炉無しのニキータ
まだ学園に行きませんすいません。
ニキータとシーラが正式に鎖結びの契約を行ったことで明日、お祝いを行うらしく準備の為に屋敷の中では家政婦の人が掃除のチェックなどをしていた。
ニキータの家はそこまで大きくない、シーラからすれば非常に古典的な建築方法で建築された建物で、いわゆるレトロな屋敷と言った感じだ。
ニキータが歩くのに合わせ、その後ろをシーラがとことこと着いていく。着ている服はニキータの母のおさがりなのだが、中に着ているのは召喚された時に着けていた物を着ている。
これを脱ぐのは嫌だとシーラが上半身裸で逃げようとしたらしいが、それはニキータの母が繋がれし者のバーダと協力してギリギリのところで阻止したと、家政婦が言っていてニキータはほっとした。
幼気な少女の上半身裸など視ようものなら欲情云々よりも罪の意識でニキータの精神に多大なダメージが入っていたことだろう。母さんありがとう、と心の中で感謝するニキータだった。
普通の服から黒い長手袋と黒いロングブーツが見えているのはニキータの目から見ると不自然だがシーラは特に気にした様子もなく後ろをついてきてはあれは何、あれは何、と聞いてくる。
シーラと正式に契約してからわかったことだが、シーラは非常に知識欲が強い。それでいてニキータからしてみれば言われても意味が分からないことを言われたりして返答に困るところもある。
「ニキータ、あれはなにでしょう?」
「ああ、あれは鍛冶をする工房だね。煙突がある方が僕の工房、もう一つは父さんの工房だよ」
シーラが窓の外を見ながら指差したのはレンガ造りの小さな建物だった。それにニキータは少し苦い表情を浮かべながら答えた。答えた後、そのまま外を眺め続けている。
「どうしたのニキータ?つらいことがあるの?」
心配そうな声色を出しながらニキータのエプロンの裾を引っ張る。ニキータの気を引くときにシーラが使うようになった行動だ。さすがにエプロンを引っ張られれば気が付く。ニキータがハッとしたように、目の前に居た少女に目を向け、頭をなでる。何かあるととりあえずシーラの頭をなでるのが立った半日で癖のようになっている。
「そうだね、僕にはできないことがあるから」
できないこと? とシーラが返す前に、そろそろ夕食の時間だよ。とシーラの左手を引いてニキータはリビングへと向かった。
シーラの食事量は少し想定外だった。華奢の割には屈強な父親と成長期のニキータ両方を合わせた程度食べるのだ。お蔭で母親はあらあらと新しくできた娘を見るように微笑み、父親は負けん気を出してさらに食べ、ニキータはマラトークとそれを見ながらため息をついた。
当のシーラは
「生で食べるより調理を行うととってもおいしい!」
と言ってどこに入るのかと言った量を食べた。
夕飯後は明日の準備をシーラが手伝いたいと言ったが、残っているのは主に力仕事で華奢な少女に任せるというのは気が引け、父親とニキータ、家政婦たちでなんとか準備を終えた。
手伝っている間もニキータの後ろを着いてくるシーラの様は雛鳥が親鳥の後を着いて回っている様で、準備をする家政婦たちと父親の心を癒した。
ようやく準備を終え、家政婦の人たちが帰宅した後、母親がシーラを本日二度目の風呂へと連行し、湯船の感覚が二度目にして気に入ったシーラの感想を、湯上りの部屋でニキータは聞いていた。
繋がれし者は基本的に寝食を共にする。なのでニキータの部屋にシーラのベッドが明日の準備ついでに設置されておりニキータと向かい合う形でシーラはベッドに腰掛け、その感触を楽しむように先ほどから右に寝転がり起き上がり左に寝転がり起き上がりという振り子運動を繰り返している。
ニキータから見ると黒猫がベッドの上で遊んでいるようにしか見えない。寝間着は母親のおさがりの中でも黒っぽい物をシーラ自身が選んで着ていた。ニキータは白い寝間着である。
「こんなフカフカな寝床お久しぶりです!」
「ここに召喚される前はどこで寝てたんだい?」
「床の上に葉っぱを敷いてたよ」
一度跳ね上がってベッドに背中から着地し、横になったままシーラがニキータの方を見る。
「だからね、呼んでもらえてうれしいよ?」
シーラがにっこりと笑いながらベッドの上をゴロゴロとまわり出す。
ニキータは少し目を見開いたあと、自分の右手の紋章、鎖跡を見る。直剣に何かの花のようなものが寄り添っている鎖跡だ。シーラの左手の甲にも同じものがある。
「明日からもよろしくね、シー……寝ちゃったか」
先ほどまでせわしなくベッドの上をゴロゴロしていたシーラがいつの間にか動かなくなっている。耳を澄ますと小さく寝息が聞こえ、ニキータは苦笑した。
シーラがいつの間にか下に落としていた毛布をシーラにかけると自身もベッドに入りゆっくりと休むことにした。
次の日、ニキータにとっては嫌な日が来た。正直言えば昨日まではシーラが現れた混乱とごたごた、シーラ自身の関係でニキータが忘れていたことだ。
シーラは結局昼前まで起きてこず、ニキータはその間工房の中の片付けをしていた。来週には魔法学園に行ってしまう訳で、その後は向こうで鍛冶をすることになるからだ。
やっとひと段落、といった所で背中からシーラが抱き着いてきた。あまりの勢いにダメージが入り、人にふざけて突撃しちゃダメだと叱ろうかと体を回してシーラを見ると、なぜか涙ぐんでいた。
どうやら、起きたとき誰も居なくて不安に襲われたらしい。
ニキータに抱き着いたまま小さく震える様はやはり猫のようだとニキータは思った。
しばらく背中と頭を撫でてやりながらそうしていると、ようやく落ち着いたのか離れる。
「ありがとう!ニキータ!」
「どういたしまして、シー「見つけた!」
突然家政婦さんと母親が乱入してきた。タイミングを見計らっていた様子でシーラの両手をがっちりつかむとそのまま屋敷へ引きずっていった。シーラが足をじたばたさせて抵抗させているが、それをものともしない。
しばらくして戻ってきたシーラは寝間着を脱ぎ捨て、母親と家政婦の反対を押し切り乾燥の終わったボロボロの服を着ている。この服が一番安心できるというのはいいのだが、如何せんボロボロなだけ露出が多い特にひどいのが右側のお腹あたりで、何かで着られたようにバッサリとなくなっている。
召喚時は気づかなかったが実際その露出した右側からヘソ付近にかけての白い肌に薄く傷痕があることから、何かがあったのだろうという事は容易に想像できた。だから家政婦も母親もいろいろ服を着せようとしたのだがことごとく動きづらいと嫌がられてしまっていた。
とりあえずそろそろ昼食の時間だから屋敷に戻ろうと、ニキータがシーラの手を引き歩き出す。
「ニキータ、辛そう」
「そんなことないよ。大丈夫だよ」
「下痢?」
今はきにして表情に出してないはずなんだけれどと左手で自分の顔を触る。
そしてそれは本当に違うと、そして年頃の女の子がそんなこと言うもんじゃありませんとちょっと母親の口調でシーラに返す。そもそも女性はお腹を冷やしてはいけないとニキータは母親に聞いていたため、シーラの露出は良く考えると気が気でない。
「でもありがとうシーラ、なんだか元気が出たよ」
そう言って引いていた手を離しシーラの頭を撫でる。ニキータの服は昨日と同じ、作業着の上に白いエプロンをつけた姿だ。
「シーラ、この後食事だけど、他に人が来るからあまり失礼のないようにね」
「がんばります」
不安すぎる決意表明にニキータは苦笑した。
そしてその不安は的中することとなる。
食事は昨日食事をしたリビングではなく、扉を開くと大きなテーブルが置かれた広間だった。テーブルには既に人が着席しており、四角形の一片ごとに二人ずつ四組が座っていた。そのうち一組はニキータの父親とマラトークである。ニキータとシーラが入ってくるのを確認すると、父親が立ち上がる。
「皆さんお待たせしました。昨日晴れて鎖結びをした息子、ニキータとそのパートナー、シーラです。
それに対し他の三組はまさしく三者三様だった。
純粋に祝福を贈る者、事務的な者、そして露骨に疑念の目を向けてくるものだ。
「いやあ、めでたい。マルクの息子ももう成人か……時が過ぎるのは早くなったなぁ」
「鎖結びに無事成功したのですね、私がギルドを代表して祝福させていただきます」
「なあ待て待て、どうやって鎖結びした?」
最後の一言に、場の空気が固まる。この瞬間がニキータにとって一番嫌だったのだ。
最後の一言を言ったのはニキータの家系、アルバキナ家の分家、つまり派生した家柄であるアブディエバ家の家長である。
三人の目線がシーラに集中する。観察する目線にしかしコミュニケーション不足でどういう意味の目線か理解していないシーラはとりあえず目があった二人に微笑む。
それに毒気を抜かれたのか右側の老人は笑顔で笑い返し、中央の初老の男は溜息を吐いてニキータの父親を見つめた。
それに父親は肩をすくめるだけで何も言わない。
シーラと目が合わなかったのは最後の発言をした左側のテーブルに座る若い男だ。確実にニキータよりは年上だが、父親程の年でもない、大体二十代といった顔立ちの男だ。
一瞬シーラの方を見た後はずっとニキータの方を見ていた。
責めるような目線だ。
「炉無しのニキータが一体どうやって剣精を召喚したんだ?そのボロボロの服からして大方奴隷でも拾ってきてごまかしてるんじゃないか?」
自身の脇に居る、灰色の装束を身にまとった剣精を自慢するように顎で差しながらニキータを蔑むような眼で見る。
ニキータが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「聖剣の打ち手の称号を持つ本家の嫡男がこんなざまでは王国に顔向けできないんじゃないかい?」
暗にそれを返上しろと言っているのだ。最早本家は堕ちた、いまや分家だった我がアブディエバ家がその称号を得るべきだと。
大丈夫だとニキータは心の中で反芻する。会うたび会うたび言われてきたことだ。慣れている。実際問題ニキータ自身が炉無しという不名誉な称号に納得していた。
空間が絶対零度の凍土と化していることに分家の男は気が付かない。分家としての不満をやつあたりに近いとはいえ本家の嫡男にできるのは代えがたい快楽だった。
「大体鍛冶師が火魔法を使えないなんて木に登れないサルと同――」
三度目の発言で、ここまで耐えていた父親の堪忍袋が切れかけた。息子の才能を間近で見ていたからこそ知っている。息子は自身を凌駕する鍛冶師となる。その可能性を伸ばすためにも魔法学校へ行くのだ。
誰も好き好んで息子への侮蔑を受け入れる親はいない。
二回目までは我慢しようと思っていたのである。父親ともう一人が。
瞬間、侮蔑を言おうとしていた男の左頬に拳がめり込んだ。いつの間にかシーラが移動していた。
シーラのいた位置と今しがた殴られた男の間に点けられていたろうそくの火が消える。
「小娘貴様!」
殴られた男の脇に居た剣精が主の為剣を抜く。倒れそうになる主を避けるように、両刃の短剣は抜剣も早くシーラに刃が襲いかかる。
火花が散った。いつの間にかシーラの右手には黒いナイフが握られていた。
剣精が目を剥くがシーラはさも当たり前のように立っている。
これに驚いたのはニキータも含め、見ていた全員だ。
殴ってから、剣を抜いてから、防がれるまでの流れが速すぎ、驚くことがここまでできなかった。
殴られた衝撃から回復した分家の家長がシーラを睨む。
「ふざけるな! 繋がれし者程度が家長である私を殴るなど!」
「あなたは三回、ニキータをばかにした」
「は?」
三回、これはシーラにとって重要なことだった。
「本で読んだ。ホトケの顔が三度まで、二回までは誰だって許すけど三回目はもう許さない」
「ホトゥケ? 何を言っているんだこの小娘が!」
家長の剣精が短剣に力を籠め、家長が怒りのまま魔力を練ろうとした瞬間、ニキータの父親が大きく手を叩いた。
乾いた音と言った程度の物ではない、耳に残響を残す爆音だ。
それに今しがた魔力を練ろうとした家長と力を込めていた剣精が反応し、止まる。
「このたびは、ニキータのパートナーであるシーラが粗相を起こしたことをお詫びさせていただく。どうか、俺のこの顔に免じて許してはもらえないだろうか? クジマ」
丁寧な言葉でニキータの父親は頭を下げる。しかしその表情は隠しても隠し切れぬ憤怒が僅かに顔を出していた。それを少し後ろから見るニキータに、父親の背中はとても大きく映った。思わず目を見開くほどに。
それを見てシーラもナイフを降ろし、これまた風のようにニキータの後ろに隠れるように今しがた立ち上がった家長、クジマを見ている。
クジマは小さく舌打ちをすると剣精に小さく何か告げ、そのまま出て行った。
出入り口の扉はニキータとシーラの近くにある。通り抜けるとき、小さく
「調子に乗るなよ炉無し」
とだけ呟いた。ニキータはそれに反応するシーラの破れそうな袖を抑える。
乱暴に扉が閉められると、場を沈黙が支配する。
ただし先ほどのような気まずい雰囲気ではない。
「まったく、さすがはマルクの息子のパートナーだ。やってくれる」
左側の老人が笑いをこらえている。
中央の男はめんどくさそうに頭を掻いている。
その二人の繋がれし者は無情上にただ自分の主を眺めているだけだ。
「まったく、この件は今度少し安めの買い取りでチャラという事にしましょう」
「あの……」
ニキータが前に出て口を開こうとした時、シーラがエプロンの端を引っ張る。シーラの方を見ると首を横に振っている。ニキータとしてはまだあったばかりでこの首振りが何を意味しているのか分かっていない。
するとシーラがニキータの前に出て、頭を下げた。
「お騒がせごめんなさい!」
シーラが顔をあげると今度こそ老人は吹き出し、男は苦笑いを浮かべた。
「ガッハッハ! お嬢ちゃんが謝ることはねえさ!むしろあいつ相手なら良くやったと言いたいくらいだ!」
「所でお嬢さん、私はそれよりホトゥケとやらに興味があるのですが」
ニキータはホトケ知らないの? とシーラが振り向いて聞くがニキータにもホトゥケなんて聞いたことがない。どこかの薬草か何かだろうか。三回叩くと襲ってくる獣とかかも知れないなとかってに想像する。
「二回目までは許してくれるけど三回目ですごい怒る人」
人物名なのか、とそこに居たシーラ以外全員が思った。ニキータはシーラの世界の偉人などの名前がことわざのようになっているのだろうと一人考察した。
「さじゃあ、悪いみんな! 改めて、ニキータとシーラのお祝いだ!」
ニキータの父親がそう言うと、扉から料理とお酒を持った家政婦たちが入ってきた。
量がニキータの父親とシーラの分だけやけに多かったのは決して目の錯覚ではないだろう。
食事後に宴会がそのまま開始され、老人と父親が飲む比べを始め、男が帰り、眠くなったシーラがとニキータがベッドに移動した後に床に頭を付けて母親に謝る父親の姿があり、その背中はひどく小さかった。