学園へ
ヴィシーニャ魔法学園。
ヤルスク王国立のルース四大魔法学園のうちの一つであり、ルース最高の魔法研究機関と称されている。1500年続く由緒正しい学園で、非常に広い敷地を持つ。
なんといってもまず、総合的な敷地の面積がヤルスク王都パラスケバよりも広い。という事が上げられる。
学園の中枢だけならば王都パラスケバよりも狭いが、問題はその周りの広大な土地であった。
学園は円形に隆起した中央区とそれ以外の城壁内部に当たる外周区に分類される。その外周区に広がる広大な土地は、農場から牧場、坑道に魔法の訓練施設などさまざまなことに活用されている。
だが悲しいことかな、人気があるのは中央区の研究施設や訓練場なのである。中央区の住居などは寮以外の物件はすべてお高い、それこそ裕福な学生位しか住めないような住居ばかりだ。
魔法の勉強だけなら寮で十分だがそれ以外に特にやりたいことのある学生だとどうしても厳しいものがある。
自宅での準備を終え、ニキータはシーラと一緒にまずは首都パラスケバに向けて移動することとなった。先日来ていた老人が馬車に乗せてくれた。草原の中を通る土の道を馬車が結構な速度で走っている。
「自動車は無いの?」
「自動車? ああ、魔動車のこと? あれはちょっと僕たちじゃ手を出せない高級品だからね」
シーラはやはりこの世界の科学水準はあまり高くない事がわかった。理由としては魔法があるからではないだろうか。と考えていた。科学というのは必要に迫られたから発達する物だ。速く移動したい、土地を有効に使いたい、食に苦労したくないといった風に。
その科学の多くを魔法が代替してくれているのだろうとシーラは思った。
あとシーラにはニキータの家が裕福なのか貧困なのかよくわからなかった。今二人が乗せてもらっているのは馬車は馬車でもどちらかと言えば農作業で後ろに藁を積むような物でどう見ても人が乗る物じゃない。
乗っている物は藁ではなく、木箱などニキータとシーラのための生活用品やら向こうで必要な物ではあるが。
シーラの知識ではこういう物は牛と呼ばれる哺乳類が引っ張っているとされているが、そもそも場所を引いている馬がシーラの知識の馬と一致していなかった。
体格は知識と一致している。色も誤差の範囲であろう。だが頭に角が生えている。それだけの違いではあるが始め見たときシーラはニキータに馬なのか聞いてしまったほどだ。
話を戻し、このように移動手段としては条件の悪い、しかも他者の力を借りての移動をする割に服やなにやらは高級品なのである。シーラが寝たベッドはとてもフカフカで今まで自分が寝てた場所がとてつもなくひどい場所だったという事を自覚する程度に高級品だ。服も頑丈で破れにくい生地を使ったしっかりとしたつくりをしている。
「そういえば、本は読めた?」
「ううん、読めない」
「喋れるのに文字が読めないのは変だよねえ」
シーラとしてはお祝いから出発までの今までに読んだ本を記憶の限り思い出して再現してみようと思ったのだ。シーラの居た世界の文化を少しでも知ってもらいたかったからの行動だったのだが、ニキータの父親に止められたのだ。
曰く、
「シーラは異界渡りだ。その知識はこの世界で役に立つかもしれないが、それがシーラ、お嬢ちゃんの幸せにつながるとは限らないぞ?」
とのことで、あまり元の世界、エデンの知識を出さない方が良いと言われたのだ。
ならば本を読んでこちらの世界、ルースの知識を得ようと父親から快く本を借り読もうとしたら、読めなかったのである。シーラとしては予想外であった。てっきり言葉が通じるから文字も一緒なのかと思っていたのである。
そんなわけで学園に着いたらニキータはシーラに文字を教えてあげることにしている。
「そんなに難しい言語じゃないだろうしすぐ覚えられるよシーラ。だって言葉が通じるんだもん」
ありがとうニキータとシーラはぎゅーと抱き着いた。それに対してニキータがシーラの頭を撫でるのがもはや癖の領域に至っている。
「ニキータにシーラお嬢ちゃん、見えたよアレが王都パラスケバだ」
二人は進行方向に対して逆に座っていたので体を捻って前を見た。老人がニッコリとこっちを見ながら指差す先には高い城壁が見える。城門の脇に人が立っているが、豆粒のように小さいことからかなり大きいのがシーラにもわかった。城壁のその先にはそれより高い建物や家々が見え、一番高い城のようなものが見えている。
シーラがそれに目を輝かせていると、老人は苦笑しながら進路を左の道に切った。興奮気味だった目が一気に覚めてじっとりと老人を見る。おお、こわいこわいと前を向きなおした。
「わるいなシーラお嬢ちゃん、今日の所は勘弁してくれ、後でニキータに連れてきてもらいな」
シーラはそれを聞いて今度はその眼をニキータに向けてきた。老人より至近距離で見つめられて思わず汗が噴き出るニキータは溜息をついて首を縦に振った。
シーラが喜びのあまり馬車から飛び降りて並走しだした時はまず馬が驚き速度を上げ、それにもなお余裕でついてくるシーラに老人とニキータが同時に驚愕した。心臓に悪いのでシーラにはもう一度馬車の上に戻ってきてもらった。
「シーラ……君って魔法使いだったりするのかい?」
「確かに、シーラお嬢ちゃん明らかに生身の動きじゃねえもんなあ」
「魔法? 使ってないよ?」
だよなぁ、と二人がため息をついた。シーラの言っていた一人で生きてきたを実際に実行するためにはこれだけの身体能力が必要なのかとニキータはなんだかすごいという思いから少し悲しい気持ちが湧いてきた。
当の本人はそれを知る由もなくニキータの脇で機嫌よく頭を揺らしている。
少し走っていくと王都と学園を繋ぐ道だからか石造りの道に代わり、すこし走ると鎧を付けた馬に乗る騎士がゆっくりと道の反対側を歩いていた。ちなみに道は左側通行である。
「あの馬に乗ってる人は何?」
「あれはたぶんこの道路を保守してる騎士さんじゃないかな。鎧着てるし」
「騎士さんは魔法使えるの?」
「使えるよ、剣を杖に見立てて使うんだ」
「そうなんだ!」
道を馬に乗りゆっくり進む騎士見てシーラが騒いでいると名も知らぬ騎士が急反転してこちらを追いかけてきた。驚いた老人が馬車を止めると騎士はどうやらシーラの恰好を見て誘拐か何かと勘違いしたらしい。
ニキータとシーラの手の紋章と、シーラの
「私、この服が好きだから脱がないの!」
という無邪気な返答に騎士は何とも言えない顔を見せながらせめてこれでも羽織りなさいと鎧の上に着けていたマントをくれた。
シーラはすごく喜んだ。騎士の人は笑いながら再び馬で歩きだし、老人は大爆笑しながら馬を走らせはじめ、ニキータは恥ずかしいのか顔を紅くしていた。
「ニキータ、顔が真っ赤だよ? 病気?」
「シーラ、き、気にしないで」
ごまかすようにニキータはシーラの頭を撫でた。
往来で馬に載った人や荷物を満載した馬車などとすれ違うようになったが、あの騎士がくれたマントを羽織っているので先ほどのような事態は発生しなかった。かわりに通り過ぎるたびにシーラがそれに興味を示し、ニキータがそれに応え老人が笑うというのを繰り返した。
それから一時間ほど馬車を走らせると、再び城壁が見えてきた。
さすがに飽きたのかシーラはニキータに寄りかかりながら居眠りをしている。
王都ほどではない城壁を、城門の門番に証明書を見せ通る。中に入ってもあまり景色は変わらないが道が分岐しているのを間違えることなく移動していく。
しばらく、二十分程度走って隆起した丘が見える家へとやってきた。
ここがこれから暮らすための家だ。二人で暮らすにはやけに大きいが、ニキータに取っては結構理想の物件だった。
外周区の住居には良い物件から悪い物件、稀に変な物件などが混じっていることなどがある。ニキータの父親が見繕ってくれたのがこの家だ。
なんと増改築自由。安い、中央区が比較的近いという良い物件だ。だが詳しく聞くと増改築なのではなく増築する義務があるそうだ。別に家自体を増築しろというわけではないので、脇にニキータが使う工房を作ってしまおうという魂胆だった。
馬車から降りようと思ったニキータだったが横でシーラが寝ているので揺すってみる。なにか寝言を言っているだけで起きないため結局抱えるニキータだった。
「なんだか兄妹みてえだなニキータ」
「はは、それにしてもこんなに軽いのにどこからあんな力が出てくるんでしょうね?」
妹にしてはやけに力強いんですが、という小言と共に少しシーラを見つめた二人だったが、答えが出ないので本題に戻すことにした。
「金床はもってきたので、工房の建築をお願いしたいんですが」
「おう、任せとけ、実家の奴と同じタイプでいいんだな?」
ニキータが頷くと老人が杖を取り出す。
その杖で地面を叩くと、地面から煉瓦の山が湧き出る。けっこうな量が目の前に湧きあがったところで一旦その手を止める。
今度はその湧いて積みあがった煉瓦を叩き、杖を振る。慣れた手つきで行われたそれは目の前で煉瓦が実家と同じ工房の形に積みあがっていくという結果を生み出した。積み上げられただけで安定していないそれを老人が再び叩きその隙間が粘土質のようなもので埋められ、固定される。
手作業なら軽く一か月近くかかってしまう物をものの数分で組み上げてしまったのだ。
玄関からすぐ出た真横に。
「よし、こんなもんか、中は自分たちでどうにかしてくれい」
「ありがとうございます。アレクセイさん」
「よせやい、俺とマルクの仲だ。息子のお前にだってこれくらいちょちょいのちょいだ」
杖を持っていない左手の親指と中指を合わせ丸をつくり、これももらってるしなと笑う。
「とりあえず眠り姫を家にご案内してやりな、事前に連絡したから掃除はされてるはずだ」
「わかりました」
そう言って中に入ると、なるほど中は新品とは言わずともきれいに掃除されていた。玄関をくぐると少し部屋というには狭い空間に二階への階段と右に扉、左に広間といった形になっている。
増築するのが義務とのことで無理に増設をした結果がこれなのだろうとニキータは思った。シーラを落とさないよう、右の扉を足で開けてみると中にはベッドの土台と机、何も入っていない本棚と、一つだけ洒落た置物が置いてあった。とりあえずまずはベッドにマットを敷くべきかなと一旦シーラをベッドの台に座らせ壁に寄りかからせる。
外に出ると老人が木箱を降ろしていたのでそのうちの一つを開け、中に入っているベッドのマットを引っ張りだし持っていくと、シーラがまだすやすや寝ていたので避けるようにマットを置き、シーラのブーツを外し寝転がらせた。羽織っていたマントをかけ、一息つくと部屋を見回す。
(シーラの部屋はここかな?)
なんとなく寝かせてしまったが、シーラの部屋にちょうどいいのではないかとニキータは思った。本棚はあるし机も椅子もある。出入り口に近いからニキータが工房に居てもすぐに気付けるのではないかと言った算段だ。
「さて、入学式までにシーラの欲しいものとか揃えなくちゃね」
すやすやと眠っているシーラを見ながらニキータが優しげにつぶやき、荷物を降ろす老人の手伝いと運び込みを終えた。感謝をすると老人は手を振りながら帰っていく。
家の中におかれた木箱の一つを開け、中に入っていた石を取り出す。白く光るそれはニキータの家でも使われていた白光石だ。それとそれ専用の台を持って家の中を回り始める。
無理な増築のせいか日の当たらない場所があり暗い場所も多いが、そこに白光石と台をおいて光源を確保し明るくする。日当たりが悪い状にさすがに日も暮れてきていることが外から差し込む赤い光でわかった。荷物を降ろしたりで結構な時間が経っていてしまった。
無理な増築がされたとはいっても床は軋むようなこともなくしっかりしており、ニキータは心の中で父親に感謝した。
入学式はもうすぐだ。これから新しい生活と学ぶ機会がやってくる。
以前言われたような『炉無しのニキータ』がどこまでのことを学べるのか少し不安があった。
それでもまずは、とニキータは今はまだ寝ているであろう食いしん坊のシーラへの手料理をどうするかなどとと思いながら台所を探すことに専念することにした。