そして真実へ
『災厄の埋み火』が起こったあの日――――スモッグが空を覆い、昼間だというのに辺りは鉛色を帯びていた。
炎天下に晒されたように肌が痛む。舞い上がる火の粉がシアンの四肢を焦がし、飛んでくる灰のせいで長く目を開けていられない。そこここから源泉の如く噴き出した火柱は、村人に逃げ道を与えなかった。
海岸へ逃げようとする人の波をかき分け、シアンは姿の見えないミザリーとルインを必死に探していた。
予定では一時間後に出発を控えていたミザリー。しかし「ルインに話がある」と言ってシアンを置いていったきり、彼女もルインも何処に行ったのか分からない状態だった。
「よかった、いた……」
比較的火の手の回っていない坂道の上に、二人はいた。
村が燃えているというのに、こんな時でも揉めているようだ。ルインが険しい顔でミザリーの手を払う様子が、坂の下にいるシアンからも見えた。
(こんな状況で何やってんだ――――……)
シアンは煙草の火種のように熱くなった道を駆け上がりながら、二人の名を呼ぼうとする。
その時、ルインが着用しているベストの内側から、カッと瞼を焼くような紅い光が生じた。そして、ルインが乱暴にミザリーの腕を掴むと――――……。
「きゃああああああああっ!!」
「ミザリー!? ルイン、何を……っ」
身の毛がよだつ光景だった。ミザリーが燃え上がったのだ。
シアンの存在に気づいたルイン。彼が慌てふためいた様子で見下ろしてくるのが分かったが、シアンは構っていられなかった。ミザリーが燃えている。蝶のようなワンピースの裾に火がついたかと思うと、それは一気に燃え上がり、すぐにミザリーの腰元まで手を伸ばした。
「いや、いや、いや!」
ミザリーが怯えた様子でスカートの火を払おうとする。
火は消えるどころか、ミザリーの腕にまで絡みついてきた。ミザリーの白い皮膚が、熟れ過ぎた果実のようにじゅくじゅくと侵食されていく。まるで生きた炎が、彼女を食らおうとしているようだ。
「熱い! やだ……っやだぁ!! ルイン! やめて!」
ミザリーが泣き叫ぶ。何かを隠している胸元を紅く発光させたまま、ルインは気後れした様子で後退した。
シアンは激昂する。
「ミザリーに何したんだよルイン!!」
「な……み、ミザリーが悪いんだ……! 僕に口応えなんかするから……!」
シアンはミザリーの元へ急ぐ。だが狭い村は坂道の両側に家が建てられ、道も狭い。両側の民家が燃えれば必然的に道も塞がれてしまい、シアンはあっという間に火に囲まれてしまった。
「……っミザリー! ミザリー、今助けてやるからな!」
混乱に頭はついていかないのに、動悸ばかりが激しくなる。
シアンははぎ取るように上着を脱ぎ、群がる炎を叩いた。自分が火傷するくらい、別にいい。そう思い、道を塞ぐ炎が気休め程度に小さくなったところで突っ切る。髪が一房燃えて、空気中に散っていった。
「ミザ……っげほ!」
煙を吸ってしまい、シアンは酷く咳き込んだ。焦燥感が喉を焦がす。ミザリーの苦悶に満ちた声を聞きながら、シアンは胸が押し潰されるような気持ちで坂を駆け上がった。
しかし――――……。
「シアン! だめ! 逃げて! 国王様を殺して火の魔石を奪ったのは、反逆者は、ルインだったのよ! お願いシアン、逃げて―――きゃあああっ」
「黙れミザリー!!」
ルインが怒号を飛ばすと、それに反応するように、ミザリーをなぶる業火の勢いが増した。
ミザリーの全身に火が回り、ワンピースだった布切れが地面に落ちる。真珠のようだと村人が褒めそやしていた彼女の肌は赤黒くただれ、ずるむけになった。ミザリーが悲鳴を上げる。
シアンは膝から崩れ落ちそうになった。
大切な幼馴染が全身を火に焼かれてもがいている。その彼女が、もう一人の幼馴染が国王殺しの犯人だと言うのは、一体どういうことか。
気が狂いそうになる中、シアンはミザリーを襲う火を、上着で叩く。上着にまで火が燃え移り、すぐに使い物にならなくなったため、シアンは素手でミザリーの火を消しにかかる。
しかし、ルインに背を向けたのが悪かった。
「り、リッダ・リゾルデ!」
ルインがそう叫ぶや否や、のたうち回りたくなるような熱さに襲われて、シアンは悲鳴を上げた。
全身の神経が集中したかのように背中が熱い。確認すれば、燃えていた。振り返る。その先では、憑かれたような表情を浮かべるルインが、シャツの胸元をかき抱いていた。
そして、シアンは見た――――ルインの隠している胸元から覗く、禍々しい色を帯びた石を。それが、彼の胸に埋まっているのを。
「それ……もしかして盗まれた火の魔石か……? お前……本当に反逆者だったのか……。じゃあ、この火災もお前が……?」
シアンは愕然と呟く。ルインはさっと胸元を隠すと、逆上したように叫んだ。
「だったら何だ! この魔石は、元々僕が持つにふさわしい物だ! それに、僕は正しいんだ! 僕を邪魔するなら、シアンも殺す!」
そう言って、ルインがシアンへにじり寄ってきた。背後では炎がシャツを食いちぎり、シアンの肌を焼き始める。痛みで噴き出す脂汗さえ、薄情な熱気に吸い取とられた。
(此処で殺される。訳も分からないまま、ミザリーもオレも、此処でルインに――……)
そう覚悟した時、ミザリーがシアンの隣をすり抜けて行った。
「え……?」
「ぎゃあああああああっ」
シアンが目を見張る間に、ルインから断末魔のような悲鳴が上がる。火だるまのミザリーが、ルインの動きを封じようと彼に抱きついていた。
「離せ! この……っ離せミザリー!!」
ミザリーの頭が押しつけられたルインの左頬から、火熨斗を当てたように蒸気が上がった。
「ぎゃあああっ! ミザリー、離せ! 離せええええっ」
「シアンは殺させないわ……っ! シアン、今の内に逃げて! お願いだから――……」
「ふざけるなよミザリィィィィィィ!!」
ルインはありとあらゆる罵詈雑言をミザリーに浴びせ、髪を引っ張って彼女を自分からはがそうとした。ミザリーの燃える髪は頭皮ごと、ずるりとめくれて落ちていく。ルインが声にならない悲鳴を上げた。
頬が蝋のように垂れ落ちはじめたミザリーに、シアンは泣きながら首を横に振った。
「嫌だ……っやめ、ミザリー!! ルイン、火を止めろ! ミザリーを元に戻せ!! 戻せよ!!」
「やめろ! 僕を燃やすな! くそっくそ! 何で火がコントロール出来ない!?」
ルインは魔石を使いこなせていないらしい。燃え移る炎に身悶えながら、ルインは力いっぱいミザリーを突き飛ばした。ミザリーはもう動かなかった。
「ミザリー!! ミザリー、嫌だ、ミザリー、頼む、死なないでくれ――……っ」
シアンは膝から頽れ、ミザリーに泣き縋った。変わり果てたミザリーの首元で、ペンダントだけが光っていた。
左半身が焼けただれたルインは、幽鬼のようにシアンへ向き直る。
その時――――今度は地面が唸りだした。舗装された道に亀裂が入ったかと思えば、裂け目から火柱が上がる。
「な……んだよ、何なんだよ!! 何が目的なんだよ、ルイン!!」
シアンは熱した鉄のような地面を殴りつけた。背中が熱い。手を後ろに回して背中の火を消そうとするが、完全に消える前に酸素と結びついて燻っている。海岸へ続く坂道は、火柱が遮っていた。
「ぼ、僕は悪くない! どうやって制御すれば……国王を殺した時は上手く言ったのに! ――――くそっ! この僕が、こんな所で死んでたまるか――……」
ルインがうろたえるのに比例して、火の勢いが増した。近くの民家で大きな爆発が起こる。
「うああああああっ」
叫んだのはどちらだったか。否応なしに、シアンとルインは爆風に煽られ、石ころのように吹き飛ばされる。次いで体中に何回かの衝撃を受け、二人は浜辺に放り出された。飛ばされる途中で何処かの塀に頭を打ちつけたらしい、浜に投げ出されても、シアンは動けなかった。
「……ミザ……」
四肢が痺れて、意識が朦朧とする。ただ、薄れていく思考の中でも、腰から肩甲骨の辺りまでが、ただれていくのを感じた。飛ばされる途中で火柱にかすり、また火がついたらしい。
どうやら本格的に頭を打っていたようで、鈍い痛みにシアンは呻いた。こめかみを撫でるように血が伝い、ゆっくりと視界が閉じていく。遠くの砂浜から駆けてくるピンヒールが見えた。
おそらく、瞬間的に気絶をしたのだろう。次にシアンが目を開けた時、エリシアはもう近くまで寄ってきていた。そこからはしっかり覚えている。
彼女は言ったのだ。「しっかりしろ、絶対に助けてやる」と。
――――シアンの中で、二年越しに、記憶の糸が全てつながった。




