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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
五章 ふたりの探偵
63/116

第五十九話 「スリルに取り憑かれた男」 妖怪「スリル」登場



    1


     朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす

     心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



「3、2、1、ゴー!」

 短い、怒号にも似たカウントダウンで、杉沢すぎさわはセスナ機のハッチから空中に躍り出た。

 上空二千メートルからのスカイダイビング。世界的スタントマンとして有名な「ロケット杉沢」にとっては、「飛び慣れた」高さのダイビングだ。

 ただし今日のダイブが一味違ったのは、このスタントが「パラシュートなし」で行われていることだ。つまりただ落ちていくだけ。それはハイレベルな自殺なのか。

 手足を広げたり閉じたりして空気抵抗を調整する。耳を切り裂く空気の轟音を聞きながら、ロケット杉沢は地上に張られた三十メートル四方の巨大ネットへ向かって落ちてゆく。遥か上空から見た黄色いネットはただの点にすぎない。強力な黄色い合成繊維で編まれた網は、杉沢の肉体を受け止める。計算上はそうだし、何度も衝撃テストはした。しかし上空からそこに飛び込むのはぶっつけ本番だ。

 そこに落ちなかったら? 距離感を見誤って、ネットに体が飛び込まなかったら? 「ロケット杉沢」は、地面で飛び散るだけだろう。


    2


「おかわりっ!」

 光太郎はごはん粒を頬につけたまま、勢い良く茶碗を天にかかげた。

「オイ光太郎。居候、三杯目にはそっと出しだろ?」

 シンイチがあきれてため息をつく。

「まだ二杯目や!」と光太郎は悪びれない。シンイチの母、和代は笑って茶碗を受け取る。

「いいのよ。ウチの家計を圧迫しない限りは、腹一杯どうぞ」

 京都から来た、烏てんぐ探偵鞍馬光太郎は、お供の烏、罵詈雑とともにしばらく高畑家に厄介になることになった。

「いやいや、お庭にテント張らしてもらうだけでいいんです!」と遠慮する光太郎を、「小学生の癖に生意気に!」と和代が食卓にあげたのだ。

「しかし和代さんのごはんは、ホンマ旨いなあ! メシにうるさい関西人も大満足や!」

「普段何食ってんだよ」

 とシンイチが横目で突っ込んだ。

「シンイチ、俺は修験者やぞ? 山の中こそが我が家や。木の実とか、魚とか、虫とかが主食や」

「虫?」

「貴重な蛋白源やさかいな!」

「うえええ」

 シンイチは気持ち悪くなってきた。遠野の大天狗に鍛えられたときは、そこまで過酷な山暮らしをしたことはない。無限に増える天狗の鍋があったし……。

「光太郎君、御両親は何してるの?」と、浮浪者のような生活を心配した和代が尋ねた。

「あ、いやいやいや! 俺いや、ボク、鞍馬寺の修行僧という身分はちゃんとありますねん! ただ……」

「ただ?」

「両親はとっくに死んで、天涯孤独の孤児なんです」

「まあ。立ち入ったこと聞いてごめんなさい」

「かまへんかまへん! 京都のお山の全ては俺の友達で家族やし!」

 光太郎は明るく笑って、ごはんをかきこんだ。

「旨かったー! ごっそさんです!」

 光太郎は茶碗をシンクで素早く洗い、衣を整えた。

「ほな、行ってきます!」

「行ってきます、ってどこへ?」

 呆けた顔で尋ねたシンイチに、光太郎はアホかという顔で真面目に答えた。

「決まっとるやんけ。『青鬼』探しや。いつまでも高畑家にお世話になるわけにはいかんからな。『青鬼』の正体を調べ、『心の闇』の生まれる所を突き止めんと!」

「阿ー」

 屋根の上でネムカケと戯れていた烏の罵詈雑が、玄関を出た光太郎の肩に止まった。

「じゃあ俺も行くよ」

「単独行動の方がやり易い」

 一本高下駄を履いた光太郎は、たちまち空の彼方へと消えてゆく。

「……せわしない奴だなあ」

「あの子、学校とか行ってるのかしら」

 和代が常識的なことを気にした。

「寺子屋みたいに、寺で習ってるんじゃないの?」

「ならいいんだけど……」

「あんなやかましい奴がクラスに来たら、大喧嘩して大騒ぎになっちゃうよ!」

 シンイチが笑おうとしたら、窓に光太郎が貼りついていた。

「うわあ!」

「だーれーがーやかましい奴やー!」

「地獄耳にもほどがあるだろ!」

「千里眼に地獄耳は、天狗の特技やで!」


 ようやくやかましい奴がいなくなって、シンイチはソファーに寝転んでテレビをつけた。遊び相手が出て行ってしまったネムカケは、シンイチの腹の上に乗ってくる。

 日曜のまどろむ時間……という訳にもいかなかった。そのテレビ番組のタイトルが気になったからである。

「スリルに取り憑かれた男」

 シンイチはソファーから起き上がり、ネムカケに尋ねた。

「これ、言葉の綾だよね? 妖怪『スリル』に取り憑かれた……わけじゃないよね?」

「気になるが、デジタルテレビには妖怪は映らんのじゃろ?」

 その番組は、世界的スタントマン「ロケット杉沢」についてのドキュメンタリーであった。エベレストからスキーで滑り降り、ナイアガラの滝壺にカヤックで落ちて生還したり、バイクでジャンボジェットを飛び越えたり、目を覆わんばかりの危険行為に挑む男。「ロケット」の名は、ロケットに貼りついて飛び、空中で離れてパラシュートで降りてくるスタントで一躍有名になったからだそうだ。

「すげえなあ! 不動金縛りやねじる力を使えずに、これやんなきゃいけないんでしょ?」

「人間は自分の力だけで、ここまで出来るのじゃなあ」

 二人が感心したころ、カメラが生放送に切り替わった。

 アナウンサーが、四台のクレーンで吊った、三十メートル四方に張られた黄色いネットの前で叫んでいた。

「そしてロケット杉沢の、最大のチャレンジがこのあとすぐです! なんと! パラシュートなしのスカイダイビングです!」

「ええええ?」

 シンイチもネムカケも仰天した。

「それって、ただ上から落ちてくるだけってこと? 死ぬでしょ!」

「シンイチ、解説を見ろ!」

 CGによる解説が行われていた。上空二千メートルからの自由落下は、計算上は時速七百十三キロまで加速する。だがそれは真空だと仮定してのことだ。地球には空気がある。強力な空気抵抗が働く。それは時速百キロを超えると急激に大きくなり、その抵抗力はおおむね速度の二乗に比例、結論から言えば、スピードが上がれば上がるほど空気抵抗が跳ね上がり……

「空気抵抗と重力が釣りあう速度に落ち着くのです」

 驚くべきことに、その空気抵抗のせいで、自由落下は加速運動ではなく等速直線運動になる。その釣りあう速度とは時速二百キロほど。これを終端速度ターミナル・ベロシティという。

 スカイダイビングは、上空から落下をはじめると三十秒ほどでこの速度に達する。以後、等速で降りる。地面に降りてくるまでずっと同じだ。新幹線より遅いと考えれば遅いが、なにせ生身だ。最後にパラシュートを開いて時速二百キロから減速するか……

「時速二百キロの衝撃を吸収できる、この巨大なネットに飛び込むわけなのです」

 アナウンサーのセリフに合わせて、カメラは黄色い巨大ネットを映し出した。

 周囲には観客席が設けられ、三千人もの観客が、固唾を飲んでショウの開始を待っている。

 アナウンサーは次に、ロケット杉沢の娘、八歳の果林かりんちゃんを紹介した。父がこのネットに飛び込む瞬間を見に来たのだという。

 シンイチは画面を見ながら、現場の異変にすぐに気づいた。

「ネムカケ。あの場所、やばい」

「なぬ?」

「空の形を見て。前線が来てる。もうすぐ嵐だ」

「ほんとじゃ。危ないの。自由落下だとしたら、風の影響をモロに受ける」

「普通そういうの、無風の日にやるよね?」

「うーむ、ロケット杉沢は、妖怪『スリル』に取り憑かれとるのか?」

「一応、現場に行ってみようよ! 千葉県って言ってたし!」

 外に出ると西風が吹き始めていた。この風は、現場まで届くはずである。


    3


「話が違うだろ!」

 ロケット杉沢は、控室で番組スタッフに抗議していた。

「無風ならやれる、と言っただけだ! 風速計を見ろ! どれだけ横に流されるか、見当もつかん!」

 スタッフ責任者、プロデューサーの曽根崎そねざきが説得しようと試みる。

「しかし三千人の観客も来てるし、生放送も入ってる。スポンサーの手前、謝るわけにもいかん。億単位の賠償金、払えるのかよ。いまさら番組の中止はできん」

「その時の為に、俺の過去のスタント流して、バックアップ番組にする約束だろ?」

「ゴーサインは出た。この天候でも番組続行なんだ。契約は守ってもらう」

 控室の小さな窓から、急造の観客席スタンドが見えた。娘の果林も妻も、あの中にいる。その目の前で、ネットに飛び込み損ねる訳にはいかない。

「二千メートル上空まで行って、中止を選択してもいいか」

「分った分った、そうしよう。現場が一番だからな」

 プロデューサーの曽根崎(まもる)は、杉沢を説得できたと思い込み、安堵した。

 ここは千葉県のN飛行場。セスナが駐機し、広大な滑走場の一部を借りて、巨大ネットと観客席がしつらえてある。

「全く、このセットだけでいくらかかると思ってるんだ。簡単にゴネやがって」

 曽根崎は、セスナに乗り込むロケット杉沢を見ながら毒づいた。


「しまった! ネムカケ! 一本高下駄で飛ぶぞ!」

 シンイチとネムカケが到着したのは、そのセスナが離陸してからであった。

 天狗のかくれみので透明になったシンイチは高下駄で飛び、慌ててセスナの翼にへばりついた。

「アレ?」

 中をのぞきこんだシンイチは、テレビで見たロケット杉沢の姿を確認すると、疑問の声をあげた。

「誰も妖怪になんかに取り憑かれてないぞ?」

「なぬ? じゃあこれはただのスタントショウじゃろ」とネムカケが言う。

「いや、おかしいよ。だいぶ風が出て来た。こんな時にスカイダイビングは危険だよ! 風が不安定すぎる!」

「妖怪『やすうけあい』の時みたいに、体内に潜んでいるということは?」

「そっか!」

 シンイチは腰のひょうたんから金色の遠眼鏡「千里眼」を出し、杉沢の体内を確認した。

「いや! 妖怪なんていないぞ? ホントにこれでやるつもりなの?」

 杉沢が、機内の無線で地上に連絡していた。

「曽根崎さん! やっぱり無理だよ! これじゃやれない!」

 相手の声までは聞こえなかったが、杉沢は誰かにこの危険なスタントを「やらされている」様子だ。

「無茶です! これでもやれと?」

「ネムカケ、まさか」

 シンイチは気づいた。

「妖怪『スリル』に取り憑かれているのは、このスタントを『見たい』人?」

 シンイチとネムカケは地上に降りる。スタッフたちを指揮している総合プロデューサー、曽根崎の姿を確認したシンイチは、「ビンゴ」と叫んだ。

「妖怪『スリル』だ。スリルに取り憑かれてたのは、『やらせる側』の人だったのか!」


    4


 シンイチから話を聞き、自分の妖怪を鏡で見せられたプロデューサー曽根崎は、開き直った。

「だからどうだと言うのかね? スリルに取り憑かれてるのは俺一人じゃない。ここにいる観客も、テレビの前の三千万人も、このあと動画でタダで見るだろう世界中の何億人もが、スリルを求めているのは当然だろうが。それを提供するのがテレビだ」

「おかしいよそれ! 失敗したらどうすんだよ!」

 妖怪「スリル」は流線形の顔をして、全身に鳥肌が立っている。鮮やかな水色の肌が不気味である。金色の総髪は逆立ち、揺らめいている。曽根崎は説明する。

「生放送と言ってもな、テレビに映るのは今から三十秒後なんだ。何かあったらそのタイムラグで映しちゃいけないものを映さないように、ブロックされる仕組みになっている」

「映しちゃいけないものって……粉々になった肉体とか?」

「最悪の事態はな。観客は、万が一があってもそれをネットなどに口外しない契約書を書いている」

 狂ってる。これが「心の闇」か。シンイチは少し震える。

「どの道手遅れさ。あと三十秒後、CM明けの一発目にロケット杉沢のテイクオフだ。ショウ・マスト・ゴー・オン」

 三十秒でこの男を説得し、このスタントショウを止める自信はシンイチにはなかった。不動金縛りで杉沢をこの場から拉致したとしても、進行は止まらないだろう。

「いいぞ。生身の何も持たない自由落下。ノーパラシュートノーライフを逆転する奇跡。最高だ。最高にゾクゾクするぜ。みんなこれが欲しいんだろ?」

 妖怪「スリル」は益々大きくなってゆく。

 シンイチは迷った。時間がない。

 空に向かって叫んだ。

「オーイ、大飯ぐらいのやかましい奴!」

 空に黒い一点が見え、たちまち大きくなって着地した。

「だーれーがーやかましい奴やねん!」

 顔を上げたのは烏天狗面。

「いい地獄耳だぜ光太郎!」

「なんやねん自分!」

「説明してる暇はない! かくれみのと葉団扇を!」

「は?」

「そのまま上空二千メートルまで飛ぶぞ!」

「はああ?」


 ロケット杉沢は、セスナの中で覚悟を決めた。

 これまでだって綱渡りを沢山してきた。今度も大丈夫だ。娘の果林は、もし自分が失敗したとしても、決して自分の職業を継ぐことはないだろう。悲惨なトラウマを覚えるからだ。成功したら、「パパすごい」と祝福のキスを受ければいいだけだ。こんな綱渡り、いつだってしてきたさ。

 セスナの振動が、取っ手を掴む手にびりびり伝わってくる。冷たい上空の風が、ゴーグル越しに伝わってくる。杉沢はオレンジのダイビングスーツの袖を見た。テレビで目立つ色だが、「元気の出る色」だからと自分で決めた色でもあった。

「3、2、1、ゴー!」

 短い、怒号にも似たカウントダウンとともに、杉沢はセスナ機のハッチから空中に躍り出た。


 右手を、左手を、右足を、左足を、のばしたり縮めたり方向を変えながら、杉沢は空中の体勢をつくってゆく。胴をねじり真下を向くように調整する。まるで空中で体制を整える猫のようである。

 眼下に千葉県の空港と、畑と、市街地と、山と海が見えた。向かうべき目的地は、点にしか見えない黄色。

 ぐんと体がもっていかれる。エアポケットに巻きこまれたのだ。慌てて体制を戻す。必死で手足をばたつかせ、天地が引っくり返らないように踏んばった。

 ヘルメット越しに空気をつんざく轟音が響き続ける。風の音は聞こえない。この轟音になにもかもかき消される。失敗したら死ぬんだから、このヘルメットに意味はあるのかね。ダイブから三十秒。時速二百キロで安定した。

 と、右から巨大な突風が来た。予測できなかった。風は目に見えない。ある程度雲の形を見れば気圧の谷は分るけど、「いつ、どのくらいの風が、どこから、どれくらい吹くか」を瞬間的に当てられる筈がない。空では、人は常に受動的だ。

「しまった!」

 頭と足が逆転した。くそ、地面はどっちだ。きりもみが止まらない。手を広げれば止まるのだろうが、急に手を広げたら肩を脱臼する。

 ふわり。

 体が軽くなった。やさしい風に抱かれたようだった。

 かくれみのを被った、シンイチと光太郎、ふたりのてんぐ探偵の仕業だった。

「もっと扇いで光太郎!」

「団扇で羽根を運ぶゲームみたいやな! 舞妓はんのお座敷遊びかいな!」

「へらず口を言えるうちはマシだよな!」

 朱い天狗の面のシンイチと黒い烏天狗面の光太郎は、互いの「天狗の葉団扇」を使って大風を起こし、逆巻く嵐を陰ながら打ち消していたのである。

 シンイチは風上を見た。鳶が一羽、風に流されている。

「デカいのが来るぞ! 右から!」

「うわっ!」

 見えない相撲取りに体当たりされたように、シンイチも光太郎も杉沢も横に吹っ飛ぶ。いちはやく体制を立て直したシンイチが、葉団扇をひと扇ぎした。

「吹けよ天狗風!」

 ごう。光太郎も杉沢も、体制をまっすぐに戻す。

 着地先のネットは、みるみる大きくなってくる。杉沢は巧みに手足で空気抵抗を調整し、進入路があるかのようにネットの方向へ進んでゆく。

「すげえ。ねじる力もつらぬく力も使ってないんだぜあの人!」

挿絵(By みてみん)


 どおん。

 ネットが受け止めるという想像よりも、遥かに大きな音を立てて、弾丸のように杉沢は黄色いネットに突き刺さる。背中から着地する為には、直前に体を反転しなければならない。頭から飛び込めば首を折ってしまう。衝撃吸収は背中からだ。体を反転したら、もう背中は見えない。その瞬間が生死を分けると杉沢は予測していた。無事、背中からの衝撃分散に成功、四台の十メートルクレーンがきしむ。黄色い合成繊維の糸は数十倍に伸びて、時速二百キロを吸収する。

「成功です! ロケット杉沢、徒手空拳のダイブを達成いたしました!」

 アナウンサーが絶叫し、娘の果林も立ち上がって拍手した。


 地面に降り立ったシンイチは光太郎に説明した。

「光太郎! このショウを仕掛けてるプロデューサーに、妖怪『スリル』が取り憑いてるんだ!」

「なんやと?」

「説明している暇はなかったけど、彼は横風が強いことを知っててスタントを強行させたのさ!」

「なんやって! どうやって退治するつもりやねん!」

「さっき空中で、オレたち必死だったじゃん?」

「そや! いきなり無茶ぶりさせよってからに!」

「だから彼にも、それを体験させようと思うんだ!」

「んん?」

「天狗の『ねじる力』でさ、架空の時空へ行ってもらうのさ! 『ロケット杉沢のスタントが、突風で失敗する世界』へ!」

「はい?」

「以前なら遠野の大天狗の『ねじる力』でやってもらってたけどさ、ここにてんぐ探偵が二人いるんだ。オレたち二人のねじる力でやってみようよ!」

「お前、なんやオモロイこと思いつくな!」

 シンイチは光太郎の掌の上に、掌を重ねた。

「たしか手を重ねると、ねじる力は増幅するんだよね? 秋葉原の時みたいに」

「せや! ほないくで!」

「うん」

「ねじる力!」


 どおん。

 それは一瞬のことだった。ネットまであと一メートル、いや、五十センチだっただろう。

 背中を反転した瞬間、杉沢の体はネットを外れた。そのスピードでは、水面ですらコンクリートの固さだ。その轟音とともに杉沢の肉体は滑走路に叩きつけられ、腕と足が別々の方向に飛んだ。赤いしぶきがあとからついてくる。

 アナウンサーは「あっ」と言ったきり、次の声が出せなかった。

「中断だ! CMに差し替えろ! これまでの冒険スペシャルを流せ!」

 曽根崎は指示を出した。

「それ、昨日の編集が間に合わなくて、放送時間の半分しかなかったって曽根崎さんが」

「じゃもう一回頭から流せ!」

 娘の果林は、観客席の最前列で父の爆散を目撃し、別々に飛んだ手足を集めようとした。


 曽根崎は世間に断罪された。

 観客の一人が、契約を破って「横風が強かったのにスタントを強行した」とネットに暴露したからである。番組HPや公式ツイッターは大炎上し、抗議の電話がやまなかった。放送倫理委員会が異例の声明を出し、曽根崎が生放送で謝罪する事態に発展した。しかしそれでは世間は収まらず、ついには「みそぎスタント」を曽根崎自身がやることになったのだ。


 上空二千メートルのセスナの中に、パラシュートなしの曽根崎がガタガタと震えていた。手すりから、びりびりとセスナの振動が伝わってくる。スタッフが「横風三メートルです。やりますか?」と聞いてきた。

「馬鹿野郎! 流されたらどうするんだ!」

「けれどあの日は五メートルで、あなたはやれって言ったんですよ」

 セスナのハッチが開いた。

「3、2、1、ゴー!」

 短い、怒号にも似たカウントダウンとともに、曽根崎は後ろから突き飛ばされ、二千メートルの空中に躍り出た。

「ムリ! 死ぬ! 死ぬ!」

 必死で地面のネットを探す。どこにネットがあるのかすら分らない。畑とか、滑走路とか、山とか、大きいものしか認識できない。

 黄色はどこだ。アレ? 空? オレどこ向いてんの?

 目の前に、空飛ぶ小天狗二人がいた。

「お前! さっきの!」

「妖怪『スリル』。スリルを求めすぎる心に取り憑く妖怪。気分はどう?」

「最悪だっ! 助けてくれよ! 助けて! 助けて! 助けて!」


 どおん。

 ネットを外した曽根崎の体は、滑走路に叩きつけられ四散した。

 曽根崎の頭部は滑走路を転がる。止まった位置に、杉沢の生首があった。観客席は残酷にも、沸きに沸いていた。三千人の観客全員の肩に、見覚えのある妖怪が取り憑いている。水色の流線型の顔面に、鳥肌がぶつぶつ浮いている。妖怪「スリル」だ。


「うわあああああああ!」

 自分の叫び声で、曽根崎は「現実」に戻ってきた。

 天狗少年が仮面を外し、腹を抱えてゲラゲラ笑っている。

「小便漏らすよなあれは!」

「ついでにウンコも漏れとるぞ! カッコ悪うー!」

 下半身が、前も後ろも暖かかった。

「なんだ……今の……夢だったのか……?」

「そうだよ! スリルたっぷりだったでしょ!」

「ばかやろう! 死んだらどうするつもりだったんだ!」

「死んだらどうなるか、見る人は考えてないよ。だってテレビでは必ずうまいこといくんでしょ?」

「そんなことないよ! 俺たちはどんだけ成功するように段取りを組んでると思ってるんだ!」

「でもそれを怠ったのは何故?」

「たぶん成功すんだろって思ってて……」

 曽根崎は言葉を詰まらせた。

「画面の中になら、いくらでも無茶させられる。画面の中になら、人はいくらで残酷になれる。俺は……俺は……もはやスタッフじゃない。観客の一人になってしまっていた」

 曽根崎の「スリル」は、この瞬間肩から落ちた。

曽根崎はようやく現実に戻ってきた。現実の観客席では、ロケット杉沢が喝采を受けている。杉沢の技術が、不可能から生還させたのだ。

「俺は馬鹿だ……杉沢にはギャラを弾まなきゃ……」

「不動金縛りの術!」

 シンイチは印を切り、腰のひょうたんから火の剣を出した。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「一刀両断、ドントハレ!」

 曽根崎の肩から落ちた心の闇、妖怪「スリル」は小鴉の炎に包まれ清めの塩となった。



 その後、ロケット杉沢はアメリカに活躍の場を移し、万全な体制で危険なことに挑み続けている。「人間の限界を見たい」が彼の口癖だ。


「光太郎! これ見てよ!」

 その後曽根崎はバラエティーを辞め、第一作の招待状が高畑家に届いた。なんと、映画プロデューサーに転身したという。

「こりひんやっちゃなあアイツ」

「でもある意味、合法スリルだねこれ!」

 その映画とは、ホラー映画だそうだ。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か




予告


 「幽霊屋敷」と評判の洋館に、公次と春馬が忍び込む。そこは行く度に構造の変わる「迷路屋敷」であった。調べに入ったシンイチと光太郎によって、これは「トマソン物件」の塊であることがわかる。屋敷の主、梅子・ウィンザーと会えた二人のてんぐ探偵。彼女は妖怪「増築」に取り憑かれていた。増築を続ける謎の洋館の正体は……。

 てんぐ探偵第六十話「幽霊屋敷は迷路屋敷」に、ドントハレ!

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