増えるコンパス
「あーあ。また忘れた……」
「篠原、おまえ忘れすぎだろ。学習しろよ」
「しょうがないでしょ。だってコンパスなんかテストの時しか使わないもん」
今日は期末テストの日。数学のテストでコンパスが必須なのだが、私はこれをよく忘れる。今年ですでに三回目だ。定期テストは年に六回しかないので、私はめでたくその半分で忘れ物をしたことになる。
こうなれば、私のとるべき行動は一つだ。コンパスを二つ持っている酔狂はほとんどいないので、購買にいくしかない。
中学からあわせたら、私はいくつのコンパスを持っていることやら。
「購買行ってくる」
私は教室をでて、一階にある購買へと向かう。階段を駆け下りて角を曲がろうとしたところで、人にぶつかってしまった。
「すみません!」
上級生でないことを祈りながら謝ると、振ってきたのは聞き覚えのある声だった。
「篠原」
「うわ、ごめん木下」
声変わりしたあとの低い声で声をかけてきたのは野球部の木下だ。例に漏れず彼の頭は坊主である。
一度でいいから頭をシャンプーで洗うのかボディソープで洗うのか聞いてみたいものだ。
「お前、また購買?」
野球部のエースだが、生活態度のそそっかしさは私とあまり変わらない。
「げ、あんただって前回忘れてたじゃん」
仲間に裏切られた気分になって思わずそういうと、木下は唐突にカバンを探り始めた。
「これ」
差し出されたのは、なんとコンパスだった。
「え?」
「俺、前回忘れてコンパス買ったけど、そのままカバンに入れっぱなしだった。それを忘れて今度はちゃんと持ってきたから、二つ持ってる。だから貸してやる」
なんてタイミングのいい男だろう。
「そうなの? ありがと! 今度ジュース驕る!」
「八十円の紙コップの?」
「あはは、ばれた?」
私は笑い飛ばすと、後でねといって教室まで一気に階段を駆け上る。
そして数学の時間になった。先生がテスト用紙を配っている。
木下の席は隣の列にあり、私の席より二列前にある。
ふと彼の手元をみると、何故か彼はコンパスの箱を開けるのに苦戦していた。どうしたのかと思ってみていると、彼は透明なフィルムを爪でやぶき、コンパスの箱を取り出した。
「嘘でしょ」
私は思わず小さくつぶやいて、そして自分のコンパスを見つめた。
驕るジュースは、八十円の紙コップじゃなくて、百六十円のペットボトルにしよう。私はひそかにそう決意した。