第五十八話 「メゾン・ド・不寛容」 大妖怪「不寛容」登場
1
朱い仮面と黒い鳥 二人の天狗が闇を焦がす
心の闇の奥底に たどり着くのはいつの日か
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
「何故オレは、人と違うのか?」
これは、シンイチが昔から感じていた違和感だ。
シンイチは賢い子。
シンイチは足が遅い。
シンイチは音痴だ。
シンイチはソフトクリーム好き。
シンイチは頭が大きい。
そしてシンイチは、妖怪が見える。
昔から、シンイチの賢さは周囲に比べてひときわ目立ち、歴代の担任の先生に少々恐れられてきた。頭の回る子、切れる子。悪いことに使うつもりはなかったし、それは信用されてきたけれど、「ふつうの子」として扱われない、微妙な距離感に、シンイチは小さな棘の刺さったような感覚を持っている。
「人の特質は全て、特権の義務である」と遠野の大天狗は言った。
力のある者はそれを示し、勇気をもって使う義務があると。
「妖怪が見える」というシンイチの力は、「人より少し賢い」というシンイチの力は、新型の妖怪「心の闇」――人々の負の心を餌にむしばみ、異常な行動をとらせ、いずれ殺し、増える――退治に、特権の義務として使われていると言えるだろうか?
「何故オレは、他の人と違うのか?」
その疑問はシンイチを、時折やさしく傷つける。
あの秋葉原歩行者天国での、妖怪「死の恐怖」との死闘から一か月。大天狗から授かった火の剣「小鴉」から炎が出なくなる、最大の危機をシンイチは乗り越えた。それはシンイチ自身の心の迷いのせいであった。人の運命を変えるほどの天狗の力、それは独善ではないかと疑問に思ったからだ。あのあと大天狗にも相談したが、彼は「よくやった」と大いに目を細めただけだ。妖怪に取り憑かれたら死ぬ――その悲劇を救うことだけがシンイチの「てんぐ探偵」としての使命であり、それ以上はその人の人生だ、そう思うことだと。力は貸すが決定は本人がやる。天狗の力はそれほどにしかないと。
飛天僧正にも言われた。
「火はどこから来るか自得したであろう。剣は媒介也」
あの事件で分ったことは、小鴉は使い手のシンイチ自身の「心の力」から溢れるものを炎に変えて、妖怪を斬るということ。それがなければ黒く冷たい黒曜石のただの小刀だ。その力が正義感なのか、燃える心なのか、光太郎の言った「いのちの力」なのか、まだピンと来てはいない。剣の炎が斬るのではなく、「シンイチの炎」が斬るということか? 自分に取り憑いたはじめての妖怪「弱気」を斬った時、生々しい肉のような手応えがあった。だから「剣で斬った」と思っていた。妖怪は手で触ることが出来ないから、小鴉という特別な剣の力で斬ったのだと思っていた。だが実際には、自分の「心の炎の力」で斬っていたのだと、シンイチは理解をひとつ深めた。かつて妖怪「別人格」を斬り損ね、小鴉を欠けさせたのは、剣術が未熟だからと考えていた。物理的な入射角が悪かったのだと(剣は斬る面に対して直角に入るのが最も良い)。しかし実際には、「自分の顔」に変化した「別人格」に対して、一瞬の迷いが生じたことを覚えている。迷いが太刀筋を乱れさせたと考えたのだが、実のところ「心の炎」が乱れたのかもしれないと、今は考える。
心の力は炎の力。それこそが妖怪「心の闇」を斬る力であり、人の心を浄火すること。
そう考えると、全てがつながる気がする。
あれから一か月。
とんび野町、とんび野第四小学校五年二組にも、いつもの日常が戻ってきていた。
相変わらず団大吉はクラスのボスキャラとして仕切っているし、相変わらず室公次はその腰巾着だし、青いメガネの村松ススムはサッカーとゲームばかりしてるし、梨山春馬はアイドル オタクでお調子者だし、芹沢啓はキーパーが板についてきたし、綾辺ミヨは、シンイチとよくしゃべる。
高畑シンイチは、己自身を賭けた闘いから、平和なクラスに帰ってきた。そしてとんび野町や東京の、「心の闇」退治をひそかに続ける天狗面の少年――てんぐ探偵としての日常も戻ってきた。
現代に発生した、これまでの伝統的な妖怪とは姿も形も性質も異なる、新型妖怪「心の闇」。やつらはどこから来るのか? シンイチも、大天狗も遠野十天狗たちも、知恵袋のネムカケも、どこか泉のような場所から「湧く」のだと考えていた。シンイチは膝の上であくびをしている三千歳の虎猫に話しかけた。
「ネムカケさ、そもそも妖怪はどこから生まれるの?」
「はて。……考えたこともないのう。人間のようにコウノトリが運んでくるわけでもないしのう。『昔からいた』やつはそのままおるし、大抵不老不死じゃし、人間や動物が変化して妖怪に加わることはしょっちゅうあったしのう。あと分裂して増えるやつもおるしな」
「妖怪の生態系って考えたこともなかったよ。父や母、先祖を持つ妖怪もいるよね?」
「そうじゃなあ。人間を嫁に取る妖怪もいるしのう。妖怪が妖怪を『生む』こともあるのう。ということは、妖怪は一種の生態系や歴史をもつのか」
「オレさ、『心の闇』が『発生する』瞬間を見たんだよね」
「ほう」
妖怪「カリスマ」がとんび野四小に蔓延した事件のとき。人の影と人の影と人の影、三つの影があわさった所から「心の闇」が生まれた。妖怪「カリスマ」は、カリスマを待望する人の心の闇だ。つまり、その三人は三人とも「カリスマなる超人が世の中を変えてほしい」という心になっていた。
「それが『心の闇』を生む力になるの? 炎の力が心から来るのと同じように」
「うーん、やってみるかの?」
ネムカケとシンイチとミヨちゃんで、「心の闇」を発生させる実験をしてみたが、妖怪「宿題やらなくていい」、妖怪「さぼり」、妖怪「金が欲しい」などを生むことは出来なかった。
「ううむ、三人の心がきちんと一致することが難しいのかな?」
「それぞれ微妙にイメージしてることが違うのかも」とミヨちゃんは言った。
「そうじゃのう。『三人が完全に一致』することはそもそも難しいのかも知れん。そういう皆が一致する空気みたいな、気分みたいなものが必要なのかものう」
「気分」
「ふむ。周りの雰囲気、気持ち、時代性なんかも関係するのかのう」
「だとすると、現代に『心の闇』が増えたのは、現代って空気が生んだのかな?」
「シンイチは賢い子じゃのう。皮肉じゃが、そういうことかも知れぬ」
対症療法としては、ふらりと漂っては人の心に取り憑く、「野良」を斬ってゆくこと。
「まるでインフルエンザ予防みたいだね」
「『心の闇』は菌かい」
「ははは。うつるし、増えるし」
じゃあ根治療法は? 明るい時代になること?
2
「じゃあ明日までに宿題やって来いよー!」
担任の内村先生が子供たちを送り出すと、待望の放課後サッカータイムがやって来る。秋風は深まり、空は鰯がたくさん並んでいて、随分高くなっていた。入道雲より高く飛んだ、ミヨちゃんの誕生日のことを思い出す。
ふとシンイチは、入道雲以上の高い雲に触れられるか、試してみたくなった。
天狗のかくれみのと一本高下駄を腰のひょうたんから出し、かくれみので透明になって、周りにバレないように、一本高下駄で高く飛んでみた。
「よっ!」
惜しい。高い空、魚のうろこには届かない。
「ずいぶん高い空だなあ。よしもう一回!」
二回目も届かない。しかしその時、郊外の山沿いに、巨大な蠢くものを見た。
「何だ今の!」
とんび野町の外れには小さな山々があり、それはいずれ高尾山系に合流する山脈の切れ端である。その山裾にはいくつかのマンションが建っている。そのマンションに、同じ大きさの妖怪が、覆いかぶさっていたのだ。
「マンションに妖怪が取り憑いた?」
シンイチは三度目の跳躍をし、腰のひょうたんから金色の遠眼鏡「千里眼」を出して、その巨大妖怪をあらためた。
「なんなんだ!」
八階建ての、アールデコ模様の利いた古いマンションで、昭和の頃の堅牢な造り。地震などにはびくともせず今まで生き抜いてきたようだ。その最上階から一階まで、半球型の妖怪が覆いかぶさっている。不気味に輝く暗緑色、しかめた顔つき。体からはタコのように足が何本も生えている。八本、十本……いや何十本もだ。その足のような触手で、マンションを抱きかかえているように見える。いや、抱きかかえているのではなく……
「中の住人に触手を伸ばしている……?」
触手の先は、バルコニーから、窓から、外壁を貫き部屋の中に侵入している。その先にはそれぞれ住民がいるはずだ。
「同時に複数の人の心の闇を吸っている?」
シンイチが四度目の跳躍でそこへ向かおうとしたとき、懐かしい声が響いた。
「アホ! 東京者は何やっとんのや! ホンマ愚図やのう!」
「え?」
まぶしい白の修験者装束に、黒い烏の面。朱鞘の大太刀を腰に下げ、お供の烏、罵詈雑を肩に乗せた烏てんぐ探偵――
「光太郎!」
もう一人のてんぐ探偵、京都鞍馬天狗の弟子、鞍馬光太郎だった。
シンイチの再会の喜びをさえぎり、光太郎は叫んだ。
「あれはただの妖怪ちゃうんや! 『大妖怪』やぞ!」
「大妖怪?」
「せや! 妖怪『心の闇』が取り憑くのは一人やろ! 『大妖怪』は同時に何人にも取り憑く! それほどまでに『心の闇』が巨大化したんや! 大妖怪が出現するまでほっとくなんて、お前ホンマアホや!」
「阿呆う」と罵詈雑が合わせる。
シンイチは新たなる脅威に身震いした。
「大妖怪。……大妖怪、『不寛容』」
3
少し前から、このマンションで起きたことを話していこう。
昭和四十年代に建てられたこのマンション「メゾン・ド・フーコー」の管理人、山ノ上正義は、住民たちのトラブルに頭を悩ませていた。
山ノ上は、かつて最高裁の判事までのぼりつめた元裁判官である。退官してからは、この古いマンションを親戚から譲り受け、悠々自適の老後をはじめて十年になる。
ところが生来のものか、それとも長い裁判官生活のせいか、名前の「正義」のせいか、山ノ上は住民のマナー違反が許せなくなってきた。
ゴミ出しのルール。駐車場や駐輪場のルール。屋上は立ち入り禁止なのに花火大会の日勝手に入る。水道出しっぱなしの苦情、隣や上下の部屋の騒音。
ルールは最低限のマナーである。本来紳士と紳士が隣り合えば、相手を紳士と認める限りトラブルなど起こらない筈だ。だから目に見えないマナーというものが多数存在し、それらを守る限り市民生活は静粛に行われる筈である。そのマナーを破る輩を封じるには、明文化して禁じるしかないではないか。マナーという紳士の暗黙世界を、白日の下に「ルール」化してしまう、それは愚行である。
燃えるゴミの日は火・金と定められているのだから、何故それに違反するのか分らない。「燃えるゴミは火・金です。ルールを守りましょう」などと達筆の張り紙をする度に、美観を汚す以上に、紳士の少ないこの狭いマンション社会にため息をこぼす。法は心なり。なぜ皆は心に法を飼わないのか。
とんび野町の隣に大きな工場が出来てから、そこで働く出稼ぎブラジル人が増えた。老朽化した「メゾン・ド・フーコー」から出る人も増えていたから、新しい住民はブラジル人が多い。四階は縁起が悪いから、日本人は住みたがらない。しかしそんなのお構いなしなブラジル人にとっては、空き部屋ならなんでもいい。こうして四階は、ブラジル人フロアみたいになってしまった。
彼らはトラブルの元となった。
燃えるゴミと燃えないゴミを分けない。ゴミを決まった時間に出さない。サンバの時期は三か月前から歌って踊る。ブラジルチーム出場のワールドカップは、真夜中まで大騒ぎだ。ブラジルは地球の裏側、時差は十二時間。彼らの一番熱い時間は、日本では草木も眠る丑三つ時である。
上下の階から苦情がなだれ込み、その度に山ノ上は管理人として注意しに行く。彼らも大人だから、その時は殊勝なふりをする。しかしすぐ元に戻る。ブラジル人であることを優先させるからである。
今日も、四〇二号室に住むカルロスの真下の部屋、三〇二号室の森野氏が苦情を言いに来た。四十二の独身で、いつも他人に文句ばかり言っている。少し禿げあがった額に汗を噴き出しながら、真っ赤になって早口で言った。
「あのブラジル人たち、なんとかならないんですか。上のカルロスだけがうるさいんじゃないんだ。カルロスの部屋に集まってガヤガヤ、サンバに合わせて足踏み。睡眠不足で仕事でミスしたら、賠償してくれるとでも言うんですか?」
「……管理人として、きつく叱っておきます」
「その注意が三日もてばいいですけどね!」
はじめて叱りに行った時は一週間静かだった。しかし次第に「謹慎期間」は短くなる。人は慣れる生き物である。すぐに元に戻るようになってしまった。そろそろ家賃を上げてやろうか。しかしそれは「法の下の平等」原則に反するものだ。人権意識にもとる。山ノ上は困り、森野氏の顔を見た。森野氏の顔面の汗が収まらないと思ったら、もうひとつ苦情があったのである。
「二階に、関西の人いるでしょ」
「? ああ、赤岩さんと喜多川さんね。単身赴任だそうで」
「時々、ソースの匂いがウチまで漂ってくるんだよね」
「?」
「不快でしょう?」
「はあ」
「これから仕事を家で片づけなきゃならないって時に、ソースの匂いは不快でしょう!」
「直接、お言いになりました?」
「トラブルを避ける為に、管理人さんを通してるんじゃないですか!」
「では、ソースの匂いをさせるなとでも?」
「関西人なんてアレでしょ。お好み焼きとかタコ焼きとか毎日食ってるんでしょ?」
「そうかも知れませんね、なんとなくのイメージですが」
「大体、民度が低いんだよね。僕には考えられないよ。あんなもの食ってるから頭が悪くなるんだ。関西人なんて、東京から出て行けばいいのに」
「それは、それぞれの人の都合ですから」
「郷に入っては、と言うでしょう! 従えないんなら、出て行きゃいいんだ!」
「……とにかく、一度話を聞いてきます」
山ノ上は、二階の赤岩氏のところに赴いた。話を聞くなり、赤岩はブチ切れた。
「ハア? 何言うとんねん。関東人の納豆の匂いのほうが臭うて耐えられへんわ!」
「はあ」
「あんな腐った食べもん食う方がおかしいやろが!」
「納豆は発酵食品で……」
「知っとるわ! でもくっさい匂いは耐えられへんやろ! そもそも食いもんちゃうわあんなモン! 管理人さん、誰が苦情を言うとるんや! どうせ関東モンやろ! 納豆こそおかしいて言いにいったるわ!」
「それは伏せさせて貰います」
「匿名やったら何言うてもええんか! 面と向かってなんも言われへん癖に! 一軒一軒回ったろか! お前か!って」
「それは困ります」
「困っとんのはこっちやっちゅうねん!」
そこへブラジル人の集団が、ワイワイとサッカーのユニホームを着て、鳴り物片手にやって来た。今夜は二階のシウバの部屋で騒ぐ予定のようだ。
「お前ら! 最近うるさいんじゃ! 寝えや!」
カルロスとシウバは謝った。
「スミマセン、静カニシマス」
「何回言わすんや! ブラジル人はアホか!」
「ブラジル人ヲ悪ク言ワナイデ下サイ。カルロスト、シウバガ、悪イノデス」
「一緒じゃボケ!」
赤岩は、カルロスに掴みかかった。
「ちょっと! 落ち着いて下さいよ!」
もみ合う二人に山ノ上は割って入ったが、激昂する赤岩は収まらない。はずみで突き飛ばされた瞬間、少年の叫び声が聞こえた。
「不動金縛りの術!」
虎猫を連れた少年と、肩に烏を乗せた少年が、不思議な印を体の前で組んでいた。
4
「妖怪……『不寛容』?」
「正確には大妖怪『不寛容』といって……」
シンイチは腰のひょうたんから鏡を取り出し、管理人の山ノ上に見せた。
「ホラ、あなたの左胸、心臓に妖怪の触手が刺さってるでしょ。それを辿っていくと……上を見て」
「なんだアレは!」
鏡の中の山ノ上には、緑色のぬめぬめした触手が刺さっていた。触っても触れない、別の空間にあるかのようなものだった。それは上の方からのびてきている。それを辿っていくと……しかめっ面をした巨大な「顔」が、屋上に係留された緑色の飛行船のように浮いていた。山ノ上は腰を抜かした。よく見ると係留する綱は、何本も何本も……時を止めた赤岩氏にも、カルロスとシウバにも、三階の森野氏にも刺さっている。そのうち一本は、自分の左胸に。シンイチは続けた。
「これはへその緒みたいに、皆の『不寛容』の感情を増幅し、吸っている。ここは心の闇『不寛容』に取り憑かれたマンションだ。で、たぶんあなたのそれが一番太いから、あなたに話している」
「なんと……」
光太郎は烏天狗の面を被り、印を切った。
「よっしゃ! ほな、このへその緒、斬りまっせ!」
朱鞘から黒曜石の刃の大太刀、大鴉を抜く。黒い刃から天狗の炎が迸る。山ノ上の左胸の触手は、一瞬にして両断された。
「ハイ、シャンシャンシャン、合掌おー」
そのあっけない「妖怪退治」に、シンイチは食ってかかった。
「ちょっと光太郎! そんなんで退治できる訳ないって、前も言ったよね?」
「そんなこと言うたかて、これが関西のやり方やで?」
「ここは東京だろ! ホラ! 見てよ!」
斬られた触手は植物が枯れるように、しなしなと無くなってゆく。しかし山ノ上がもみ合う住民たちに視線を戻した途端、新たな触手が上空から降りてきて、山ノ上の心臓にずぶりと刺さった。
「なんやねん! アンタ、反省してへんのか!」
光太郎は山ノ上に詰め寄った。
「反省も何も……一体、何が起きているのやら」
「かあーッ! また最初っから説明せなアカンのかい!」
光太郎は上空の大妖怪「不寛容」を睨んだ。そのしかめっ面は、心なしかニヤリと笑ったようにも見えた。
「アンタ一人分を斬ってもしゃあないかもな。全員分を一遍に斬らな、奴を分離でけへんな! よし、全員を集めよう!」
「なんで光太郎が仕切るんだよ」
シンイチは不満を漏らした。そもそもシンイチは光太郎の「斬っておしまい」のやり方に賛成していない。「心の闇」はその人の心の中で増幅する。心の根からその負の心が消えない限り、また「心の闇」に取り憑かれるからである。
「そんなんキリないやんけ!」と光太郎は批判した。
「とりあえず全員分斬ったるわ! 被告人を集めよ!」
一階の駐車場に集めた三十四人と管理人の山ノ上、計三十五人。三十五本の触手が、巨大な球体の歪んだしかめっ面から垂れ下がり、彼らに結びついている。三十五本の凧糸のついたアドバルーンのようだ。
「ええか、皆さん!」
光太郎は皆の目の前で演説した。
「今鏡で見せた通り、皆さんの心には『心の闇』、大妖怪『不寛容』が巣食っとるんや。他人の言動が気に食わへんのやろ? 許されへんのやろ? それは『不寛容』のせいなんや。寛容になりましょうや。人類皆兄弟皆仲間! よろしい?」
光太郎は再び烏天狗の面を被り、大鴉を朱鞘から抜く。天狗の炎がゆらめき、烏天狗面に反射する。
「ほな、この鞍馬天狗の火の力で、皆さんの心を『浄火』いたします。触手をぶった斬るからよう見ときや!」
それは舞いだった。炎の剣を優雅に旋回させる立ち回りは、神に捧げる神楽舞のようで、「火の舞い」という言葉がしっくりきた。勿論、光太郎は踊っているわけではない。鞍馬流剣術の太刀筋が、あまりにも洗練されていただけだ。シンイチが心を奪われているうちに、三十五本の腕が両断され、炎に包まれて清めの塩となった。
「阿阿阿阿阿阿阿」と烏の罵詈雑が高く啼いた。光太郎はひょうたんから鈴を出し、シャンと鳴らした。
「あーなーかーしーこー!」
光太郎は天高く飛び上がる。いつの間に一本高下駄を履いていたか、シンイチには分らなかった。大鴉はたちまちその炎を大きくした。三メートル、五メートル、十メートル。大妖怪の直径ほどに火の剣が大きくなる。
「真向唐竹! めでたしやん?」
触手を失った裸達磨のような「不寛容」は、その火を境にずばりと二つになった。紅蓮の火柱が螺旋を描き、清めの塩と化していく。ばらばらと雨のように、真っ白な塩が降り注ぐ。
心の強さが火の強さなのだとしたら、光太郎の「心の力」の強さは大妖怪と同じか。そのことにシンイチは感心していた。
だがしかし。
「なんやシンイチ、文句あんのかい」
「光太郎の言うことが正しければ、これで妖怪退治は終わりなんだよね?」
「そらそうやろ。あの巨大達磨は真っ二つや。全部塩になったやろ?」
「でも彼らの心は、晴れたかい?」
「晴れたかどうかは、これからの生き方次第やんか!」
「オレは、晴れてないと思う」
「ハア?」
「だって彼らはおなじ面子でこのマンションに住むんでしょ? 不寛容の原因まで究明していないのに、何かトラブルがあったら『再発』するじゃんか」
「ハア? そんなんいちいち考えてたらキリないやろ! めんどくさい!」
ところが森野氏、赤岩氏、喜多川氏、カルロス、シウバ、山ノ上が目を合わせた途端、彼らの左胸に残された触手は、ぴくぴくと動き出し、ぶるぶると震えだし、太くなり、急激に枝葉を伸ばすように成長した。それらは互いに絡み合い、毛糸玉のように集まり、むくむくと大きくなってゆく。
「なんじゃそら!」
毛糸玉の中から、「顔」が現れた。眉間に皺をよせ、恨めしい目つきをした、「不寛容」の表情であった。
「今、斬ったやんけ!」
「まだ、ドントハレじゃないんだ」
「……なんやと?」
「彼らの心の奥底に、不寛容がある限り」
大妖怪「不寛容」は急激に成長し、マンションの背丈を追い抜いた。
5
「そもそも『不寛容』ってどういうことなんだ?」
ようやくシンイチの、「心の探偵」の出番である。
皆から話を聞いたシンイチは、その「心の原理」から考え始めた。
「ブラジル人の習慣、関西人、関東人……『相手が自分と違うから許せない』ってことが不寛容なのかな?」
知恵袋、お供のネムカケが問答に参加する。
「シンイチは中々いい所を突くのう。理屈の上では、『みんな仲良く』なんてことを言うけど、実の所相手を感情的に憎むのが不寛容かものう」
「じゃあ不寛容の反対って何? 許すこと? 寛容は許容ってこと?」
「辞書のうえではそうじゃ。理屈の上ではな」
「うーん、不寛容の正体って、理屈で許すって言っといて、感情じゃ許せないってことかな?」
「ほう」
「心の闇は、理屈と感情の差で生まれることもあったじゃん? たとえば母さんが大切にしてた花瓶をオレが割っちゃったとする。もう元に戻らないんだから、理屈の上では『許す』って母さんは言うよね? でも本当は怒ってる。『感情の上では許せない』んだ。弁償したってダメで、花瓶を失った心の空白みたいなのが満たされるまで、不満はずっと続くんだ」
「ほほうう」
「じゃあどないせえゆうねん」と光太郎が割りこんだ。
「関西人と関東人が仲良くすんのはいつの世でも難しいで? 関が原でもそうやったやんか。オマケに地球の裏側のブラジル人までおるんやで?」
「ブラジル人、関西人、関東人……あ、分った!」
「は?」
「よし、サッカーしようぜ!」
「なんでやねん!」
「この人は『ブラジル人』じゃない。カルロス、シウバ、ネイマールだ。この人は『関西人』じゃない。赤岩さんに喜多川さんだ。この人は『関東人』じゃなくて森野さん。自分の『属性』じゃなく『個人』に戻ってみるのはどうかな? それならサッカーが一番だろ!」
「はああああ?」
光太郎はその趣旨がつかめない。シンイチはメンバーを数えた。
「三十五人か……。あと九人入れて四チーム。二チーム同士でサッカーやろうぜ!」
シンイチは一本高下駄でひとっ飛びし、ススム、大吉、公次、春馬、芹沢、内村先生、ミヨちゃんを連れてきた。
「大人の中に子供混じらせてどうすんねん」
「色んな人がいるほうが、色んな人がいるって分るじゃんか!」
シンイチの読み通り、サッカーの前では、彼らは「ブラジル人」でも「関西人」でも「関東人」でもなかった。カルロスはドリブルが上手だし、シウバはクロスボールを上げるのが上手く、ネイマールは左サイドが上手かった。赤岩さんは全体を見るのに長け、喜多川さんは猪突猛進の才能があり、森野さんはディフェンスが上手く、山ノ上さんは元裁判官ゆえか、鉄壁のキーパーの才があった。
「ホラ! 民族とか文化じゃなくてさ、個人と個人でつきあえば分ってくるのさ! 十把ひとからげにするから、あいつ『ら』は許せない、とか思うのさ!」
早くもカルロスと赤岩さんはコンビを組み、森野さんの指示で喜多川さんが敵陣突破を果たした。ススムがボールを奪い、シウバにパスすると、大吉と一対一になる。
「いいぞ! サッカーは個人がやるチームプレイさ!」
シンイチは、サッカーの素晴らしさを改めてかみしめる。このゲームを考えた人は天才だ。
大妖怪「不寛容」の触手が外れてゆく者が、一人、二人と増えてきた。不寛容の原因は、無理解や偏見なのかも知れない。不寛容の逆とは、「理解」かもしれない。
シンイチがそう考えたその時、管理人の山ノ上が、突然キーパーの位置から叫んだ。
「サッカーとゴミ出しや食べ物の匂いは、そもそも関係ないだろうが!」
皆が一斉に振り返った。
山ノ上の激昂は、どんどん激しくなってゆく。それに応じて彼に刺さった触手がどくどくと太くなる。解放された皆の心の負の部分が、山ノ上に集まって凝縮されたかのようだった。
「ルールを守れよ! そもそもマナーを守れよ! 紳士たる者は紳士であれよ! どうしてルールを他人から定められてしまうような下手を、わざわざ打つのだ! 紳士でない者に、生きる資格などない!」
シンイチは山ノ上に振り返り、冷静に言った。
「『全員が紳士じゃなきゃいけない』ってことも、相手に対する自分の説の強要だよね? それこそ不寛容じゃん!」
「なんだと? 市民は法の下に平等であり、市民は市民生活というものを理解し……」
「それ、どこで習ったの?」
「法学部に決まってるだろう」
「オレたち小学生はまだ習ってないし、大人でも法学部出身者は一部でしょ?」
「むむっ。しかし本を読み、社会を見れば……」
「山ノ上さんの主張は正しいと思うよ、勿論。けど、『皆も自分のようにあるべき』ってのが不寛容の原因の『感情』じゃないかな?」
「なんだと?」
なぜ自分は人と違うのか。シンイチはこの問いに、いつもわずかばかり傷ついている。だから山ノ上のことを理解できたのかも知れない。
「オレは、山ノ上さんとは違う。カルロスも、シウバもネイマールも、赤岩さんも喜多川さんも森野さんも、公次も大吉もススムもミヨちゃんも」
「……」
ごく当たり前のことだ。人は人と違う。全員集合して、サッカーで違う特性があることが、目の前で示されたのである。サッカーでこれだけ違うのなら、心の中――理性や感情だって、違うはずだ。
「じゃあ……じゃあ私は妥協しろというのか!」
「?」
「寛容であるということは、許容だ。許すということだ。しかしそれは私の主張が百パーセント通らないということではないか! 四十パーか? 五十パーか? 私にとってはそれは『妥協』ではないか! 私の説の『正しさ』が、妥協して不完全になってしまうのではないか!」
ここが感情の底だ。「たどり着いた」とシンイチは思った。
「あのさ、じいさん」
今まで黙っていた大吉、体の大きいクラスのボスが言った。
「オレ、夏に妖怪『完璧主義』に取り憑かれたのね」
「はい?」
金色の仮面の妖怪「完璧主義」のことを思い出しながら、大吉はあの時の盆踊りのふりをやって見せた。
「その時、オレは似たようなことを思ったよ。完璧じゃねえものは、存在する価値がねえってね。でもそれってさ、減点法でしか考えてないんだ」
「?」
「ある理想の完成形があってさ、その型に嵌めて何点減点ってやるからそうなるのさ。それじゃ一生減点だけして生きていく。それはつまんないんだよね」
心の闇を克服した人は、少し心が強くなる。その力こそ、火の力かも知れない。
「理想はひとつじゃない。そう教えてくれた人がいた。理想は変わる。何回でも。状況が変わるからさ。その度に、一番いいのを考えればいいんじゃん?」
論破された。そう感じた山ノ上は、必死に繕った。
「それは理屈じゃろ。現実はそんな簡単ではないぞ。ゴミ出しひとつ守れんブラジル人がいるのだぞ?」
「それなんだけど」
シンイチが横から入った。
「ブラジル人は『燃えるゴミ』と『燃えないゴミ』の区別がついてないんじゃないの?」
「ハアアアア? まさか!」
「知らないことは出来ないよ。教えなきゃ!」
「ゴミはゴミじゃないんですか?」
と、カルロスがおそるおそる尋ねた。
「えっ」
つまりトラブルの原因は、問題以前の問題だったのである。
「ホラ! 話してもないからこうなるのさ! 不寛容の原因は、無理解さ!」
「むむむむむ……」
今度は森野が切れた。
「じゃあ、ソースの匂いはなんだよ! 毎回毎回匂いやがって!」
「……東京には、おいしいうどん屋がないんや」
喜多川が悲しそうな顔をして言った。
「百軒ぐらい回った。六本木の『つるとんたん』にも行った。でも、それでも関西人には足りひんねん。ニチレイの冷凍鍋焼きうどんが一番ましやけど、それでも三十点ぐらいや。自分、朝からごはん食べられなくなったどうする?」
「それは困るよ!」
「わしらは、そんな感じなんや」
「じゃ、蕎麦食えばいいだろ」と森野は反論する。
「じゃ明日から蕎麦が食えなくなって、うどん食えばいいだろって言われたら?」
「むむむ」
「そんな感じで、うどんないと寂しいんや。だからソースで誤魔化しとるんや。俺が毎日ソースで焼いてるわけじゃなくて、どっかで関西人の誰かが、ソースを使っとるのやな」
「そうだったのか……」
「まさか」と、山ノ上が考えに至った。
「ブラジル人のサンバの時期や、ブラジル代表の日にうるさいのも、……寂しいからか」
「サビシイ?」と言葉の意味の分からないネイマールが尋ねた。
「ホームシック」と、シンイチが言い、ブラジル人と関西人は深くうなづいた。
「じゃあ国に帰れよ、とは言えないよな。それぞれの都合だものな」と、仕事の責任感の強い森野は、大人になった。
だが、赤岩が蒸し返す。
「いや、納豆だけは許せん」
「それやけどな」と、関西の光太郎が割って入った。
「テレビでやっとったんやけど、関西人はうどんダシとか鰹節とかで採る成分があるやん。ソースにも入っとる成分。旨味成分やけどな」
「はあ。それが東京の関西人には足りないのだ」と赤岩が嘆く。
「それ、代わりに関東人は納豆から摂取してるらしいで」
「マジか!」
「そうなの?」
シンイチも、物知りのネムカケも、それは知らない事だった。
「世の中、知らないことだらけじゃん!」
「むう。それなら、納豆もしゃあないか」
赤岩が折れた。折れたというより、納得した。
「人は、理解できないことを排除したがる。理解できないことをかくれみのにして、自分を守ってるのかもね。そうじゃないと、不安だからね」
心の闇は、不安から発生するのではないか。シンイチはそう考えている。不安こそが、心の闇の最も原始的な形かも知れないと。
「不寛容は、不安からやってくる」
山ノ上がそう呟くと、皆の心から「不寛容」が、ゆっくりと外れていった。全員の触手は外れ、大妖怪「不寛容」はよすがを失い宙に浮いた。
光太郎が印を組む。シンイチもうなづき、印を組んだ。
獨古印、大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、隠形印。毘沙門天と天照大御神、十一面観音と八幡神、如意輪観音と春日大明神、不動明王と加茂大明神、愛染明王と稲荷大明神、聖観音と住吉大明神、阿弥陀如来と丹生大明神、弥勒菩薩と日天子、文殊菩薩と摩利支天。それぞれの印はそれぞれの仏神の象徴であり、その力を体内に取り込む呪文である。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛りの術!」
シンイチは腰のひょうたんから、炎色をした朱い天狗面を出した。
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
「火よ在れ! 小鴉!」
朱鞘から、黒曜石の短刀が抜かれた。シンイチの心から伝わった炎は、相棒小鴉の内部で増幅され、燃え上がり、妖怪を浄火する火の剣となる。
「いくでシンイチ!」
烏天狗面の光太郎が、小太刀である小鴉と対になる、大太刀の大鴉を構えた。
「唵阿留麻耶数万騎天狗!」
呪文とともに大鴉の炎も燃え上がる。
「応!」
二人のてんぐ探偵は一本高下駄で宙に舞う。「不寛容」は触手をしゅるしゅると伸ばし、小天狗たちを絡め取り、絞め殺そうと襲ってきた。火の剣で次々にぶった斬る。清めの炎は、触手を清めの塩に変えてゆく。
残りの触手が牙を剥いた。先端から牙が生え、かろうじて躱したシンイチの腕を傷つけた。
「痛って!」
「シンイチ! 地面に降りろ! まずは足を全部ぶった斬ったれ!」
「よし!」
二人のてんぐ探偵は互いに背を預け、無数の触手のただ中で火の剣を構えた。
一本、二本、三本。上、下、右、左。次々に触手は火の剣の餌食になり、清めの塩と化して八方に散る。触手たちは次々に再生し、波打つように二人に襲い掛かる。
「ねじる力!」
光太郎はとっさにねじる力で触手を絡まったコードのようにねじった。
「すげえ!」
一か月前、秋葉原で見せた光太郎の「ねじる力」は、シンイチのものより圧倒的に強大であった。
「修行の年季がちゃうわい」
と光太郎はあとでそれを自慢した。逆に修行で、ねじる力はここまで強くなるのか。
ねじられたコードを、光太郎は大鴉で斬り落とした。
「よっしゃ! あとは足のないタコ坊主だけや!」
朱い仮面と黒い鳥。二人の天狗が宙に舞う。心の炎が燃え上がる。
光太郎は左から右へ薙ぎ払う。
「真向唐竹! めでたしやん!」
シンイチは天空から火の剣を斬り下ろす。
「一刀両断! ドントハレ!」
大妖怪「不寛容」は十文字に切り裂かれ、十文字の炎を上げた。それはまるで、聖なる磔のようであった。十文字の形に、清めの塩は聖痕のように残った。
6
光太郎が「足のないタコ坊主」と叫んだので、みんなタコ焼きが食べたくなり、サッカー大会の打ち上げにタコ焼きパーティをすることになった。
タコ焼きだけじゃ足りないだろと鉄板ももちこみ、ヤキソバやらお好み焼きもやろうと赤岩が言い出した。
「関西人だけに仕切らせんぞ。関東には磯辺焼きやらイカ焼きという、醤油の旨い文化があるのだ」と森野が腕まくりした。
「じゃあブラジル人は、シェラスコやります!」とシウバが笑った。
光太郎はヤキソバをほおばりながらシンイチに言った。
「シンイチのやり方、だいぶ分ってきたで。ホンマにお前は根治療法を目指しとるんやな」
「根治療法」
「関西人は結果がすぐに欲しい。さっさとやってしまうんや。シンイチのやり方をいちいちやってたら時間かかるし」
「うん。それが欠点かもと思った。心の闇が広まるのとオレが退治するのじゃ、どっちのスピードが速いのか分らない。オレのやり方じゃ間に合わないのかも知れないんだ。光太郎のやり方は、即効性があるのは確かだ」
「ま、うまくいかんこともあるけどな! ガハハハハ」
「ところで光太郎、どうして再び東京に?」
「せや! お前鞍馬寺に来る言うてたのに、全然けえへんかったやんけ!」
「ごめん。妖怪退治に忙しくて。その為に?」
「ちゃうわい。ワシ、『青鬼』という妖怪を追ってるって前も言ったやろ」
「うん」
「『青鬼』のおる所には、大妖怪あり」
「えっ」
「……これ、見てみい」
光太郎は、ひょうたんにしまった、真っ二つの手のひら大の妖怪を出した。
「えっ! 何これ!」
「さっきの大妖怪『不寛容』の中におった青鬼や。浄火せず、金縛りで封じておいた」
「大妖怪の中にいた?」
「せや。『心の闇』の中に青鬼が入ると、大妖怪化するらしい」
「じゃあ青鬼退治は出来たんじゃん」
「ちゃうねん。青鬼は何匹もおんねん。『心の闇』と一緒で、どっかから湧いてきよんねん」
シンイチは「青鬼」を見た。
手足のない、頭部だけの鬼。そういう印象だった。青い肌はぬめっており、妖怪「心の闇」同様触ることはできない。光太郎も、「ねじる力」で触っているようだった。
一本の丸い角が生えている。死んだように目をつぶっており、表情はただただ恐ろしい。
「しかも」
光太郎は「唵」と印を切り、結界を解く。
「あっ」
青鬼は空気に触れた途端、砂のように崩れていった。
「こんなんが何で大妖怪になるんか、さっぱりなんや」
「一年前のある日のことや」
光太郎は、遠くを見ながら話し始めた。
「京都の精神病院で、入院患者たちが一斉に同じ絵を描きはじめた。手足も胴体もない鬼。しかも色は皆まっ青。そこの精神病院だけやなかった。奈良でも大阪でも滋賀でも、互いに連絡手段もないのに、同じ絵を描きはじめた。青鬼の絵をな」
シンイチは言った。
「『芋を洗う猿』みたいだね。ある日海で芋を洗って食べる猿が出たら、連絡手段もない別の場所でも、猿が芋を洗って食べるようになったって」
「人間も含めて、動物はそういう集団的な無意識があるのかも知れん。精神を病んだ人は、フツーの人とは違う感受性が芽生とるんかも知れんし」
「心の闇に、より敏感なのかも」
「ホンマの所は分らん。けど青鬼は実在し、大妖怪の素になる所までは分っとる。こいつがしゃべれるんなら、オマエは何者やって尋問したい所やけど、空気に触れた途端こうやからな」
光太郎はかつて青鬼だった青い粉を見つめてため息をついた。
「我ら天狗の者の、宿敵となるかも知れん」
「心の闇」との闘いは、増々激化するかも知れない。シンイチはそう直感した。
「しかし、メゾン・ド・不寛容事件は厄介やったなあ」
光太郎は、マンション名の「メゾン・ド・フーコー」に引っかけてたこ焼きをほおばった。
「フーコーとは、誰の名か、知っておるかね?」と、焼きそばとブラジルの蒸留酒「カシャーサ」を片手に、山ノ上が会話に入ってきた。
「フランスのポスト構造主義哲学者だ。わしが最も尊敬しているから、このマンションに名前を頂いたのだ。『規律で縛って犯罪者を監獄に入れるのは果たして正しいのか』という『監獄の誕生――監視と処罰』を書いた。社会は監獄であるべきでないと言ったのだ」
「遠野の哲学者」ネムカケが、哲学談議の匂いを嗅いで入ってきた。
「ベンサムの全展望監視じゃな?」
山ノ上は話の分かる猫がいて興奮気味にいう。
「そうじゃ。そもそもヴォルテールは、『私は君の意見に反対するが、君が意見を言う権利は命を懸けて守る』と言っておったというのにだ!」
「正義の敵は、もうひとつの正義ちゅうやつやの?」
「?????」
二人の小学生は、二人の哲学者の言葉はさっぱり分からなかったが、「社会は監獄であるべきではない」という意見には賛成した。
何故オレは人と違うのか。
その答えは、シンイチ自身が見つければならないと、シンイチは考えている。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
予告
世界的スタントマン「ロケット杉沢」が次に挑むスタントは、なんとパラシュートなしのスカイダイブ! 「地上に設置された巨大ネットに飛び込む」というのだ! 彼は妖怪「スリル」に取り憑かれている…? 現場へ向かったシンイチは、彼とスタッフが揉めているのを目撃。そこで見た「スリル」の正体とは!
てんぐ探偵第五十九話「スリルに取り憑かれた男」に、ドントハレ!




