セレッサ迎撃戦―勝敗―
「――こんな空間で火災旋風を起こせば、ルイン、お前も巻き添えを食うと思うけどな」
「そんな脅しで僕を止めようなんて無駄だよ。僕には水の魔石の本体がある。火は怖くないさ」
ポケットに入った水の魔石をコートの上から叩き、ルインは得意げな様子で言った。
シアンはルインに見えぬよう、小さく口元を綻ばせる。
「そう上手くいくとは思えないッスけどね。なんてったって――――水の魔石の本体は今、オレが持ってるッスから」
シアンは風の鎖に絡まれた手を何とかポケットへ突っ込み、もったいぶるように例のガラス玉を取り出した。嘘をついているせいか、ルインに対する口調がいつも通りに戻ってしまう。
「……はっ。馬鹿馬鹿しいな。今度は騙されないよシアン。それはどうせ、偽物だろう?」
ルインは取り合わなかった。しかしシアンは、一瞬ルインの瞳が揺らいだのを見逃さなかった。駆け引きでなら、シアンはルインに勝つ自信がある。
シアンは賭けに出た。
「どうしてそう言い切れるんスか? ガーダーが空中でお前に総攻撃を仕掛けた際に、どさくさに紛れて、すり替えられたとは思わないんスか? ま、気づいてないなら別にいいッスけどね。ルインが火災旋風を起こして自滅しても、オレらは水の魔石で助かってみせるッスから。ああ、でもその前にオレが水の魔石で片をつければ早いッスか――――リッダ・リゾルデ」
シアンはルインに口を挟む間を与えず呪文を唱え、ポケットへガラス玉を仕舞った。その直後、ポケットから閃光のような青い光が辺りに放出される。魔石の力が解放された証だ。
「な……っ?」
信じられない、といった様子でルインは色を失った。シアンは内心でほっとする。
――――狙い通り。どうやらポケット越しには、さも水の魔石が、力を解放された証拠に光っているように見えたようだ。
しかしシアンのポケットの中で実際に光っているのは、ガラス玉でもはたまた水の魔石本体でもなく――――四つの水のリングだった。
実はシアンは、本部に待機している隊員全員から水のリングを預かり、ポケットに入れていたのだ。タイミングを見計らって、有効に使うつもりだった。
そうとは知らないルインの顔には、焦燥の色が走る。まさか本当に水の魔石を奪われていたのかと、ルインは落ちつきをなくし始めた。
「ルイン! これでもオレの魔石が偽物だと思うッスか? 見てみろよ――――――――神々の水剣ディー・グラディウス」
四方から螺旋を描いた水が現れ、広場の上空で一つに収束される。それは雲のように渦を描いたかと思うと、放射線状に分散され、八つの剣に変化した。一連の動きはあまりに滑らかで、水が踊っているようにも見える。流麗な刀身を模った八つの水の剣の切っ先は地上を向き、そして―――……。
落雷の如く、剣は広場へ落下した。
剣は隊員たちを襲っていた人喰い馬を全て貫き、地面へ縫い止める。巨大な馬は怒り狂い、剣を蒸発させようともがいた。
シアンは水の剣によって火の馬が消火されていく様を、鮮明に想像する。人喰い馬はラゴウたちに痛めつけられていたおかげもあり、最後のあがきを見せたが、やがて消え去った。
さらに、シアンの元へ下りてきた水の剣の一つが、シアンを拘束していた風の鎖を断ち切る。
「これでも、オレが持っているのが水の魔石じゃないっていい切れるッスか?」
「そんな……僕の魔石が押し負けるなんて――――……?」
ルインは驚愕の声を上げた。
正直、ハッタリもいいとこだ――縛られて赤くなった手首を摩りながら、シアン自身がそう思った。
だが、今までのシアンのリングの力を見ていたルインには、シアンの力が格段にパワーアップしたように感じられたようだった。
「……ルインの精神を不安定にさせることで奴の技の効力を弱め、余計にシアンの力が増したように感じさせる……か。シアンの奴、考えたな」
エリシアは人喰い馬が目の前で消えていくのを見ながら、独り言を零した。
「……今のでルインに『水の魔石を奪われたかもしれない』という疑心を抱かせることが出来た……。が、本当の作戦はここからだぞシアン……」
エリシアの視線の先で、シアンは顔の筋肉を一つも緩めず、駆け引きを続けていた。
「これで分かったか? ルイン、お前はもう負けてる。お前が所持しているのが魔石本体二つとお前自身の微弱な魔力。対してオレたちガーダーは、魔石二つとリング十七人分。力の差は歴然ッス」
「いいや!」
ルインは憤怒の形相で、強く否定した。
「取られてないはずだ――僕が持っているのが本物なんだ――――……っ」
「じゃあ、確かめればいいじゃないッスか」
水の魔石が本物かどうかを確かめるためにルインが取る簡単な方法は一つしかない。実際に水の魔石を使用することだ。
「偉そうに言うな! そうさ、そうだ、確かめてやるよ。これが本物の魔石だって。そして君たちを殺してやる――――リッダ・リゾルデ!!」
ルインは水の魔石を取り出し、乱暴に呪文を唱えた。
たちまち、青い光が周囲に満ちる。そして、広場の上空を覆いつくすほどの巨体を持った水の竜が現れた。鋭利な牙の並ぶ口は、建物を丸飲み出来そうだ。蝙蝠のような翼が羽ばたく度、広場に大きな影を落とす。
ルインは両の拳を天へ突き上げ、腹から笑った。
「っはは! ほら見ろ! やっぱり僕が水の魔石を――……」
その先は続かなかった。
「おうおう、その隙が出来るのを待っとったぞ!」
「隙ありぃぃぃぃぃぃっ!」
風のリングで加速したラゴウとレイラーが、刹那のうちに、ルインの間合いへ詰め寄っていた。
ラゴウがルインの手から水の魔石をもぎ取り、シアンへ投げる。レイラーは水の太刀でルインのコートを裂き、ポケットから零れ出た風の魔石を、同じくシアンへ投げた。さらに、他の隊員たちもルインに飛びかかる。シアンはやっと顔の緊張を解いた。
「作戦通り――さすがッスよ先輩たち! んでもって、ルインの命令を解除!」
シアンはキャッチした水の魔石に向かって、そう語りかける。すると水の魔石は、ガス灯の明かりが消えるように光を消した。そして――――ルインの命令により現れた水竜が、紐の束がばらけるように、ただの水に戻っていく。
竜の形を失くした水は、滝のように広場へなだれ込んだ。すぐに、シアンの肩までが水に浸かる。
「シアン!! お前、シアンの分際で、こうなるように僕を謀ったのか!?」
割れんばかりの声で、ルインが詰った。
シアンは広場が水没し隊員たちが溺れる前に、エリシアへ協力を仰ぐ。
「隊長、援護お願いするッス! 水の届かない高い足場を!」
「ああ。分かっている」
短く頷き、エリシアはシアンたち隊員一人一人に、土で柱のような足場を作った。
先ほどまで竜だった大量の水は、広場へ流れ込み続ける。シアンは水面から突き出した土の足場に立ち、湖と化した広場を見下ろした。それからルインを見る。ルインは自身の魔力を使い土のポールを作りだしていた。が、足元にまで水面が迫っている。
作戦成功だ――――今度こそルインを追い詰めた。
「ルイン、王手だ。お前の魔力じゃ、その高さ以上のポールを作りだすことは不可能だってことは、さっきお前が作りだしたポールの高さを見て分かってる」
このまま水かさが増せば、ほどなくルインは水に飲まれる。それを回避したければ……。
「逃げ場はないぞ。溺れて死ぬのが嫌なら投降しろ」
「ふざけるな! 小賢しい作戦が上手くいったからって、それで僕に勝ったつもりか!?」
ルインは吐き捨てると、足首まで迫りくる水へ向かって、手をかざした。
「水なんて、僕の火の魔石で蒸発させてやるさ! ――――黙示録の業火メギドフレイム!」
広場を埋め尽くす水から、ボコッと一際大きな音を立てて、気泡が立ち、沸騰した。水が蒸発し水深が浅くなっていく。
「見ろ! 僕は――――……」
「愚か者が」
エリシアが鋭く批判した。
「魔石を悪用するような心の弱い貴様が、魔石本体を手にしたシアンに勝てると思うな。――――シアン!」
「はいッス。ルインは此処で絶対に捕まえる――――聖なる水クリスタロス!」
ルインが蒸発させた分以上に、シアンは水を生み出した。水面はますます上昇していく。ポールの上に立っていたルインの胸辺りまで水面が上昇したところで、とうとうルインが根を上げた。
「うあああああっ!! 熱いぃぃぃぃぃぃっ!! 熱い、熱い、やめろ! 熱いぃぃぃぃ!」
ルインが炎を出すのを止めないため、シアンの水の力と拮抗している内に、広場に溜まりゆく水が煮え湯に変わってしまったのだ。
想定外の事態に、シアンは慌てふためく。
「……っ魔石への呪文を解除しろルイン! それ以上水温が上がったら死ぬぞ!」
コートを掻きむしって熱がるルインへ、シアンは叫んだ。しかし、興奮状態のルインは力をコントロール出来ないようだ。
炎を放出し続けているため、水温はますます上がる。水温を下げるためにシアンが水の量を増すと、ルインの口まで完全に水に浸かってしまった。
土の柱の一つに腰掛けていたラゴウは、眼下の湖を見下ろして手を打った。
「シアンの奴、やりよった! 完全に決着ついたな――――っと……ん?」
「ルインをその中に閉じ込め、掬い上げろ! 水の魔導書アクアディンゲン!」
シアンはルインが溺れる前に、今度こそ、大きな水の本で彼を挟みこんだ。頭から足まで本の中に閉じ込められたルインは、そのまま引き上げられる。そしてシアンの立つ足場にアクアディンゲンが着地した瞬間、それは弾け、ルインはうつ伏せに倒れ込んだ。
間髪を容れずに、他の隊員たちがシアンの元へ柱を飛び移ってやってきた。ルインの胸から火の魔石を取り上げ、迅速に彼を捕縛する。
一連の行動を傍観していたせいで出遅れたラゴウは、やれやれと笑った。
「シアンの奴……追い詰めても、結局は助けるんかい」
「我々の目的はルインの捕縛。殺すことが目的ではないと、もうシアンは分かっているからな」
エリシアは湖に、シアンの足場へ続く土の橋をかけながら、何処か誇らしげに言った。




