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シアンの記憶

 本部へ帰還したのはいいものの、シアンは一日、シュトラインとリーゼロッテに振りまわされた。


特にシュトライン。

あのひょろりとした体つきからいって執務室で事務仕事ばかりしているのかと思えば、動く動く。リゼンタとロシャーナ以外の地へ派遣されていたガーダーの回収や、軍本部への連絡やら各機関への通達。そして国民の混乱を避けるため、内部にのみ評議会への指名手配を指示。あらゆることの手回し根回しを、日が暮れるまでにやってのけた。


 シュトライン一人さえいれば、この国は、三年間は持つんじゃないかとシアンは思った。が、それに付き合わされるこちらの身は辛い。しかもシアンは病み上がりだ。


そうかといって、じっとしているとリーゼロッテの「構って」攻撃がくる。

チェスやゲームに付き合わされるのはまだ良かったが、髪を結んでとせがまれた時は辛かった。何しろリーゼロッテの髪は細くサラサラと指の隙間をすり抜けていくので、なかなか結べないのだ。三十分かけて結んだリボンが、滑らかすぎる髪のせいで一瞬にしてほどけた時は、シアンは本気で泣きたかった。


「ミザリーの髪括るので、慣れてたはずだったんスけどねー……。ったく、それにしても人使い荒いッスよ、あの宰相。オレは昨日、ほぼ寝てねぇのに!」


 シアンは自室のベッドで大の字になりながら、不平を零した。


「リゼンタとロシャーナ以外に派遣されてたガーダーの先輩たちが戻ってきてくれて助かったッス……。警護代わってくれるとか優しすぎる……」


 これでやっとまともな睡眠がとれる、とシアンは目を瞑った。その瞬間、バンッと蹴破られたような勢いでドアが開いた。


(敵襲か!?)


 シアンは跳ね起きる。しかし、こちらへ伸びてきた白い手に肩を押され、ベッドへと押し戻された。何者かがベッドに乗り上げ、シアンの腹を跨ぐ。


「――――っ!? た、たたたた隊長!?」


 流れるようにシアンを押し倒したのは、エリシアだった。


シアンを跨いだことでスカートが捲れ上がっているのだが、エリシアは気づいていないのか、スリットから覗く太ももが目の毒だ。


「おかえりなさいッス――てか、えっ。えっ!? ちょ、ちょっと待って下さいッス隊長! 昨日の今日で? いや、オレは全然いいんスけど、むしろウェルカムなんスけど、あ、でもやっぱり男としては、初めてはオレが隊長をリードしたかったり何とかしたかったり……!!」


 エリシアとの妄想を膨らませ、シアンは女のようにキャーキャー悶える。そんな後輩を複雑そうに見つめるのは、部屋の入り口で様子を見守るラゴウだった。


「シアン、悪いけど、俺もおるっちゅーこと忘れんなよ」


「げっ! 何でラゴウ先輩まで――邪魔しないでほしいんスけど……っぎえ!!」


 エリシアの両手に頬を包まれたシアンは、ラゴウへ向けていた顔を、無理矢理彼女の方へ向けられる。その際乱暴に捩じられた首が、ゴキッと不穏な音を立てた。


「いだっ、痛いッスーーーーっ!」


「真面目に答えろシアン。貴様、何か記憶が欠けているということはないか?」


 エリシアは切羽詰まった様子で問う。シアンは痛む首を摩りながら考えた。


「へ? 記憶……ッスか? オレ、隊長との約束とか、何か忘れてましたっけ?」


「物忘れじゃない! 貴様の記憶で何か失ったものはないかと聞いている!」


「た、隊長怖いッスよ! いきなりどうしたんスか」


 シアンは目を泳がせ、ラゴウに助けを求める。


ラゴウは、キルギスを含め記憶喪失の被災者が続出したことや、その症状を訴える患者の特徴にシアンが当てはまっていることを説明した。


「キルギスが記憶を失ったんスか……!?」


「ああ。不合理なことだが、今はそのことは隅に置いておいてくれ。私は、もしかしたら貴様が、犯人を捕まえる手掛かりになることを忘れてしまったのではないかと思っている。だから急いでロシャーナから戻ってきたんだ」


エリシアの発言に、シアンの顔が強張る。ラゴウは腕を組んで言った。


「でもシアンも俺みたいに、自分が何を忘れてるかすら気づいてねぇ可能性もあるよなぁ。……あ。そうだ。ミザリーちゃんならシアンの過去に詳しいだろ。何かお前さんが失ったような大事な記憶がねえか、手紙で聞いてみたらどうだ?」


「……ミザリー? 誰だ、それは」


 エリシアは聞きなれない女の名前に、首を捻った。


「あれ? 隊長知んねぇんですか?」


 これは面白い展開になるかもしれないと、ラゴウはニヤニヤした笑いを口元に貼りつけた。


「シアンの幼馴染らしいですぜ? これがまた、隊長に劣らないくらいの別嬪さんで! ほら、写真あんだろ、シアン。隊長にも見してやらんかい」


「え? あー、はい。いいッスけど……」


 シアンは上体を起こし、椅子にかけておいた上着のポケットを探る。ベッドの上に座り直したエリシアは、難しい顔をしたまま「いや、今はそれどころじゃ……」と断ろうとしたが、ラゴウの方が、押しが強かった。


「まーまーまーまー。いいじゃねえですか隊長」


「いや、だから……」


「あっ! そうだ、シアン。ミザリーちゃんは『災厄の埋み火』の生き残りだし、もしかしたらミザリーちゃんも何か記憶を失っちまってんじゃねぇか?」


「え?」


 シアンは不思議そうに目を丸めた。


「…………何言ってんスか。違うッスよ、ラゴウ先輩。ミザリーは、『災厄の埋み火』に巻き込まれてないッス」


 ポケットから写真を抜きだしたシアンは、それをエリシアに渡しながら言った。

ラゴウからの反応がないので、不思議に思って振り向く。彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「は? いやいや……だってお前さん、『災厄の埋み火』に巻き込まれて生き残ったのは、シアンとミザリーちゃんだって……」


 ラゴウはシアンとレイラーとの、駐屯地での食事中の会話を思い返してみる。と……。


「あり……? 言って、ねぇな……。よく考えりゃ、そんなこと一言も……」


「そりゃ、言うはずないッスよ。『災厄の埋み火』が起こった日は、ちょうどミザリーが引っ越す日で、あいつは火の手が上がる前に村を出ていってるんスから。だから火災に巻き込まれて生き残ったのは――――……」


 シアンはミザリーの左隣に写る、中性的な顔立ちの少年を指差した。


「オレと、そこに写る、もう一人の幼馴染のルインって奴だけッス。ね、隊長」


 シアンはエリシアに同意を求めた。写真を穴が空くほど見つめていた彼女は、「ああ……」と気もそぞろに返し、写真の真ん中に写るミザリーを指差す。


「確かに生き残ったのは、シアンと、もう一人の少年だけだったが……シアン、この写真の少女は、本当にミザリーなのか? 本当に、彼女は引っ越したのか?」


「え……?」


「彼女は本当に、『災厄の埋み火』が起きた時間帯、ルーン村にいなかったのか?」


「そのはずッスけど……」


「では事件後、ミザリーに会ったか?」


「……いや……そういや忙しくて一度も会ってないッスね。けど……何でそんなこと、訊くんスか……?」


ややあって、エリシアは「そうか」と独り言のように呟き、立ち上がった。棒のように突っ立つシアンに写真を返す。


そして、シアンの目を見ずに言った。


「……これが本当にミザリーなら……」


「ミザリーなら?」


「――――――――死んでいる。彼女は二年前に、『災厄の埋み火』で」




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