エリシアとの朝
丘だ。見事な双丘だ。
目覚めたシアンの頭にポンと浮かんだのが、その感想だった。
勿体ぶるようにシャツで隠された胸は、エリシアが呼吸する度に、ちらちらと深い谷間が姿を現す。シアンはここ三分ほど、その光景を飽きることなく見つめていた。
「……楽しそうだな」
「そりゃ楽しいッスよ。むしろ興奮して――――……」
胸から一瞬も目を離さずにいたシアンは、頭上からかかった声に「ん?」と首を傾げた。心なしか、頭上に暗い影が落ちる。
(あれ? オレ、今、誰と話して――――……)
ハッと気付いた時にはもう遅かった。
エリシアが氷の微笑をたたえてシアンを見下ろしている。
さらにシアンの手は運の悪いことに……いや、運のいいことに? エリシアの胸の上にかざされていたし、手癖が悪いのか、それとも欲望に忠実すぎるのか――――彼女の胸を揉んでいた。
エリシアが、怒りを堪えるように大きく息を吸った。それから、怯えるシアンに断罪を下す。
「とりあえず、私の胸を揉みしだいているシアンを清く正しくするため、半殺しにする」
「そうッスかー……って、ちょっと待ってちょっと待って隊長! うああっ」
「問答無用だ。大人しく殴られろ!」
「いや、もう殴ってるッスー!」
(いや、だって!)
目覚めたらはだけた胸元が眼前にさらされていて、しかも寝ている間に手の位置がちょうど胸の上に移動していたら、揉まない方が失礼なのではないか。
シアンは寝ぼけた頭でそう思い、片手で掴んでも余りある、見事なお椀形のマシュマロをムニッと揉んでしまったのだが――――怒髪天をついたエリシアによって、向こう一カ月はトラウマになりそうな拳骨を食らった。
「いや、でも、拳骨でお釣りがくるくらい夢の詰まった感触がしたッス……」
ソファから叩き落とされたシアンは、右手を開いたり閉じたりして柔らかい感触を思い出す。そんなシアンの反応にちょっと赤くなったエリシアは、切り替えるようにパンパンっと手を叩いた。
「いつまでも馬鹿なことを言っているな。――――さて、本部に戻るぞ。シュトラインとキルギスを王都まで護衛せねばならんしな」
「えっ」
昨日の火事の標的となったキルギスにシアンはまだ会っていなかったが、どうやらエリシアは昨日の内に謁見を済ませていたらしい。
「キルギス評議員も、保護を求めてきたんスか?」
「いや……」
エリシアは横に首を振った。
「反逆者がまだうろついているかもしれんこの付近から脱出するために、警護を命じられただけだ。今後の対策について話し合いたいこともあるし、一旦本部に寄ってもらうがな」
「へぇ……」
「さっさと我々の機関に泣きついてくれれば楽なんだが……無理だろうな、評議員はエレメンタルガードを毛嫌いしている。正確には、機関を設立したシュトラインを、だが」
「ああ、評議会にとって宰相は、政敵ッスもんね……」
本来なら王座が空席の今、ここぞとばかりに評議会は力を振るえたはずだが、宰相という抑止力によってそれは叶わない。
それどころか、ここ一年は襲撃によって身の安全すら危ういのだ。危険な身の上はシュトラインも同じであり、互いに執政すらままならぬ身で牽制し合っているようだが――――……。
(国を震撼させる問題が起こってるんだから、一度確執は脇に置いて力を合わせるべきなのに)
シアンはそう常々思っていた。
が、キルギス評議員と対面してみて、どうもそれは難しいと思い直した。
昨日のような襲撃に再び遭うのを恐れているのか、目深に被ったマントを栄養たっぷりでころころした体に巻きつけ、怯えるように辺りを窺っては、ずんぐりした親指の爪を噛んでいるキルギス。
そんな中年の彼は、ガーダーの中でも戦闘力の高いシアンとエリシアを侍らせて蒸気機関車に乗りこんだのだが――――王都につくまで散々罵詈雑言を吐かれ高圧的な態度を取られたシアンは、こういった人種に一致団結は望めまいと見限った。