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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
五章 ふたりの探偵
64/116

第六十話 「幽霊屋敷は迷路屋敷」 妖怪「増築」登場



    1


     朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 闇だ。

 前が見えない。懐中電灯の光は弱い。薄暗いビーム光の外は、真の闇が広がる。

 古い木の廊下は、歩くたびに低く軋む。

 ぎしり。ぎしり。……きしり。

「ん?」

 公次は耳をこらし、懐中電灯をその音の方に向けた。

 ぎしり。ぎしり。……きしり。

「ススム。足音がひとつ多いぞ」

 公次は後続のススムに振り返った。

「……!」

 公次は大声を上げそうになって、慌てて自分の口を塞いだ。そのまま小声でススムに怒鳴る。

「お前ふざけんなよ! こんな時に!」

 ススムは下から顔に懐中電灯を当て、お化けみたいな笑い顔をしていたのだ。

「心臓が止まるかと思ったわ!」

「公次さあ、一人多いなんて、俺を怖がらせるつもりだろ? 大体さ……」

「しっ」

 ススムの言葉を、公次が止め、上を見た。

「天井」

 きしり。きしり。

 懐中電灯を天井に向ける。ひんやりとした空気の中から、かすかな音がする。……きしり。

「……幽霊かな」

「ネズミだろ」

 ここは子供たちの間で、「幽霊屋敷」と呼ばれる、無人の古い洋館である。森のように大きな土地に、廃屋のように打ち捨てられた洋館があり、最近そこに「白い女の幽霊が出る」という噂が立っている。公次とススムは幽霊の正体を確かめに、真夜中に忍び込んでいたのだ。ついに幽霊登場か。それともネズミか。

 ぴたり。

 その足音が止まったかと思う瞬間、きしきしきしきしと、天井を走る足音に変った。

「なんだよ! 幽霊って走るのかよ!」

 公次は一つの考えに思い至り、恐怖にかられた。「幽霊って足ないんだよな? なんで足音がするんだよ!」

 ススムが反論する。

「西洋の幽霊はあるぞ!」

「マジか!」

 公次とススムは、血の気が引いてきた。

「じゃ西洋の幽霊なのか?……やっぱ大吉連れてくるんだった……」

「いくら大吉のメガトンパンチでも、幽霊はすり抜けるかも知れないぞ……」

「引き返そう!」

 公次は後方の階段を降りようと、手すりにつかまった。

「……アレ?」

 奇妙なことに、下り階段の先が壁で埋まっていた。行き止まりだとしたら、何故下り階段などつくるのか。公次の握った冷たい真鍮の手すりは、下り階段の先の壁に飲み込まれている。いや、逆に階段が壁から生えているかのようだった。

「変だよ……この階段変だ……」

「公次。そっちから来たんじゃない。この扉を開けて……」

 ススムは重い木の、装飾を施された大きな扉を開けた。

「なんだよこれ」

 一面、煉瓦の壁だった。

「なんで行き止まりなのに扉があるんだよ? 何かのトラップかよ……」

「違うよ」

 公次はさっきからずっと気になっていたが、恐くて言えなかったことを口にした。

「この幽霊屋敷全体が、ひとつの幽霊だとしたら……?」

「え……?」

「俺たちは、幽霊の腹の中に入っちまったんだ……!」

「やべえじゃん! 帰ろう! とにかく帰ろう!」

 二人はがたがたと膝を震わせながら、闇の廊下を、懐中電灯を振り回しながら走った。ビロードのカーテンが壁に複雑な形をつくり、幽鬼のように懐中電灯で揺れる。

「うわ!」

「なに!」

「あれ見ろ!」

 刀が壁に飾ってあった。刀……ではない。半円状に曲がった刃。

「おかしいだろ! 刀があんなに曲がるはずがない!」

「この屋敷は次元の歪みに巻きこまれているのかも!」

「俺たち、帰れるのかよ!」

 とんび野町の外れに大きな森がある。それは元貴族の広大な土地で、鬱蒼とした樹に囲まれた由緒正しき洋館がある。名をウィンザー邸という。ヨーロッパの貴族ウィンザーがかつてここに住んでいて、その人は昔死んだらしい。庭の樹は以来のび放題で、まるで魔女の杖だ。煉瓦の壁や尖塔の屋根にはツタが絡み、打ち捨てられた巨大生物の死骸のようである。子供たちの間ではそのビジュアルから「幽霊屋敷」と呼ばれていたが、それだけでは済まなくなった。「白いドレスの女の霊」が、次々と目撃されたからである。

 勇気ある六年生が、幽霊の正体を見極めようと忍び込んだ。別の五年生も忍び込んだ。しかし彼らの話は食い違っていた。屋敷の構造が迷路状だったことまでは同じだが、それぞれの描いた屋敷内の地図が違うのである。さらに別の勇気ある六年生が忍び込んだが、2つの説のどちらでもなかったという。侵入口は同じで、見間違いもあるはずがない。階段、部屋、壁、廊下、柱、窓の配置、すべてが異なるというのだ。

 「忍び込むたびに中の形が変わる迷路屋敷」。それが幽霊屋敷だという。「ダンジョンが毎回変わるゲームかよ」なんてゲーム好きのススムが突っ込んでいる余裕は、既になかった。

 壁で埋まった下り階段。扉を開けたら煉瓦の壁。曲がった刀。走る謎の足音。

 二人の心臓は早鐘のように鳴り、「肝試しを兼ねて、幽霊屋敷の謎を解こうぜ」なんて、意気揚々としていた昨日のことはすっかり忘れていた。

「うわあ!」

 走り抜けた先には、極彩色の巨大な花が口を開けて、二人を喰わんとしている。

「人食い花だ!」

 脇にあった小さな階段で、慌てて下る。一階、二階、三階……。

「アレ? この屋敷、三階だてだったよな……?」

「おう。たしかに」

「じゃあなんでまだ階段があるんだよ!」

「ここ、地下なんじゃねえの?」

「外見ろよ!」

 月明りに照らされた森が見える。まだ地上の高さじゃない? 階数が増えた!

 と突然、突然黒板に爪を立てたような、甲高い音が響き渡った。

 ぎぎぎぎぎぎぎ。

「ひいいいいいいいっ!」

 重い鉄の扉がゆっくりひらき、生暖かい空気が吹いて来た。

 闇の中に、白いドレスの女が立っていた。

 俯いて顔は見えない。顔の中に闇が広がっているようだ。

「で、でたあああああああ!」

 女はゆっくりと手をあげ、公次とススムのうしろの扉を指さした。ステンドガラスが施された黒い扉だ。

「ススム! ダメだ! あの扉を開けると死ぬぞ! 地獄の扉だ! あの幽霊は俺たちを殺すつもりなんだ!」

 俯いて目も鼻も見えないその女は、表情すら定かではない。何を考えているのか、まったく分からない。

 ふと、先程ススムがしたように、彼女の下から光が当たった。

「うわああああああ!」

 女の顔は、死期が間近に迫ったよ老婆のそれであった。

 腰が抜けた二人は、最後の頼みにステンドガラスの扉を開けた。

 庭だ。

 外へ出られたのだ。

「うわあああああああああ!」

 二人の少年は体中から液体を漏らして、転がるように走り出した。


   2


「マジか! 行って来たのかよ! なんでオレ呼ばねえんだよ!」

「だってシンイチは天狗の力とか使っちゃうだろ! 俺らだけで幽霊の謎解き明かしてえって思ったんだよ!」

 放課後、公次とススムの描いた屋敷の地図を見ながら、シンイチは幽霊屋敷の謎に興奮していた。情報通の公次は、あの時を思い出しながら続けた。

「六年生に聞いてた情報とも、一組の奴に聞いてた情報とも違ったんだ。庭の壁にあいた穴から入ると、左に通路がある筈なんだ。まず初手から違った。右に通路があったんだ」

「右と左、間違たんじゃね?」とシンイチは冷静だ。

「そんな訳ねえだろ! 仮にそれが違ってたとしても、次は階段の筈なんだ。ところが、三叉路。十字路っていう情報とも違ってる」

「ビビッて記憶がごっちゃになってるだけとか」

「だからマッピングの得意なススム連れてったんだろ!」

「なるほど」

 ゲーム好きのススムの得意技は、緻密なマッピングだ。その攻略メモに、シンイチは何度も助けてもらった経験がある。

「信じろよ!」とススムは強調した。

「少なくとも、情報はバラバラなんだ。忍び込むたびに、中の形が変わってるんだぜ!」

「そんな馬鹿な。一体どういうことなんだよ?」

「決まってるだろ!」

 公次は興奮気味に叫んだ。

「あの屋敷は、夜な夜な形を変えるんだよ! あの屋敷自体が巨大な幽霊なんだ!」

 シンイチは笑ってしまう。

「幽霊なんていないだろ」

「妖怪はいるんだろ? 幽霊もいるよ!」

 シンイチは、かつて「幽霊が見える」と、ずっと嘘をついていた転校生、結城礼一ゆうきれいいちくんのことを思い出していた。あだ名をユーレイ。ユーレイは、今どこかで元気にやっているだろうか。シンイチは、親友になれると思っていたのに。シンイチとしては、幽霊にだっていてほしいのである。

「じゃあシンイチさ」と、想像力豊かなススムが言った。

「幽霊じゃなくて、あの屋敷全体が、妖怪だったとしたら……?」

 てんぐ探偵としての使命感が、シンイチにむくむくと湧き上がってきた。

「そりゃ調査しないとな!」


 シンイチは家に帰ると、庭で素振りをしていた光太郎に尋ねた。

「光太郎。幽霊っているのかな?」

 光太郎は手の中の木刀を止めた。

「おれへんやろ。おるかも知れんけど、ワシも烏天狗たちも見たことないで」

「ちなみにワシもみたことない」とネムカケが答え、「阿ー(そうそう)」と罵詈雑も答える。

「でも世の中には、沢山幽霊の目撃談とかあるじゃん。『死んだ人に会った』とかさ」

「見間違いをそう呼んどるだけかも知れへんで? もし『死んだ人に会った』のが本当やとしても、それは妖怪『死んだ人に会いたい』の見せた、幻ってな方が現実味あるやろ」

「妖怪『死んだ人に会いたい』か」

 その気持ちはよく分る。シンイチは今でも、将棋友達タケシの飼っていた老犬、シロに会いたい。その気持ちを妖怪「心の闇」は利用するかも知れないわけだ。

「まあ、そんなんおるとしたら、いう仮定の話やけどな」

 シンイチはウィンザー邸、迷路屋敷の話を光太郎にした。

「ホンマか! 形が毎回変わる幽霊屋敷?」

「幽霊がいないって言ったのは、光太郎だよね?」

「ほんなら何かい。……幽霊屋敷は、妖怪の仕業ってかい」


 二人のてんぐ探偵は、今夜ウィンザー邸に忍び込む。


   3


 夜。

 黒い森を高い煉瓦塀で囲んだ、幽霊屋敷ウィンザー邸の前に、シンイチ、光太郎、おともの虎猫ネムカケ、烏の罵詈雑が立っていた。

 正面の分厚い鉄の扉には棘がついていて、侵入者を拒んでいる。深い森の隙間から見え隠れするのは、三角や尖った屋根や、塔や白い壁や西洋風バルコニーなどの、複雑な形の洋館の一部だ。

「デカいなあ……」

 単純に入り口を間違えただけで、迷子になりそうな大きさだ。シンイチは光太郎に言った。

「情報によると、こっちだ」

 正門を正面にして左に進み、壁の柱を数えていく。二十四と二十五の間の壁の、左から四番目、下から二番目のブロックが動く。そっと押すと中に入り、子供一人だけ通れる通路になる。

 そのまままっすぐ行った銅の色の扉には、鍵がかかっていない。公次とススムが入ったからか、他の扉には張っている蜘蛛の巣がなかった。シンイチと光太郎たちは、薄暗い迷路屋敷の中に足を踏み入れた。


「なんだ?」

 早速、不思議な物体が現れた。鉄製とおぼしき黒い螺旋階段。上の階へ繋がるのかと思いきや……

「螺旋階段の先が、どこにも繋がってないぞ!」

 シンイチは指差した。

「ホンマや! なんやこれ?」

「ただ螺旋階段が立っているだけ?」

「異次元空間への階段ってか?」

 光太郎が一本高下駄を履いて、ひとっ飛びに登ってみる。

「別に、ただの階段やで!」

「だとすると……何の為にこの螺旋階段つくったの? どこへも行けない螺旋階段って」

「たしかに。ヘンやな」

「あ! これか! 『下り階段の先が壁』ってやつ!」

 真鍮の手すりの下り階段の先が、白い壁で埋まっている。コンコンと叩いてみるが、先は厚いもので出来ていそうだ。

「何の為にこんなもの作るんだ? 死体を埋める為?」

「シンイチ! これが例の『扉開けたら煉瓦の壁』やな!」

 光太郎が装飾のついた木の扉を開けると、たしかに煉瓦の壁に行き止まりであった。

 目を凝らすと、廊下の先もおかしい。三段あがって三段下りる、階段だけの物体がおいてある。

「一体なんなのこれ?」

 窓の外に別の棟が見えた。外壁の三階に、何故か扉があった。

「何あれ! 中から扉開けたら、ストーンって落ちちゃう! 侵入者トラップ? 違うよね?」

「あれ何や!」

 庭には、空中に渡り廊下だけがあった。太い柱三本の上に、どこからも通じない、どこへも行けない渡り廊下だけが置いてある。別の棟には三階から外壁ぞいに非常階段があるが、二階から一階の分がない。

「どうやって降りるんだよ。一体何の為にこんなの作ったんだよ!」

 これらを観察していた物知りの妖怪猫、ネムカケが口を開いた。

「つくったのではないかも知れんぞよ、シンイチ」

「? どういうこと?」

「これはな、トマソン物件というのじゃ」

「トマソン物件?」

 ネムカケは説明を始めた。

「定義によると、『建築物に現れる、無用の空間』じゃな。作家の赤瀬川源平あかせがわげんぺいが発見し、都会に現れる異次元のように観察した記録がある。外壁に突然現れる扉や、途中で終わる階段が多いのう。階段の先が踊り場だけで終わっていたり、外壁にバルコニーだけあって、そこへ行くルートがないなど、まるで『間違った建築物』のような、設計ミスで現れた空間のようなものを言う」

「なんでそんなの作っちゃったの? 設計ミス? ……いや、待てよ」

 シンイチは気づいた。

「階段やバルコニーがもともとそこにあったんだけど、別のがなくなったり増えたりしたせいで、訳が分からなくなっちゃったんじゃない? たとえば、もともとあの螺旋階段はあったんだけど、上の階が取り壊されて『どこにも行けない階段』になったとか……」

「ビンゴじゃ! 流石シンイチは頭がいいのう。つまり、増築や改築によって、都合があわなくなってしまった部分が、トマソン物件の正体じゃな」


 ぎぎぎ。


 突然、重い鉄の扉が勝手に開き、生暖かい風が吹いて来た。

「うわ!」

 びっくりしてシンイチは後ずさった。長い髪の、白い服の女が立っている。

「噂の幽霊! いや……」

 シンイチは冷静に観察した。彼女の肩のあたりを。

「妖怪『増築』!」

 女――老婆は、公次やススムにしたように顔をあげたが、その表情は恨みの女幽霊ではなかった。

「妖怪……増築?」

 彼女は手元にiPadを持っていて、そのブルーライトが下から照らす恐ろしい光の正体だと、シンイチは気づいた。

挿絵(By みてみん)


   4


 シンイチは腰のひょうたんから小さな鏡を出し、老婆の肩に憑いた妖怪『増築』の姿を見せていた。その妖怪は洋館の上に洋館をいくつか重ねたような複雑な形で、不規則な大きさの窓が並び、不揃いの屋根が重なり合い、にょきにょきと塔が出て、ゆっくり少しずつ形を変えている。まるでこの屋敷を表現しているようだ。

「ススムたちの目撃した下からの光の正体はこれかあ」

 シンイチは彼女の持っているiPadを見た。そこに、各所に仕掛けられた監視カメラの映像が映っている。

「ワシはな、これを見て侵入者を驚かすのを趣味にしとるんじゃ。ひゃひゃひゃ」

 白いドレスのその老婆――梅子うめこ・ウィンザーは歯のない口で笑った。

「こないだ丁度二組が同時に忍び込んでいてのう」

「そうか! 公次とススムが聞いた足音は、もう一組の肝試しチームか!」

 シンイチは言った。

「じゃあ壁に埋まった階段も、扉を開けたら壁になってるのも、どこにも行かない螺旋階段も、このヘンテコ屋敷の間取りがおかしいのも、増築を続けたせいなんだね?」

「そうじゃな。廊下によっては、中二階、中三階もあったりして、全ての図面をもうワシは把握してないかも知れん」

「歪んだ刀ってのは?」

「あれのことか」

 壁にかかっていた刀を梅子は差した。ネムカケがフォローする。

「あれはペルシャの刀、偃月刀えんげつとうじゃな。三日月刀ともいって、盾の向こうを横や上から攻撃する為の半月状の刃じゃ」

「へえええ!」

「人を食べる毒の花は、中庭の植物園の食虫植物じゃな」

 ひとつひとつネムカケの種明かしを聞き、シンイチと光太郎は話が整理できてきた。

「幽霊屋敷の正体は、増改築を続ける屋敷やったんやな」

「でも」

 シンイチは鋭い目つきになった。

「その原因は、梅子さんが妖怪に取り憑かれたことなんだろ?」


 梅子の話を総合すると、以下のようなことがあったそうだ。

 若い頃の梅子と、この屋敷の主デビッド・ウィンザーは、ローマで出会い恋に落ちた。貴族・ウィンザー一族の反対を押し切り、二人は日本に駆け落ちした。安アパートの二階の四畳半で、二人は貧乏生活をはじめた。日常会話もままならないデビッドに、梅子は日本語を教え、デビッドは梅子に英語を教えた。デビッドは肉体労働をし、梅子はバイトで家計を助けた。

「幸せだった。苦労したけど、あの時が一番幸せだった」

 梅子は遠い目をした。

 その後、一族がデビッドの居場所をつきとめた。国には帰らないと言うデビッドに対し、父親がとんび野町郊外の森を買い取り、巨大な屋敷を建てたのだ。それが今のウィンザー邸(の第一形態)だ。家業の海運業をデビッドは継ぎ、五人の子供を設け、ウィンザー邸は増築され、家族は幸せそのものだった。

「だけどね」

 梅子は寂しそうに言った。

「五男が二十歳になって子育てが終わった頃、夫が海難事故で死んだの」

 五人の子供はみんな出て行った。広大な屋敷に、梅子は一人取り残された。

 長男も次男も三男も長女も、孫の顔を見せに来る。しかし梅子に会いに来るのは、この土地と遺産が欲しいから。

「フン。この屋敷を誰にもやるもんですか」

「……で、どうして増築を?」

「……多分、寂しかったんだろうね。四畳半のアパートの頃、毎晩『あんな部屋に住みたい』『こんな家に住みたい』って話をしたのよ。今日はドイツ風の部屋で眠ろうとか、今夜は中国の宮殿風とか、デザイナーズマンションとか、日本庭園とか巨大植物園とか……。夫が亡くなったあと、私はその部屋を、ひとつずつ作り始めたってわけ」

 シンイチは気が遠くなった。この屋敷は、とんび野小学校の何倍もの大きさだろう。ひと部屋ひと部屋増築改築しつづけて来た、その執念。

「もう二十年になるのかねえ。気づいたら、どこもかしこも老朽化して、お化け屋敷みたいになってたってわけ。だから修繕も増築も改築も、結局ずっと続けてるのよ」

「まるで完成せえへんサグラダファミリアみたいやな」

 スペインの三百年かけて建設を続ける巨大教会に、光太郎は喩えて言った。

「そうか! 梅子さんの中では、まだこの屋敷は完成してないんだね?」

「そう……かも知れないねえ……」

「なんでだ? その理由こそ、心の闇……」

 考えたシンイチは、当たり前の理由に気づいた。

「ああ。……そうか……旦那さんがいなくて、寂しいことか……」

「この屋敷はトマソン物件そのものさ。私の心をそのままうつしている」

 梅子は、トマソン物件の説明をネムカケから聞いて呟いた。

「私の心こそトマソンさ! 私自身も! そう、『無用の長物』なんだ!」

 シンイチはどうフォローしていいか分らなかった。そのトマソン物件で楽しんだ、先程の自分たちを反省した。

 と、梅子の手元のiPadが光った。

「また侵入者?」

「いや」

 梅子は監視カメラに映った男の姿を見て言った。

「勘当した一番出来の悪い五男だよ。……いまさら、何の用だって言うんだい」


   5


「母さんが飼いたいって言って犬が、手に入ってさ!」

 梅子の五男、五郎ごろうはキラキラした目で、子犬を抱いていた。

「それをダシに金の無心にでも来たのだろう?」

「母さん俺もうすぐ四十だぜ? なんとかなってるよ。それよりよく見てくれよこの模様!」

「……あっ」

「そう、母さんがいってた模様そのものなのさ!」

 五郎は子犬より無邪気な目で言った。

「右耳の後ろが黒で、左半分に茶色のシミみたいな……意外とそういう模様、見つからなかったんだぜ! この子の名前、決めよう! 母さんがずっと決めてた名前あるんだろ?」

伍衛門ごえもん

「決まり! 伍衛門、よろしく!」

 梅子はシンイチたちに説明した。

「……夫と二人で暮したアパートは、ペット禁止でね。私は捨て犬を見つけてしまって、拾ってきてどうにかして育てようとしたの。『伍衛門』って名前をつけて。でも次の日大家さんに見つかって、他所へもらわれていったのよ。以来、どうしてもその雑種の犬を飼いたくて」

 伍衛門の耳を撫でる五郎に、ため息をつきながら梅子は言った。

「遅すぎたよ。……あの部屋で飼わなきゃ意味がない」

 シンイチは思いついた。

「じゃあ、その部屋に住めばいいんじゃん!」

「?」


 とんび野三丁目のそのアパートに一行は到着した。だが、そこは土地ごと近代的な大きなマンションに変ってしまっていた。

「これじゃあ意味ないやんけ! 四畳半のボロアパートやないと、気分でえへんやん!」

 光太郎がぶりぶり怒ると、梅子はつぶやいた。

「じゃあ最後の増築は、あの部屋の再現にするかねえ。そこで伍衛門と暮らそうかしら」

「それじゃダメだよ!」

 シンイチは言った。

「『あの部屋』で飼わなきゃ意味ないよ!」

 シンイチは腰のひょうたんから出した円の皿に清水を入れ、呪文を唱えた。

「水鏡の術!」

 水鏡の術とは、天狗の遠見の力を水面に再現する術だ。千里眼で見ても良かったのだが、みんなで見れる水鏡をシンイチは選択した。うつしだされたのは……六十年前の、ボロアパートあけぼの荘。

「母さんだ! 若い!」

 その風景の中に、二十歳の頃の梅子がいる。夕食の買い物帰りか、新品の黄色いエプロンがまぶしい。

「デビッド!」

 梅子は思わず声を上げた。若い夫。たくましい夫。梅子の愛したはつらつとした男。

「アパートの中を見たい」

 梅子のリクエストに、シンイチは水鏡に部屋の中をうつしだす。

「ああ! そう! この部屋よ! 何もかも思い出せるわ! 短くて足の出ちゃう敷布団、ベッドが買えないからパン屋さんのケースで作ったベッド、蓋のないトイレ、つくりつけのヘンテコな机と椅子……紅葉の柄の細工硝子の扉……ああ、この部屋に住みたい!」

「遺産目当てに兄貴たちが寄って来るならさ」

 五郎が言った。

「全部使っちゃいなよ。このマンション買い取って、潰して、このアパートと同じもの建てようよ。母さんはそこに伍衛門と住むのさ。銭湯に通って、商店街で安くて新鮮な魚買ってさ」

「五郎! 素敵なアイデア! 増築してあの屋敷につくるより、うんといいわ!」

「お屋敷はどうするの?」

 シンイチが聞いた。

「あの部屋があれば何もいらないわ。五郎にあげる」

「いいよ。いらないよ」

「あ、じゃあいいアイデアがあるんだけど、オレ!」

 シンイチが手を挙げた。

「なに?」

 シンイチは梅子に耳打ちした。

「……いいわね」

 梅子はいたずらっぽく笑い、次の瞬間、梅子の妖怪「増築」は肩から下りた。

「よし! 取り引き成立! 火の剣、小鴉!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「ちょい待ち! 不動金縛りを忘れとる!」

 慌てて光太郎が九字の印を結び、妖怪退治を世間に見られないように、周囲に不動金縛りをかける。

「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛りの術!」

 光太郎も、烏天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、烏てんぐ探偵である。

「火よ在れ!」

 シンイチの小鴉と光太郎の大鴉、ふたつの火の剣は、妖怪を十文字に切り裂き、清めの炎で塩と化した。

「一刀両断、ドントハレ!」



「あなた、今日はブリが安かったので、煮付けにするわね」

 伍衛門を連れて商店街から帰って来た梅子は、四畳半のテーブルの上の、デビッドの遺影に声をかけた。牛乳瓶に花を活け、黄色いエプロンをつけ、魚をさばきはじめた。

「ブリは英語で……そう、イエローテール。シチュード・イエローテール・アンド・ラディッシュ。お好きでしょう?」

 若い頃のデビッドの写真は、はつらつと梅子に笑いかけていた。今の梅子も、同じように笑っている。

「そうそう、五男の五郎がね、また遊びに来るって言ってたわ。ここはトイレの蓋がないのよって言ったら、買ってきてくれるんですってよ!」

 と、テーブルの上のiPadが光りはじめた。

「もう。もうちょっと深夜にしなさいな」

 屋敷に侵入者。今度は四年生だ。

 シンイチの提案で、幽霊屋敷はそのままになった。そして増改築もそのまま続けることになった。とんび野町の九龍城、増え続ける謎の幽霊屋敷は、子供たちの想像をかきたてる存在であり続けてほしいと、シンイチが頼んだのである。

「だってそっちの方が面白いじゃん!」

 シンイチのいたずらっぽい微笑みに、梅子も賛同したのだ。


 梅子は鍋の火を消し、白いドレスに着替え始めた。

「そろそろ幽霊ババアの出番だね?」



    てんぐ探偵只今参上

    次は何処の暗闇か



予告


 テレビで有名なギリシャ料理研究家、春田つぐみに取り憑いた大妖怪「嫌い」。彼女の心の奥底に挑む。なぜ彼女は「嫌い」に取り憑かれたのか。彼女の「嫌い」のはじめての感情は。記憶の彼方へ沈んでゆくと、最初に無くしてしまった熊のぬいぐるみ、ジョーに出会う。彼がいま、彼女に言いたいこと。

 てんぐ探偵第六十一話「殺したいほど愛してる」に、ドントハレ!

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