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記憶の蓋

 ここ一、二週間に、自分はいったいどれだけ、故郷の思い出を夢に見るのだろう。


 手紙のやり取りだけで会えていないミザリーや、退院以降、何処をさすらっているのか分からないルイン。そんな幼馴染二人を、恋しく思っているせいに違いない。気絶したシアンは、またしても故郷の夢にゆらゆら揺られながら、そう考えた。


 過疎化の進む村に住んでいたシアンには、同年代の子供がミザリーとルインしかいなかった。

最初に仲良くなったのはミザリーだ。互いの親も仲がよく、生まれた時から一緒の彼女には、ままごとや人形遊びによく付き合わされ、兄妹のように育った。


 もしかしたら、傍目にはミザリーの方が姉に見えたかもしれない。燃えるような赤毛が利発な印象を与えるミザリーは、村人から愛情をたっぷりと注がれて、年を重ねるごとに清廉で、美しく成長していったからだ。


 それでもシアンがミザリーを妹のように感じたのは


「シアン、好きよ。大好き」


 何の衒いもなくそう言ってくれるくらい、ミザリーが懐いてくれたからだった。


 たまに「シアンはマゾよね。私のワガママに嫌な顔一つしないで叶えてくれるもの」と生意気なことを言うところさえ笑って許せるくらい、親しい存在だった。


 対してルインと仲良くなるには、時間がかかった。ルインの父は早くに亡くなっており、母の方は高慢で、何かと「私と他の村人では格が違うのだ」と一線を引いていたため、近寄りがたかったせいだ。シアンが母に頼まれて晩御飯のおすそ分けを持っていった時には


「……っあんたたちみたいな田舎者が作った料理、食べるわけないでしょ!」


 と、ヒステリックに鍋をひっくり返されたこともある。


「田舎者って、おばさんだって、このルーン村に住んでんじゃん」


 服にスープの飛沫が跳ねたシアンは、ムスッとして言った。

 それを見ていた村のおじさんが、ルインの母を冷たくあしらう。


「シアン。あいつらはな、お高くとまって嫌な奴らなんだよ。相手にするな。助け合いが大切な村で何やってんだか」


「何ですって? もう一度言ってみろ! よくも私たち家族を愚弄したな!」


「事実だろうが!」


 今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな二人の間に、シアンが割って入る。


「ああ、もう! やめろよ、おじさんもおばさんも! 仲良くしようよ――――……」


 そんな気性の荒いルインの母も、ルインが十歳の頃に亡くなり、彼はシアンの家に引き取られることになった。

 母親の印象が最悪だったルインの面倒を見るのは、誰も御免だったらしい。引き取ることになったシアンの両親も「ハズレくじを引いたようなもんだ」と溜息を零していた。


 しかしシアンは、ルインと同居することが決まり、とても嬉しかった。やっと同性の友人が出来る。ミザリーには言い辛い男同士の会話が出来るってもんだ! と。


 だがルインは、シアンとミザリーになかなか心を開こうとしなかった。シアンたちが「一緒に遊ぼう」と言っても、母親に似て気位の高いルインは、冷たく跳ねのけてばかりだった。


「どうして僕が、君たちなんかと遊ばなくちゃいけないの?」


 あまりにもしつこく誘ったせいか、ルインは大きな瞳を不愉快そうに歪ませて言った。


 彫刻のように整った顔で他人を跳ねつける、高飛車で嫌な奴。

 先細りの長髪を鞭のように振り乱して威嚇するルインは、十六歳のシアンの目には、そう映る。けれど、村の中という閉鎖的な世界しか知らなかった子供時代のシアンには、ルインの月を溶かしたような銀髪も、菖蒲色の瞳も、たまらなく神秘的でかっこよく見えた。


「どうしても僕と遊びたいなら、僕には敬語を使うこと。それが条件だよ」


 ルインはすげなく言う。シアンは大きく頷いた。


「敬語……わ、分かった!」


「使えてないじゃないか」


「わ、分かったッス! な、これでいいだろ……ッス、よね! 遊ぼう!」


 期待に目を輝かせるシアン。それとは裏腹に、ミザリーはルインの態度を快く思っていないようだった。


「シアン、ルインにへりくだるのはやめて。友だちは対等であるべきよ。ルイン、あなたも……友だちに敬語を求めるなんて、自分が偉いと思ってるみたいでヤな感じだわ」


 ミザリーは難色を示したが、同性の友人と過ごす日々はやはり、シアンにとってとても楽しかった。それはルインも同じようだった。彼もなんだかんだ言ってもシアンと同じ子供なので、シアンが下手に出さえすれば、喜んで遊びの誘いに応じた。

 

 けれど、ルインはやはり、ちょっと困った性格だった。


「やった! オレの勝ちッス!」


「……っ! 僕は負けてない!」


 トランプゲームに興じていた三人。ミザリーがあっさりと上がったため、男二人でちまちまと勝敗を競っていたのだが、シアンが勝った瞬間にルインはトランプを投げ出した。


「シアンの勝ちよ。ねぇルイン、あなた、負ける度にそればっかり」


「うるさいな! ミザリーは引っ込んでろよ! 優等生面して僕に説教するな! やり直しだ! 僕以外が勝つなんて、絶対に認められない!」


「……呆れた。あなた、『引っ込んでろ』って言うくせに、私にまでまたトランプ配るのね」


「当然だろ! 勝ち逃げは許さない」


 ルインは文句を言いながら、ミザリーの手元へトランプを投げてよこした。


「もう……笑ってないで、何とか言ってよ。シアン」


「まあまあ。三人で遊ぶのは楽しいし、いいじゃないッスか」


 ルインは王様気質でプライドが高く、何でも自分が一番でなくては気が済まない性質だった。彼は自尊心を傷つける者には、とても強くあたったのだ。


 一方ミザリーは納得いかないことには決して折れず、媚を売るのをよしとしない性格だったので、二人はよく衝突した。だから三人で膝を交えて遊ぶようになった頃には、シアンが仲裁役になるのはお決まりになっていた。


 けれど、ルインもミザリーも、嫌いあってはいなかった、とシアンは思う。ミザリーは一度もルインに敬語を使うことはなかったが、それでもルインが彼女と遊んだのがその証拠だ。


 腫れ物に触るような態度でルインに接する村人たちとは違い、ミザリーはあくまで友として対等に接してきたから、彼も気を許していたのかもしれない。


 村の大人たちはミザリーが嫌われ者のルインとつるむことにいい顔をしなかったが、そんな彼らがルインに冷たい態度をとる度、ミザリーはルインの代わりに怒ったのだ。


 ルインの目の前で「ミザリーちゃん、嫌われ者のお守は大変だな」と嫌味を言ったおじさんへ、ミザリーがカンカンになって怒ったことを、シアンはよく覚えている。


「おじさん、今の言葉、訂正して。ルインに謝ってよ」


「え……でも、ミザリーちゃん……」


 愛娘のように可愛がっているミザリーがご立腹なので、おじさんはとりあえず謝った。


「ご、ごめんよミザリーちゃん」


「私にじゃないわよ!」


 ミザリーは厳しく言った。


「ルインに謝ってって言ったの! 嫌いな人間になら、目の前で暴言吐いても許されると思ってるなら、大間違いなんですからね!」


「ミザリー、そいつは雑魚だからそんな発言するん……」


 ルインが最後までいい終わらない内に、ミザリーがキッと睨んだ。


「ルインも! 人を見下したような発言をしないの!」


「な……っ。うるさい、でしゃばり女!」


「何よ、高慢ちき!」


「はいはい、喧嘩はだめッスよー」


 気に食わないところをずけずけ指摘し合える仲の二人が、シアンにはちょっと羨ましいくらいだった。


 ミザリーが引っ越すと知った時は、ルインが空気の抜けたような様子だったことも、シアンは覚えている。


「何よ、シアンもルインも。寂しいとか、ないの?」


 ミザリーが近々引っ越すことをシアンたちに告げたのは、彼女が気に入っている浜辺だった。


「いや、ずっと一緒だったし、あんま実感わかないっつーか……なあルイン?」


「何でシアンは僕に振るんだ」


 裸足で波打ち際を歩いていたルインは、露骨に嫌そうな顔をした。


「……別に、今生の別れじゃないだろう。それに僕も、そう遠くないうちに村を出ていくつもりだ。都市部には蒸気機関車も通っているし、会おうと思えば会えるさ」


「……意外ね。てっきり、私がいなくなってせいせいする、とか言うと思ってた」


 黒目がちの瞳を瞬くミザリーに、ルインはそっぽを向いた。

 シアンは間延びした声で言う。


「じゃあオレも、王都まで出て軍にでも志願するッスかねー。都会の女は、すっげー色っぽいって父さんが言ってたし、足が綺麗な美人たちに会えるのが楽しみッス」


「ちょっとシアン、私に会いに来てくれるんじゃないの? ルインも何笑ってるのよ!」


 へそを曲げたミザリーがシアンの背中を押し、シアンがルインを巻き込んで海に倒れ込む。ミザリーとびしょ濡れのルインが言い合うのを、同じく濡れネズミのシアンが笑った。


 きっとミザリーが引っ越しても、この関係性は変わらないとシアンは思っていた。文通でも喧嘩する二人をシアンが宥めて笑う。そんな未来が、あの頃のシアンには見えていた。


 だからこそ、シアンは『あの光景』に、我が目を疑ったのだ。


 頭の隅に追いやられていた記憶の蓋が開く。突如村を襲った火災――――『災厄の埋み火』によって、十四歳のシアンは、髪の焼けるような臭いと、全身の水分を絞りとられるような熱気に包まれていた。


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