不死鳥の少女
入学式までは平穏に時が流れた。ニキータが強いて言うなら手紙を持ってきた学園の伝達用の使い魔をシーラが捕まえてしまったことや入学式の後一週間は持つと思っていたのがシーラの食べっぷりに入学式当日までしか持たないことが確定したことだけだ。
そして今日は入学式だ。実はヴィシーニャ魔法学園において制服という規定は非常に緩い。
魔法使いの卵と言える学生に架せられた制服は黒いローブのみだ。中に何を着ていようが構わない。禁止されているのは学年を示すローブの色の変更とあまりにもな丈の変更程度で殆どないと言って良い物だった。
ニキータはいつもの白いエプロンの上からそれを着ているせいか、シーラから見るとなんだか制服ではなくて寒いから羽織ってみたと言った風情だ。頭にはゴーグルの備えられた鉢金付きの帽子まで着けている。
対してシーラは騎士に貰ったマントを羽織っているものの、中のお気に入りの服はボロボロで、さすがのニキータも女の子無理やり着せるほど男として成熟を超えた枯れた領域に居るわけじゃないので無理強いできずとなった結果、シーラの容貌は完全に流浪のかなにかと言った有様だ。
もしこの様子を一般人が見たら休憩中の職人と流れ者の少女と答えるだろう。
シーラはニキータの作ってくれた朝食を食べ満足げに外で体を動かしている。
ニキータに準備体操と言っていたが動きが明らかに準備体操の領域にないのをニキータは気にしないことにした。何事も慣れである。
「そういえばニキータ!」
家の鍵を閉め、必要なものをそろえて玄関から出てくるとシーラが声をかけてきた。両手には召喚の時に持っていた黒い剣とナイフがある。
ふとニキータはあの剣どこに持っていたんだろうと思ったが、とりあえずはシーラの言葉に返すことにした。
「なんだい、シーラ」
「あのね! コミュニケーションにおいて重要なのは相手を愛称で呼ぶことだって書いてあったのを思い出したの!だからニキータを“ニカ”って呼んでいい!?」
目を輝かせて鼻息を荒くしながらシーラが叫ぶ。
ニキータはニカと呼ぶための理由づけまでしっかりと喋ったシーラに笑ってしまった。それに不安そうに走ってニキータの肩を掴むシーラである。黒い剣とナイフはいつの間にか消えていた。
「え、駄目だった? 私のセンスが足りなかった? もしかしてほかに愛称があるとかニキータがすでに愛称だったりした?」
「ちょ、シーラ揺さぶらないでその勢いで揺さぶられるとととととと」
あまりの高速ゆさぶりに持っていた皮のバッグを落としニキータが吐き気を覚えながらもシーラがそれに気づいて停まり急いでバッグを拾って謝る。
「だ、大丈夫だよシーラ、ニカ、良いじゃないかありがとう」
「やった!」
ニキータに抱き着くシーラだがニキータの肋骨が悲鳴を上げている。これでは初日と同じく抱擁ではなくホールドだ。少し意識が遠のいたあたりでシーラが再び気づいて謝ってくる。
そんな様子を脇腹をさすりながらニキータは笑ってみていた。
早朝、入学式に出席するために移動を開始する。
以前来た連絡の手紙に集合場所などがしっかり記してあった。ちなみにこの手紙、『安定』の魔法が掛けられているらしく水にぬれても全然平気という代物である。
ローブとマントをを羽織った二人の目が中央区に自然と向く。
山を無理やり削り取ったようにも見えなくもない丘の上にはたくさんの建物が立ち並び、早朝のわずかな陽光がその建物の上端を照らして輝いている。
あたりはまだ暗いけれどこの時間に出なければ入学式に間に合わないのだから仕方がない。
二人はのんびりと中央区への道を歩き始めた。地面と靴の擦れる音、ニキータの靴の金属がこすれる音をリズムよく弾ませながら。
しかしその速度がだんだんと加速している。
なぜか? 単純だ。シーラが中央区に行くのはこれが初めてなので目の前の餌に待ちきれないと言った状態になっているだけである。ニキータも当然行くのは初めてでとても期待があり僅かに不安があるものの総合的に見れば楽しみだ。
だがシーラの楽しみによる加速はさすがのニキータでも追いつけない。
仕方がないのでシーラと手を繋いで制御しようと試みたのだが、それも少しの間速度を制御できただけだった。
「ニカ、私楽しみ!」
「シ、シーラ速い速い!」
シーラがニキータを引っ張る形で走っている。走っている。といってもそれはシーラだけでニキータに至ってはシーラの左手を両手でつかんで引きずられていると言った有様だ。それでもかなり速度が出ている。靴が刃物などの踏み抜き防止のために底が金属になっていなかったら今頃靴底がなくなって足の裏を削られていたと言ったほどに引きずられている。
シーラは目の前の興味に猛進している。ニキータは
(そういえば海で海馬に引いてもらってスキーみたいなことをする遊びがあったなあ)
などと考えながら自分の土スキーとでも言うような現状を見ていた。遠かった丘はぐんぐんと迫り土の道が石畳になっても逆になぜだか振動が減って快適になったななどと考えていた。坂道になったのにもかかわらず速度が落ちない。
結局シーラを動力源とした変な移動方法で予定の時間よりかなり早く中央区に着くこととなったシーラとニキータだった。日は上ったもののまだ地表から出きった程度だ。
いくらなんでもこの時間では人通りも殆どなく、仕方がないので丘の外側にある公園のベンチで休むことにした。
「ごめんなさい、速くきすぎた」
などとシーラが謝ってきてニキータは苦笑せざるを得なかった。本当にどこにあんな力があるのだろうか。本人がわからないだけで実は魔法を使っているのではないかなどと思った。
あと自分の体の頑丈さにニキータは感謝した。かなりの時間引っ張られていたが腕が抜けることもなく五体満足でここまでこれたのはきっと今までの鍛錬の成果だろう。
ここにはいない父親にニキータは感謝した。
一息ついて公園を見回すと、公園というよりは小さな休憩所と言った感じだ。中央にベンチが三つほど置かれ、そこに座るニキータから見て右のシーラがふらふらと歩いている当たりには花壇に花が植えられておりその匂いをシーラが嗅いでいる。
左にはおそらく獣や鳥といったタイプの繋がれし者用の止まり木や池などが用意され、止まり木には赤く輝く鳥が降り立とうとしていた。
(それにしてもいい景色だなあ……丘の上からでも一応僕の家見えるんだ。湖を目印にしないとわからないけど……ん?)
先ほど視界に変な物が映った気がしたと、ニキータが右を見る。シーラは花壇の周りをまわりながら楽しそうにしている。何とも微笑ましい光景だなとニキータは左を見る。
止まり木の上に赤く輝く鳥が居る。鋭いトサカに金を混ぜ込んだ赤い羽根。長く絢爛な尾羽が止まり木の下に優雅に垂れている。
(不死鳥?)
不死鳥と呼ばれる生物が居る。ルース極東に生息すると言われている不死の鳥だ。尾羽は非常に強力な火魔法の触媒になるとされるなど魔法的な価値も高い。冬に王都パラスケバで行われる行事『白夜の篝火』は不死鳥をモチーフにしているという伝承もある。
そんなとんでもないものがなんでこんなところに居るのかニキータには理解不能だった。
「わあ! この鳥光ってるよニカ!」
そしてシーラも不死鳥に気が付いて近寄る。不死鳥は遠慮なく近づくシーラを気に留める様子もなくただ優雅に止まり木に居た。
ニキータは思った。不死鳥は火で有名な鳥だし触ると火傷するのではないかと。
シーラは召喚当時の少し破けた長い手袋を相変わらず着けているが、危ないと思ったので触ろうとしているシーラを制止しようと立ち上がった時だった。
「触らないでくださいますか!」
凛と、シーラとは違う方向性で非常に通る声が静かな公園に響き渡った。
シーラもびっくりして手を止め、不死鳥はその声の方を向き、飛び立つ。
それを追うように二人が目線を向けると、不死鳥が一人の肩に停まった。
「ニクスが飛んでいくものですから、何が居るのかと思えば……期待はずれでした」
朝日と肩に停まる不死鳥の光を浴びて妖しく輝く金髪に、赤い不死鳥と同じような燃える赤い瞳がニキータの緑の瞳を射抜いていた。朝日を反射する肌は白く、顔立ちは美しく整っている。だがそこには紅蓮の炎のような苛烈さが見え隠れしていた。
白いブラウスに赤いリボンを付け、その上からニキータと同じ漆黒と青のローブを纏っている。
色が同じローブというのは学年が同じという事だ。つまりこれからの五年間を過ごす学友になるはずだが、ニキータはあまりにもな態度に視線を外しため息をついた。こういう人間は大方相場が決まっている。
「あなた、なんですのその格好は? これからあなたは由緒あるヴィシーニャの学生となるのですよ? それも私と同じ世代です。あまり私の世代の品位を下げないでいただきたいのですけれど?」
ニキータはシーラが目を細めてこの高飛車な様子の少女を見つめているのに気付いて小さく声をかける。それに気づいてとことことニキータの後ろまでシーラは移動した。
「悪いねどこぞの貴族さん。これが僕の家での正装なんだ。本当に申し訳ないけれどこの服装が僕を含め君の品位を落とす事態にはならないと思うんだ」
ニキータが正面を向き、頭にかぶっていた帽子を取る。銀髪と緑色の瞳が朝日に照り返し、まるで氷の結晶のように輝く。正面の炎のような少女の苛烈さとは違う、ただの氷ではない、雪のような温かさがあった。
しばらくの間睨み合っていたが、やがて面倒になったのか、少女は踵を返し公園から去って行った。
「私に怯まないのは褒めてあげます。ですが、あまりにあなた方の程度が低かったなら私自ら格の違いを見せつけてあげますわ」
チラリとこちらを見てそう言って、炎のような少女は街中へと消えて行った。
まるで本当に炎の熱源が居なくなったように公園が涼しくなったような気がした。
「シーラ?」
ニキータがシーラの頭にコツリと拳骨を当てた。痛くも衝撃も殆どない物だったがシーラが頭を抱えてニキータを見上げる。
「僕のことを大切に思ってくれるのはとっても嬉しいんだけど、例のホトゥケの三回って奴はやらなくていいから大丈夫だよ?」
「なんでわかったの?」
ニキータがちょいちょいと指をさす先にはシーラの右手、にはいつの間にか黒いナイフが握られていた。
「そもそも、突然手の中に現れたように見えたんだけどやっぱり魔法使えるの?」
「ううん? 魔法じゃないよ?」
シーラがニキータの前でナイフを持っていた手を持ち上げると、手に持っていたナイフが消えた。
「これはね、分子の状態を四次元と並列化することで三次元下での大きさを変化させ」
「シーラ待って、どういうこと?」
「小っちゃくなる」
「わかったうん」
「小っちゃくなるとここにあるよ」
そう言ってシーラが手の平を上に両腕を見せると、手首の当たりに小さくアクセサリーがついてた。
「このアクセサリー?」
うんと小さく頷いたシーラに、任意で『縮小』の魔法を発動、無効化できるのだろうか、などと勝手に納得したニキータだった。
「とりあえず、これから一緒に学ぶ仲間になるかもしれないから、あんまり乱暴なことしちゃダメだよ?」
「攻撃には圧倒的な戦力を以て反撃を行わないと相手は学ばないって書いてあったよ?」
「物騒、すごく物騒だから、だめだよシーラ」
もう一度拳骨を作ってこつんとやると頭を押さえた。痛くないのにすごく痛そうな顔をしているシーラに罪悪感が湧いてニキータはすぐに頭を撫でた。
帽子をかぶり直し、しばらく時間を潰してから入学式に向かうことにした。
こんどは先ほどのように絡まれることなく時間を潰せ、人通りが多くなってきたところで入学式が行われる建物へと向かった。
入学式が行われるのは中央区の完全な中央にあるドーム状の建物だ。円形のコロシアムの形をしており、古くはここで魔法使いの決闘や習練が行われていたとされる由緒正しき建物らしい。
古いので屋根は無いが、今は保護魔法が屋根替わりになり、雨天でもしっかりと使うことができる。
会場に入ってからも比較的自由だ。青を含んだローブの集団が乱雑にコロシアムの椅子に座っている。中にはローブを着ていない者もいるが、大体は剣精だろうとニキータは思った。なぜなら剣を装備してローブの人間の後ろをつき従っているいるものが大半だからである。
「隣いいか?」
二人、ローブを着た青年と執事のような格好の老人が現れ、隣に座っていいか聞かれたニキータは快く頷いた。別に何も言わずに座られても問題がないのだ。
どっかりとニキータの脇に座ると、おもむろにニキータの脇のシーラを指しながら
「なあ、あんたの隣の女の子も、剣精かい?」
と聞いてきた。あんたのも、と聞くところからこの青年の隣の老人は彼の剣精らしかった。確かに老人の腰にはサーベルが付けられている。剣精の仲間だと思って隣に座ってきたのだろうかとニキータは思った。
「その前に名前を教えてほしいかな? 僕はニキータ=アルバキナ、彼女はシーラ=ケリー、僕のパートナーだよ」
「おおそうか悪かった。俺はヴィクトル=レスキン。ヴィッキーとでも呼んでくれ。こいつはシャッシュだ」
シャッシュですと老人は頭を下げた。シーラがつられてお辞儀をする。
パートナーってことは、人を召喚しちまったのか、珍しいななどと言いながらシーラを眺める。
「もうちょっといい服買ってやれないのか? お前の服装に対してマント以外ボロボロすぎるだろ」
「だって本人が嫌だって言うんだ」
ヴィクトルは小声で言ったつもりだったがシーラにも聞こえていたようでシーラは笑顔でこの服が良い!と自慢しており、ヴィクトルは苦笑いをするしかなかった。
「ニカ、喉渇いたよ?」
「了解シーラ」
ニキータが皮のバッグから水を入れた水筒を取り出しシーラに渡す。ヴィクトルの逆じゃねという言葉は聞こえなかったことにしたらしく無視された。
「はい、ニキータも」
「ん? ありがとう」
シーラが飲んで満足したのか返しそれをニキータも飲む。飲もうと少し上を向いた時にこっちを向いている顔と目が合い、水を飲み込むタイミングで気道が開いた。
瞬間に水筒を口から離し咳き込む。気管に入った水を全部吐き出すため体も必死だった。少しして安定すると目の前には朝であった炎みたいな少女が立っていた。不死鳥は肩ではなく、今度は左手にはめられた籠手の上に停まっていた。
ヴィクトルがうお、不死鳥!? とビビる脇でニキータはなんでこの少女がわざわざ前の席に居てこっちを見てるんだという事を考えざるを得なかった。嫌がらせだろうか? いや嫌がらせだろう。うん嫌がらせだね。などと納得し水筒の口を締め皮のバッグに仕舞う。
そのころには前を向いてくれているかなと思ったらそんなことはなく相も変わらずこちらを見ていた。
朝のを引きずっているのか、何を言われるのかと恐々としていると、ぼそりとこの少女はつぶやいた。
「飲みまわしははしたないですわよ」
「え? あ、はい。すいません」
謝るしかなかった。
シーラはなぜか腕に停まった不死鳥と見つめ合っていた。