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災厄の埋み火

 エリシアの元へ向かう途中、シアンの心を占めていたのは、二年前の記憶だった。


 シアンにとって最も忌むべきあの日は、国民から『災厄の埋み火』と呼ばれている。

 二年前、国民の心に大きな爪痕を残した『災厄の業火』。その事件から一月と経たぬ内に、再び事件は起こった。


 シアンの暮らしていた海岸沿いの小さな村が、反逆者によって、一晩で地図から消されたのだ。村を舐め尽くした業火はシアンの家族を焼き、建物を燃やし、村人を灰にした。


 爆風によって浜辺に投げ出されたシアンも、ただでは済まなかった。


 背中に火が纏わりつき、焼きごてを当てられたような激痛に、シアンは呻いていた。しかし、降ってわいたように頭上から水をかけられ、背中を苛んでいた火は消えた。


 シアンを救ってくれたのは、偶然近くへ視察に来ていた、物言う花だった。


 言わずもがなエリシアだ。当時、軍の警護部隊に属していた彼女が、リングの力でシアンを消火してくれたのである。


「大丈夫か?」


 火柱の上がった村を背に、エリシアの気遣わしげな顔が覗く。

 朦朧とするシアンは、灰の舞う中、何とか言葉を発しようと試みた。が、渇いた喉から出てきたのは、ヒューヒューという頼りない呼吸音だけだった。


(ああ……駄目だ。声、出ねぇや……)


 まるで何十年も水一滴飲んでいないような喉に、シアンは、自分は全身の水分が蒸発して死ぬのだと思った。爆発によって村が形を失くしていく喪失感を埋める涙すら出てこないし、ひりひりした瞼は徐々に下がってくる。


(何でこんなことになったんだっけ……? とにかく、もうお仕舞いだ――――……)


 そう思い、シアンは意識を手放しかけた。しかし――――……。


「しっかりしろ。絶対に助けてやる」


 シアンの砂にまみれた頬に手を添え、エリシアはそう力強く告げた。

 シアンは閉じかけていた瞼を押し上げて驚いた。同年代の華奢な少女にそう言われたせいだろうか、それとも――――あまりにもその言葉が力強くて安心してしまったせいだろうか。


 何にせよ、エリシアは自らが発した言葉通り、事件で死ぬはずだったシアンの命を繋いでくれた。



 ……生き残ったのは、たった二人だけだった。


 シアンと、シアン同様砂浜へ投げ出された、もう一人の大切な友人だけ。

 災厄が灰の中で未だに燻っていたのだと恐れた国民は、その事件を『災厄の埋み火』と呼んだ。

 

 果たして何に一番落胆し、絶望したのか、当時のシアンには到底順位をつけられなかった。


『災厄の埋み火』で生き残ったのが、二人だけだったことか。助かった幼馴染でさえ大火傷を負い、ほどなく名医の揃った王都の中央病院へ移送されても、可愛らしい顔や全身にケロイドが残ると伝えられたことか。

 絶望の猛火がまだ火の粉を噴き上げ、シアンの背中を焼いているような気がしたことか。それとも家族を失ったことか。帰る場所を失ったことか。


 ――――……一切の希望を、喪失したことか。


 とにかく一番失望したのは、気づいたら病院のベッドにうつ伏せという状態で、当時十六歳のエリシアから事のあらましを聞かされるという、己の無力さだった。シアンは何も出来ないまま、沢山のものを失った。


 シアンは非情な現実に、ありとあらゆる抵抗を試みた。

 うつ伏せの状態で手の届く物は全て投げて壊したし、事件当時の様子を聞きにきた軍人には癇癪を起こして追い返した。背中の火傷が鞭に打たれたような痛みを寄こしてくるので起きるのは諦めたが、シーツを引っ掻いたり噛んだりして怒りと悲しみを発散した。喉が切れるまで咽び泣きもした。


 ……けれど現実は、何一つ好転することはなかった。


 シアンの村は元通りにならなかったし、誰も生き返ることもなく、寝たきりでミザリーとの連絡手段もないシアンの心は打ちのめされた。


 しかし、完全に孤独の縁へ追い詰められたわけではなかった。

 病院で目覚めて以降、シアンが暴れ回って物を散乱させ、看護師たちが怯えてドアの外に避難するのが通例となっていたのだが、そんな時に必ずと言っていいほどエリシアが現れた。


 飛び散った破片や羽毛を踏み分けてシアンの枕元へやってきた彼女は、いつだって呆れた様子を見せず、一言だけシアンに尋ねた。


「落ちついたか?」と。


 荒みきっていたシアンだが、エリシアは何か、深い悲しみを知っている目の持ち主だったので、彼女にだけは幾分か心を許していた。それでも、シアンは幼子を眠りに誘うようなエリシアの語りかけに答えず、枕に顔を埋めた。


 いつもなら、これでエリシアは引く。だが、今日は違った。


 悲しみに暮れ殻に閉じこもろうとするシアンの髪を、エリシアは優しく梳く。そして、「シアン」と穏やかに呼んだ。


「……何」


「そう構えて尖った声を出してくれるな」


「………」


 シアンは押し黙った。エリシアは特に気にした様子もなく言った。


「……この世はどうやら、貴様になかなか冷たいらしいな」


 シアンは顔を枕に押しつけたまま、シーツを固く握りしめた。エリシアはシアンの手をそっとシーツから引きはがす。


「だからな、シアン」


「…………」


「辛いなら、家族や知り合いを失ったこと、今は納得しなくていい。認めなくても構わない」


「――――――――……?」


 シアンは思わず顔を上げた。

 てっきり「いつまで塞ぎこんでいるのか」と喝を入れられるものと思っていたのに、意外にも、視線の先で、エリシアは眉を寄せて微笑んでいた。


「叱らないんだ……?」


「ああ」


 やっと口をきいたシアンに、エリシアはほんの少し安心したように頷いて見せた。


「今はな、叱らない。今の貴様は、悲しみで壊れてしまいそうだからな」


「……っ」


「だから。だから今はそのまま、辛い思いを吐き出して、全身で泣いて、冷たい現実から自分の心を守れ。一人では心もとないのなら、現実を受け入れられるようになるまで、私が寄り添ってやる」


 慈しみのこもった声で、エリシアは柔らかく囁いた。


「……貴様には、傷ついた心を癒す時間と、それを見守ってくれる存在が必要だ」


 シアンが辛い現実と向き合うには時間が必要なこと、その現実を受け入れるには孤独すぎることを、エリシアだけが気づき、理解してくれた。そして寄る辺になってくれると言った彼女に、シアンは泣きながら縋った。伸ばした手は、しっかりと受け入れられた。


 それだけでもう、シアンにとってエリシア・ハーティスは、何にも勝る特別な存在になった。

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