災厄の襲来―着火―
午後十一時三十八分。シアン一行は、やっとロシャーナの近くまで辿りついていた。
「ん……」
シアンは揺れる車も何のその、ぐっすりと眠り英気を養っていた。けれども、喧騒と鼻をつく匂いによって目を覚ます。
そして寝ぼけ眼が捉えた光景に、顔色を失った。
「……な、んで……ロシャーナが燃えてんスか……?」
辺りは紅蓮に染まっていた。
暖炉の中に放り込まれた紙のように建物が燃え、火の粉を天へと噴き上げる。街から上がる悲鳴さえ飲みこんで炎はうねり、爆ぜ、少し離れたこちらにまで舌を伸ばそうとしていた。髪の焦げるような臭いが、辺りに充満している。
肌を焼く熱気にさらされながら、シアンの鼻先だけが冷えていった。
「反逆者がリゼンタの方から下山してきて、そのままロシャーナを襲っているようだな……」
エリシアは握った拳を震わせながら言った。
「ロシャーナを通らねばリゼンタには行けんというのに、ロシャーナまでこれでは……見捨てることも出来ん。私とシアンはロシャーナに突入する。他の部隊は――……」
「ひゃあっ!」
街から火柱が上がるのと同時に、ニーカが悲鳴を上げた。
火柱は鋭い牙を持つドラゴンへと姿を変え、咆哮の代わりに火炎を噴き出し、テラスハウスを一瞬で燃え上がらせた。ニーカは自分の両肩を抱きしめながら、おぞましそうに囁く。
「一年前は襲撃っていっても、火柱や普通の火災だったのに……」
「反逆者は、魔石の使い方にどんどん慣れていってるってことッスよ」
シアンは吐き捨てるように言った。
「隊長、反逆者は今ならまだロシャーナにいるッスよね。風の魔石を奪われる前に捕まえないと、被害は広まる一方ッスよ!」
エリシアは頷くと、各部隊へ迅速に指示を飛ばし、関所を抜けロシャーナの街へ突入した。
突入後すぐにラゴウと合流出来たのは、シアンたちにとって幸運だった。ラゴウはロシャーナの地理に詳しい駐屯兵と協力し、住民の避難ルートを作り誘導していたため、シアンたちは魔石の安全を確かめる役目に回った。
「リブルハート評議員たちとの連絡がつかねぇから、風の魔石の場所は分かんねぇんです!」
同時進行で消火も進めるラゴウの声を後ろに聞きながら、シアンとエリシアは走った。
「隊長、あっち! あっちの方が派手に燃えてるッス! 反逆者はきっと、あそこッスよ!」
飛んでくる灰に目を細めながら、シアンは禍々しい空を背負って佇む大聖堂の方角を指した。ロシャーナには時計塔など、魔石の保管場所としてあり得そうな箇所がいくつかあるが、大聖堂へ続く道が一番燃えていることから考えて、反逆者がそこを辿ってきた可能性は高い。
「ああもう、邪魔ッス!」
「焦るなシアン、着実に消していけ」
「分かってるッスけど……」
台風が通過したあとのように、通りには物や瓦礫が散乱していた。シアンとエリシアはそこかしこで燃え上がる火を消していきながら、やっと大聖堂のあるストリートまで辿りついた。が、通りに広がる景色に、シアンは悲痛な声を漏らした。
「そんな…………」
絵画から抜け出たような街並みは、そこにはなかった。
代わりに石畳を埋め尽くすのは、火炎に焼かれても物言わぬ人たちだった。折り重なって倒れている母親と子供もいれば、性別が分からないほど焼け焦げてしまった死体もある。炭のようになった死体の中、口だった部位から覗く歯だけ無事なのが生々しい。開きっぱなしの口は、火の海の中、何を叫んでいたんだろうか。
(熱い、とか……苦しい、とか……どうして、とか……憎いとか……そんな気持ちを抱えたまま、死んでいってしまったんだろうか……)
中には皮膚が焼けただれ、地面に貼りついている亡骸もあった。シアンが何も言えないでいると、エリシアが一歩前に出た。
「――水帝よ、無残に散っていった無垢な魂に、慈悲の雨を降らせたまえ。リッダ・リゾルデ」
エリシアは通り一帯に雨を降らせた。それでもしぶとく死体に燃え移る火は、軍服を脱いで叩く。焼けただれて男女の判別がつかない亡骸にも、エリシアは臆することはなかった。
「救うことが出来ず、申し訳ない……」
亡骸に向かって、エリシアは悔むように頭を下げた。
こういう時、シアンは痛感する。エリシアは、自分とは違う。過去に囚われるシアンとは違い、彼女は高潔で、他人のために行動を起こせる人だと。
対して自分は、反逆者を前にして、感情を抑制出来るのだろうか。シアンは不安だった。
自分に対しもやもやした気持ちを抱えながら、シアンはエリシアと共に、火事場の中で不自然なくらい外観が無事な大聖堂へ向き直る。
正面に三つある青銅の扉の内、一つが開いていた。
中に反逆者がいる、シアンは直感的にそう思った。気配を殺し、二人は扉の内を覗き見る。
「いない……ッスね」
列柱のアーケードを見渡し、シアンは奥の祭壇や壮麗なパイプオルガンに一瞥をやる。何百もの彫像を素早く眺め、規則正しく並ぶ長椅子の一つ一つにまで、くまなく視線を走らせた。
「この大聖堂は確か、内部に書庫や聖具保管室があったはずだ。反逆者はそこで風の魔石を物色している可能性が高いな」
「じゃあ、だだっ広い中に侵入するより、このまま外で待ち伏せして、反逆者が出てきた所を捕えた方がいいッスね―――――って、え……?」
エリシアの発言にシアンがそう返した時、近くに転がる死体の山が、もぞ、と動いた。シアンは総毛立つ。
「どうした? シアン」
「た、たたた隊長! オレの後ろに隠れて下さいッス!」
「何だ、反逆者か!?」
「い、いや、死体が生き返――――……」
ズルリ、と死体の山から這いずって出てきた人物に、シアンは思わず悲鳴を上げかけた。
「ひ……っ! って……き、キルギス評議員……っ!?」
出てきた人物は、ずんぐりした中年のキルギスだった。




