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てんぐ探偵  作者: 大岡俊彦
七章 探偵集結
102/116

第九十四話 「狼は見ていた」  妖怪「ブラックボックス」登場



     心の闇の奥底に さらに広がる闇がある

     集え天狗の弟子たちよ 若き炎で闇を焼け



    1


 その銀のロボットは、突然白い煙を吹いて停止した。

 スイッチを入れ、しばらく動かないと思ったら、異音が急に大きくなり、変な臭いが漂った。熱を激しく持ったのだろう。内部の何かを焼き、紫色の煙が機械の外に漏れてきた。

 まだ爆発炎上してくれたほうが絵的に派手で、理解が早かったかもだ。残念ながら、介護用ロボットという触れ込みの「Elephant-001」は微動だにせず、煙を吐くだけの文鎮花火となり果てて、関係者たちの落胆を誘った。

 万が一の事故のことや情報漏洩のリスクを考え、日本渦巻にほんうずまき産業(英語名Vortex)のロボット研は、秩父山脈のたもと、とある廃鉱山の土地を買ったところにあった。岩肌だらけのスペースで、象の形をした銀のロボットは、爆発のチャンスも与えられず鉄塊に戻った。

 介護用の大きな一本アームが頭についていること、四足で体を安定させること、スタビライザ代わりでちょっとしたコミュニケーションツールとしての尻尾。象に似たその外見から、この銀のロボットは「Elephant-001」と呼ばれていた。

「来週のマスコミ発表会、今更中止には出来んぞ。株がいくら下がると思ってるんだ」

 社長の黒田くろだは開発主任の堂本どうもとを脅した。

「原因は究明します。設計上は動くはずでしたが」

「じゃあなんで動かんのだ」

「だから原因は究明します」

「……締切は変わらんぞ。出来なかったらロボット部門は売却だ」

「そんな。日本渦巻産業は機械部品から立ち上がったメーカーでしょう。その本体を売却する気ですか?」

「時代を見ろ。ITソリューションや株の売買システムが今のVortexだ。渦巻産業など古い。モーターやネジは、『世界の工場』中国にやらせればよかろう」

「しかし我が社の技術は中国には追随不可能で……」

「それがあの動かぬ象かね?」

 銀色の文鎮を見て、誰も何も言えなかった。


 ここは秩父山中の奥深く。その林の奥に、金に光る眼が三対あったことを、渦巻産業の社長黒田も主任堂本も、白衣の研究所員たちも、誰も気づいていなかった。

 それは山の使者。山犬やまいぬと呼ばれ、怖れられ、そして文明によって絶滅したと言われる、ニホンオオカミであった。


 奥秩父山中、三峯みつみね神社の宮司、三神みかみまことは、「御膳」をうやうやしく運び、作法にのっとって奥々宮(大神宮だいじんぐう、またの読みを「おおかみのみや」)へと歩を進めていた。この「御膳」は秩父山中に住まう神へ捧げる供物で、内容は小豆飯と清酒と、昔から定められている。それを捧げて数刻置いておくと、食べ物飲み物はことごとくなくなっている。大神がお召しになられたのだ。

 その神とは、狼である。

 大神を神と信仰する狼信仰神社は日本各地にあり、「大神たいしん」の読みを「大神おおかみ」にしている所が多い。三峯山、武甲山ぶこうさん両神山りょうかみさんを秩父三山と呼ぶが、そこでは「大口真神おおくちのまかみ」で狼のことを指す。秩父山地は武蔵の外れにあり、西へ抜ければ甲府盆地、北へ抜ければ群馬県高崎。すぐ赤城あかぎ日光(にっこう)山にぶつかり、奥羽山脈へと続く。このあたりには狼信仰が伝わり、御犬様、御眷属様などと呼ばれることもある。その中でも三峯神社は中心的な場所で、社内の狛犬が全て狼であることは広く知られている。

 大神宮だいじんぐうに御膳を供えた宮司三神は、繁みの向こうに三頭の狼がいることに気づいた。

「腹減ったんか? 誰かに見られたら厄介だぞ。もうちょっと待てやい」

 反対側の林からも、のそりと巨大な灰色の狼が現れた。この山の主ともいえる大きさで、象のような上背があり、馬のような首、獅子のような肢をしていた。

「やれやれだぜ。松尾マツオまで出てくるとは。何かあったな?」

「『心の闇』を見たと、ヒミズ、キノト、ツチが申しておる」

 巨大な狼、松尾は人語で喋った。

 三神はそれが当然のように話を続ける。

「やれやれだな。ついにこの山にまで来たというのかい? 都会からはるばると」

「黒くて、四角い形をしていたそうだ」

 目撃者の三頭の狼、ヒミズ、キノト、ツチはうなづいた。

「ヒノトが食えばいいのに」

「食ったよ」

 ヒノトと呼ばれた精悍な狼が、牙をむいてしかめっ面をした。不味かったそうだ。

「でもあいつら、増えるんだ」

「増える?」

 三神は腰のひょうたんから朱の一本高下駄を出して履いた。天狗の弟子であり、三峯神社の宮司である三峯は、狼たちの導きにより渦巻研究所へ向かった。

 金の遠眼鏡「千里眼」で研究所を覗いた三神は言う。

「本当だ。何匹いるんだ? 1……2……3……」

「十五匹」

 突然横から少年の声が聞こえる。

「研究所の殆どの人に取り憑いているね。しかも増え続けている。その名も、妖怪『ブラックボックス』だ」

「? ……お前、誰だよ?」

 振り向いた三神の横にいたのは、黒いフードに朱の槍を携えた峯丈と、わずか十歳のてんぐ探偵、我らがシンイチ少年であった。


    2


 それは、冬の寒い朝だった。

 ネムカケが暖かい布団の中でシンイチと眠っていると、シンイチがふと起き上がる気配を感じた。鞍馬流の稽古にはまだ早い筈、もう少し眠れるのに、と思っていると、シンイチは出かける支度をしている。

「なんじゃい? シンイチ」

「迎えが来た」

「は?」

「玄関に、槍の男が立っている」

「?」

「峯丈さん――山形、羽黒山のてんぐ探偵」

「あの、石鎚山で青鬼を封じていた男か」


 白いもやがかかっていた。その霧の中に、ひときわ大きな背丈の男が影となって立っている。黒いフードを被り、傷だらけの貌を隠している。巨大な得物――朱の槍は隠そうにも目立つ代物だ。

「おはよう」

 シンイチは眠そうなネムカケとともに玄関に立った。

「東北の旅に連れてゆく」

 と峯は口を開いた。

「今度は東北の旅にゆくのかい? シンイチや」

「うん。光太郎と東海道は大体見れたから、東北の天狗事情を知りたくて。山形出身の峯さんにタイミングが合えば案内を頼むって約束したんだよね。ついでに遠野へも寄りたいしさ!」

「そうか。ぬらりひょんのじじいと茶でも飲むかの」

「まずは秩父へ向かう」

 フードの中から白い眼を開き、峯は言った。

 知らない人にとっては不気味な声も、一緒に闘った仲では頼もしいと分る声だ。二人はいつしか歩きだしていた。

「秩父? 埼玉の?」

「そこでは、狼が天狗の代わりだ」

「???」

「狼は長く生きるほど灰色の体から、白い体毛に変わってゆく。白狼はくろうという。信じられない時を生きた白狼は、そのまま天狗となる」

 かくして白狼天狗に会いに来たシンイチと峯は、心の闇「ブラックボックス」の蔓延に出会ったというわけだ。

 三神と、互いに師の天狗の名を確認しあった。遠野早池峰山(はやちねさん)薬師やくし坊、羽黒はぐろ蜂子皇子(はちこのおうじ)。三神の師は、白狼天狗、両神山りょうかみさん忉利天とうりてん坊といった。各地を妖怪退治に行脚する峯は、既に三神と知り合いのようであった。彼にシンイチを会わせようとここまで来る途中に、心の闇に出会ったというわけだ。

「やれやれだな。妖怪……『ブラックボックス』。……ってどういうこと?」

 三神は頭をかきながら尋ねた。シンイチは妖怪を眺めながら答える。

「うーんと、多分あの人たち別々の部署の人たちなんだよね。壁で仕切られているし。で、それらの齟齬が原因なんじゃないかなあ」

「?」

 三神も峯も、状況を掴めていない。シンイチは聞いた。

「三神さんは普段どうやって『心の闇』退治を?」

「こいつらに頼む」

 と、三神は後方に控える狼たちを指す。

「狼だ!」

 ヒノエ、キノト、ツチが林の中から現れた。シンイチは犬の頭を撫でるように近づいたが、彼らは遠慮した。人に慣れない野生の匂いを感じ、シンイチは彼らの前で止まった。彼らはそのシンイチの態度に、野生を理解していると感じたようだ。

「狼は妖怪を喰う」と三神は解説した。

「そうなんだ!」

「『心の闇』に取り憑かれた者は、奥宮にある祠に七日七晩閉じ込めることになっている。そこに代わる代わる狼たちが来て、取り憑いた妖怪を少しずつ喰らうのさ。昔から『御籠り』と呼ばれる儀式なのさ」

「へえ。三神さんは何を?」

「大神たちが妖怪を喰い易いよう、塩で味付けする」

「マジで?」

「冗談だよ」

「冗談かよ!」

 人を食ったような三神に、シンイチは思わず笑った。

「人間が近づけないように、結界を張るのが俺の仕事かな。あとは狼たちに任せる」

「なんだ、妖怪退治しないのか」

「する時もあるぞ。大神だって妖怪を取り逃がすこともある。その時は白狼天狗の面を被り、てんぐ探偵になるよ」

「へえ。じゃ狼たちに『心の闇』を喰わせてみる?」

「俺たちには数が多すぎるんだよ」

 とヒノエは頭を垂れて嫌そうな顔をした。

「松尾は?」

 林の奥に三神が問うと、大きな声が聞こえる。

「腹を下しそうな数だ」

 のそりと、象より大きな狼が現れた。

「スゲエ! 超巨大狼!」

 シンイチは思わず駆け寄り、灰色の長い毛をモフモフする。松尾は子供好きなので、特段嫌がるそぶりは見せなかった。

「そうか。大神といえど、手に余るのか」

「相手が一体ならば、この霊槍で貫けるが」

 峯が視力のない白い眼で、悔しそうに言う。

「複数には対処しづらい」

 盲目といえど、峯には妖怪が見えているようである。

 シンイチは、松尾の深い灰色毛から頭を上げて言った。

「じゃあとりあえず基本からやるか!」

「?」

「探偵の基本、聞き込みさ!」


 三神はシンイチが研究員に話しかけ、すぐにうちとけた友達のようになるのを見るのは初めてであった。

「不思議な少年だな」

「石鎚でもそうだった。あれが彼の天性らしい」

 シンイチはおもむろに手鏡を取り出し、彼らに見せる。

「あなたたちは、妖怪に取り憑かれてるんです!」

「はい?」

 十五人の研究員たちに取り憑いた、十五匹の四角くて黒い妖怪「ブラックボックス」。シンイチは、その原因をひとつずつ聞くことにした。


    3


「うーん、つまり、相手の部署の技術がブラックボックス化して、見えてないってことなんだね?」

 シンイチは丁寧に技師たちの話を聞き、そうまとめた。

 主任の堂本は、胴体のエンジン部を担当している。「Elephant-001」をつくるのは、主に3つのチームだ。鼻チーム、胴体チーム、尻尾チームである。

 全体の設計があり、パーツの要求仕様が決められている。それに従って各チームがパーツを組み上げ、「象」になるわけだ。だが鼻チームも尻尾チームも渦巻産業ではない。別会社へ発注している。正確にいうと、元渦巻産業なのだが、分社化して何年にもなり、お互いの顔も技術も知らない関係になっているようだ。だから彼らはどのようにしてパーツを作っているかが分らない。設計図の仕様を満たすことをしているだけだ。

「だから互いの技術がブラックボックスになっているってこと?」

 シンイチは考える。

 鼻チームは、象を「長いもの」だと考えている。多重関節構造を持ち、モーメントをコントロールし、自在に動くように土台を考え、人を持ち上げるだけの出力を持つ、「長いもの」が象であると。

 胴体チームは、象を「パワー」だと考えている。各部に動力を伝え、動かす為のエンジンが象であると。

 尻尾チームは象を「小さく愛らしいもの」と考えている。そのようにつくる為に数々の研究があったと。

「アレ? この話、聞いたことあるぞ? ねえネムカケ、これなんていったっけ?」

 ネムカケはあくびをしながら答えた。

「群盲象を評す」

「そう、それだよまさに!」

「もともとはインドに伝わる寓話じゃな。ジャイナ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などに伝わるぞい。複数のめしいが象の一部だけを撫で、『象とは長いものだ』『象とは固くて毛が生えたものだ』『象とはふさふさしたものだ』と思い込み、対立する話じゃな。全体が見えていないと、一部を見てそれを全体だと思い込む愚かさについての話じゃ」

「……まさにそれだ」

 主任の堂本はため息をまじえる。そのことで再び肩に取り憑いた「ブラックボックス」は成長する。

「我々は今象を、バラバラの角度からしか見ていない。組みあがったあとはどうなるか、全体像など誰一人見えていないんだ。一部の仕様書だけ守ればよいとして、狭い見識だった。お互いの技術をブラックボックスとして無視していた訳か」

「そもそも同じ会社の人たちだったんでしょ?」

 シンイチは素直に尋ねた。

「なんでバラバラになっちゃったの?」

「現業に不要な要素は要らないとして、本社が切り捨てたのさ」

 鼻部門の主任、花田はなだが言う。

「我々のサーボモーターの多関節技術は、マグネット技術によって要らないとされた」

「マグネット技術もいらないと、尻尾部門も独立採算にさせられた」

 と尻尾部門の尾形おがたも言った。

「アレ?」

 シンイチは突然気づく。

「鼻も尻尾も同じ仕組みで動かせばいいじゃない! 長くて多関節で動くでしょ? なんでそうしないの?」

「鼻がサーボ多関節で動くのは、弊社がその技術を使わないと存在意義がないからだ」

「尻尾がマグネットスイッチングで動くのは、弊社の技術を使わないと弊社じゃなくてよくない? ってなってしまうからだ」

「どっちかが両方やればいいじゃん! だから組み上げた時に両方の制御が必要になって、ごちゃごちゃになってるんだよね?」

 堂本は答える。

「その通りだ。しかしどちらかを採用すればどちらかを切り捨てることになる。だから目を瞑って……」

「その『目を瞑る』ってことが、ブラックボックスってことだよね?」

 全員はハッとなった。子供の癖に、大人の事情の本質を突いてくる。我々は、象の一部を撫でただけのめしいであると。

「実はそれだけじゃない」

 主任の堂本が口を開いた。

「経営部が、技術部に隠していることがある」

「どういうことだ?」

「私は介護用ロボットとして設計を依頼された。だが社長の黒田は、それを軍事転用する商売をしようとしている」

「は?」

「渡された仕様書、おかしいと思わなかったか?」

「たしかに。介護用にしては要求出力が大きすぎると思った。鼻の回転トルクを制御する為に必要かと思って、こちらとしては無理して出したつもりだったが」

「こちらの尻尾も同じことをしていた」

「ウチの胴体もそうなんだ。介護用にしてはそんなにパワーいらんだろ、と思ったが、鼻と尻尾に取られるしな、などと解釈していたんだ。だが社長はこれで、別の商売をするためにスペックを上げ目にしていたらしいんだ」

「そちらの設計図を見せてくれ」

 花田が言った。

「尻尾もだ。全体を突き合せよう。それで判断するべきだ」

「確かに。俺達は群盲だ。目を開いて、象全体を見ようじゃないか」


    4


「こりゃ火も吹くはずだぜ」

 花田も尾形も堂本も、全技術者も、設計図全体を突き合せてようやく理解を深めた。

 軍事ロボットに必要な出力を無理して出して、そのガタが全体に負荷をかけていることが、ブラックボックスをあけて整理して初めて分ったのだ。

「じゃ、最後のブラックボックスの所へ行こうぜ! 社長室だ!」

 シンイチはそこに乗り込むつもりだったが、堂本は首を振った。

「社長室は、この研究所にはない」

「え?」

「研究所は秩父の山奥だが、経営本社は東京都港区」

「なんで離れてんの?」

「経営と研究は違うと」

「ヘンだよ! 同じ会社だよね? なんでバラバラなのさ! サッカーやるときオフェンスとディフェンスが東京と秩父にいる?」

「……確かに」

「『ねじる力』を使って、社長室へ行こう!」

「応」

 シンイチの探偵っぷりに感心していた峯と三神は、手のひらを重ねてねじる力を増幅した。

「ねじる力!」

 空間が歪み、曲がり、秩父山脈の奥の研究室と、東京港区湾岸のビルの中が繋がった。

「何だね!」

 驚いた黒田社長は、社長席から立ち上がった。堂本、花田、尾形、ほか研究員が急にぞろぞろと歪んだ空間から入って来たからだ。黒田は電話で警備を呼ぶ。しかし電話は待機音すら鳴らさない。

「この部屋には不動金縛りをかけてあるぜ」

 三神は言った。峯が続ける。

「ここでの話は外に漏れないし、外からも見えぬ」

 シンイチは堂本に話を促した。堂本は黒田に言う。

「社長のおっしゃるスペックを再計算しました。これがそれです」

 PCを開き、統合された仕様書を見せる。

「儂は技術のことは分らん。だから君に任せたのだ」

「それがブラックボックスってことじゃんか!」

 シンイチが鏡に映った黒田の肩の妖怪「ブラックボックス」を見せた。彼のものが一番大きかった。

「どんな技術を使おうがどうでも良くて、軍事兵器として売れて、株価が上がればOKということですね?」

「……何のことかね?」

「このスペックを見る限り、介護用のそれじゃないですよ。目的は軍事利用でしょ?」

「峯さん! 槍で『つらぬく力』を出せるよね?」

 とシンイチは突然峯に言った。

「応」

「社長のPCの回線の向こうに何があるか『つらぬく力』で示してよ!」

「む」

 峯は朱槍をしごき、「つらぬく力」で回線の向こうを見た。

 ゼネラル・ウェポンズ社。アメリカの新興軍事会社であった。

「ホラ!」

 堂本はため息をついて、社長に言った。

「胴体部門は、独立した会社になりますよ。それで鼻部門と尻尾部門を再統合して、あらためて『Elephant-002』をつくります。介護用ロボットとしてね」

「なんだと?」

「我々は互いにブラックボックスじゃない。だがあんたはこっちをブラックボックスだと見ている。それが気に食わない。あんたはよその技術屋を、ブラックボックスとして買ってくればいいさ」

 研究者たちに取り憑いた心の闇「ブラックボックス」は、その言葉を聞き、彼らの心から一斉に離れた。象の全体――経営陣、アメリカ、そして未来まで見えたからだ。

「一匹の妖怪くらいなら、松尾、食えるだろ?」

 三神は歪んだ空間を振り返る。

 林の中から、金の眼が見ていた。

「この男、群れの長の資格がなかった。だから『心の闇』に落ちたんだよ」

「肝まで喰わぬよう気をつける」

 象より巨大な狼が跳びかかった。

「うわ! うわ! うわ!」

 松尾は社長の妖怪を食い千切る。社長は肝がつぶれるどころか、恐怖に気絶してしまった。

「不味い」

 松尾はため息をついた。

「お前が塩を振らぬからだ」

「さっきの冗談聞いてたのかよ!」

「じゃ、オレらは、残りの妖怪を斬ろう!」

 シンイチは朱天狗面を、峯は醜悪三ツ口天狗面を、三神は気高い狼の貌をした、白狼天狗面を被った。高畑シンイチは、峯丈は、三神真は、天狗の面を被ると天狗の力が増幅するてんぐ探偵である。

「一刀両断!」

 シンイチは宙に舞う妖怪ブラックボックスを、火の剣で斬る。

 峯は朱槍でブラックボックスを串刺しにしてゆく。

 三神は白木の大幣おおぬさを出し、炎を上げて祓い清めた。

「ドントハレ!」

「とーぴんぱらり!」

「チャンチャン!」

 遠野、山形、埼玉の結句で締められた。

「げふう」と松尾のげっぷを合図に、炎に包まれた妖怪たちは塩の柱となって崩れ落ちた。



 元々ひとつの会社だった渦巻研は、こうして再びひとつの仲間に戻った。

 各部署間に壁はなく、自由に行き来して意見を持ち合う風通しの良い研究所となった。

 狼は群れで生きる。「一匹狼」などと言うが、それは群れからはぐれた不幸な狼で、通常十五頭から三十頭程度の群れで生きる。その家族の絆はひときわ強く、仲間を守る責任感は動物の中でも一、二を争うという。

 「近くに何故いないのか」というシンイチの発言が、狼たちの心をひどく揺さぶったことに、シンイチ自身は気づいていなかった。群れを群れとして大事に考える人間である、と狼はシンイチを見抜き、だから味方だと確信したのだ。

 三神真は、峯から「不思議な少年がいる」と聞かされ、半信半疑であった。だが目の前でその言葉の意味を分かったような気がした。

 峯はシンイチと東北の旅に出るという。三神も誘われたが、次の神事が迫っていて、終われば合流する約束をした。

 ニホンオオカミはかつて本州を中心に生息し、秩父から山を超えた甲府でも狼信仰が残るなど、東日本を中心に狼信仰が残る土地がある。だが近代に至って家畜への害をなすとして駆除され、一九〇五(明治三八)年に捕獲された個体を最後に絶滅したとされる。だが二〇一二年群馬県高崎市で目撃情報があるなど、完全な絶滅ではないと信じる人は少なくない。

 秩父山塊を後にするシンイチと峯に、狼の遠吠えが聞こえてきた。

 山の中で狼に出会った場合、敵意を見せずに道に迷ったのだと説明すると、里へ出る道を教えてくれ、うしろからついてくるという。彼らは山の監視者であり、困った者を放っておけない優しさも持つ。これを送り狼という。

 狼の遠吠えも、群れからはぐれた個体を探し、居場所を特定する為の合図である。

 この遠吠えはつまり、松尾もヒノエもキノトもツチも、シンイチを群れの一員と認めた証拠だった。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






挿絵(By みてみん)

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