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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
五章 ふたりの探偵
73/116

第六十九話 「或る置傘」 妖怪「闇堕ち」登場



    1


     朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焼く

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 雨が降っていた。

 秋の冷たい長雨がぶり返したのだ。

 傘を持っていなかったさきは、駅前のコンビニで足止めを食らった。

 生徒会の買い出しを会長自ら買って出て、勢いで戻ろうとしないのに。


 二宮にのみや咲は、とんび野第二中学の生徒会長である。昔から真面目一本で通してきて、周囲からも一目置かれる、成績優秀品行方正の「お嬢様」だった。お嬢様、と裏で呼ばれているのを知っている。それは「世間知らず」の陰口だ。勉強大好きで休み時間に読書して、と言われているのは知っている。だから「お菓子買ってくる!」と勇気を出してここまで走ったのだ。副会長の純一郎じゅんいちろうの驚いた顔ったらなかった。「持ち込み禁止って真っ先に言うお前が?」って顔をとがらせた。「私だってたまには息抜きしたいもの」と反論したら、「雨でも降るんじゃないか」って言われて、本当に雨が降ってしまった。きっと帰ったら笑われてしまう。


 スーツを濡らした営業マンが軒下に駆け込んできた。パトロール中のおまわりさんが自転車を降りて木陰で休み、本屋さんは慌ててビニールシートを本の上に広げ、傘のない人々は軒下でスマホを見ている。見知らぬ人々が駅の軒下に集まって、それぞれの人生が永遠にすれ違う瞬間を、雨の間だけ引き延ばしている。咲は、別の時空にすっぽりはまってしまったのかと思った。



「置傘を置いたらいいと思うんだけど」

 雨が止んで生徒会室に戻った咲は、「ほんとうに雨が降るとは」とからかった副会長の伴部ともべ純一郎の顔も見ないで言った。

「どういうこと?」

 チョコクッキーの袋を開けながら、純一郎は答える。

「急な雨が降ったとき用に、公共の場所、駅とかに、とんび野町の人なら誰でも使える置傘があればいいのに、って思ったの」

「は?」

「生徒会の予算考えたら、五十本は置けるわよね?」

「意味ねえよそんなん」

 世間知らずのお嬢様、そういう前に純一郎は世間のリアルを言う。

「そんなの、パクられて終わりだろ」

「そんなことないわよ。張り紙を出せばいいのよ。『雨の時ご自由に使ってください。次の人の為に、元に戻してください』って」

「だから、そんなのパクられて終わりだろ」

「どうして?」

「咲も甘いな。俺だったらパクって返さない」

「私なら返す」

「お前のこと聞いてんじゃねえよ。パクって返さないやつの方が多いだろ、っつう話」

「でも世の中には親切な人もいるわ。全員が全員盗む訳ないでしょう」

「咲は真面目だから、悪い奴の考えてることが分んねえんだよ」

「だって傘盗んだってメリットないじゃない。売ってお金になる訳じゃなし」

「そういうことじゃねえんだよ。借りパクでおしまいだろうがよ」

 咲は顧問の先生に相談した。とんび野二中の校章を入れておいたら盗みづらいのではないか、とアイデアをもらった。

「五十本じゃ足りないだろ。百本にしよう。なに、予算はかけあうよ」

 こうしてとんび野駅に、百本の「善意の置傘」が置かれることになった。


 次の日、どしゃぶりのにわか雨が降って、皆は慌ててその置傘を借りていった。

 次の日、百本の傘は、一本も戻って来なかった。

「な? 言ったろ?」

 純一郎は、ショックを受ける咲に言った。

「善意なんて意味ねえんだよ。みんなパクるんだよ」

 咲は返す言葉がなかった。


 こうして彼女に、妖怪「闇堕ち」が取り憑いた。


    2


 咲は突然金髪に染め、服装もおかしなことになり、言葉遣いが汚くなった。

 あの清純で真面目な生徒会長が、と皆が距離を置いた。

 幼馴染で副会長の純一郎だけが、彼女に話しかけた。

「咲、どうしちまったんだよ。不良になっちゃったの?」

「私は咲じゃない。あいつは死んだんだ」

「ハア?」

「私は影羅エイラ

「……なに言ってんの?」

「この世は悪で満ちている。誰も信じられないのさ。足の引っ張り合い、出し抜き合い、騙し合いさ。やられる前にやれ。咲は甘ちゃんすぎたのさ。私は彼女に抑えつけられていた、悪の人格部分さ」

「……はあ」

「我は闇より来る者。光を閉ざした地獄インフェルノに生きる者。名を影羅。黒き炎の使徒」

「……悪いラノベでも読んだのか?」

 あまりの彼女の変わりっぷりに、純一郎は頭でも打ったのかと思った。

「放っといてよ! 死ね純一郎!」

 咲は呪いの言葉を吐き、廊下を走り去っていった。廊下を走るな、と真っ先に咲が注意する立場だった癖に。

 咲は頭を打った。

 物理的にじゃなく、あの空っぽの傘立てにだ。

 そう思った純一郎は、百本の傘の行方を捜しに行くことにした。


 とんび野町中を純一郎は走り回った。

 コンビニに一本、自転車置き場の自転車のサドルの後ろに差したままの一本、銭湯に一本、ごみ収集場に一本。

 借りたままで放置状態の傘を、純一郎は一本一本拾っていった。二中ウチの校章が印刷されているから、普通のビニール傘とは区別がついた。ラーメン屋、ケータイショップ、花屋。

 あの日ざーっと雨が降って、夜になって止んだ。駅から百人の人々が、とんび野町のそれぞれの居場所へ散っていった。それぞれは互いに見知らぬ人々同士。そんな人たちの軌跡が垣間見える気がした。そうか、とんび野駅から逆に電車に乗った人もいるはず。隣町、その隣町へも自転車を漕いだ。

「たった十三本か……」

 それでも「戻って来たよ」と彼女に言えば、少しは彼女のショックが和らぐに違いない。純一郎は「影羅」を名乗る咲に会いに行った。

「何だよ糞野郎」

「戻って来たよ」

「ハア?」

「傘、戻って来たよ!」

「嘘つくな」

「嘘じゃねえって! 駅前に行こうよ! 十三本、返してくれたのさ!」

「すくねえな」

「実際に見てみて、十三本持ってみろよ!」

「ハア?」

「その重さが、親切の重さだろうが!」

「ふん。馬鹿馬鹿しい。見届けてやろうじゃないか」

 「影羅」は駅に向かって歩き始めた。

 だが、その途中でまた雨が降って来たのが誤算だった。

 二人が着いた頃には、傘立てには傘は一本もなかった。

「ほうら見ろ!」

 「影羅」は勝ち誇った。

「なあにが『親切の重み』だよ! 笑わせるぜ!」

 歪んだ顔で彼女は笑った。まるで悪魔に取り憑かれているような顔つきだった。

「性善説なんてねえよ! 親切なんて虚構フィクションだ! 世界は闇に包まれているのさ!」

「俺だって性善説を全面的に信じてねえよ。でも性悪説が絶対正しいってこともねえだろ」

「いいや。世界の真実は悪だよ。人の心は黒い。真っ黒だ。神は死んだ。悪魔が代わりに支配するのさ。堕天使の国なんだよ」

「いいや」

 突然、少年の声がして振り向くと、朱い天狗面の少年がいた。

「堕天使のせいじゃない。それは妖怪のせいなんだ」

「? ……何言ってんの?」


    3


「妖怪『いい子』と逆かなあ」

 てんぐ探偵シンイチは、咲の肩に取り憑いた、妖怪「闇堕ち」を眺めて呟いた。赤い牡牛の角を持ち、赤い目をし、黒いフードに包まれて、金色の魔法陣が翼に描いてあった。

「ビジュアル超カッコイイー」

 ゲームのキャラのような妖怪を見て言うシンイチに、光太郎があきれた。

「それって『中二病』いう奴ちゃうんけ」

「中二病?」

「なんか『悪ってカッコイイ』とか憧れるやっちゃ。大人になってく過程で、正義なんてカッコワルイ、悪の方がイイって、一回かかる病気みたいなもんやで」

「なにそれ。そうなの?」

 シンイチは「影羅」に尋ねた。

「ハン! 病気だって?」

 彼女は口汚く罵る。

「アタイが世の中の真実を暴いてやったんだよ! 人と人が信じあう、道徳の教科書みたいなのは嘘っぱちだってね!」

「……今まで優等生だったことの反動かなあ」

 と、純一郎は発言する。

 咲が妖怪に取り憑かれたと、先ほどはシンイチ少年に言われてびっくりした。しかしそう考えた方が納得しやすい。咲本人は、鏡に写った自分の妖怪(取り憑かれた本人には見えるらしい)と目が合ったそうだが、純一郎には何も見えていない。でも妖怪を退治すれば咲は元に戻る、と言われて、純一郎は希望を感じた。咲は、気が狂ってしまったわけではないのだと。

「で?」

 光太郎は言った。

「妖怪『いい子』に似てるって?」

「うん」

 シンイチは答える。

「あの時も、『いい子にならなきゃ』って反動で、真理まりさんがしてた格好がさ、ちょうど咲さんの格好に似ててさ」

「なんだと?」

 影羅と妖怪「闇堕ち」はシンイチを睨んだ。

「たしかに、絵に描いたような不良やな。これが妖怪の影響かいな」

「うーん」

 シンイチは考えた。

「なんか手あんのかい」

「よし! サッカーしようぜ!」

「なんでやねん!」


 心の闇に取り憑かれた人は、サッカーをすれば治る。シンイチはそう信じている節がある。だってサッカーにはすべてが詰まっていると思うからだ。人としての生き方、社会、騙すこと。善と悪。シンイチはすべてをサッカーから学んだようなものだ。

 河原でのススムたちとのサッカーに、シンイチは影羅を加入させた。

「ノールックパスって知ってる?」

 と走りながらシンイチは彼女に言った。

「フツーさ、パスするときは相手とアイコンタクトするわけ。でもそれじゃ敵に読まれる。裏をかくにはノールックパスをするんだ。でも見ない訳だからさ、そこにパスしたい相手がいるか、保証がないんだ」

「じゃあパスなんか出せねえじゃないか」

「出すよ」

「なんで」

「そこにいる、って信じるからさ」

「バカバカしい。人なんて信じられるか!」

「そうか……そこか」

 シンイチは足を止めた。

「咲さん……影羅さんは、人を信じられなくなっているんだね」

 それを聞いていた純一郎は言った。

「そうだな。彼女は素直な子で、性善説を信じてた。それが裏切られたんだよ」

「馬鹿馬鹿しい!」

 光太郎が突っ込んだ。

「関西では『下駄と傘は公共物』いうんや。数が変わらんのやったら、誰のをパクってもええてな」

「え、そうなの?」

 シンイチは驚いた。

「そうや。だから傘はパクってもしゃあない」

「ええええええ」

「でもな、パクったら返す。これで帳尻合わせるんやで」

「関西って、変」

 しかしのノールックパスなんて高度な技、うまくいく筈がない。「あいつがここにいる筈」という予想がつかないと上手く行くものではない。それはにわかチームでは難しいことだ。

 そうこうしている間に日は沈み、「人を信じるサッカー」作戦は不発に終わった。

 解決は、次の日に持ち越された。


    4


 もう一度、空っぽになった傘立ての前からはじめよう。そうシンイチが言い、光太郎(とネムカケと罵詈雑)と影羅と純一郎は、朝から駅前に集合した。

 生憎また雨が降っている。

 影羅が、闇の奥底からの呪詛のように毒づいた。

「何度見ても同じじゃないか。傘はない。誰も信用できねえんだよ!」

 まずシンイチが気づいた。

「あれ?」

「そんなアホな!」

 光太郎が次に気づき、罵詈雑が「阿呆!」と叫んだ。

 四十代くらいのおじさんサラリーマンが、傘を差しながらもう一本傘を持っていた。

 家から出勤の為に、とんび野駅にやって来たのだ。

 差している傘は黒いコウモリ傘。手に持っているのは……

「ウチの校章の、善意の傘!」

 純一郎が叫んだ。

 そのおじさんは傘立てに一本傘を戻し、改札口へ消えていった。

「そうか! わかった!」

 シンイチは膝を打った。

「家帰るときこの傘借りて帰ったとするじゃん? その傘は家に置いたまま。次の日晴れてたら、わざわざ傘持って出ないだろ? 雨の日に家出るときに、はじめて傘を借りてたことを思い出す。……だから今日返しに来たんだよ!」

「まさか……じゃあ……」

 シンイチは腰のひょうたんから金色の遠眼鏡「千里眼」を出して、周りを見渡した。

「来る来る来る! いっぱい傘を返しに来る人が!」

 シンイチは影羅にそれを見せた。

「そんな……バカな!」

「パクったわけじゃなかったんだよ! 返しに来るタイミングがなかっただけなのさ!」

 二本。三本。四本。

 次々に出勤がてら、登校がてら、傘は返されていく。

 三十本。四十本。

「だから言うたやん! 傘は天下の回りもんやって!」

 光太郎は得意げに言った。影羅は敗北感に襲われた。

「バカな……バカな……みんな盗んだんじゃないのか。みんな自分の傘にしちわまなかったのか……」

「だってさ、みんなこれ見てたんだぜ」

 シンイチは、張り紙を指さした。

 「善意の傘」と書いてあった。それは最初にそう信じた、咲の小さな字だった。

「な? 人は信じられるだろ?」

 シンイチは笑った。

「そんな、偽善だ!」

 妖怪「闇堕ち」の憑いた影羅――咲は抵抗する。

「百本全部返ってきたら認めてやる。半分も返ってこないだろ!」

 五十本。六十本。七十本。

「ほら見ろ。三十本返ってこなかったじゃないか! 人間は、自分勝手なんだよ!」

「咲さん。もう強がるのはやめなよ」

 シンイチはさとした。

「あと三十本はどっかで回ってるよ。とんび野町にないかも知れないし、どこかで誰かの役に立ってると思えばいいじゃん。七割も善意の人がいる。それが分かっただけいいじゃん。これがまたぐるぐる回るよ」

「人は悪! 人は闇!」

「咲さんは、多分過剰防衛してるんだよ」

「……?」

「性善説に立つ人が、悪に触れて傷ついたのさ。だから過剰防衛で性悪説に振れちゃったのさ。『あんなの偽善だ』ってね。その反動に妖怪が取り憑いて、その負の心を増幅したんだ」

「だからなんだよ! 性悪説の方が正しいと、私は転向しただけさ!」

「人は性善説でも性悪説でもないよ。サッカー見てたらわかる。チームメイトを信頼もするし、敵を騙したりすることもある。敵と味方を入れ替えたら、さっきの敵は味方で、味方は敵になる。そしたら善と悪も入れ替わる。どっちも使い分けるのが人間じゃないかなあ」

「ふん! ノールックパスなんてそんなに上手く行く訳ないだろ!」

「少なくとも、そこの純一郎君は嘘をついてる」

「ほうら見ろ! 善良そうな純一郎ですら嘘つきなんだろ?」

「オレたちがパトロールしている時ね、傘をたくさん持って走り回る純一郎君がいてね。何か変だなあと思ってついていったのね。彼は集めた十三本を置き場所にさしてから、君を呼びに行った。オレたちはそれで妖怪に出会えたわけ」

「純一郎。最初の十三本は善意で帰ってきたって言ったろ?」

 純一郎は謝った。

「……ごめん。嘘ついてた。俺が走り回ってパクリ返してきたんだ。お前に善意はあるって信じて欲しくてね」

「嘘つき。私を騙すつもりだったのか!」

「でも七十人の善意の人は、結果いただろ」

 シンイチは心の奥底に触れようとする。

「嘘をついてでも、純一郎君はきみを現場に連れてきた。それはノールックパスだ。それでゴールに繋がったんだから」

「……」

「残りの三十本探して、隣町にでもいく?」

 純一郎は再びパスを出した。

「もうちょっと集めれば、善意は世の中に存在するように見えるぜ」

 影羅は思わず笑った。

「結局、また嘘つきかよ」

「使える嘘なら何でも使うさ。目的は悪でも闇でもないんだ」

「ふん……」

 こうして、咲の妖怪「闇落ち」は、自分がばかばかしくなって心から滑り落ちた。

「その嘘に、乗っかるよ」


「不動金縛りの術!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅するてんぐ探偵である。

「一刀両断、ドントハレ!」

 「闇堕ち」は炎の剣で燃え上がり、清めの塩となった。



 今日も雨が降っていた。

 善意の傘は誰かに使われ、返却され、回転し始めていた。


 放課後の生徒会が終わり、純一郎と咲は、校舎の軒先で雨を見ていた。

 咲は呟いた。

「傘忘れた」

「珍しいな。委員長ともあろう者が天気予報見てないとは」

 純一郎は自分の傘を広げた。

「入れてって」

 咲は彼の傘の中に入った。


 ほんとうは、彼女の置傘が学校にあった。

 咲は嘘をついたのだ。

「ね、お菓子買いに行こうよ」



    てんぐ探偵只今参上

    次は何処の暗闇か




挿絵(By みてみん)

予告


 「とんび野町」が妖怪に取り憑かれた!? とんび野町上空を巨大な大妖怪「否定」が覆いつくし、全ての人に触手を伸ばす! 相手を否定し続けるこの町に、たった一人だけ取り憑かれていない男がいた……? 飛天僧正再登場! シンイチの今までで一番大きな戦いになる……!

青鬼の秘密がベールを脱ぐ。てんぐ探偵第七十話「とんび野町の一番長い日」に、ドントハレ!

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