災厄の襲来―対峙―
全身の血が沸騰するような怒りに任せ、シアンは身廊を駆け、聖歌隊席を突っ切る。そして、祭壇の前で反逆者を追い詰めた。
「それで逃げ切ったつもりかよ? 言ったろ……神が許しても、オレはお前を許さねえ。オレにすりゃ、お前は袋のネズミだ。聖域権なんか知ったこっちゃねぇッス。オレはお前を――――……何がおかしい!?」
肩を震わせ短い笑声を零す反逆者に、シアンは怒鳴った。仮面の顔がこちらを向く。
「……この私が、神に縋ると思うのか?」
「……っ!? お前、何する気だ――――……?」
背中を羽根でぞわりと撫でられていったような悪寒がした。
反逆者は祭壇の方へと手をかざす。シアンの動悸が一際大きくなった。
「……災厄の業火をもたらす火帝よ、全てを滅せ――リッダ・リゾルデ」
反逆者の黒衣の胸元が、赤く光った。すると、反逆者の手のひらを起点として、深紅の火炎が弾丸のようなスピードで放射された。
それは、祭壇はおろか聖餐台まで瞬く間に焼きつくし、奥の大理石像を貫く。さらに、傍に並ぶ何百もの彫像を溶かして――――奥の壁に大穴を空けた。
「神だろうと何だろうと、私の道を遮るものは全て破壊するだけだ」
事もなげに言った反逆者は、滑るようにその穴から抜け出る。あまりの暴挙にシアンが出遅れていると、頭上に大きな影がかかった。
「――――……っ!?」
高い位置に設置されていたパイプオルガンが、今の衝撃でシアンの方へ倒れてきたのだ。七千ものパイプを持つ巨大オルガンが倒れれば、反逆者が壁に空けた穴は塞がり、シアンは奴を追うためにかなりの遠回りを強いられてしまう。
(っつーか、その前にペシャンコになって、間違いなくお陀仏ッスよ! オレ!)
その前に、穴をくぐり抜けて反逆者を追わなければ。
「……動けポンコツ!」
シアンは驚きで床に縫い止められてしまった膝を殴り、呪縛を解いた。
地を割るような轟音を立てて倒れてくるオルガン目掛け、シアンは走る。最後は上体を反らして穴へスライディングした。
ギロチンをかけられるのはこんな気分だろうか。壁の穴を抜ける途中、シアンの鼻先をオルガンが掠める。シアンの頭が仰向けで外へ滑り出た時、背後でガンッと重い音が響き、壁に空いた穴は、倒壊したオルガンによって完全に塞がれた。
「……生き、てるッスよね、オレ……」
シアンは乾燥した頬を一撫でしながら言った。かさついた感触が指の腹に伝わる。大丈夫だ、生きてる。
まだこの世にいられることを神に感謝している暇はなく、シアンはすぐさま反逆者を追った。
大聖堂の背後のストリートには、まだ逃げ回っている住民がおり、軍の指示を受けていた。その横を疾風の如く走り抜け、反逆者との間を詰めていく。
シアンの足がずば抜けて速いせいか――意外と小柄な反逆者は、足がそう速くはないように感じられた。曲がり角で反逆者がこちらを見た時には、シアンは射程圏内に入っていた。
「止まれ!!」
シアンは指先を銃の形に構え、反逆者目がけて水の弾丸を数発放つ。その内の一つがフードを掠め、反逆者の髪が姿を現した。長い髪だ。一見赤毛のように見えるが、それは周囲を染め上げる炎が反射しているだけかもしれない。
そして最後の弾丸が、反逆者の仮面の装飾としてついていた鎖に当たった。振動によってか、仮面に亀裂が入り――――左側の一部が砕けた。反逆者が声なき声を上げる。
「……っ」
……あらわになった反逆者の左頬は、ひきつれていた。
シアンはそれが何か、よく知っている。自分の背中にも大きな跡を残しているからだ。……火傷の跡だ。
反逆者は初めて取り乱した様子で、手で頬を隠した。仮面越しに殺気が伝わってくる。だが、殺気を放っているのはシアンも同じだった。今すぐ反逆者の首に手をかけてへし折ってやりたいと思っているのだから。
「大火事を起こしているお前自身が火傷を負ってるなんて、間抜けな話じゃないッスか」
シアンは反逆者を嘲笑った。
「呪文を唱えて現れた火は、一定期間効力を保ち、水をぶっかけたり自然に鎮火しない限り、止められない。その魔石の使用者が呪文を止めれば放出される火は止まるけど、すでに生み出された分の火は、ただの火となって燃え続けるッスからね……襲撃中に自分で自分を焼いたりしちまったんスか?」
シアンの挑発的な物言いに、反逆者は風の魔石を握る手に力を込める。しかし、すぐ愉快そうな声で言った。
「……一つ忘れているぞ。同じ魔石を前回の使用者とは別の者が利用する時に、前回の魔法を無効にするよう想像しても、やがて火は止むだろう。だからニーベルの国民は困っているんだろう? 例えばこの風の魔石――……ジハード国王が国の安寧を願ってかけた魔法を私が無効化すれば、やがて風は止み、風力発電のニーベルは痛手を食う」
「――――っ。お前がそんな馬鹿な真似をする前に、オレがお前を止めればいい話だ!」
戦うか――――だが、まだ周りには人がいる。街の住民に被害が及ばないよう接近戦で――――……。
シアンは考えを巡らし、悩む。しかし、反逆者はシアンと同じように悩んではくれなかった。
この場から逃走するだけの反逆者にとっては、取るべき行動はシンプルだった。周囲にはごうごうと燃え盛る炎。自らの手には、風の魔石。反逆者は仮面の下で、不敵に微笑んだ。
「……私の勝ちだ。君には私を捕まえられない」
「何だと……っ」
「畏怖されし風帝よ、その力をもって烈火と結びつき、破壊し尽くせ! リッダ・リゾルデ」
反逆者の持つ風の魔石が白い光を放ち、落雷のように辺り一帯を光らせた。あまりの眩しさにシアンは一瞬目を瞑る。へそを引っ張られるような違和感に目を開けると、『あるもの』に、じわじわと吸い寄せられていた。
「な……っ」
……突如、街の中心で炎を伴う赤い竜巻が起こった。




