第九十八話 「正義の味方」 七角形の一、大妖怪「デジタル」登場
予告
妖怪王「鏡」の破片が全国七か所へ散り、心の闇の根源「七角形」という大妖怪へと成長した。てんぐ探偵たちは散り散りになり、七角形退治に向かう。
シンイチは忍びの百地と組み、七角形「デジタル」退治へ。シンイチの懐から出た、「七」と書かれたノートとは。
てんぐ探偵第九十八話「正義の味方」に、ドントハレ!
心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
井戸の奥の奥底に 沈む大なる七角形
時は来たれり決戦の 青き炎で打ち祓え
1
日本列島に、七つの光の柱が上がった。
妖怪王「鏡」は封印の中から自らの破片を飛ばし、七つの方向へ向かわせた。それが七体の大妖怪「七角形」を成したのだ。
心の闇には七つの根源がある。それを闇の七角形という。
シンイチがずっと考えていたこと――心の闇には原型があり、その配合で心の闇の形が決まるのでは?――は、現実のものであった。
「てんぐ探偵たちよ、散れ!」
十一人目のてんぐ探偵にして妖怪王「鏡」の封印者、大僧正八幡蔵人は九州英彦山で叫び、十人のてんぐ探偵たち――高畑シンイチ、鞍馬光太郎、蔵王さくら、霧谷才一、鬼塚善次、峯丈、酒田鉄男、三神真、赤石大志、百地尹之助――は、思い思いの方向へ飛んだ。
その七箇所とは遠野から見て、北に青森恐山。南に九州吐噶喇列島。西に、関西備前、関西丹波、北陸白山、首都東京、そして山陰出雲である。
シンイチは北を見て、青森の恐山へ飛んだ。
どの七角形の光柱を見てどこへ飛んだかは、完全な偶然だった。
脇に百地尹之助が控えるように飛ぶ。忍び装束に身を包んだ、忍者てんぐ探偵である。彼が飛んだ方向が、偶然シンイチと同じであった。
「百地さん、よろしく。いっしょに闘おう」
「御意。以後お見知りおきを。師の名は伊賀赤目四十八瀧の笠置山大僧正」
「オレの師匠は大天狗、遠野早池峰山薬師坊」
互いに師の天狗の名を明かすことは、天狗の弟子たちの自己紹介を兼ねた挨拶である。
「百地さんはずっと八幡さんと?」
「そうでござる。八幡殿の『鏡』封印に助力してきたのでござる。だが人々の心の闇の広がりに、ついに八幡殿の結界が保たぬようになってきた」
「ちなみに、百地さんのやり方はどうやってる?」
「やり方?」
「妖怪退治の仕方を聞きたい。オレのやり方は時間がかかるんだよね。もっと早く済む方法ならそっちが早いと思って!」
「ふむ。拙者の妖怪退治は忍び流。毒を使うのでござる」
「毒? ……殺すの?」
「否。ゲロを吐かせるでござる」
「ゲ、ゲロ???」
「薬草と毒草は紙一重でござる。量と組み合わせ次第で、薬にもなれば毒にもなるでござるよ。心の闇の症状に応じて草を煎じ、虫下しのように妖怪を吐かせる」
「それがゲロ」
「上から出ればゲロ、下から出れば……」
「うんこかよ!」
「人にとって薬、妖怪にとって毒、この塩梅を見極めるのがコツ也」
「大妖怪の場合、大変そう」
「手持ちの薬草、足りぬかもでござる」
百地は忍び装束の裏地を見せた。すりこぎや炉が入っている。山へ飛び、薬草の現地調達もするらしい。
「一方、シンイチ殿のやり方は独特と聞き及んでいる」
「オレの?」
「まるで精神科医のカウンセリングのようであると」
「そうなのかなあ……」
これまでの「心の闇」との闘いを、シンイチは思い出していた。妖怪「弱気」、「ねたみ」「あとまわし」「なかまはずれ」……。シンイチは自分の闘いの総括を、一冊のノートにまとめていた。腰のひょうたんから出した自由帳の表紙には、大きく「七」と書いてあった。
「七?」
百地はノートを開く。
「うん。……七」
最初のページに、七つの言葉が記されていた。
一、考えたくない
二、理想
三、隠している
四、恐怖
五、小さな考え
六、逆
七、その先
「オレがこれまで出会い、倒してきた妖怪『心の闇』は、七つにパターン分けできるんじゃないか? そう思って、分類してみたんだ」
「……七角形?」
呟いた百地に、シンイチはうなづく。
「石鎚山の青鬼の言葉がずっと引っ掛かってさ。七角形の闇――『心の闇』には、根源的な七つの闇があるとしてパターン化できれば、ってずっと思ってた。最初は原因別に分類してたんだ。でもそうじゃなかった。対処法別に分類すると、七つに分けられるっぽい」
「ふむ」
百地はページを進める。
びっしりと、これまでの妖怪たちを七つのカテゴリに分けてあった。それはシンイチの、これまでの冒険の記録でもあった。
2
「七」
一、考えたくない
【対処法】……自分が考えたくないから、アホな正解にすがっていると自覚して、
自分の頭で考えること
例 妖怪誰か、妖怪横文字、妖怪キックバック、妖怪やすうけあい、妖怪バレてな
い、妖怪まるなげ、妖怪消えちゃえ、妖怪竹林の賢人、大妖怪独裁、妖怪レッ
テル
二、理想
【対処法】……自分がありもしない理想にすがっていると自覚して、その理想は
ないと気づくこと
例 妖怪若いころ果たせなかった夢、妖怪上から目線、妖怪俺だけは特別、妖怪み
にくい、妖怪ベスト、妖怪正解、妖怪信者、妖怪完璧主義、妖怪全知全能、妖
怪半身願望、妖怪無限の可能性
三、隠している
【対処法】……自分を隠していることを認めて、自分はこれだと位置を定めること
例 妖怪いい子、妖怪さみしい、妖怪ペルソナ、妖怪別人格、妖怪正論、妖怪ダブ
ルスタンダード、妖怪増築、妖怪妖怪、妖怪隠蔽、妖怪けだもの
四、恐怖
【対処法】……自分が恐怖していると自覚して、広い心に戻ること
例 妖怪弱気、妖怪アンドゥ、妖怪任せられない、妖怪リセット、妖怪ほめて育て
て、妖怪一発逆転、妖怪リスク、妖怪雇われ、妖怪カリスマ、妖怪チキンレッ
グ、大妖怪否定、妖怪ガラス、妖怪私の思ってることを当てて、妖怪何に使う
か分らない、妖怪流行おくれ、大妖怪悪
五、小さな考え
【対処法】……自分が小さな考えに囚われていると気づき、広い心に戻ること
例 妖怪ねたみ、妖怪二番、妖怪自我、妖怪センター、妖怪不安、妖怪共依存、妖
怪目先、妖怪ホウレンソウ、妖怪認めて、妖怪マリオネット、妖怪天狗、妖怪
孤独、妖怪死の恐怖、妖怪木、妖怪陰謀論、妖怪ちっぱい、妖怪不老不死、妖
怪ブラックボックス
六、逆
【対処法】……逆の方向を考えると、広い心を取り戻せる
例 妖怪めんくい、妖怪どうせ、妖怪半分こ、妖怪無意味、妖怪スケープゴート、
妖怪ぶつぶつ、妖怪ボケ、妖怪レタッチ、大妖怪不寛容、大妖怪嫌い、妖怪闇
堕ち、妖怪我、妖怪承認欲求、大妖怪キャラ立ち、妖怪おいてけぼり、大妖怪
カオス、大妖怪虚無
七、その先
【対処法】……その先を極端に進めるとダメなことに気づき、広い心を取り戻せる
例 妖怪なかまはずれ、妖怪あとまわし、妖怪ゴリ押し、妖怪ここじゃないどこか、
妖怪いまさら、妖怪選ばれた民、妖怪スリル、妖怪禁止、妖怪ステータス上位、
妖怪ワンチャン
シンイチは説明する。
「『心の闇』にとらわれるってことは、ある『心』に支配されて、心の状態がひとつに固定されて、ループし続けるってことだと思うのね?」
「ふむ」
「本来、人の心は自由なんだ。だから色んな状態にもなれるし、柔軟性がある」
「然り」
「だけどあるきっかけで、一つの考えがグルグル回っちゃって、小さいループに落ち込むんだよね。それに目を付けた空中の種のような『青鬼』がそこに取り憑き、栄養を吸って妖怪『心の闇』という花が咲くイメージ。その種類によって色々な姿を取る。アジサイが土がアルカリだと青、酸性だと赤になるように、その栄養の種類で色んな色になる。今の所百種以上だけど、七つの成分の配合かも知れない」
「成程」
「どうしたらその心のループを抜ける?……オレは、大きく言うと、その人が『客観的になること』が答えだと思ってる」
「客観的」
「うん。自分はこんな『ひとつの心』にとらわれていたのか、ほんとはそうじゃなくて、自分の心にはもっと色んな可能性があるのに、ずっと同じ所でグルグルしてただけだった――そう思い直すことで、『心の闇』から脱出できると思っているんだ。とらわれた人は鏡を見せると妖怪が見えるじゃん? それって、自分の姿を客観的に見ることじゃないか、って思ってるのね」
「……驚いた」
百地は、目の前の少年の形をした哲学者に感心した。
「拙者たちが心の闇と闘っている間……そんなことをお主は考えていたのか」
シンイチの黒い目はうなづいた。
百地は「賢い子が一人、東京のてんぐ探偵にいる」と噂には聞いてはいたものの、間近にこれを見ると、シンイチという少年の可能性に胸が高鳴った。
「これまで大変だったんだぜ!」
百地の気も知らずに、シンイチは無邪気に笑う。
「毎回毎回、『どうして心の闇にとらわれたのか?』を考えてさ、『どうしたらここから脱出できるのか?』を考えてさ! ひょっとして対処法がパターン化できたら、って思って、ずっと考えてきたんだよ! 心の闇の入り口は色々あるかも知れないけど、出口は決まってるんじゃないかってこと!」
「よくやった。これは対『心の闇』の、大幅な進化かも知れぬぞ」
「この『処方箋』が正しい保証はないよ? 人の心は移ろいやすいし、あれかと思ったらこれかってことも沢山あるし、全く別のやり方があるかも分かんないし!」
「だがヒントにはなるかも知れぬでござる。心の本質に迫ること――お主しか出来なかったことだと思う」
その言葉を聞き、シンイチは少し報われた気がした。
何故オレは人と違うのか? ――それがシンイチの悩みの根本であったからだ。大天狗は言った。お前は人間と妖怪の仲立ちを出来る、特別な人間ではないかと。だからその力を使えと言われて、誇りをもってやってきた。
「オレは大天狗の言葉――『力を持つ者は使え』に、応えられたかな?」
百地は深くうなづき、シンイチの肩を叩いた。
天狗北限の恐山。
そこに立つ光の柱の中に、七角形のうちの一つの大妖怪がいた。
身体も触手もモザイク状の妖怪であった。その触手は町中へ伸び、生物的フォルムというよりは幾何学的なモザイク状をしている。カクカクしたそのタイルは、白と黒の二色しかない。白黒のドット絵のようにも見える。
「七角形の一……大妖怪『デジタル』」
シンイチは第一の闇の名を告げた。
てんぐ探偵、最後の七番勝負がここに始まったのである。
3
青森県恐山には、死者の魂が集まるという。
硫黄温泉が湧く為、草一本映えない岩山の世界だ。腐った玉子のような臭い=硫化物の臭いに包まれ、霧の立つ死の世界である。立入禁止の札が貼られ、いろいろな流派の呪符が貼られ、ここが地獄のイメージの元ネタと言ってもよい。この恐山には、死者の魂を呼び戻すイタコがいる。現世と黄泉の世界をつなぎ、死者と話をすることが出来るという。「口寄せ」と呼ばれるその秘法は民間の呪術――修験道の業によるものである。
だがその山の麓も死者の町かというと、そうではない。ごく普通の青森の田舎町だ。
警官が少年に、いきなり拳銃を構えたことを除いては。
「百地さん!」
「むッ!」
二人は早九字を切る。
大音量とともに拳銃は発射された。
少年は警官から逃げている。
警官は背後から、少年の後頭部めがけて銃を撃ったのだ。
「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛りの術!」
ぴたり。
警官も少年も銃弾も、空中で時を止めた。
「一体何が起こっているのでござるか?」
シンイチは警官の胸を指さした。巨大な白黒モザイク状の触手に侵されている。
「最も太い大妖怪『デジタル』の根……」
少年の手には、小さな赤い漫画本が握りしめられていた。
「話を聞いてみよう」
シンイチは空中の銃弾をつまんであさっての草むらに向け、不動金縛りを解いた。
「この万引き犯め! 正義の味方の成敗を受けよ!」
警官がセリフの続きを叫び、銃弾はあさっての草むらに消え、少年は角を曲がって逃げおおせた。
「どうやら万引きのようでござるな」
「だからって拳銃打つ?」
「少年にはとりあえず天罰を与えておこう」
百地は再び不動金縛りをかけた。忍び走りで少年の背後に立つと赤い本を取り返し、代わりに紫の草を持たせた。
「毒草でござる。七日間手が腫れるであろう」
意地悪に笑って金縛りを解く。
「あれ? 銃撃、外した?」
戸惑う警官に二人は話しかける。
「万引きだからって後ろから発砲はないだろ!」
腰に手を当てて怒る天狗面の少年と忍者に、警官は腰を抜かした。
「あなた、妖怪に取り憑かれてますよ!」
4
警官の名は、勝山正義と言った。
「ひどいよ! 万引きをしたからって後ろから射殺はないだろ?」
シンイチは彼に怒って言った。
「なんだと? 本官の判断によるものだ! 万引きは悪! 悪は死刑! それが正義!」
「あまりにも極端すぎて、法治国家とは思えぬ口ぶりでござる」
百地は警官の心の臓に刺さる、白と黒のブロック触手を見た。
「正義に取り憑かれた男、とでも言うべきでござるかな?」
「妖怪『デジタル』ってさ……」
シンイチは観察しながら言った。
「ものごとを善か悪か、みたいな二色にしか見れないってことだろうか?」
「おそらく」
二人は空を見る。二色の「デジタル」の触手たちが空を覆い、四方八方に広がっている。
「『デジタルに取り憑かれた街』を見てみよう」
「死刑!」「無罪!」「死刑!」「無罪!」
裁判所では、裁判長が両極端な判決を次々に出していた。
「情状酌量の余地……あり! なし! なし! あり!」
「従って、弁護の必要も……あり! なし! なし! あり!」
弁護士も同様に両極端だ。
「そんなんで決めていいのかよ!」
驚くシンイチたちをよそに、被告たちも同じく「デジタル」に取り憑かれているため、
「了解!」「不服!」「了解!」「不服!」の、二者択一しかリアクションがない。
「なんだこりゃ???」
シンイチはこのコントみたいな裁判にあきれた。
「この裁判が正しいかどうか、どうやって責任取るつもりなんだろ?」
酒屋の店先では、愛人が本妻に殴り込みをかけていて修羅場になっていた。
「私と奥さんどっちが大事なの!」と詰め寄られた主人も「デジタル」に取り憑かれているため、即愛人をさし、本妻に殴られていた。
「まあ……あれは自業自得か……」
またある会社では人事異動が発表され、「社長」と「平社員」の両極端になった。平社員たちはそれに不満を覚え、全員辞表を叩きつけていた。
スーパーでは賞味期限を一分でも過ぎた食品は即廃棄となり、大量の生ごみが焼却炉に運ばれている。
「ああ! まだ食べれるのに! たった一分過ぎただけで!」
シンイチが止めようにも、ゴミの山は増えるばかりだ。
「……思考がゼロかイチかの両極端になるってことだな? やっぱ」
だがこれを見ていた勝山は、むしろニコニコ顔だ。
「なんでそんなに楽しいの?」
「スッキリしていいではないか!」
「ええー。もっと間とか、あるでしょ!」
「間などない! 正義か、悪かだ!」
勝山はふと道路を見て、突然切れた。
「3! 3は中途半端だ!」
ばんばんばんばん。
アスファルトにペンキで描かれた制限速度「30」の「3」に、勝山はやおら銃を打ち込んだのだ。
「ハア? 何やってんの!」
「馬鹿者! 1を3で割ってみろ。0・333……と無限に続くだろ!」
「で?」
「それに3をかけたら0・999……。なぜ1にならない?」
「……たしかに」
「だから3は中途半端だ! 死刑!」
シンイチは再び不動金縛りで勝山を縛りつける。
「困ったな。両極端な心なんだな」
そこに智恵猫ネムカケが、助け船を出した。
「1を3で割って3をかければ1じゃぞ?」
「いや、そりゃそうなんだけど、今は0・999……だから困っているんだよネムカケ!」
「だからそれは論破できるぞえ?」
「???」
「小学生では無理じゃが、大学数学で勉強するε-δ論法がそれに答えるぞい?」
「イプシロン……何?」
「『一回の操作で単調減少して、かつそれが無限に続くことがわかっていて、しかもそれが1に無限に近づくならば、それは1とみなしてよい』という、無限と極限の定義じゃ」
「?????」
「分りやすい例で行こう。『アキレスと亀のパラドックス』は知っとるか?」
「いや?」
「めちゃんこ足の速いアキレスと、のろまの亀がいる。百メートル走で勝負じゃ。ハンデをやり、亀がちょっと前からスタートするとしよう。どっちが勝つ?」
「そりゃアキレスがそのうち抜くでしょ」
「ほんとにそうかの? 最初に亀のいた位置までアキレスが来たとするじゃろ。そこに来るまでいくばくかの時間がかかっているから、その分だけ亀は進むじゃろ。もちろん短い距離じゃが0ではない。そしてまたその位置までアキレスが来たとき、ちょろっとじゃが亀は前に進む。0ではない。以下繰り返して……亀は永遠にアキレスの前に居続ける。すなわち、アキレスは亀に追いつけない」
「それは変だよ!」
足の速いやつはすぐに自分を追い抜いていく。これは何かの罠だ。追い抜けないはずがない。
「それって、多分……フツーに考えればバーッと追い越しちゃうからさ、『その考え方自体が間違っている』っていう落ちなんじゃない?」
「流石シンイチ! 鋭いの!」
「その……ε-δ論法を使うと、これを論破できるんだね?」
「その通り。逆に、それしかこのアキレスと亀の矛盾は突破できんのじゃよ。無限回試行できて、しかも差が毎回小さくなり、しかも0より大きいわけだから、ε-δ論法により、『アキレスと亀の距離は0とみなせる』と考える。0・999……と『永遠に続けられる』ならば、それは1とイコールであると定義するのじゃ」
「へえ……じゃあ、0・333……は、3をかけて0・999……で、しかも無限に続けられるから、1だということ?」
「ご名答!」
シンイチは勝山の金縛りを解き、この説明をした。
「そんな論破の仕方があるのか……」
「理系ならみんな知っとるぞい?」
ネムカケはどや顔でふんぞり返った。その納得で、勝山から一瞬触手が外れかかった。
「分った。3は許そう。だが万引き犯は許せんだろ! 悪即斬!」
「くそう。3は許されても、他はデジタルなのか……」
シンイチは必死で考える。
「シンイチノートのどれかは使えるか?」
と百地が尋ねる。
「うん。考えてる」
シンイチノートの七つの分類。両極端のループに陥っているなら、七番の「その先」は使えないかと考える。小さな所ではなく、もっと大きなものに気づくこと……
「あっ!」
シンイチは叫んだ。
「『トロッコ問題』は、どっちが正義だい?」
5
「ねじる力!」
シンイチと百地は、法力を重ねて黒い渦巻をつくった。
大きな風が吹く。その暴風に思わず目をつぶり、開けると別世界だ。ねじる力による、架空世界が出来上がった。
荒野。
灼熱の日照りがじりじりと肌を焼く。
乾いた風の中に、線路が長く一本続いている。
ガタン……ガタン……。線路が小さく振動し、何かが接近してくることを伝える。
トロッコだ。
鉄の重たいトロッコに十人が乗って、必死で捕まっている。
近づくにつれて、ガタンガタンがガタガタガタガタになってきた。飛び降りるには危険な速度。トロッコに乗った十人は、この暴走トロッコと運命を共にするしかない。
目の前に、線路の切り替え器がある。
線路は二股に分かれ、この切り替え器でトロッコの行き先を変えられる。
左の線路には、一人の男が縛られている。
右の線路には、五人の男が縛られている。
「どちらに線路を切り替えるべきか? 左か? 右か? 一人が犠牲になるべきか? 五人が犠牲になるべきか? トロッコには十人乗っている。何人死ぬのが正義か? これがトロッコ問題」
シンイチは勝山に問題を出した。
「一人が犠牲になるしかないだろ」
二者択一しか出来ない「デジタル」に取り憑かれた勝山は、ハンドルを躊躇なく左に切った。
たちまち線路は左に切り替えられ、暴走トロッコは一人の鎖に繋がれた男を轢きつぶし、乗っていた十人と右の五人は助かった。その代わり、トロッコの下から、引きつぶされた肉の赤い血が流れている。
ただ一人だけが死んだ、苦くて「幸福な」結末であった。
「正義とは、多くの人々を救うことだ」
勝山は言った。
「ほんとうにそうかな?」
シンイチは指をぱちんと鳴らす。
世界はリセットされ、トロッコは最初の位置に戻った。
暴走トロッコ、切り替え器、縛られた一人と五人までは同じだ。
しかし縛られた一人のほうは、無名の男ではなくアメリカ大統領であった。
「ここで大統領を死なせれば、世界存亡の危機だぜ?」
勝山はハンドルを右に入れる。五人は死に、アメリカ大統領は助かった。世界核戦争を回避できて、勝山は胸を撫でおろした。
「じゃあこれは?」
シンイチはさらにリセットする。
年収一千万の一人の男と、年収百万円の五人の男。
「……」
勝山は迷ったが、ハンドルを右に入れ、五人を犠牲にして、一人の年収一千万の男を救った。
「人間一人の命は平等か? という問いだと思うんだよね、この問題は」
シンイチは出題の意図を言う。
「仕事の大きさで人の価値は決まるの? 年収で決めるの? 誰を救うのが正義? その判断基準は? 基準は、どんどんグレーになるよ?」
次は、ハンドルが左と右以外のグレーの目盛りがついていた。
ハンドルには、左、二人、三人、四人、右、と「あいだ」が存在していた。
「あいだに入れると、その分鎖が切れて助かる」
「四人に入れても、右か左の人は一人死ぬのか?」
「うん」
勝山は「四人」に入れ、四人を助けた。トロッコは一人を轢き殺した。
「じゃあこれらを全部足そうか!」
ハンドルは五段階に。五人の中にアメリカ大統領が混じり、年収は一千万から百万まで、バラバラだ。
「犠牲者が一人で済むならば……」
勝山は年収百万の男を一人、犠牲にした。
「判断基準はバラバラだ。たぶん正しい答えなんて一つもない。オレはそう思ってこの問題を出したのね? でも勝山さんの判断が早すぎて、もっと迷って欲しいんだけど……」
シンイチは困った。
「凶悪犯を目の前に悩んでいる時間はない。それが『現場の正義』というものだ」
勝山は胸を張った。
「うーん、白黒ハッキリしているのはいいけど」
「逆に、君の正義は何だ?」
「え?」
「なぜ妖怪と闘う? 君の正義の心は、何に向けられている?」
「……」
新型妖怪「心の闇」のせいで、死ぬ人がいる。それをシンイチたちは食い止めてきた。だが妖怪を殺すのは許されるのだろうか? これはシンイチがずっと考えてきたことでもあった。
大妖怪「鏡」は、自分の体の一部を結界を破って逃がし、全国へ散らせた。
何の為に? ――生き残る為だとシンイチは思う。
新型妖怪「心の闇」は人を取り殺して生命を奪うが、「悪を企む」わけではない。単純に「生き物として他の命を喰らう」ことをしているだけではないか? と、シンイチは考えている。
――台風や地震に意志がないとでも?
そう石鎚山の青鬼は言った。
新型妖怪「心の闇」は、古来からいた妖怪たちが、人間の文明という変化に合わせて形を変えて進化したものではないかと考える。人間だって環境に応じて形を変えてゆく。妖怪だって多分そうだ。人間の文明の発達とともに生じた闇――人の心の闇を、彼らは新たな棲み処として変化しただけだ。
台風や地震に意志がある――そう考えれば辻褄は合う。彼らの意志とはつまり「生きる」こと。ただそれだけではないか? だとすれば、オレたちの役割は「退治」ではない。懲罰や審判や裁きでもない。人の領域を守る為の「駆除」。シンイチは、てんぐ探偵の役割をそのように考えていた。
正義の基準はなんだろう? そんなものはない。だって条件は複雑なのだから。それが心の闇「デジタル」を払う方法だとしたら、シンイチは何の為に闘うのか?
デジタルの闇を払えば払おうとするほど、それはシンイチの行為にも刃を突き付ける。駆除だけが正しいのか?
「『闇を覗き込む者は、闇に覗かれぬよう』でござる」
シンイチのループを見て、百地が「客観」を連れてくる。
シンイチははっと目覚める。
「そうだった。距離を取らなきゃ、客観にならないんだ!」
シンイチは、一本高下駄で空に飛び、空中で次の問題を考えた。
「『一人』が、ごく親しい人なら? 私の天秤と、公の天秤がぶつかり合うなら?」
シンイチは砂で乾いた大地に着地して、指を鳴らして次の問題を出した。
縛られている一人とは……
勝山は叫んだ。
「母さん!」
グレーの髪の、品の良いおばあさんが鎖に縛られている。
「ああ……ああ……」
勝山は激しく動揺し、その場にへたり込んだ。
「どうして……どうして母さんに会えるんだ?」
「正義」
勝山の母、良子は彼の名を呼んだ。
「母さんは、十年前に死んだろ!」
6
轟音を立ててトロッコは迫り来る。
十年前に死んだ母が、鎖に縛られている。右の線路の五人も、助けてくれと叫ぶ。
「なんで死んだ人が現れたんだ?」
そんなつもりのなかったシンイチに、百地が答えた。
「ここは、恐山でござる」
「死者の甦る町?……」
なにが正義か?――勝山は激しく動揺し、迷った。
ハンドルは母か? それとも他の五人か? 母は、五人分の価値があるか?
「現場の素早い判断」は何だ? 俺は警官か? 俺は一人の人間か?
勝山はハンドルを右に回し、五人を犠牲にし、母を助けた。
「……違う! 違う! これは正義ではない! やり直させてくれ!」
再びトロッコが暴走してくる。勝山はグレーのハンドルを回し、年収の一番低い、二番目の男だけを殺した。助かった四人は胸を撫で下ろす。
「……違う! 違う! そうじゃない! やり直させてくれよ!」
何度やり直しても、誰か一人が死ぬ。どのハンドルも一人の犠牲者をいけにえにする。
ならば――。
勝山は線路の上に躍り出た。
両手を広げ、自らをトロッコの犠牲者とした。勝山は血まみれになり、暴走トロッコの下敷きとなった。
「えええ! それは問題の外だよ!」
シンイチは更なるリセットをかけた。
「それは反則! あくまでハンドル操作のみで!」
「……少し、母さんと話せないか?」
勝山はシンイチに頼んだ。
「いいよ! 落ち着いて考えて!」
九字を切り、トロッコを不動金縛りにかけた。
勝山は、母、良子に話しかけた。
「母さん。……俺、警官になったよ」
「ふふふ。すぐに分かったよ。その制服似合ってるね。お前は昔から正義感の強い子だったしねえ」
「俺が警官になった理由は、あの時の放火犯を捕まえる為だったんだ。そして去年、俺の手で無事逮捕できた」
「まあ。それは良かった。天罰が下ったのね? 私の担当の患者さんは?」
「今年、成人式」
「良かった」
良子はほっとして笑顔になった。
「母さんの正義は報われた。……それを伝えたかった」
「うん。うん。……それは良かったわ」
彼女は確かめるように、勝山の表情を見た。
勝山はシンイチに事情を話した。
「母さんは地元の病院の看護師だった。ある日病院が放火されて大火事になって、母の担当患者さんが火の中に取り残されたんだ。足を怪我してて、逃げ遅れて……。母さんは火の中へ飛び込んで、一人だけ帰って来なかった」
「ふふふ。人を助けるのが仕事ですもの」
彼女は胸を張った。
「……母さん」
勝山は、思いつめた顔で良子に言った。体が震えてきた。自分の考えが恐ろしく、涙が出てきた。良子はそれを察して、やさしく尋ねた。
「なあに?」
「俺、ハンドルを左に切るよ」
「ふふふ。そういうと思ったわ」
良子は柔和な顔を崩さなかった。
「私はもう死んでるからね。これから生きる人を全員助けなきゃ!」
「母さんは二度死ぬ。一回目は放火犯に殺されて。二回目は俺に殺されてだ」
「気にしなさんな。あなたが迷うようなら『私を殺しなさい』って叱り飛ばす所でした。でもあなたは立派に育ったわ。正義の味方に」
「……」
これで良かったのか? これで良かったのか?
勝山ははげしく動揺する。
不動金縛りの効力が切れた。
勝山は慌てて、約束通りハンドルを左一杯に入れた。
火花をあげて、耳をつんざく金属音をあげて、暴走トロッコは左の線路に入った。
良子は、勝山の目を見たまま微笑んでいた。次の瞬間、トロッコは良子の体を真っ赤な肉塊に変えた。
ぺしゃんこのこの塊のおかけで、トロッコの十人も、縛られた五人も助かった。
「……」
勝山は両膝をついた。ハンドルを左に切った手が震え始めた。
「シンイチ殿……」
百地はこの凄惨な結末に、驚いていた。
「シンイチ殿は、最初からこの結果を?」
シンイチは首を振った。
「シンイチノートの七番、『その先』をやろうと思ったんだ。極端なその先を考えたら、それはバカバカしい結論だよな、って行けないか?って。白と黒とグレー。その先があるんじゃないかって。でも違った。一番の『考えたくない』が答えだった」
「?」
「考えたくないから、白と黒の極論にたどり着く。心の弱さが、単純にすがりたがるんだと思う。でもその中で、勝山さんは違ったんだよ」
「違った」
「白と黒とたくさんのグレーから、ひとつの白を選んだ。ずっと勝山さんは考えてきたんだよ。だから白という責任を取る覚悟をしたんだ」
そう言われた勝山はハッとした。訓練の中で培ってきた判断力。何が悪で何が正義か。何が法で何が違法か。咄嗟に判断できない限り、目の前の悪を見逃す。だけど自分は自動機械になっていたのでは? と勝山は思い当たる。
「現場を優先するがため、考えることから逃げていたと?」
「うん。そう」
「……」
勝山は、この両手に残ったハンドルの感触を忘れまいと思った。
母は二度死んだ。勝山に大事なことを残して。
「母さん、何度でも俺は考えるよ」
勝山は赤い肉塊に誓った。それがたとえ間違ったことだったとしても、正しいとは何かを探ること。
「……俺は、正義の味方だ」
衝撃が起こり、架空のトロッコ世界は消え、恐山の麓町へと三人は戻った。
勝山の心の波動が大妖怪「デジタル」に伝わり、多数の触手へと波及した。白と黒だった触手にはグレーが混じり、いずれ赤や青やピンクや金や七色が混じり、カラフルになっていった。
そして勝山の心の白が、すべての触手を白一色に染めた。
「不動金縛りの術!」
シンイチは朱天狗面を、百地は赤目天狗面を被った。
シンイチは、百地は、天狗の面を被ると天狗の力が増幅するてんぐ探偵である。
「いくぜ! 火の剣、小鴉!」
「火炎手裏剣でござる!」
シンイチは火の剣、鞍馬流の太刀筋で妖怪の触手たちを切り刻む。
百地は、炎に包まれた巨大な十字手裏剣を大妖怪の本体に投げた。回転する炎の車は眉間を捉えて突き刺さる。炎が広がり、全身を焼いた。
「爆ぜよ、撒菱」
小さな赤い撒菱を地面に放つ。それを踏んだ「デジタル」の脚の下で撒菱は爆竹のように爆ぜ、脚を燃やした。
「苦よ無くなれ」
懐から忍者の小剣、苦無を無数に取り出し、一斉に投げる。炎が八方に走り、竜巻となった。
こうして七角形の一、大妖怪「デジタル」は清めの塩となった。
「ドントハレ!」
「どっとはらい!」
遠野と三重の結句で、二人は締めた。
百地はシンイチの「やり方」を初めて自分の目で見て、確信を得た。
「七のノートは、使えるでござる」
恐山に立っていた光の柱は、清めの塩が散っていくとともに消えてゆく。
「七角形。あと六つ」
「うん。……次はあれかな?」
シンイチは南を見た。東京方面に巨大な光の柱が七色に輝いている。。
「行こう。次の闇へ」
シンイチと百地は力一杯両脚に力を込め、一本高下駄で東京へ飛んだ。
「母に会わせてくれて、ありがとう」
勝村の敬礼は、まっすぐで美しかった。
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
一、考えたくない…… ×デジタル 対 シンイチ、百地〇
二、理想
三、隠している
四、恐怖
五、小さな考え
六、逆
七、その先
次回予告
南海の鬼界島へ向かったのは消防士の赤石と神主の三神。七角形「全能感」が支配する島。
サイレンが鳴ると同時に、人々が武器を手にして殺し合いを始める。
この不気味なサイレンの正体は。人を殺して全能感を味わう人々の心の闇をどうやって退治する?
次回てんぐ探偵第九十九話「サイレンの鳴る島」に、ドントハレ!




