かの人の正義
シアンの澄んだ目と、シュトラインの磨りガラスのような瞳がかち合う。机の上に肘を立て、組んだ両指の上へ顎を載せた姿勢のシュトラインからは、真意は毛ほども読み取れなかった。
「ンン。何だか興味深い話ですねぇ。詳しく話を――……」
「しらばっくれるな」
沈黙していたエリシアが、きつい語調で言った。
「宰相である貴様なら、評議会に縁のある場所を調べることも、古記録の一部を王宮の資料保管庫から持ち出すことも難しくはなかったはずだ」
「ンおやおや、何が何だか分かりませんが、それはそうでしょうね。が――――私以外にも、それが可能な人物はいるでしょう」
「ルインの入院していた中央病院へ、あんたが何度か足を運んでいたのを! ……今は王宮で仕えている医師が目撃してるんスよ」
「それがどうしました? 病院くらいン私だって訪ねますよ。人間ですからねぇ」
シュトラインは痩せて青白い頬を撫でながら言った。シアンは彼へ詰め寄る。
「じゃあ、中央病院を訪れたこと、認めるんスね」
「……ンええ」
「そうッスか。……確かに、シュトライン、あんた以外の人物がルインへ情報を提供した可能性は無きにしも非ずッス。けど」
「ンけど? 何です?」
「ルインの証言では、情報を提供してきた男はニーベルでは見かけない靴を履いていたそうッス。銀の留め具が葉の形をした、革靴だったそうッスよ。それって――――」
シアンはシュトラインの襟首を掴んで立ち上がらせ、エリシアの前へと突き出した。たたらを踏んだシュトラインの靴が、ズボンの裾から現れる。
「――――それって、あんたがジハード国王様から貰った靴と、同じッスよね」
シャンデリアの光を受けて、磨き上げられた靴の銀の留め具が、一際輝いた。
「これ以上の言い逃れはしないでほしいんスけどね」
「…………ンなるほど? よりによって国王様に戴いた靴が仇になるとは……しかし、この靴以外を履くつもりもありませんでしたからねぇ……」
ぽつぽつと零すシュトラインの胸倉を掴み、エリシアは彼を壁へ押しつけた。
「どういうつもりだノーヴェ……! 貴様は私と共に、国王様に忠誠を誓っていたはずだ……! なのに何故、ルインに情報を渡した!?」
「…………」
「評議員のクーデター計画の甘い蜜だけ横取りし、幼いリゼ様を見捨て、ルインを国王にしようとしたのか? リゼ様の時よりも、よりよい条件でルインの宰相となるのが目的だったのか。それで邪魔な評議会のメンバーを殺すよう仕向けたのか? 貴様の口添えで、ルインが罪もない人間を何人殺したと思ってる! 答えろ、ノーヴェ!!」
「……ン熱くなると頭の回転が悪くなるところは、まだまだですねぇ、エリシア」
胸倉を掴んでいるエリシアの手を剥がしながら、シュトラインは穏やかに言った。
「私の目的は、ルインを王に就かせ、その傍で権力を振るうことでも、ましてエレメンタルラピスを手に入れるためでもありません。ン前にも言ったじゃないですか……『反逆者を死刑台に送る』『国王様を殺した犯人を許さない』と。その私の気持ちがぶれたことは、一度もありませんよ」
そう言ったシュトラインの瞳が、凍えるような冷たさをたたえた。
「私がエレメンタルガードを設立したのだって、反逆者を捕まえるためです。私は本当に、エレメンタルガードを使ってルイン・ソルシエールを捕縛し、回収したエレメンタルラピスをリーゼロッテ様に献上するつもりでした。考えてみて下さい。私がルインを王に立てるつもりなら、わざわざ宰相であることを隠してルインに近寄ったりはしません。私が味方と知っていたなら、ルインもわざわざ土の魔石を奪いにはこなかったはずです」
「なら何故――――」
「エリシア。私も貴女も、ジハード様に忠誠を誓った」
感情の削げ落ちたような声で、シュトラインが囁いた。虚ろな目をしたシュトラインは、シアンには精巧な蝋人形のように見えた。
「国王様を亡くしてから、まるで失くした半身を求めるように、私はリーゼロッテ様を支えた。エリシアは『災厄の埋み火』でシアン君を救った……」
そうだ、『災厄の業火』のあと、混乱に陥ったニーベルを支えたシュトラインの手腕は、舌を巻くほどだったという。しかし今のシュトラインは、為政者の見る影もなく、どこまでも深い闇を纏っていた。
シュトラインはがらんどうのような瞳で、エリシアからシアンへと視線を移す。
「エリシア、貴女にとってシアン君に出会えたのは、幸運なことでしたね。シアン君がエリシアを拠り所にしたように、エリシア、貴女もシアン君を拠り所にした。貴女はシアン君という支えるべき存在を見つけることで、反逆者への憎しみを上手く昇華させた。そしてエリシアは犯人に復讐することではなく、ガーダーとして民を守ろうとすることに意識を向けましたね」
シアンの湿った袖を、エリシアが無意識にキュッと握った。その仕草を見て微笑んだシュトラインはまるで、置いてきぼりを食らった子供のように寂しげだった。
「ンけれど私は、国王様を貶めた者が、どうしても許せなかった。どんな手を使っても殺してやりたかったですし……本当は、死ぬ以上の地獄を味わわせてやりたかった」
シアンはドキリとした。シュトラインの言う憎しみは、つい最近まで、シアンも反逆者に対し抱いていたものと同じだった。
「ちょうどそんな時、内部を徹底的に洗っていた私は、評議員が頻繁に出入りしている中央病院を不審に思い、すぐにルインの存在を調べ上げました。元々評議会の犯行を匂わせる証拠は沢山残っていましたし、何より……ン私は生前、国王様からリゼ様へ語られるお伽噺が真実であることも、リブルハートが古記録を盗み見たことも、国王様の口から知らされていましたからねぇ……国王様殺しの真相を知るのに、時間はかかりませんでしたよ」
シュトラインは唇を歪めて笑った。
「でもあんたは、ルインたちをすぐに捕まえず、泳がせることにしたんスね……?」
「ンええ」
「評議会のメンバーをルインの手で殺させることで、共倒れにしてやろうとした……。そしてあんたは何も知らないオレらに、襲撃を続けるルインを捕まえさせて死刑台に送るつもりだった……」
「忠犬くんが古記録を見たいと言った時は、内心ひやひやしましたよ。ルインに古記録の一部を渡してしまいましたからねぇ。ページの抜けた古記録を見られたらどうしようかと。しかし……」
シュトラインは開き直りを見せた。
「私はあくまで、情報をやっただけです。私の狙いがルインを利用した評議会への復讐でも、受け取った本人がどうでるかは、ルイン・ソルシエール次第でしたよ」
「……よく言う!」
シアンは憤激して言った。
「宰相ともあろうあんたなら、ルインと一度でも喋ったなら、あいつの性格を看破したはずッスよね! 王と魔女の血を引くという自負があるルインのプライドが高いこと! そんなルインが、評議会に利用されたと知ったルインが、どんな行動に出るか、あんたには手に取るように分かったはずだ!」
「ルインの、性格」
シュトラインは文節ごとに区切り、噛みしめるように言った。足をすくうような闇がシュトラインから発散されているような気がして、シアンはエリシアを庇うように前に立った。
シュトラインは整えられた前髪をかき乱し、クッと喉で笑った。
「――――ンええ、すぐに分かりましたよ。ルイン・ソルシエールは、歩み寄る努力もせずに他人から優遇されることを当然だと思ってる、他人を冷たいと恨んで、恵まれた人間を嫉んで、現状に不満を抱えた、ただの子供だということはね!」
ここまで感情をむき出しにしたシュトラインを、シアンは初めて見た。
「王族と魔女の血を引くルインになど、これっぽちも興味はない。私は、ジハード様にのみ、忠誠を誓っていたのだから。むしろ、あんな子供に国王様が……っあんなに人がよくて、誰とでも同じ目線で接してくれるような国王様が殺されてしまうなんて……っ。どれほど私が怒ったか! 憎んだか!」
唾を吐き散らしながら怒鳴ったシュトラインは、両腕で顔を覆い隠し、ズルズルと床に座り込んだ。
「評議会の奴らもろとも、自滅してしまえばいい。醜い死に様を与えてやろう、と、いう気持ち……。共に国王様へ忠誠を誓った貴女なら、汲んでくれると思ったんですがねぇ、エリシア…………」
コッ、とヒールを鳴らし、エリシアは一歩前に出た。痛みに堪えるように、眉根を寄せている。
「……私なら汲んでくれるはず、か。……貴様がそう思っていたなら、私たちは完全に食い違っていたようだな。私は今日まで、ノーヴェは私と同じ志を抱いて毎日を過ごしていると思っていた。国王様の愛した国民を守ることに、全力を注いでいると。けれど……貴様が大切にしていたのは、国王様の愛したもの全てではなく、国王様だけだったんだな」
断罪を下すように、エリシアは重い声で告げた。
「――――ノーヴェ・シュトライン。……国王様が大切にされていた民を巻き込んだ貴様が、国王様に忠誠を誓っていたなど、口にすることすらおこがましい」
「……ンン。手厳しいですねぇ」
「それでも」
エリシアは掴んでいるシアンの袖を、ますます強く握った。
「それでも国王様を敬う気持ちがあると言うのなら、宰相の位を下りろ。ノーヴェ」
そう言ったエリシアの声は、針でつつけば泣き出しそうなものだった。しかし、それでも凛々しさの含まれた口調だった。
「――――ええ、エリシア。それくらいの分別は、私にも残っていますよ……」
悲しげに微笑んで言ったシュトラインの姿に、シアンは自分が重なって見えた。自分も一歩選択を間違えれば、彼のようになってしまったのだろうかと。




