セレッサ迎撃戦―そして―
ルインの身体は緋色に染まり、火ぶくれが出来ていた。レイラーに後ろ手で絞めあげられながら、ルインは呻く。憎しみのこもった目に涙を浮かべ、シアンを睨んだ。
「どうしてだよシアン……こんなはずじゃない! こんなはずはない! 僕はこんなところで終わる人間じゃないんだ! 僕は王になるべき者だったのに……っ」
「分かってる。けど、自分のことしか考えてないお前は、オレたちが捕まえなくても、結局は王になれなかったと思うぜ」
「――――分かってない! シアンは分かってない!」
うつ伏せで地面に額を擦りつけたまま、ルインは喚いた。駆けつけたラゴウが、レイラーと共に、暴れるルインを押さえつけた。
「分かってない……王座につくはずの理想と、ただの疎まれる村人でしかない現実……。分かってないんだ……知らないんだよシアン、君は。描いている理想と現実との落差がこんなにも激しいことの絶望を、君は知らないんだ……! だから僕の邪魔をするんだ!!」
「…………お前の言う希望と絶望の落差なら、知ってるよ」
シアンはしゃがみこみ、静かな声で言った。
「何より、ミザリーやお前と、これからも仲良く生きていくって夢が叶わない絶望をオレに教えてくれたのは……お前だろ、ルイン」
「…………っ!」
ルインは声を詰まらせた。シアンは目を伏せる。
ミザリーはもう二度と戻ってこないし、殺してやりたいほど憎く思っていた反逆者の正体は、親友と思っていたルインだった。そのルインだって、判決が下れば、死罪は免れないのではないか。
あの頃の穏やかな日々には二度と戻れない絶望なら、シアンは知っている。けれど――……。
シアンは指に嵌まった四つのリングを、形をなぞるように撫でた。
――――誰かを救える力を持っている限りは、何かを憎んでいるだけではいけないとも、学んだのだ。
「……なあ、ルイン……」
シアンは滲んできた涙が零れないよう、何度も目を瞬きながら語りかけた。エリシアの手が、背後からそっと肩に置かれる気配がした。
「ルイン……あの村での暮らしは、そんなに惨めだったか? 確かに綺麗な海しかない田舎だったけど、何もなかったから、その分、オレはルインとミザリーと、三人で過ごす時間が楽しかった。幸せだったと、オレは思う。ルイン、お前だってオレの命は救ってもいいって言ったくらいだ。本当に村での思い出の全部が、消したいくらい辛いことだけだったのか……?」
「………っ」
村でのシアンたちとの記憶が過ぎったのか、ルインの瞳が揺れた。
ミザリーのことだって、嫌いだから殺したわけじゃないというルインの主張は本当だったのだろう。理解されない怒りや同調してもらえない憤り、そして捕まりたくないという保身に負けて、ルインはミザリーを手にかけたのだ。
「なあ、ルイン……」
「じゃあ僕はどうしたらよかったんだよ!」
ルインは泣き叫んだ。
「……っ、ずっと、ずっと生まれてから、自分は特別だと思って生きてきたんだ。母さんだって『貴方は特別だ』って言ってた! それが事実と思ってた! だから、凡人みたいな扱いを受けると自分が否定されたみたいな気分だった。許せなかった! 僕はそんな扱いを受ける存在じゃないのにって! だから、どうしても特別な地位が欲しかったし、村にいてもあそこは僕の居場所じゃない気がしてた……。僕の血統を知ってからは尚更だ……! けど、周りを見下して生きてきた僕には……僕が王族だって他人に認めさせる方法は、服従させる以外に思い浮かばなかったんだ…………!」
……『災厄の業火』で火の魔石という強大な力を手にしたルインが、何でも意のままになると驕り高ぶり、『災厄の埋み火』で気に入らない村人を虐殺したことは、他人に歩み寄ることよりもずっと容易かったに違いない。襲撃によって国民を蹂躙することも。
ルインは項垂れた。シアンはしゃくり上げるルインの肩に手を置き、顔を上げさせる。
「……他人を傷つける方法を選ぶ前に、オレやミザリーに、相談してくれればよかったんだ。そうすりゃ、一緒にどうすればいいか考えてやった」
「それでも、村の奴らも、誰も彼も! 僕を認めてくれなかったに決まってる!」
「その時はさ」
シアンは辛抱強く言った。
「オレがお前に『遊ぼう』って声をかけ続けたように、お前も、何度でも他人に声をかければいい。事実を訴え続ければよかった。自分から歩み寄ることを、怖がる必要なんてねぇよ。だってお前には、オレやミザリーが傍についてたじゃねぇか。お前がもし他人に跳ねのけられたら、オレらが守ってやった。現に……」
シアンは、ルインに冷たい態度をとった村の大人に説教をかました、勇ましいミザリーの態度を思い出した。
「ミザリーは他人に跳ねのけられたお前を、守ってくれてたろ?」
「…………っ」
ルインは大きく目を見開いたあと、本格的に泣き崩れた。その声に、悔悟の念が含まれているのを、シアンは確かに感じとった。
戦闘の爪痕が残る中、口火を切ったのはエリシアだった。
「……ルイン、貴様に聞きたいことはまだある」
エリシアは戦意を喪失したルインの懐から古記録と、濡れて文字の滲んだメモを抜き取った。
「この古記録は、どうやって手に入れた? 評議会に縁のある街も……いちいち調べて襲撃を仕掛けるなんて、その執念だけは認めてやる――」
「違う」
ルインはぶっきらぼうに答えた。
「古記録は『災厄の埋み火』のあと、王都の中央病院に入院中、変装した何者かに受け取った」
「変装した誰か……!?」
シアンは怪訝そうに言った。
それを横目に、ルインはエリシアの手元にある、びしょ濡れの紙切れを顎で指した。
「濡れた紙切れの方には……評議会に縁のある街が詳細に記されていた。病室へやってきた何者かから『きっと貴方の役に立つから』って、古記録と一緒に渡されたんだ。確かに、それのお陰で襲撃はかなり捗ったよ。それに――僕に古記録やメモを渡してきた奴は、あっさりと耳を傾ける気になるくらいには、話術の巧みな奴だった」
「……隊長……」
シアンはエリシアと目を見合わせた。
――――ルインに、情報を与えた者がいる。
そしてその情報が、一年前から今日まで続いた襲撃の引き金かつ潤滑油のような役割を果たしていたのは、先ほどのルインの話から明らかだった。
(まだ、この件は片づいていない……?)
「ルイン! 特徴は!? お前に古記録とメモを渡した奴について、何か覚えてないのか!?」
シアンは早口で捲し立てた。その勢いに押されながら、ルインは視線を斜め上へやる。
「特徴……?」
「何でもいい! 何か、服とか髪型とか――――」
「そうだな――――そういえば、全身をローブで隠していたけど、一瞬だけ、足元が見えたな……。ニーベルでは見慣れない靴を履いていたような……」
「見慣れない靴……?」
ラゴウがそう呟いたのが合図になったのか、隊員たちの目が一斉に、珍しいピンヒールを履いたエリシアへ向けられた。しかし――……。
ルインは小馬鹿にしたように「違う、背の高い奴だった。あれは男だ」と付け加えた。
「あの革靴の留め具……銀……かな」
「銀……」
「ああ、シアン。確か、その銀の留め具、とても凝った葉っぱの形をしてたよ」
「それって……」
シアンは頭の中で、ルインの言葉を咀嚼するように繰り返した。もう何度目になるのか分からない胸騒ぎに襲われながら、エリシアを仰ぎ見る。
「まさか……隊長、まさか、あの人が――――――――……?」
シアンは、エリシアの唇が紙のように白くなっていくのを見た。




