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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
五章 ふたりの探偵
70/116

第六十六話 「マッスル、マッスル」 妖怪「チキンレッグ」登場



    1


    朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 大胸筋。上腕二頭筋。三角筋。僧帽筋に腹直筋シックス・パック

 鏡を前に、増村ますむらは自分の鍛え上げた上半身の筋肉を見つめ、落ちこんでいた。

 「ミスター・ユニバース日本予選写真選考の結果」の通知が届いていた。「通過」とあったからだ。ああ、通過してしまうとは。そのグッドニュースこそが、彼にとってはバッドニュースなのだ。

「ハイ! マッスル、マッスル!」

 と、彼は持ちギャグのムキムキポーズをしてみた。想像の中の客席は大爆笑だ。増村まさはるは、お笑いコンビ「アメン坊」のボケ担当である。かつては百八十センチ、四十五キロの、ガリガリの棒のような手足であった。だからコンビ名をアメン坊にしようと、ツッコミの雨宮あまみやに言われたのだった。ガリガリの増村いじりが定番ネタであった。しかし増村が突如「ガリガリなのに実は怪力」というキャラを思いついてから、「アメン坊」はブレイクした。そのときの決めポーズが、「ハイ、マッスルマッスル」である。

 しかし増村はその後方向性を間違えた。受けなくなってきたので、「本当にマッスル体型になったら面白いのではないか」と思ってしまったのだ。

 人気がなくなったから仕事も暇で、筋トレする時間は莫大にあった。大胸筋は比較的簡単についた。上腕二頭筋も三頭筋も三角筋も。ついでにミスターユニバースの予選通ったら面白いだろうと、相方に黙って写真を撮って応募した。

「はあ……」

 増村は、再び「マッスルマッスル」ポーズを決めて、ため息をついた。

 貧乏だから、全身鏡なんて持っていない。映るのは上半身だ。鏡に映らない彼の下半身は、ガリガリのままである。写真選考に出した写真は、すべて上半身のみのものだった。

「バレる……」

 上半身ムキムキの、下半身ガリガリ。あまりにもアンバランスなそれに、増村は憂鬱な溜息を吐いた。

 コンコン。

 窓にノックの音がする。大家さんだろうか。家賃待ってもらわなきゃ。最近、地方の営業ですらおよびがかからなくて、この木造安アパート、一階の家賃すら遅れてしまう。

 増村は覚悟を決め、「あいてますよ」と服を着ながら言った。

 ガラリと開いたその窓には、天狗がいた。

「は?」

「あなた、妖怪に取り憑かれてますよ」

「はい?」

「それは……妖怪『チキンレッグ』!」

 増村は天狗の面の少年に説明され、鏡の中の妖怪を確認した。

 トサカも黄色の、全身黄色のニワトリ。そんな形をした妖怪であった。脚だけが異常に細く、長い。全身より長いぐらいの不気味さだ。

 それは、増村と同じ体型だった。


    2


「チキンレッグって、ボディビル用語なんだぜ」

 増村の説明に、天狗面を外してお茶を頂いていたシンイチは驚いた。

「えっ? そうなの? 知らなかった」

「じゃなんでその言葉知ってたんだ」

「知ってた、っていうか、オレ、妖怪が見えるんだ。で、それ見たらそれがどういう名前なのか、分るんだよ」

「は?」

「それ、もうこいつの才能やねん」

 もう一人の少年、修験行者の格好をした、光太郎が言った。

「わしが散々修行して会得した力を、こいつ、『最初からそうだったよ』なんてケロッと言いやがんねん。ずるいわ」

「え? 修行がいるの?」

 とシンイチは真顔で聞く。

「ホンマ腹立つ!」

「まあいいじゃん! で、チキンレッグって何?」

「はあ……」

 増村は、言いたくないのか、ため息を吐いた。妖怪「チキンレッグ」はそのため息、すなわち心の負の闇を吸い、少し大きくなった。

「これが、大胸筋」

 増村は服を脱いで、少年たちに見せた。

「スゲエ! ムキムキ!」

「これが上腕二頭筋、三頭筋……僧帽筋……」

「腹筋も割れてる!」

「実はこれは、すぐつく筋肉なのさ」

「え? そうなの?」

「それに比べて、下半身の筋肉は、なかなかつかないんだ」

「ほっそ!」

 増村の骨だけのような足を見て、シンイチは素直に言った。

「これをチキンレッグ、鶏の細い脚というんだ。『簡単にできることだけやって、本当にやらなきゃいけないことをさぼってる』って。弱虫のことを英語でチキンハートって言うだろ? 下半身の地味でキツイトレーニングから逃げた、弱虫野郎って意味なのさ」

「へええ、知らなかった!」

「要するにアンタ『楽な方向に逃げた奴』ってことやな!」

「光太郎、ずばりと言いすぎ!」

「……子供にそう言われちゃ、怒る気にもならないね。図星だ」

 増村は、ミスターユニバースの選考結果を見せた。

「二次選考は会場審査。ごまかしが効かないし」

「でも増村さんって、マッスル増村でしょ? 『ハイ! マッスル、マッスル!』の」

「そうだよ」

「じゃ別に、ミスターユニバースなんてどうでもいいじゃん! お笑い、ちゃんとやればさ!」

「あのな」

 光太郎がシンイチを止めた。

「それが最初から出来てたら、もっと売れとるわ。簡単に出来るやつからやったろ、って安易さが、この妖怪なんやから。ギャグも安易やで『アメン坊』は」

「関西人はお笑いには厳しいなあ」

 とシンイチは感心する。増村は「図星すぎて声も出ねえわ」とため息をついた。

挿絵(By みてみん)


    3


 増村はお茶を淹れなおしにゆき、狭い台所から彼らに話をつづけた。

「そもそもさ、俺がお笑い芸人になろうと思ったのは、モテたかったからさ」

「えっ、お笑いが好きだからじゃないの?」

「うーん、イケメンじゃないし、楽器もできないから、面白い奴ならモテるかなと思って」

「安易だなあ」

「台本も覚えられなくてさ。半分ぐらいいつもアドリブで」

「安易だなあ」

「で、たまたまウケて、それを持ちギャグに」

「安易だなあ」

「『マッスル、マッスル』が受けなくなってきたので、更に強化しようと筋トレ」

「その安易さがここに繋がるというわけか。最初っから『チキンレッグ』人生で、お笑い目指したあたりから取り憑いていたのかもね」

 シンイチは、増村の肩の上の妖怪「チキンレッグ」を観察した。黄色いトサカには、産毛が生えていて、長く細い脚は、鱗がびっしり生えているようだった。

「きもちわる……」

「じゃ、安易に斬ってみよか!」

 光太郎は火の剣、大鴉をすらりと抜き、「チキンレッグ」を唐竹割りにする。「チキンレッグ」は炎に包まれ、清めの塩になるが、すぐさま再生して生えてきた。

「やっぱアカンか……ホンマに東京の闇は深いのう。関西人やったらこれでチャンチャンってなるのになあ。……あれ?」

「何かきづいたの? 光太郎」

「『アメン坊』って、たしか関西出身の芸人やなかったっけ?」

「よく知ってるな」と増村は答えた。

「昔深夜のお笑い番組で見たで! でもマッスルはん、関西弁ちゃうやんか」

「ああ、……俺、矯正したんだよ」

「矯正?」

「俺、緊張すると滑舌悪くなるんだよ。だからアナウンサー学校に行って、標準語ならしゃべれるようにしたんだ」

「ほな、大阪弁でしゃべってみてや」

「な゛ん゛で゛や゛ね゛ん゛」

「ホンマや。滑舌めっちゃ悪い!」

「だったら、簡単じゃん」

 突然、シンイチが言った。

「滑舌をよくすることからやろうよ!」

 増村と光太郎が同時に言った。

「そっから?」


 三人とお供の二匹は、近所の公園で発声練習をはじめることにした。

「あめんぼ赤いなあいうえお」

「あめんぼ赤いなあいうえお」

 発声練習に使われるので有名な、北原白秋の「五十音」を、皆は復唱する。

「こんなんで効果あんのかよ」

「即効性はないだろうね」

「じゃ意味ねえだろ」

「地道なトレーニングをやることに、意味があるのさ」

「時間がねえよ! これじゃ二次予選に間に合わねえよ!」

「えっ、出るつもりだったの?」

「勿論」

「下半身鍛えるのに、どれくらいかかるの?」

「最低半年」

「予選は?」

「来週」

「全然無理じゃん!」

「もういいよ。地味なことやるつもりもねえんだから」

「それがチキンレッグだって言ってんの!」

「ぐぬぬ」

「お笑い芸人として大成しなよ!」

「ぐぬぬ」

「その前にモテなよ!」

「ぐぬぬ」

「その前に滑舌直しなよ!」

「ぐぬぬぬぬぬ」

「滑舌よくなったら、自分の言葉でしゃべれて、ネタも面白く言えるようになるよ!」

「……今のネタ、面白くないと?」

「自分で気づいてへんかったんかい!」

 光太郎が横から突っ込んだ。

「台本自体はまあオモロイ。ちゃんと落ちも切れてるし。でもそれってツッコミの雨宮のほうが書いとるんやろ? あれは大阪弁のテンポのネタやで」

「子供に分析されるとは……」

「へえ、そうなんだ」

「関西人やったら誰でも分るで!」

「そうなんだ」

「……だから、一番地道なことからやれと」

「ついでにスクワットしながらやってみようか、ハイ!」

「あめんぼ赤いなあいうえお!」

「ハイ!」

「柿木栗の木かきくけこ!」

「ハイ!」

「なんやオモロイなそれ! ネタにしたらええんちゃう?」

 光太郎がゲラゲラ笑った。

 だが、妖怪「チキンレッグ」は、それだけではびくともしなかった。

「スクワットで下半身か。地味すぎる。ぜってえ挫折する」

「じゃ、そもそものモテを解消しようや! モテ塾に行こう!」

 と光太郎が提案する。

「?」

「テレビで見たで! 東京にはそういうのあるんやろ?」

「売れない芸人には、そもそも金がない」

「じゃ、『天狗のかくれみの』で潜入してみようや!」


 しかしモテ塾でも、「即効性のある便利な技」などないのだと知らされることになる。「女の心を一から知ること」「身だしなみの技術」という地道なことを、一からコツコツやらなければモテなどないのだと。「周りの女性にあいさつして、日々仲良くなる」という、一番難しいことがモテの王道だと知る。

「無理だろそんな地道なの!」

 「チキンレッグ」にとらわれた増村はすぐ音を上げ、安易な方法を捜そうとする。

「ダンス出来る芸人ってカッコ良くね?」

 ダンス教室へ忍び込む。しかし最初の地味なスクエアステップで挫折。

「アクション出来る芸人ってカッコ良くね?」

 殺陣の教室に通ってみる。しかし木刀の素振り百回に挫折し、地味な正拳突き二百本が嫌になる。

「それこそ、基礎をじっくりやんないと意味ないよね」

「歌える芸人がいい!」

 歌の教室では、ハモリをマスターしようとして、楽譜が読めないことに気づく。

「なんだよ! 世の中のスキルは、全部地道な基本からかよ!」

 増村は叫んだ。

「すぐ成功できる方法は、ねえのかよ!」

「あるよ」

 シンイチは言った。

「えっ」

「仮にあるとすんじゃん。簡単にスゲくなる方法」

「うん」

「みんなやる。で、みんなやった結果、全員がスゲくなる」

「で?」

「みんな同じスタートラインになるだけ」

「天才か」

「誰も知らないすごい方法があったとしても、いずれ漏れて、じゃ一緒になる」

「シンイチ、それは自分で気づいたのか?」

 お供のネムカケが感心して言った。

「え? うん。なんとなく」

「それは背理法のうちでも、『否定の導入』によるやり方でな。ユークリッドが紀元前三世紀に発明した方法じゃぞ」

「へええ。でもそれと増村さんが地道なこと嫌がるのは、関係ないよね」

「たしかに」


   4


 一行は増村のアパートの部屋に戻ってきた。

「最初に戻ろう。そもそもモテたいんだよね」

「うむ」

「タイプとかある?」

「北川景子」

 と言われても、芸能界に疎いシンイチにはピンと来ない。

「ほほう。お目が高いですな!」と、ミーハーの光太郎が食いついてきた。

「分りますか」

「分りますとも」

「じゃ、有村架純は」

「好き」

「上野樹里は」

「いい」

「滝川クリステルは」

「上々」

「お目が高い」

「ありがとう」

「あと……」

 光太郎は指折り数えた。

「水原希子、戸田恵梨香、榮倉奈々、相武紗季、のん、松浦亜弥、平愛梨、松井玲奈、松下奈緒、檀れい……」

「いい趣味してるね」

「ふふん。共通点、分るか?」

「?」

「全員、兵庫県出身」

「ウソ! だって全然関西弁出ないじゃん!」

「プロ意識や。彼女らはな、関西の匂いを消したんや。なんでも演じる女優の為にな」

「知らなかった……」

「並大抵の努力やないで? お前みたいに適当な標準語でしゃべっとるわけやないで? 彼女らはホンマは『なんでやねん』とか『そこバーッと』とか言うんやで! それを言わんのは、彼女らの努力なんや!」

「……」

「どないしてん」

 増村は脂汗をかきはじめ、黙ってしまった。しかし懸命に話し始めた。

「……お、俺な。……昔、き、吃音症やったんや……」

「???」

 増村はひと息つき、何度も深呼吸し、ゆっくりと言葉を継ぐ。

「だから、それがバレるのが怖くて、滑舌を、きれいに、でけへんねん。キレイにしよう思ったら、どっかで、ど、どもるんちゃうかって怖くて、……だから、無難な標準語に、矯正し、したんや」

「それやったら、すぐできるから、と」

「……そうやな……俺の人生、楽にばっかり、流れてたんかな……」

 増村は自分のスマホを取り出した。壁紙は北川景子だった。

「そんな努力、か、彼女がしてるとか思わへんやん。いつも楽しそうに笑うばかりで」

 シンイチは言った。

「モデルの人も、楽しそうに笑うのが仕事って言ってた。お笑い芸人だって、毎日楽しそうにしてるよね。毎日楽しい?」

「そんなことはない」

「でもお笑い芸人は毎日楽しそうにする」

「……」

 増村は立ち上がり、スクワットをはじめた。

「あめんぼ赤いなあいうえお!」

「あめんぼ赤いなあいうえお!」

「それ、大阪弁でやったらどう?」とシンイチが思いついた。

「なんでや」

「大阪弁の練習にもなるでしょ」

「あめんぼ赤いななんでやん!」

 増村は大声でスクワットを再開した。

「浮き藻に小エビが泳いどって、タコに食われた!」

「柿の木栗の木、いらっしゃーい!」

「???」

「キツツキこつこつやってられるかい!」

「なんなんやそれ!」

 光太郎のツッコミに増村は笑って答えた。

「適当」

「適当って!」

「適当だけど」

「適当だけど?」

「なんか、色々出来そう」

 十回もやらないスクワットで、すでに膝がガクガク震えている。

「ハイ! マッスルマッスル!」

「わろとんのは膝の方やろ!」

 光太郎が突っ込み、シンイチが笑った。増村も思わず笑った。

「なんか、一個パターンができた!」

「それで?」

「これだけじゃ足りない。もっとパターンを考えないと」

「分ってるやん」

「だからもうちょっと協力して」

「そこ他人に頼るんか!」

 増村と光太郎の掛け合いは、どんどん大阪の会話のテンポになってゆく。

「またしてもひとつパターンができた!」

 シンイチはほんものの漫才のかけあいを見ているようで笑った。

「……」

 増村は、この空気を吟味した。

「なんやねん」

「このテンポなら、どもりが出ない。これなら、続けられる」

 こうして、妖怪「チキンレッグ」は増村の肩から下りた。

「不動金縛りの術!」

 シンイチは天狗の面を被ると、天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「でも光太郎の大阪弁が効を奏したんだから、今回は光太郎の手柄なんじゃないの?」

「いや、シンイチが『大阪弁でやれ』って判断したからや。手柄は譲る!」

 光太郎は、こういう時は公平だ。そこが光太郎のさばさばしたいいところであるとシンイチは思った。

「火よ在れ! 小鴉!」

 黒曜石の短剣から炎が上がり、妖怪「チキンレッグ」を真っ二つにして清めの塩と化した。

「一刀両断! ドントハレ!」



「ハイ! マッスルマッスル!」

「わろとんのは膝の方や!」

 大阪弁のマシンガントークスタイルに戻した「アメン坊」は、「マッスル、マッスル」で再ブレイクした。

 スクワットしながら「マッスル、マッスル!」と叫ぶのは、どの小学生も真似するほど流行し、シンイチのクラスでも爆発的にみんな真似した。

 テレビ、劇場、ネタの稽古。あまりにもいろんな所でスクワットしすぎて、結果的に、増村の下半身は徐々に筋肉がついてきた。

「来年のミスターユニバースに、まじで狙えるかも」

 新しく買った全身鏡を見ながら、増村は「ハイ、マッスルマッスル」とスクワットした。



    てんぐ探偵只今参上

    次は何処の暗闇か



予告


 私はスパイ。謎の組織Xの存在を知ってしまった、ただの一般人。彼らの陰謀に気づいたことが、どうやら知られてしまった。だから今追われている。彼らに盗聴され、監視されているのだ。逃げ切らなければ。思考盗聴を避けるため、私は彼らのことを考えないようにする。

 てんぐ探偵第六十七話「私はスパイ」に、ドントハレ!

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