよ」

「どこ?」

 シンイチはとある新聞社を指した。

「妖怪……『隠蔽』」


    4


 冴島は丸一日かけて噂を辿っていったが、今日もスクープは現れなかった。幽霊トンネルと噂されるスポットや、将門の首塚で張ってみもした。今日も手ぶらで帰社かと、冴島はひとりごちた。

 だが、会社の前にその天狗の面の少年がいるとは夢にも思わなかった。

「うわ!」

 驚きのあまり冴島はカメラを出すことさえ忘れてしまった。

「ここの会社の人?」

 人懐こい声で、天狗面の少年、シンイチは冴島に話しかけた。

「この会社の人がさ、妖怪に取り憑かれてるんだよ!」

 妖怪。そうだ、妖怪だ。冴島は目的を思い出し、カメラバッグに手をのばす。

「その名前は、妖怪『隠蔽』! そいつのせいで、なんか隠してるんだよ!」

 隠蔽。その名に冴島の手が止まった。天狗面の少年のスクープよりも、ジャーナリストとしての正義感がむくむくと湧いてくる。

「妖怪『隠蔽』だって? そうだ。その通りさ!」


 天狗の面は、妖怪に取り憑かれた人にインパクトを与え、話を聞いてもらいやすくする為、と説明を受け、冴島は納得がいった。赤い憤怒顔はたしかにインパクトがある。あまりにも度肝を抜かれたので、隣に黒紫の烏天狗面の少年もいたことさえ気づかなかったくらいだ。

「ちょっと待ってね! アナログ写真になら妖怪は写るんだ!」

 新聞社に見学に来た少年たち、という体で、シンイチと光太郎は社内に入り、古森編集長やその他の記者たちのポラロイド写真を一枚撮った。

「アナログ写真に?」

「デジカメじゃなんでか無理なんだ!」

 最新鋭のデジカメじゃない部署に左遷されたことで、偶然妖怪を撮れたというのか。冴島は不思議な気持ちになる。

「ホラ! 出てきた出てきた!」

 ゆっくりとポラロイド写真に像が浮かびあがってくる。

 鮮やかなブルーの「顔のようなもの」が、古森編集長や同僚の肩にへばりついている。巨大な両手で顔を覆い、指の隙間から外を見ている。「見ないふり」をしているとでもいうのか。それが心の闇「隠蔽」だと。

「君たちにはこの光景が見えているのか」

「まあね! こいつらのせいで、きっとかの会社は何もかも隠蔽してるのさ!」

「なんだって……?」

「シンイチ、ほんでどうやって解決するつもりや」

 光太郎は尋ねる。

「うーん」

 シンイチは考えたが、とくに手は思いつかない。

「じゃあ、正面突破してみよう!」

 シンイチは、突然デスクの人に話しかけた。

「ねえ! ここの新聞社って、隠蔽体質なんだって?」

 見学の子供が、突然痛い所を突いてきた。

 皆の手が止まった。

「今手が止まったってことは、思い当たる節があるっちゅうわけですな?」

 光太郎もシンイチの作戦が分からないまま、乗っかることにした。なぜなら手を止めたのは、ことごとく妖怪「隠蔽」に取り憑かれた者たちであったからだ。

「きみは見学の子供かい?」

 編集長の古森が、仕事を中断してシンイチたちの元へやって来た。

「はい! 隠してる所に来ちゃまずかったですか?」

 子供としての立場を利用してるのかこの子は。堂々たるとぼけぶりに冴島は感心していた。

「お前……何のつもりだ?」

 とびきり大きな「隠蔽」を肩に乗せた古森は冴島を睨む。

「報道一部を出入り禁止になりたいのか?」

「そうじゃなくて、オレ妖怪が見えるんです!」

「夏休みのお化け屋敷や怪談はとっくに終わったよね?」

「夏休みと関係なく妖怪はいるよ? 妖怪『隠蔽』に取り憑かれると、本人の意志とは関係なく隠蔽せざるを得ない心になってしまうんだ!」

 シンイチは目をきらきらさせて言う。わざとちゃうか、と光太郎は面白くなってきた。妖怪「隠蔽」に取り憑かれた他の記者たちは、手を止めてこちらを見ていた。「本人の意志と関係なく」の部分でだ。

「……お邪魔しました。子供たち、これで社会科見学は終わりだ」

 不穏な空気を察した冴島は、二人を喫茶店に連れていく。


「大丈夫だよ! 多分あの人たちは、心から隠蔽しているわけじゃない! 本心は隠蔽は悪だって分ってる!」

 津久井つくいきなこ(相模原の郷土食)のパフェをがっつきながら、シンイチは冴島に説明を続ける。

「それは……古森編集長もそうなのか?」

「一番デカいのに取り憑かれた偉そうな人? そうだよ! それが『心の闇』の特徴さ! すすんで闇に堕ちる人はいない。闇に『取り憑かれる』の!」

「まあ、ホンマに根っからの悪人もおるかも知れんけど」

 皮肉屋の光太郎が茶々を入れる。

「そんなことはない」

 冴島は言う。

「みんな正義のペンを握ると決めた、真のジャーナリストたちさ。ほんとに妖怪のせいだとしたら、隠蔽せざるを得ない、事情こそが妖怪だ」

「事情って?」

「その……大人の事情だ」

「大人が妖怪なの?」

 あまりにもストレートな質問に、冴島は躊躇した。

「いや」

 躊躇するが、即答する。

「妖怪の大人もいるし、正義の人もいるだけだ」

「じゃあ話は簡単じゃん!」

 シンイチはきらきらした目で微笑んだ。

「正義の人なんだから、妖怪は退治できるよ!」

 この少年の目を見ていると、自分がそうであったことを、少し思い出す気が冴島にはする。それは、自分がジャーナリストになろうと思ったことと、同じ根っこのことかも知れないと思った。


 また同じ子供を連れてきた。報道一部の皆は同じことを思った。何のつづきをするつもりだと。己の青さゆえに社の都合を優先せず、四部に落とされた冴島が、今更何を言うつもりか。

「妖怪『隠蔽』に取り憑かれたみなさん」

 冴島は、妖怪「隠蔽」に取り憑かれた一人ひとりを順に指差し、最後に古森編集長を差した。

 皆、いい心地がしなかった。後ろ暗い所があるからだ。

「今差された人は、この子が教えてくれた妖怪『隠蔽』に取り憑かれた人だ。俺は皆んなが何をやらかしたかなんて知らない。とくにここを離れてからは何一つだ。俺の知ってる彼らは、かつて正義のペンを握っていた奴らだったからな」

「……」

 脂汗が皆の眉間ににじむ。

「当たったか? 顔を見る限り図星だな。でも安心しろ。それは皆んなのせいじゃない。妖怪のせいなんだ」

「はあ?」

 古森が大声をあげる。

「それはそれぞれの判断に基づいた仕事だ。妖怪ではない」

「違うね。その判断こそが妖怪によってなされた心の弱さだ。妖怪『心の闇』って言うらしい」

「……」

「でも安心して。妖怪は心からいなくななることも出来る」

「どうやって?」

「取引しましょう」

 冴島は一歩前に出た。

「……何をだ?」

「サガミ電子の件、俺は発表しますよ」

「なんだと?」

「ただし、この会社を辞めます。それなら文句ないでしょ」

「?……」

「フリーランスのジャーナリストになります。社に迷惑はかけない。正義を成す為の判断だ」

「そんな、自分の首を賭けると」

「首を賭ける? いや。俺はフリーペーパーを作ります。ネットでやるのが今時かな。で、妖怪退治の取引がひとつ」

「……なんだ」

「会社にいるが故に言えない、隠蔽された事件、俺が引き取りますよ。勿論匿名でね」

「何だって?」

「正義のペンと大人の事情。両者を立てなきゃならない時は、俺を利用してくださいってことです」

「……」

 古森も皆も黙り込んだ。まるで会社にいるのは悪のようではないか。

「会社員が悪で、フリーが正義を語る訳でもない。大会社には大会社しか出来ないことを続けてください。正義を成す為に、立場を利用して共闘しようってことです」

「お前……恨んでないのか?」

 古森が食い下がる。

「結果、サガミ電子の件が外に出れば正義です。俺はいちジャーナリストだから」

「分った」

 妖怪「隠蔽」に取り憑かれた記者が、一人立ち上がった。

「連絡先を教えろ。共闘しよう」

「俺もだ」

 次々に男たちが立ち上がる。

「仲間は、必要ないか」

 古森は何人かが引き抜かれるのではないかと予感した。

「大丈夫です。一人の小回りで回します」

「こういう時は、上司は一回止めることになっているんだが」

「お仕事お疲れ様です」

 古森は笑った。

「……整ったら、連絡先を教えてくれ。俺だってお前を、正義の仲間だと思っている」

「共闘しましょう」

 出口を見つけること。隠蔽にとって最も必要なことを、冴島はなした。

 冴島は握手すべき手を出した。

「本気か」

「本気ですよ、いつだって」

 冴島の手を、古森は握った。

「正義は複数あってもいい。どうせ真実はひとつなんだから」

 こうして、西神奈川新聞社の人々に取り憑いた妖怪「隠蔽」は、彼らの体から離れ、宙に浮いた。

「不動金縛りの術!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「何匹おんねん! 片っ端から斬らな!」

 光太郎も烏天狗の面を被り、火の剣大鴉を抜いた。

 とはいえ、先日の卵状態の青鬼より数は少ない。光太郎とシンイチのひと暴れで十分だった。

「一刀両断! ドントハレ!」

「真向唐竹! めでたしやん!」



 荷物をまとめた冴島は、最後に「天狗少年」の写真を見せた。

「あっ! 何これ!」

「俺、実はこのスクープを追ってたんだよ。ネットでは結構噂になってるぞ。東京で暗躍する『天狗の少年』って」

「なんでワシが噂になってへんねん!」と光太郎は悔しがる。

「気をつけなくちゃな! でも東京にはしばらくいないし!」

 シンイチは明るく笑う。

「だから不動金縛りはさっさとかけてもうた方がええんやで」

「分った。なるべくそうする」

「俺は、どれだけこいつの顔を見てやろうと思っていたことか」

 冴島は、ネガと写真にハサミをじょきりと入れた。

「えっ!」

「もう俺には必要ない」

 写真はバラバラになり、復元できなくなった。

「それ、隠蔽やん!」

 思わず光太郎が突っ込んだ。

「違うよ。正義の為に必要なら、それは正義だ」

 冴島は荷物を担いだ。

「さてと。これからはフリーランスとして勝手に飛び回るぜ。気楽な旅ガラスだ」

「まるで天狗みたいだね!」

 シンイチは笑った。

「?」

「だってヤマからヤマへ飛び回るんだろ?」

「うまいこと言う!」

 冴島は笑った。

 「天狗の新風」と題した、奇想天外な報道サイトが立ち上がるのは、この少し先のことである。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処いずこの暗闇か






予告


 引きこもりの中学生に取り憑いたのは、妖怪「ガラス」。自分の身体がガラスのようになってしまったという。「触れられたら割れてしまう」という恐怖に駆られ、彼は外に出れなくなってしまったのだ。それは割れる恐怖ではなく、「人から見えていない」恐怖ではないかとシンイチは喝破。いじめの問題に切り込んでゆく。

てんぐ探偵第七十二話「ぼくはガラス」に、ドントハレ!

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