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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
五章 ふたりの探偵
74/116

第七十話 「とんび野町の一番長い日」 大妖怪「否定」登場



    1


朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焼く

心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 青い瞳が、とんび野町上空を飛んでいた。


 夜の闇が、東から茜色に染まりはじめる。間もなく夜明けだ。青い瞳は、朝靄の湿った空気を吸い、この町を舐めるように睥睨した。

「ふふん。匂うぞ。負の匂いがプンプンとな。お前も感じるだろう?」

 瞳は笑い、後ろを振り返った。

 黒い雲を割って、真紅の巨大妖怪が現れた。球形の鈍重な体から、糸のように触手を四方八方に伸ばしてゆく。

「そんなに腹をすかせていたのかい」

 青い瞳は一本角を震わせ、再び笑った。

 地平線から強い光が差した。二体の妖怪を下から照らす。とんび野町はこの光とともにゆっくり目覚めてゆくだろう。

 長い一日のはじまりだった。



「だからアンタはダメなのよ!」

 ゴミの日を間違えて、再び家にゴミ袋を持って帰ってきた夫に、鍋島なべしまゆりは切れていた。

「普通そんなの間違う? だから出世も出来ないし、子供たちからの尊敬も勝ち取れないのよ! 私だってこんな同僚と働きたくないし、こんな父親は嫌!」

「たかが、ゴミの日を間違えただけだろう」

 夫は朝から何もかも文句を言われ、居たたまれぬ顔を見せた。

「ダメなものはダメでしょう! ひとつだけじゃないから言ってんの! 何から何までダメ夫!」

 一日の始まりからつまづいたと、彼女は深いため息をついた。背後に、紅い触手が迫っていた。


「ダメダメダメ! そんなんだからダメなんだ! もっと腰を下ろせ! 手抜いてるからダメなんだよ!」

 グラウンドに地を這うボールを飛ばして、鬼コーチと延岡のべおかたすくは怒鳴った。

「平成の若いのはすぐヘタる! 昭和の奴はもっと根性あったぞ!」

 汗と泥だらけの朝練球児に、ダメ出しをしてゆく。


「けっ。糞クソクソ。またクソ映画の誕生だよ」

 ニートの野口のぐち達夫たつおはネットに呟いた。

「トップシーンからクソ。その前のタイトルもクソ。予告もクソ。企画がクソ」

 野口は窓の夜明けに気づいた。

「クソ映画見てたら朝じゃねえか。寝る」


まいはダメな女の子じゃないよ」

 ラインの返信をニヤニヤ見ながら、森尾もりお舞はベッドから起き上がった。

「でも私やっぱダメだし」

 自分をいじめるメッセージばかり何行も書き、周囲の反応を期待する。

ダメ出し。自己否定。否定する人々に、次々と触手がのびてゆく。負の波動は伝染し、街中に満ちた。



「うわっ!」

 シンイチが目を覚ますと、窓の外が紅く染まっていた。

「なんだ? なんだ?」

 血かと思った。いや、動物の内臓が窓の外に貼りついているのかと思った。

 それは、妖怪「心の闇」の触手だった。

 腕の太さほどの巨大ミミズが、ガラス窓の向こうに異常発生したかのようだ。触手たちは腹を見せ、ガラス窓に押し付けられ、蠢く。

「きもちわる!」

 シンイチは小鴉を抜き、窓を開けざま触手たちを斬った。紅い触手たちは燃え落ち、ようやくシンイチの部屋に朝日がさしこむ。

「なんなんだ……?」

 外を見たシンイチは、さらに度肝を抜かれた。

「うわあ!」

 その声に、ネムカケも起きてきた。

「なんじゃい、あれは!」

 紅い真球が浮いていた。ビルより大きい。運動場より大きい。空を覆い、とんび野町を呑みこむくらいの大きい。鳥の群れは天辺より低い位置を飛んでいる。

「大妖怪!」

 シンイチは叫んだ。

「それもとびきりデカいぞ!」

 その球体の赤道部分に、緑の目があった。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……おそらくぐるりと一周、目がついている。周囲を一度に見渡す複眼。ふたつの目につきひとつ、口がある。目と同様、ぐるりとへの字が並ぶ。無数の触手が伸びていて、あらゆる建物に絡みつき、道路に溢れていた。植物の根のように絡みあい、まるで町から養分を得ているかのようだ。普通の人には妖怪は見えない。しかしこれだけの質量の触手ならば、なんらかの嫌な感じや圧力や寒気を感じるかもしれない、とシンイチは思った。

「阿呆!」と罵詈雑の叫び声がした。

 雲より高くを飛んでいた。

「アホウ!」と光太郎の叫び声もした。

 朱色の一本高下駄で、上空で大鴉を抜く。すでに臨戦態勢に入っている。

「何寝坊しとんねん! 巨大生物襲来やぞ!」

 伸びる触手は無数。そのひとつひとつは、もちろん建物から栄養を得ているのではない。その中の「人」の心の闇を吸っている。吸い尽くせば、この根の数だけ人は死ぬ。

「大妖怪……『否定』」

 シンイチは天狗の面を被りながら、倒すべき闇の名前を呟いた。

 どうやって倒す? これだけの人々を説得して回る? 一体何日かかるんだ?

オン阿留麻耶アルマヤ数万騎スマンキ天狗テング!」

 光太郎は印をすばやく結び、大鴉の炎を倍加する。

「とりあえず斬れるモンから斬ってくで!」

 憶するシンイチを、現実主義の光太郎が打ち消した。

「全部斬るつもりなの……?」

「わからん! でも植物とおんなしや! 根っ子を断ったら栄養も断てるやろ!」

「……たしかに」

 シンイチは「無数」を数えようとした。……百……いや、千、二千……。絡まり合った糸のようで、立体的な迷路のように見えた。

「火よ在れ」

 シンイチは火の剣を抜いた。

「全部斬れるのか?」

 長い一日のはじまりだった。


 挿絵(By みてみん)


    2


「こんだけ斬っても刃こぼれせんとはな! 小鴉を鍛え直してくれた飛天僧正殿に感謝やな!」

 大鴉と小鴉。炎の刃でいくつの触手を斬り、燃やしたのか、もう覚えていない。

「へらず口を言ってられるってことは、まだまだいけるな光太郎!」

「せやな! ……いや、実はな、へらず口きいてないと、倒れてまいそうなんや!」

「実は、オレもだよ、クソ光太郎!」

「アホシンイチ!」

 百ぐらいまでは数えていた。そこから何分たったかな。何時間かな。オレはもう自動触手斬りマシーンだ。

「ネムカケ!」

 空中のシンイチは、屋根の上の作戦参謀、ネムカケに尋ねた。

「状況は?」

「少しは減ったといいたいが、変わらんよ。触手は、わんこそばみたいに増えとるんじゃないか?」

「やなたとえだな!」

 まず目をやろう。シンイチは言った。

 二人は本体の制空権に飛び込み、緑の目を刺した。しかし上下からまぶたが閉じ、小鴉も大鴉もはじいた。ねじる力もつらぬく力も跳ね返る。まるで紅い鉄だ。大きすぎる。固すぎる。少しでも柔らかかったのは、触手部分か。

 生命の本能なのか、こちらが見えているのか、触手は斬り落とそうとすると反応し、拒絶し、逃げ、あまつさえシンイチたちを取り囲み、ひねり殺そうとした。触手はいろいろな太さがある。ニシキヘビからワイヤー状まで、これにつながっている宿主の心の闇の大きさに比例しているはずだ。太いのや細いのに、首を絞められそうになる。

「そろそろ師匠の飛天僧正殿に助けを求めたらどないや!」

「まだ早い、って思ってるんじゃない? ホントのピンチなら来ると思うよ。大天狗も十天狗もね。彼らには千里眼がある」

「地獄耳もだ」

 いつの間に現れたのか、シンイチの右の耳から声がした。

 風に翻るボロの長衣。金の目に巨大な耳。白い歯をむき笑う顔。

「飛天僧正!」

 遠野の空を飛ぶ赤き衣の僧、遠野十天狗の十一番の席、飛天僧正その人である。

「主ら二人には荷が重いだろう」と飛天は大妖怪に向き直る。

「そんなことねえよ!」とシンイチは強がる。

「天狗の鼻は折れずか。素晴らしい心持ちよ。だがここで一休みすると、触手の再生が間に合い、振り出しに戻るぞ」

 光太郎が触手を炎の舞で斬りながら頼み込む。

「飛天僧正はん、ええとこに来はった! ちょっと不動金縛りに協力してくれへん?」

「それが人にものを頼む態度か」

「よっ! イケメン!」

「それが人にものを頼む態度か」

「あっ! わかった!」

「なんだ」

「飛天はん、不動金縛り苦手なんやろ?」

「なに?」

「大したことない人の協力はいらんわ。ワシとシンイチのダブル不動金縛りでやつを止めますんで、そこでちっちゃく体育座りして見ててくれはります?」

「ぬしらの験力では足りんだろう」

「雀の涙の寄付は、消費税にもならんので」

「臨!」

 飛天は獨古印どっこいんを結んだ。

「(ラッキー)」

 光太郎はシンイチにウインクした。あいつ、人を怒らせる天才だ、とシンイチは光太郎に感心した。

「闇に火よ在れ。無知蒙昧有象無象の闇なる循環を、六道りくどう輪廻りんねの光の側へ導け。循環のことわりの外の者、天狗の名に於いて」

「ワシその呪文知らん!」

「それはそうだ。修行に百年はかかる」

 飛天は素早く大金剛輪だいこんごうりん印、外獅子げじし印、内獅子ないじし印、外縛げばく印、内縛ないばく印、智拳ちけん印、日輪にちりん印、隠形おんぎょう印を組む。

「兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 不動金縛りの術! オン!」

 妖怪に不動金縛りをかけるのは、人にかけるより数段難しい。妖怪は存在するだけで魔力の磁場を持っている。その磁場を上回る呪力が必要だ。その磁場はほぼ質量に比例する。大妖怪「否定」は、大きさも、固さも、中身がみっちり詰まっている。光太郎やシンイチが金縛りに出来るクラスではなかった。

 地響きが大妖怪を中心に広がる。震度3の直下型地震として気象庁が測定するかもしれない。それが街の果てまで渡るころ、うねる触手の活動が停止した。

「流石イケメンや!」

「ここまでは力を貸した。儂は帰る。金縛りが持つのは日没まで。あとはやってみよ」

「そんなあ。ワシらがあかんかったらどうするつもりなんですか!」

「死んだら来る」

 そう言って飛天は飛び去り、赤い点となった。

「相変わらずメチャクチャな人だなあ」

 シンイチは飛天の我流の生き方に笑ってしまった。

 笑っている場合ではない。時を止めたのは大妖怪だけだ。とんび野町はすでに一日をはじめている。

「……一番太い触手を見つけて、その宿主をたどる?」

「そんなんキリないやんけ! 飛天のアホンダラ、『つらぬく力』であのカッタイ装甲ぶち抜いてくれたら助かったのに!」

 光太郎は「つらぬく力」で大妖怪の目を刺した。カン、と音がしてはじかれる。

「……地道なシンイチ作戦しかないか」

「いつもと一緒だよ。心を見ないとはじまらない。心の闇『否定』を解決するしかないんだ」

 二人のてんぐ探偵は、無数の触手から一番太そうなものを選んで、その先をたどっていく。

 その二人を、雲の隙間から青い瞳──青鬼が眺めていた。


    3


 巨大な紅い球体「否定」は、時を止めたままとんび野町上空に係留されている。巨大飛行船が、無数の錨を町に降ろしたようでもある。あまりにも大きくて、紅黒い空のように錯覚する。上ったはずの太陽も見えない。この町全体が闇に覆われたようだ。この空は晴れるのか。晴らさなければ。


「ネムカケ、なんか変じゃない?」

「なにがじゃ」

「この巨大妖怪、何でもっと前に発見されなかったの? 一夜にして突然ここまで大きくなったの?」

「ふむ、しかしこれだけの触手の数じゃ、いっぺんに吸って巨大化したということもある」

「にしてもこうなる前に、他の場所で少しずつ大きくなってきたでしょ」

「たしかに」

「でも大量に人が自殺したとか、大問題がニュースになったわけじゃない」

「で?」

「あと気になるのは、別にここまで来なくたって、もっと人のいる都心へ行けばいいのに、って思うんだよ」

「何が言いたいんや!」

 鉈で草むらを切り拓くように、大鴉で触手を斬り拓きながら進む光太郎が振り返った。

「だってこの町にはてんぐ探偵が二人もいるんだぜ?」

「だから?」

「オレ達に対する、挑戦の意思表明じゃないかなと思って」

「こいつ、ワシらのことを知ってると?」

 巨大な生物が空中で爆発して、腸が町にぶちまけられたらこうなるだろうか。

光太郎は憎々しげに石を投げようとしたが、天に唾吐いても戻ってくるのでやめた。


 一番太い触手を伝ってたどり着いたのは、とんび野四丁目に住む主婦、鍋島ゆりであった。彼女は説明を聞かされ、反論した。

「でも無理でしょ。どうすればいいのよ? 町ぐらい大きい妖怪を、私一人の心が変わったって変わりゃしないでしょ」

「そらそうかも知れんけどさ! アンタに取り憑いた触手が一番太いんや! アンタが一番『否定』の業が深いんやで!」

 人を怒らせる光太郎の才は、今度は普通に宿主を怒らせていた。

「そんなことないでしょ。私が一番心の闇が深いっていうの? 私一人が?」

 光太郎は大鴉で、大人の胴体ほどもある紅い触手を唐竹割りに斬ってみせた。

「見てみいや!」

 光太郎はその様子を鏡にうつしてみせる。

 触手は、一旦は紅蓮の炎に包まれ清めの塩と化す。しかし間もなく、ゆりの心臓から触手が再生、空中の触手と勝手に融合し、どくどくと脈打って太くなっていく。

「このままやとアンタは死ぬ! ひからびて! 改心せんかい!」

「でも、そうとは限らないけど」

「なんやねんさっきから! ワシの言うこときけや!」

「待って光太郎」

 シンイチが冷静に割って入った。

「なんやシンイチ!」

 光太郎の苛々は頂点に達している。対照的にシンイチは冷静に言った。

「この人さっきから、一言目には相手の言うことを否定している」

「は?」

「そんなことないわよ。そうと限った訳じゃない」

「ホラ!」

「だから違いますって」

「な? 『一言目には相手を否定する』、それが否定の究極形じゃんか!」

 シンイチは確信を得た。

「いきなり家にあがりこんだオレ達。空にいる巨大妖怪。そして心を見透かされたように『あなたは一言目には相手を否定していますね』なんて言われて、『ハイそうです』って素直に認められる筈ないよ。そんな素直な状態じゃないから『否定』なんだ」

「……確かに。シンイチの言うのももっともや」

 光太郎は大鴉を、ぱちんと朱の鞘にしまう。

「で。どうすんねん」

「……どうして相手を否定するの?」

 シンイチは、素直に彼女に尋ねた。ここから始めるしか、心の闇に向き合う方法はないのだ。地道だけど、都合よく人の心は変わらない。

「……別に、毎回じゃないでしょ」

「また否定から入りよった!」

「光太郎はちょっと黙ってて!」


「……今朝、ダンナと大喧嘩してね」

 ゆりは一端落ちつき、考え、口をひらいた。

「どういうこと?」

「ダンナはダメ男なのよ。やることなすこと大間違いのチンプンカンプン。だからダメなのよ、っていつも否定している。そのことが『否定』なのかしら」

「今朝の大喧嘩ってのは?」

「ゴミの日間違えてゴミ袋もってって、わざわざ『ごめん』って帰って来て」

「え、それフツーじゃん。間抜けだけど、間違うことくらいあるでしょ」

「違うのよ。それだけじゃなくて、ダンナのダメな所全部思い出されて、『お前はダメ男だ』って」

「……今、否定から入ったよね?」

「いえ。……ええ」

「相手を否定する心。一言目には否定から入ること……」

 シンイチは考える。光太郎が提案した。

「肯定から入ったらええんちゃう?」

 シンイチは乗っかった。

「やってみよう。はい、で始めるんだ」

「……はい。これで?」

「そうだね。旦那さんは愛してる?」

「どうかな……いや、はい」

「ゴミ捨て間違いくらいよくあることじゃん」

「は……はい。でもそれは……」

「否定しないで」

 シンイチは心の奥底にどうやって入ろうか思案している。

「はいじゃ足りひん。最高です! にしようや! 肯定の肯定や!」

 光太郎が調子に乗る。

「旦那は?」

「最高です!」

「なにもかも?」

「最高です!」

「一から十まで?」

「最高です!」

「……妖怪は、ウンともスンとも言わんな」

「そりゃそうだろ」

 シンイチは考える。

「そんなの洗脳じゃん。自分の心に嘘をつくことになる」

「たしかに。新興宗教の自己啓発セミナーみたいやな」

意識高い系の新興宗教集団と闘ったことをシンイチは思い出していた。

「……困った。いい方法が思いつかない」

 と、太い触手を見つけた。彼女の触手とどっちが太いか甲乙つけがたい。二人と二匹は、それを辿ってゆく。


二人目の宿主は、高校野球の鬼コーチ延岡であった。

「ダメ出しが俺の仕事みたいなもんだ。それがダメってどういうことだ」

 飛田とびた高校の職員室で、二人と二匹は話を聞いていた。

「じゃ逆にさ」

 シンイチは考えて延岡に言ってみた。

「みんなの褒めるとこってないの? これは出来てる、っていうか」

「ねえよ」

 延岡は即決する。

「あったら甲子園出てるわ」

「たしかに」

 身もふたもない。勝負の世界とはそういうものだ。とはいえ、「否定」は人の心の問題でもある。

「褒めて伸ばすやり方もあるでしょ。妖怪退治だと思って、いいところ上げてみようよ!」

延岡は考え、言葉を絞り出した。

「……ピッチャーの浜路はまじは、コントロールある」

「いいぞ!」

「だがスピードが出ない。変化球も弱い。正確でも遅いまっすぐなら意味がないだろ」

「たしかに。……他は?」

「センターの滝波たきなみは大局観はある。だが足が遅え。走っても届かねえならダメだ」

「あとは」

「ショートの田村たむらは盗塁は上手い。だがゴロが取れねえ」

「うーん。正しい批評だとすれば、否定が多くなるのもやむなしだよなあ。的確な批評、とも言えるのか」

「そうだ。否定は向上のためにやる。否定は向上心でもあるだろ」

「……否定にもいろいろあるのかな?」

「シンイチ、じゃ次の患者、見てみるか!」


 三人目は映画評論を趣味とする、ニートオタクであった。

「そりゃダメ映画なんだから正しい批評だろ」

「たしかに。でもさ、必要以上に否定してるかもよ」

「映画はいいか良くないかだ。部分点は意味ねえ。野球以上にな」

「たしかに。でも向上する?」

「向上?」

「映画はもう出来ちゃっているから、否定したって変われないじゃん」

「しかし潰すことは出来る。これが後世に残ったら、映画としての恥だ。だから俺は否定する。否定は正義だ」

 否定は正義まである。否定ってなんだか、分らなくなってきた。


 四人目は、病院の医療事務、森尾舞。

「舞の口癖はね、『私ダメなの』みたいなのね」

 自分の症状に自覚がある、自己否定タイプだ。

「でもそれ言うと、『そんなことないよ』って、誰かが励ましてくれるの。それで私は大丈夫って安心できるのよ?」

「誰もなぐさめてくれへんかったらどうすんねん?」

 と、光太郎がつっこむ。

「泣いちゃう」

「泣いちゃう、ちゃうわ! 子供か!」

 観察していたシンイチが言う。

「自信がないことと関係してるかな?」

「どういうことや」

「自信がないから否定する。この人は肯定されて自信を取り戻すことをしたい」

「どういうことや? ダメ夫を否定する主婦や、監督や評論家は、自信がないのか?」

 悩む二人は、自然ととんび野小へ足を向けていた。

 校庭は休み時間で、触手に取り憑かれた子供たちがけんかをしていた。

「お前は駄目だ!」

「バーカバーカ!」

 ミヨちゃんやススムや大吉や公次も同様だった。

「そんなんだからダメなのよ」

「ねえな」

「つまらん」

「つきあう価値もない」

 ノン。ノン。ノン。否定ばかり。否定ばかり。否定ばかり。


 「否定」という今回の心の闇は、さっぱり出口が分らない。

 どうして他人を否定するのだろう。理想を勝手に抱いて、幻滅するからだろうか。理想と現実のギャップで、否定するのだろうか。じゃあ勝手に理想を描く自分が悪いんじゃん。

「いや」

 シンイチは口に出して、強く否定する。

 悪いのは妖怪であり、人の心ではない。ただ人の心がそういうループに入るように、妖怪が力を貸すだけである。

「自分と他人が違うこと」

 そもそもこれが原因ではないかとシンイチは考える。

 自分が出来ることは、他人が出来ないから、そこを否定する、と仮定する。ゴミ出しを自分なら間違えない、野球のいろんなことを自分なら出来る、映画も自分ならもっと上手くつくれる(はず)、ほんとうの私ならもっと出来るはず。自分に出来ることで、他人の出来ないことを攻撃するのが「否定」ではないか?

「そもそもオレは、何故他人と違うのか?」

 シンイチのてんぐ探偵としてのはじまりは、他人には見えない妖怪が見えたことからだった。どうしてオレは妖怪が見えるのだろう。どうしてオレは他人と違うのだろう。違うから違うとしか言いようがない。だから相手を否定するのか? 違うから、否定するのか? だとしたらオレは否定されるのか? 人と違うから。

「オイ! 見てみろや!」

 千里眼を覗いていた光太郎の鋭い一言で、シンイチは我に返った。

 通りに建物に張り巡らされた、太い触手が織りなす迷路のような空間に、たった一人だけ違う男がいたのだ。

「ん?」

「せや! あの人だけ、触手が取り憑いてないねん!」

 二人と二匹は、慌ててその人の元へ走っていった。


    4


 ガソリンスタンドでバイトするその男は、寺町てらまち定男さだおといった。

 ガソリン臭い帽子を脱いで、寺町は笑った。

「これはバイトでさ、俺実はお笑い芸人なのさ」

「えっ! 見たことないけど!」

 お笑いに詳しい光太郎は自分のデータベースを頭の中でひっくり返す。首を振る。やっぱり見たことないらしい。

「知らないのは当たり前だろ。売れない芸人なんだからさ。マッスル増村ますむらさんも実はここのスタンドに来たことあるんだぜ。『はいマッスルマッスル』生で見れて感激したぜ」

 「マッスル、マッスル」で再ブレイクした「アメン坊」のマッスル増村は、シンイチたちが妖怪退治したばかりであるが、その話はおいといてシンイチは本題に入る。

「寺町さんは、相手を否定しようとしないの?」

「うーん、ないね。ないから妖怪がついてないんだろ?」

 寺町は笑った。その明るい笑いが、陰鬱なこの町に必要だとシンイチは感じた。

「なんでや」と光太郎はさらにつっこむ。

「だってさ、俺、売れないお笑い芸人って言ったろ?」

「それがなんやねん」

「いつも皆さんに否定され慣れてるからさ。『オモシロクない』ってね」

「……あっ」

 シンイチは、虚を突かれた思いだった。

「全ての否定を受け続ける人」

「むごい言い方するなよう」

 寺町は笑った。

「あ……ごめんなさい。そういうつもりじゃなかった。ただ、キリストのようだと思って」

「は?」

「全ての罪を背負って、十字架を背負って」

「カッコいいこと言うねえ。でも俺、面白くないだけだぜ?」

 はははと寺町は大きく笑った。シンイチは閃いた。

「よし! 寺町定男のお笑いライブを、市民ホールでやろう!」

「なにいうとんのやシンイチ!」

「『とんびホール』を借りるんだ! つてはあるし!」

「シンイチ、また何か閃いたな?」

 ネムカケは笑う。

「わかんないけど、やってみたいことがあるんだ!」

 大妖怪を退治するコツは、大妖怪の取り憑くすべての心を晴らすこととは限らない。とくに深い闇に包まれた人の心を晴れさせると、その力が伝わり、負の心を追い出すことを、大妖怪「嫌い」で学んだ。シンイチと光太郎は、とくに太い触手の取り憑いた人々、ゆりや延岡や野口や舞をはじめとする百人を「とんびホール」に集めた。「あなたは妖怪に取り憑かれている」と鏡を見せ、上空の大妖怪を見せ、仕事をキャンセルさせ、学校を休ませ、とにかく集めた。

「寺町定男単独ライブ」の開催である。


 飛天僧正のかけた大妖怪の金縛りは日没まで。

 日は傾きはじめていた。


    5


「ハイドーモー!」

 舞台下手から、金の蝶ネクタイと金のジャケットの寺町が、拍手しながら小走りで入ってきた。百人の観客に巨人のはらわたが絡みつき、脈打っている異様な光景は、彼には見えていない。いつものダダ滑りライブと同じである。触手たちはは脈打ち、それが同期していることが、同じ本体に繋がっていることを想像させる。ミミズバーガーってこんな感じ?と光太郎は冗談を言い、シンイチは気分が悪くなった。

「ワタクシ、寺町です! とんび野町で芸人やってます! テラッと参ります! あ、テラッてのは、寺町とかかってるんですね!」

「あ」

 光太郎が思わず小声を漏らした。

「どうしたの?」

 シンイチは小声で尋ねる。

「こいつ、オモンないで」

 光太郎の予想通り、寺町は滑りまくった。

 ショートコント、歌ネタ、リズムネタ。何一つ面白くない。

 そのうち観客の一人が、否定の声をあげた。

「ブー」

 これをきっかけに、観客にブーイングの波がひろがった。

 ブー。

ブー。

ひっこめ糞芸人、つまんねえ!

 「否定」の波。怒号する否定。その否定のエネルギーはどくどくと触手を伝わっていく。

 ブーイングが落ち着いた所で、シンイチは舞台に上がった。

 たぶんこうなる、と寺町にはあらかじめ言っていたので、寺町は思ったよりショックを受けていないようだった。

「みなさんは妖怪『否定』に取り憑かれています。それはここに集めるときに説明した通り。だから寺町さんを否定するのは、予定された反応です」

 観客は静まりかえった。シンイチは皆の目を見て、話を続けた。

「でもね。この寺町さんは、何のダメージも受けてないんだ」

「そうなんですよ。テラッてます」

 寺町はつまらないギャグを入れて冷笑を誘った。シンイチは話を続ける。

「なんでか。この人は、全否定され慣れてるんだ。いつも否定されてるから」

 会場の空気が変わった。

「ほとんどの人はこうじゃない。否定され慣れていないんだ。否定されるのは怖いことだからね。だから自分を守る為に、相手を先に否定する。相手を否定することで自分が優位に立てるから。つまり否定は先制攻撃なんだよね」

 シンイチは最前列の、ゆり、延岡、野口、舞を見た。皆黙っている。

「このぐうたら主婦! ヘボコーチ! 無能評論家! バカ事務!」

 シンイチは指さしてその人たちに言った。四人の表情が変わる。

「そう言われるのが怖いから、先に相手を攻撃するのさ。つまり否定は恐怖の現れ。ここにいる人は皆同じ。否定されたくないから否定する《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》」

 会場がざわつきはじめた。

「他人が、自分の有利な部分で、こっちの弱点を攻撃してくる。それを防ぐ為に、自分の有利な部分で相手の弱点を攻撃する。それが否定の心の正体なんじゃないかな。人は皆違う生き物だ。『他人と違う』部分を守るために、『自分と違う』部分を攻撃をしたがる」

 シンイチは妖怪が見えることで、他人から攻撃されたことはない。今までそんなことを考えたこともなかったことに、シンイチは気づいた。つまりシンイチは「妖怪が見えること」を攻撃されることを怖れている。

「不寛容の心。差別。多分同じ根っ子から出発してる。自分と違う人が、人は怖いんだよ」

 ざわついた会場は、しんとなった。

「だから否定して攻撃するんだ」

「ちょっと待ってよ」

 と、突然寺町は割り込んだ。

「それじゃ俺のつまらないのは弱点じゃん」

「え? 違うの?」

 会場は初めて爆笑に包まれた。

「笑いってさ、人を安心させる為にあるんだよね。芸人ってのは『自分より下がいる』って思わせる為に存在するんだ。だからバカや間抜けを演じる。この人は下手だけど」

 また爆笑が起こった。

「そのことをテラってると申します。今日も最高にテラっております!」

 寺町は観客に最敬礼した。こんなに受けたのははじめてだ。

「寺町! お前オモンナイけど、ホンマモンの芸人やで!」

 光太郎は拍手した。

「安心してください。私がとんび野町一つまらない男です」

 皆は大爆笑する。

「そうか……私、不安だったのか」

 ゆりは呟き、彼女の触手はエネルギー供給先を失った。

「甲子園なんか行ける訳ないのに、俺はそれがずっと不安だったのか」

「上から目線で安心したかっただけだと?」

「今の私が理想に足りないのに不安で、だから自分を攻撃して……」

 延岡も野口も舞も呟いた。触手の居場所がなくなっていく。

 シンイチは続ける。

「相手を下に見て安心する為に、否定はすべきじゃない。それはちっぽけな人のすることだよ」

 こうして人々の心から憑き物が落ちたように、大妖怪「否定」の触手が外れてゆく。

「今度不安になったら私を思い出してください。みなさんの方が上でございます」

寺町は蝶ネクタイを広げて笑った。シンイチが尋ねる。

「テラさんテラってる?」

「テラってる、テラってる!」

 会場は拍手に包まれ、触手は次々に抜けていった。その触手はホールの入り口へ引っ込み、恐らくは上空へ戻ってゆく。

「お見事」とネムカケは感心する。

 シンイチは窓の外を確認した。きっかり日没。飛天僧正の術が解ける。

「いくぜ光太郎!」

 シンイチは掌を出した。

「任せろや相棒!」

 光太郎はその上に掌を重ねる。二人は唱和した。

「不動金縛りの術!」

 とんびホール、とんび野町は時を止める。

 シンイチは天狗面を、光太郎は烏天狗面を被った。

 シンイチと光太郎は、天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、二人のてんぐ探偵である。


シンイチと光太郎は、一本高下駄で宙に舞う。空気の塊を踏み、細かいジャンプを継いで徐々に高く上がってゆく。

 大妖怪「否定」は、飛天のかけた不動金縛りから目覚めはじめていた。うおおおん、と複数の口を開けて空気を震わせた。無数の触手は人々の心から外れ、悶えるように宙に舞っていた。

 雲を突き抜け、雲海に出た二人は、大妖怪「否定」の前に浮かぶもう一体の妖怪を見た。

「なかなかやるな天狗の使いども」

 飛頭ひとうばんのごとく、生首だけで飛ぶ妖怪。

 青い肌。角が生え、裂けた口に吊り上がった瞳。

 光太郎が叫ぶ。

「青鬼ィィィィ!」


    6


 無数の浮く紅い触手が、シンイチと光太郎を取り囲む。朝のシーンの再現だ。

「くっそ! 天狗風!」

 二人は腰のひょうたんから葉団扇を取り出し、触手にまとわりつかれないように強風で触手をはじく。青鬼は笑った。

「ははは。無駄なこと。何本あるんだこの触手は? この町の人口分だぞ。首でも絞めてやれ!」

 襲い掛かるひとつひとつの触手を、二人は葉団扇でよけ、火の剣で切る。

 地平線から上ったばかりの満月が、青鬼の瞳を妖しく照らした。雲の上は風が強い。

「あのハゲ坊主、また来てくれへんかな!」

 触手の数に、光太郎は弱音を吐いた。

「どうかな。あの人、気まぐれだし。オレたちで何とかするしかないんじゃない? 他人に頼るのがてんぐ探偵かい?」

「せやな! やれるだけやったろやんけ! そもそもこいつら、ワシらに挑戦してきたくさいしな!」

 気を取り直した光太郎は印を組む。

オン!」

 葉団扇の一閃とともに、天狗(つぶて)を青鬼にぶつける。青鬼は素早く回避する。

「天狗礫か。石と思わせといてその正体は雹。天候を操る風の力だな」

「青鬼ィ! ワシはお前に聞きたいことがあるんや! 一体何者や! 心の闇との関係は! なんで大妖怪の中におるんや! 中から操っとんのか!」

「喝!」

 青鬼が眼をぎろりと光らせる。

雷が瞳から走り、光太郎を襲った。

「鞍馬剣術、変化へんか!」

 葉団扇を剣に見たてて円を描き、雷の軌道をいなす。秋葉原で見た、凶刃をまるく躱した鞍馬流剣術の看板技だ。

「じゃあ力づくでも聞きだしたるわい!」

「危ない光太郎!」

 雷は一撃ではなかった。雲の上にいるシンイチと光太郎に向けて、下の雲から雷が飛んできた。

 シンイチは咄嗟に小鴉を投げた。切っ先に雷が誘導された。

「避雷針か」

 青鬼は苦い顔をするが、笑みは崩さない。

「だがもう一度は無理だな?」

 咄嗟のこととはいえ、小鴉を手放したシンイチは後悔した。てんぐ探偵の決戦兵器を手放すなんて、オレはなんて間抜けなんだ。

 雲の中へ小鴉は落ち、消えた。探しにいく? 光太郎を放って? 何のためにオレはいるんだ?

 シンイチは葉団扇を構える。しかし次の落雷、光太郎みたいにかわせるか?

「オイオイこれではまた飛天殿に直してもらわねばならんのう」

 四方百里に響く声。ずしんずしんと歩く音。

 それに答える声がする。

「けっ。儂の炎が雷より劣る訳ないだろう。節穴のような金の目でよく見ろ。傷ひとつないだろ」

 雲の中から、巨大な朱い手が現れた。手の中に小鴉をつかんでいる。手は腕となり、上半身となった。雲海に姿を現した朱い遠野の大巨人と、付き従うような空飛ぶ僧。

「大天狗! 飛天僧正!」

 大天狗は、辺りの空気を長い鼻で吸った。

「久しぶりの都会は、瘴気が濃いな」

「そりゃそうだろ! 遠野とは違うよ!」

「友の為に投げた判断は賢かった。だが手放したあとの次の手まで考えろ」

「え、どうやって」

「ふん、ゴム紐でもつけとけ」

 飛天僧正が飛んできて、大天狗の手から奪った小鴉を手渡した。

「アンタら、手助けは無用やで!」

 光太郎が叫ぶ。

「さっき弱音を吐いてシンイチにたしなめられたんや! ワシ一人でやったるわい! いや、シンイチと二人でやったるわ!」

「オレも込みかよ!」

「一人じゃムリやろ!」

 シンイチは小鴉を構え、青鬼と対峙する光太郎の元へ飛ぶ。

「なんだかんだでいいコンビだな」

 大天狗は目を細めて二人を見た。

「どうする? 金縛りをかけるか」

 飛天は大天狗に尋ねる。

「なんの為に我々が来たのだ。ぎりぎりまでやつらにやらせれば良い。過保護すぎるぞ」

「けっ。心配だから行こうと言ったのは主ではないか」

 二人は無自覚であるが、これはこれで名コンビであった。

「臨!」

 光太郎は早九字の印を切る。スピード重視だ。シンイチも追随する。

「兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前!」

 最後の横一閃を結ぶ刀印めがけて、青鬼は雷を放った。

「あっぶな!」

 光太郎は葉団扇ではじく。

「無駄無駄。遠野から天狗まで来るとはな。ようやくおびき出せたか。十天狗が来るまで時間はあるな」

「……それが狙いか」

「別に。今思いついただけだ。俺に目的なんかないさ」

「なんやと!」

「そもそもだ。妖怪に目的があるか?」

「えっ」

 シンイチも、光太郎も、考えたこともなかった。妖怪の目的?

「いや。えっと……別にそんなんないやん」

「そういうことだ。我は闇より現れ、闇に消ゆ。その朝露ほどの間、人の心を餌として喰らい、出来るだけ増えるのみ」

「じゃあ害獣退治でええわい! 大妖怪の体内になんで青鬼がおるんや! 大妖怪ってなんや!」

「『否定』の中を割ってみれば分るだろう」

「つらぬく力!」

 大天狗が、青鬼が会話に夢中になった隙をついて、人差し指から「矢印」を出してつらぬいた。

「しまった!」

 青鬼は空中で身動きが取れなくなった。暴れても「矢印」がピン刺しのように空間にとどめてしまう。

「では割ってみようではないか皆の者」

 大天狗は大妖怪を指さす。

 挿絵(By みてみん)

「どうやってさ! オレや光太郎の力じゃ全部はじかれたよ!」

「四人でつらぬく」

 大天狗は指をかかげた。

「ふん。面白い。天狗の力を重ねて増幅するのか」

 飛天も乗った。

「目標は一番前の目」

「わかった!」

 シンイチも光太郎も人差し指を構えた。天狗の根本の力、ねじる力。それを螺旋に伸ばしたものがつらぬく力である。大天狗、飛天、シンイチ、光太郎が唱和する。

「つらぬく力!」

 ずどん。その矢印が「否定」の真芯を貫くと思われた。

 がいん。しかし重なった矢印は、簡単に弾かれた。

「なんと」

 四人の天狗(正確には一人の天狗、半人半天狗、天狗の弟子二、精々二天狗ぶん)の術力を併せ持っても貫けぬ皮。

「相当厚い面の皮だ」

 飛天が毒づいた。

「ねじるか」

 大天狗は掌を構える。

「いや、つらぬく力の一点集中でも無理だったんだよ!」

 シンイチが言う。

「では焼くか」

 飛天は九尾の印を組む。

「待て。飛び火して太郎たろう焼亡じょうもうを起こすぞ」

 ネムカケが地上から忠告した。

 太郎焼亡とは、平安末期安元三年(一一七七)に起こった、御所の大半と公卿の邸宅十六軒を消失させ、平安京三分の一を灰燼と化した大火事である。京都一の大天狗、愛宕あたご栄術えいじゅつ太郎坊たろうぼうが起こしたとされる。火元が樋口ひのくち冨野とみの小路こうじであったが、樋口=火の口、冨=鳶(天狗の隠語)と陰陽師が符牒を読み取ったそうだ。だが真実は、太郎坊が平安京を覆う大妖怪を焼いたため、飛び火が地上に散ったのである。

「あ!」

 シンイチが声をあげた。

「真下!」

「どういうことやシンイチ!」

「地上で下から見た時さ、触手が一杯生えてたじゃん!」

「おう。気持ち悪かったよな、ウジャウジャと」

「それってさ、虫みたいだと思ってたんだ」

「?」

「たとえばダンゴ虫」

「そうか!」

 大天狗が膝を打った。

「やつの上半身はダンゴ虫の背の装甲ということか」

「腹は弱いかも、と思って!」

「よし、ひっくり返すぞ。皆の衆、力を添えよ」

 大天狗は掌を突き出した。

「じゃあ時計回りにひっくり返そう!」

 シンイチが合図した。

「いくぜ! ねじる力!」

 シンイチ、大天狗、飛天僧正、光太郎は掌を右にひねった。

 大小四本の矢印が、螺旋で大妖怪に到達する。

 ぐるうり。

 空間が大きく歪み、大妖怪「否定」の真紅の球体はもんどり打って上下逆様となった。

「おっしゃ! たこ焼きなみにひっくり返したったわ!」

 腹を見せ、無数の足で暴れるさまは、まさに蟲のようだ。

「烏よ! 雷が落ちるぞ! 退避せよ!」

「ギャアス!」

 光太郎への助力のチャンスを狙っていた烏の罵詈雑は、大天狗が構えるのを見て慌てて地上へ降り、屋根の上で戦況を見守るネムカケの隣に座った。

いかづちよ在れ!」

朱き大巨人は、両手で雲をかきまぜた。

 その中心に向かって渦巻のように雲が引き寄せられながら回転する。圧縮された雲は次第に黒雲になってゆく。

「むん」

 八百万の稲妻が、尖った触手たちめがけて落ちる。

 あまりのまぶしさと轟音に、シンイチは思わず目をつぶった。

 目の前の閃光が消えた頃、黒焦げになった足と、「腹」の中央部に黒い亀裂が見えた。

「すげえ!」

「シンイチ、斬れ」と大天狗はバトンを渡した。

「火よ在れ!」

 小鴉の炎を引き連れて、朱の仮面の小天狗が跳んだ。

 黒光りする刃は、冷たく月光を跳ねる。

「一刀両断! ドントハレ!」

 亀裂から胎内に飛びこんだ。真下から、炎とともに出てきた。

「ワシもいくで! 真向唐竹!」

 光太郎は大鴉から吹きあがる炎で、巨大な球体を斬る、斬る、斬る。

「飛天どの、とどめを」

 大天狗は手柄を譲る。

「仕方がねえな。見せ場は頂いた」

 虚空蔵こくうぞう菩薩ぼさつ印。降三世ごうざんぜ明王みょうおう印。飛天僧正数え歌の七番。

七支炎しちしえん!」

 七つの舌を持つ一直線の炎を大剣がわりにし、飛天は巨球を両断した。

 炎が大妖怪「否定」を包み込み、清めの塩へと変えていく……かに見えた。


「何だアレは!」

 大妖怪の胎内に、魚卵のようにびっしりと青い卵がついていた。炎で炙られて、逃げるように薄い膜を突き破るものもあった。蠢く透明な膜の中で、夥しい青い卵には顔がついている。角が生え、口が裂け、光る瞳の……青鬼の顔が。

「子供を産んだ?」

「大妖怪のモトと違うかったんか! 逆や! 大妖怪が青鬼を産んでたんや!」

 シンイチと光太郎は、襲いかかる青鬼たちを斬り続ける。青鬼は切られた端から青い粉に四散していく。

 飛天僧正が印の組を変えた。明星みょうじょう印、大日如来だいにちにょらい印、不動明王ふどうみょうおう印、両界曼荼羅りょうかいまんだら印。辺りの空器がきな臭くなり、ピリピリし始めた。風が吹き始めた。風は青鬼たちへ向かって吹いているような錯覚を覚える。

「小僧ども、のけい。巻き込むぞ」

「光太郎! 逃げろ! 爆縮が来る! 太極たいきょく合一ごういつだ!」

 飛天が爆炎球の結界を張る。二人のてんぐ探偵がその結界から脱した瞬間、左の掌(陰掌)と右の拳(陽拳)が合わさった。

「帰無」

 炎の球はすべての青鬼を巻き込み、一瞬のうちに一点へ凝縮され、光の点となって消失した。


「ははは。天狗どもにはまだかなわんか!」

 矢印につらぬかれたままの最初の青鬼は、角のあたりからさらさらと砂のように溶けていく。

「いずれ我々が増え、地平線を覆うだろう。この世は大妖怪たちが跋扈する世界になるわ! お前ら人間は我らの餌だな、心の闇の供給源として! 地上の人間は、心の闇だらけだからな!」

 青鬼は、青い光を残して砂塵となり、風に散った。



 こうして、とんび野町の長い一日が終わった。

 ミヨもススムも大吉も公次も、内村先生も真知子先生も、否定の心から、いつものふつうの心に戻ってきた。


「危なかったな」

 大天狗は、シンイチに声をかけた。

「ホントだよ。……オレ……」

「どうした?」

「オレ、全然修行が足らない」

「どういうことだ? 『否定』を皆の心から追い出すのは、見事だったぞ。あれこそがシンイチの得意技……」

「そうじゃない」

シンイチは大天狗を遮っていった。

「自分の弱点に、つけこまれたんだよオレ」

「む」

「オレ、……剣の腕、全然未熟だ」

 思わず小鴉を投げた――その選択肢は、追い詰められたあの時点ではしょうがなかった。でもそれ以前に、なんとか出来た筈だ。

「そんなん、しゃあないやんけ」

 光太郎が烏天狗の面を脱ぎながら言った。

「ワシは鞍馬流免許皆伝、お前は剣をただ振り回しとるド素人やんか」

「……だからだよ」

「?」

 いつにないシンイチの真剣な顔に、光太郎は押された。


 ――敵は、弱点を真っ先に攻撃してくる。

「光太郎、オレを鞍馬に連れてってくれないか」

「え。なんで?」

「鞍馬天狗に、剣を習いたい」



    てんぐ探偵只今参上

    次は何処の暗闇か




予告


 鞍馬天狗に剣を習いたい。シンイチと光太郎は、京都鞍馬山まで、各地の天狗の山をめぐる旅に出る事にした。最初の山は相模大山(神奈川県)。干された新聞記者冴島が偶然天狗少年のニュースを聞きつけ、独自に取材をはじめる。しかしその新聞社は妖怪「隠蔽」に取り憑かれていて……?

てんぐ探偵第七十一話「正義のスクープ」に、ドントハレ!

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