宰相の頼みごと
街が鎮火した頃には夜も更けていた。それでも後処理やら何やらで、街の外は騒がしい。駐屯地では相変わらず、軍の人間が慌ただしく行き交っていた。
駐屯地の敷地内には野営のテントがいくつか張られ、仲間の何人かがそこで麻布を受け取っていた。煤で肌の汚れたシアンとエリシアも、汚れを拭うべくそちらへ足を伸ばす。
その時だ。
テントに横づけされていた蒸気自動車が急発進した。車を囲んでいた警備兵をなぎ払う勢いでやってきたかと思えば、シアンたちの真ん前で急停止する。大きなタイヤが、もう少しでシアンの身体を巻き込むところだった。
……一体何事だ。
目を白黒させるシアンの隣で、エリシアが額を押さえた。
「どうやら我々が出払っている間に、厄介な奴が来たようだな……」
「厄介な奴ッスか?」
シアンはちょっと意外に思った。普段から軍の上層部や筋骨隆々の部下を前にしても顔色一つ変えないエリシアが、露骨に嫌がる素振りを見せたからだ。
これはシアン・アストル、男の株を上げるチャンスかもしれない。苦手な人間から、さりげなく彼女を庇ってみせた暁には、お礼に隊長の美脚で踏んでもらえるかもしれない。
思春期の欲望をダダ漏れにしたシアンは、馬車に毛が生えたような車体の車から、客人が下りてくるのを待った。
(さあ、誰でも下りてこいッス! どんな奴でも、隊長の番犬であるオレが――――……)
「ンンーッ。ン久しぶりですねぇエリシア!」
……どうにか出来そうな人物ではないことを、シアンは一瞬にして悟った。
どうやら、ちょっぴりマゾなシアンなんて鼻で笑い飛ばすレベルの変態が下りてきてしまったようだ。声を聞いただけで、シアンの手に蕁麻疹が浮かんだ。
「お見事、お見事」
車から下りてきたひょろ長い男は、蝋のように白い顔の横で手を叩いた。
「死傷者を最低限に抑え、無事に鎮火させたようですねぇ。――いや、あのまま火がおさまらなかったら、そのまま車で逃げるつもりで乗車したままだったんですが」
さりげなく最低な発言をかます男だ。
しかし、アスコット・タイで首元を飾ったオートクチュールの服装や、綺麗に梳かしつけられた髪が上品なリボンで一つに結わえてあることから、男が高貴な身分であることは一目瞭然だった。
「ンやあ、エレメンタルガードを設立したのは、本当に正解でしたねぇ」
男の言う『エレメンタルガード』とは、シアンが所属する機関の名称だ。
その前身は軍の、エレメンタルラピスに関する情報を伝達する情報通信部隊、緊急時に魔石の警護・移送を担当する警護部隊である。
そこへ新たに、魔石を奪取した犯人の足取りを追う捜索部隊、魔石の異変を解析する解析部隊、医療部隊、反逆者を捕縛及び魔石を奪還するためリングの保持を許可されたシアンたち特殊部隊ガーダーを加え、二年前、エレメンタルラピス専門の機関として創設された。
しかし何故、眼前の変人から機関の設立について語られるのかというと
「シュトライン様、何故このような危険な場所へ……?」
エリシアが呼んだ彼の名前が、理由を示していた。
シュトライン。
シアンの眼前に佇む奇人、ノーヴェ・シュトラインは、齢二十七にしてエレメンタルガードの創設に一役買った、ニーベル王国の宰相に他ならない。
「まじッスか……」
大物の登場に、シアンはポカンと口を開けた。
「こんな近くで見たの、初めてッス……」
ニーベルは基本的に君主制であり、宰相であるシュトラインは王の補佐として手腕を振るっていた。
しかし諮問機関として添えられていた評議会が強大な権力を握っているため、現在は「実質的には二院制だ」と国民から揶揄されたりもしているのだが、それにしてもシュトラインの有能っぷりと変態っぷりは国中に轟いていた。
後処理で忙しい時間帯に、よりによってそんな政治家に顔を出されては、エリシアも呻きたくなるはずだ。シアンは心の中でエリシアに合掌した。
「ノーヴェ・シュトライン様に敬礼っ」
背筋を伸ばし、吠えるように言ったのはラゴウだ。
シュトラインの存在に気づいたエレメンタルガードのメンバーが、いつの間にか集まっていたらしい。彼らはエリシアの後ろで整列し、胸に手を当てて礼の姿勢を取った。
ラゴウに頭を叩かれたシアンも、遅れて敬礼する。
「上々、上々。……軍の時代の古顔もちらほら見られますねぇ」
その場に居合わせた三十人あまりの隊員を見渡したシュトラインは、機嫌よく言った。
「しかし、ンー。エレメンタルガードは総勢三百名でしたか。その割には、ガーダーがたったの二十一名というのは……やはり少ないですかねぇ」
シュトラインの目が、エリシアやラゴウの襟元についたバッジを捉える。四大元素をモチーフに作られた菱形のバッジは、ガーダーにのみ与えられたものだ。
「……ガーダーが少ないのは、仕方のないことかと」
ややあって、エリシアが答えた。
「今回のような事態もあろうかと、あらかじめ本体のエレメンタルラピスを削って作られていたリングには数に限りがありますし、何より、精神力と体力のいる任務ですから、訓練を積んだ適正のある者にしか任せられません」
「ン呪文とリングが揃ってさえいれば、何もない場所から四大元素を生み出すことは可能。が、力をコントロール出来なければてんで使い物にならない……ですか」
「はい。技を繰り出すには『どのようなものを』『どれくらい』『どんな風に』出したいのか、想像力を働かせる必要がありますから」
術者のイメージが明確であればあるほどいいと、入隊してすぐエリシアに叩きこまれたことを思い出したシアンは、彼女の話に「うんうん」と頷いた。
「ところで」
エリシアは早く切り上げたいのか、慇懃無礼に切り出した。
「今日はどういったご用件で、こちらへいらしたのですか?」
「おやおや、折角私が顔を見せたというのに、随分と事務的な口調ですねぇエリシア」
「申し訳ございません、こちらも色々と忙しいもので」
「ンン。相変わらず冷たいですねぇ。傷つきますよ」
「ご冗談を。そんなタマではないでしょう」
「貴女という方は、相変わらず不遜ですねぇ。ンまあ良いでしょう、私と貴女の仲ですしね」
シュトラインの意味深な発言に、シアンは薄い唇を尖らせた。
何なのだ。
確かにエリシアはガーダーの部隊長であり、エレメンタルガードの総隊長という偉い立場でもあるが、それにしたって宰相がこうもくだけた会話を許すなんて……もしかしてシュトラインはエリシアに気があるのでは、とシアンは邪推してしまう。
(用がないならさっさと帰れ)
内心で悪態をつくシアン。だが、奇人とはいえ宰相ともあろう人物が、用もなく現れるはずはなかった。
「ン実は、ちょうど近くを視察していた帰り、評議員であるキルギスの住む街が襲撃にあったと聞きましてねぇ。……そろそろ私の身も危ないかと思いまして、エレメンタルガードに匿ってもらおうかと、こちらへ寄ってみたのですよ」
「な……っ」
シアンは大きな二重瞼を、これでもかと見開いた。
その場にいた隊員たちは、統率を失ったようにざわめき立つ。シュトラインの後ろに控えていた軍の屈強な警備兵たちは、物言いたそうな顔で彼の後頭部を見つめていた。
「放火を繰り返す反逆者の狙いは、残る三つの魔石の強奪。水と風の魔石の在処を知る評議員を、街を襲うことであぶり出し、口を割らせようとしていることは明白です。何せここ一年襲われてきた街は全て、評議会の議員に縁のある街ですからねぇ。魔石の場所を吐かずに殺された評議員や、火災に巻き込まれて理不尽に命を落とした国民が大勢いるにも関わらず、キルギスが真っ先に逃げて今も灰にならずに済んでいるというのは、情けない話ですが」
一息で言い切ったシュトラインは、背後にそびえる鉄骨の建物を振り返り、中で震えているだろうキルギス評議員をせせら笑った。
「評議会と立場は違えど、ン私も政治家。そして、土の魔石を管理していますからねぇ……狙われるのは時間の問題です」
自らの危機を他人事のように言ってのけるシュトラインとは対照的に、シアンたちの顔には緊張の色が走った。
シアンはシュトラインの心臓が、鋼鉄で出来ているのでは、と訝ったくらいだ。
(現在、この国で最も危険にさらされている人物……その一人の言動とは思えないッス……)
ニーベルで風前の灯と危惧されているのは、前線で戦うシアンたちガーダーや、襲撃の恐怖に苛まれる国民ではない。
魔石の在処を知る者たちだ。
エレメンタルラピスはニーベルの権力者によって、それぞれ秘密の隠し場所に保管されている。有事の際に王の元へ移送される以外では、風と水の魔石は、評議員のうち二名によって、土の魔石は宰相であるシュトラインによって守られていた。
そして、火の魔石は王によって管理されていたのだが――――……。
「シュトライン様のご命令とあらば、慎んでお受けします」
「ンン。ありがとう、エリシア」
「いえ……『災厄の業火』の繰り返しは、我々としても、何としても避けたいことですので」
エリシアは妙に固い声で言った。
シアンよりも年高の隊員たちは、一様に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
それを横目で見てから、無理もない、とシアンは肩を落とした。ニーベル国民にとっても、半身を奪われるくらい辛い事件だったのだ、『災厄の業火』は。
(火の魔石が奪われた状況に、問題があったッスからね……)
エレメンタルラピスを稼働させ続けることは、前回に唱えた呪文が効力を失う前に定期的にかけ直すという方法で、代々ニーベルの王に受け継がれてきた。
しかし二年前――王が呪文をかけ直すべく火の魔石の保管場所へ行った際、反逆者によって火の魔石は強奪され、当時の保管場所であった神殿は焼き払われ――――あろうことか、国民から信頼の厚かったジハード国王まで焼き殺された。
魔石を奪取した犯人を『反逆者』と呼ぶのは、そのためだ。国民はこの事件を、『災厄の業火』と呼んでいる。
反逆者の襲撃や産業の困窮は、確実に国民の神経をすり減らし疲弊させている。が――――もしかしたらそれ以上に、国の柱たる王が不在であることの方が、国民の不安を育てているかもしれない。シアンはそう思った。
「……シュトライン様、部屋を用意させます。細かい話はそちらで」
隊員たちが二人の動向を窺う中、エリシアは怪我人がひしめいている駐屯地の建物へ、シュトラインを誘おうとした。
が、そうは問屋が卸さないッスよ、とシアンは急いで待ったをかける。
「隊長! オレも同席させて下さいッス! 隊長の番犬としては、たとえ宰相殿であろうと、男と二人っきりにさせるわけにはいかないッス!」
どんな理屈だ、と隊員たちから冷たい視線を感じたが、シアンはあえて気づかない振りをした。歩いているだけで男共を悩殺してしまう艶麗なエリシアを、変態宰相なんかと二人きりにはさせられない。
「ンおや? 君は……」
シュトラインはお粗末な敬語を使うシアンを、上から下まで検分するように眺めた。
シアンもシアンで、挑むように見つめ返す。実はさっきから、シュトラインの「エリシア」呼びが気に食わなかったので、自分では気づかないうちに睨みをきかせているかもしれない。
(……別に、羨ましいなんて思ってねーッスけどね!)
「ンああ。エリシアの忠犬じゃないですか」
「番犬ッスよ!」
「いや、駄犬だ」
「何でそこでオレをけなすんスか隊長!」
あまりにも自然に訂正したエリシアへ、シアンは泣きついた。しかしエリシアはシアンを引っぺがし、「とにかく、ペットは入室厳禁だ」と切り捨てる。
……取りつく島もない。
が、この世の終わりと言わんばかりの顔をするシアンを、砂粒ほどは憐れんでくれたのか、エリシアは「話が終わった頃を見計らって来い」と付け加えた。
「隊長……! やっぱり隊長は、オレのこと見捨てないんスね……っ」
「うぬぼれるな」
舞い上がるシアンを、エリシアは白刃よりも鋭く一刀両断した。
「シアン、貴様には先に突入したことへの仕置きがまだだったからな。……今夜は寝かせんぞ」
悲しいかな、美女からの発言に妖しさではなく身の危険を感じてしまったのは、シアンが普段から、恐怖の仕置きを食らっているせいかもしれない。