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黒煙の立つ街

エメラルドグリーンの海に囲まれた島国・ニーベル。王都から蒸気機関車で一時間の距離に位置する街の入り口は、現在、切迫した空気に包まれていた。


「情報通信部隊より報告です。先に現地入りした捜索部隊とのモールス通信が途切れました!」


「医療部隊は負傷者の手当てを急いでくれ。避難の状況はどうだ、議員は無事かっ!?」


「キルギス評議員はすでに避難されているってよ!」


「ハーティス隊長! 駐在している軍から、援軍を出すとの申し入れが……」


 黒煙の立ち上る街並みを背に、絶叫と怒声があちこちで飛び交う。

その間を縫うように隊員は走りまわり、設営された陣へは、担架に乗せられた怪我人が次々となだれ込む。怪我人は皆、火災に巻き込まれた街の住民だ。

 数刻前に起こった火災は街を食い荒らし、先ほどから不規則に起こる爆発は、宵の空を血の色に染め上げていた。そんな地獄の空を切り裂く、凛とした声が一つ。


「これ以上の援軍は必要ない」


 きっぱりと言い切ったのは、エリシア・ハーティスだ。

見た目は十代後半の彼女だが、長いまつげに縁取られたロゼ色の瞳は、見る者を圧倒させる力がある。辺りを慌ただしく駆けている軍人と同様に群青色の軍服を纏ってはいるが、その身体はまろやかな曲線を描き、下はタイトスカートという出で立ちだった。スカートから伸びる長い足は、黒のピンヒールに縁取られている。


「あれは普通の火災ではない。四大元素の魔石エレメンタルラピスによって引き起こされているんだぞ。魔石を使えん奴らなど、足手まといになるだけだ。軍の奴らには『駐屯地のベッドを空けて、怪我人を受け入れる準備をしてろ』とでも伝えておけ」


 にべもなく言い、エリシアは艶やかな金糸の長髪を後ろへ流した。それによって、横髪に隠れていた泣き黒子が顔を覗かせる。同時に、目の覚めるような美貌があらわになった。

 命令を受けた男はエリシアより年上であるにもかかわらず、彼女の匂い立つような色気にぐらりときたようだ。


「……? いつまでそうしている。早く行かんか」


「は、はい! すみません!」


 エリシアの注意を受けた男は、我に返って敬礼すると、慌ててその場をあとにした。


「さて」


 カツン、と小気味よくヒールを鳴らし、エリシアは引き締まった腰に手を当てる。それから、向かい合って横一列に並ぶ部下たちを睥睨した。

整列する男たちの襟には、彼女と揃いの菱形のバッジが留められている。


特殊部隊ガーダーは、隊長である私と共に突入だ。その後は各自散開。武器は携帯しているな?」


「はいっ!」


 ガーダーと呼ばれた男たちは威勢のいい返事をするものの、ライフル銃どころか、銃剣すら装備していない。しかしエリシアの視線は、彼らの人差し指から小指に嵌められた四つのリングに注がれ、それを視認した彼女は「よし」と呟いた。


「任務内容は逃げ遅れた住民の救助、火災の消火、そして反逆者に奪取されたエレメンタルラピスの奪還と反逆者の捕縛……まあ、てんこ盛りだな。もちろん、人命救助を最優先とする。全員揃っているな? これより突入を――――」


「すいやせんハーティス隊長」


 野太い声が、申し訳なさそうに話を遮った。

 エリシアの鷹のような眼光が、声の主を捉える。見つめられた相手は、歴戦の猛者を思わせる風体の男だった。短く刈り込まれた髪の側頭部には、十字の大きな傷痕が走っている。


「何だ、ラゴウ。事態は急を要する。用があるなら手短に言え」


 エリシアが早口で促すと、呼ばれた男――ラゴウ・ブローキンは困ったように顎髭のそり残しを撫でた。


「いや……それがですね?」


「ああ」


「俺が、ちいっとですよ? ちいっと目を離した隙に、どうやらシアンの野郎が一人で先に突入しちまったみてぇで……」


「……ああ」


「いねぇんですわ、シアン」


 そう言ったラゴウは、樋熊のような巨体を縮こまらせて衝撃に備えた。整列していた隊員たちも皆、それに倣う。彼らは重々知っているのだ、このあとに来る――――……


「あの駄犬がああああああああっ!!」


 エリシアの怒声を。



 駄犬ことシアン・アストルは、火の海と化した街並みを疾走していた。

制服を着崩したい年頃の十六歳らしく、軍服のボタンをやたら外しているが、走っているせいで服装がさらに乱れている。亜麻色の猫毛もまた然りで、乾いた風に煽られていた。

おまけに蜂蜜色の目に火の粉が飛んできて、その場でもんどり打ってしまったことは本人だけの秘密だ。


「おっかしーな……。こっちの方角から悲鳴が聞こえた気がしたんスけどね……」


 乾燥した中を走っているせいで焼かれたように痛む肺を押さえ、シアンは呟いた。走るペースを落として、辺りをぐるりと見回す。


 現在地は、運河沿いの大通りだ。


 平素ならこの時間帯になれば、ガス灯の柔らかな明かりが水面を輝かせているに違いない。が、今は河に浮かぶゴンドラにまで火が燃え移り、石畳の道路を挟んだ向かい側の建物は、六棟先まで全焼してしまっている。さらに――――……。


「おわっ!?」


 たった今、集合住宅の隙間から見える教会で、爆発が起こった。植物の葉を思わせる装飾が見事だと謳われていた教会の尖塔が、大きな音を立てて崩壊していく。


「こりゃ逃げ遅れがいないなら、消火の方が優先ッスかね……」


 シアンは爆風に煽られた軍服の上から腰に手を当て、そう口にした。その矢先……


「きゃああああああっ!!」


 と、耳を劈くような悲鳴が、今の今まで見ていた教会の方角から上がった。


「……やっぱ逃げ遅れた人がいたんスか!」


シアンは素早く反応し、声のした方へ矢の如く走った。途中で火が回っていない路地を抜け、角を曲がり、教会前の広場へ躍り出る。そこでシアンは、盛大に顔をしかめた。


 そこには獅子がいた。

 いや、獅子というよりは、獰猛な牙と引き締まったしなやかな四肢を模した火の塊だ。獅子が歩く度に足跡が点々と燃えるせいで、四方は紅蓮の炎に包まれている。


「反逆者の火の魔石で生み出された獅子ッスか……悪趣味な……」


 忌々しく思いながら吐き捨てて、シアンは首を巡らせた。、目を凝らして、助けを求めた声の主を探す。が、見つけた瞬間、全身の血が凍る思いがした。

 シアンの視線の先では赤子を抱いた若い母親が、よりによって崩れかけた教会の入り口で蹲っていた。そしてその周りを、凶猛な獅子が囲んでいる。

 それだけでも非常に厄介な状態だが、事態はもっと深刻なことに、先ほど爆発した教会が現在進行形で火を噴いている。いつ柱が折れてもおかしくない。

 追い打ちをかけるように、教会のステンドグラスが弾け、破片が豪雨のように広場へ叩きつけられた。


 ――――迷っている暇はなさそうだ。


「そこの奥さんっ。水飲みたくなかったら、息止めて、赤ちゃんの口も塞いであげてッス!」


 そう叫んで、シアンはさっと右手をかざした。節くれだった人差し指から小指にかけては、四つのリングが嵌まっている。


「全てを呑み込み包容する水帝よ、我に力を貸せ! ――リッダ・リゾルデ」


 シアンの言葉に応えるように中指が光を放つ。正確には中指に嵌めたリングの石が、青い光を発した。すると何処からともなく水が現れ、空中に美しい螺旋を描く。 


「想像力なら負けねーッス。行けっ! 麗しいエリシア隊長のおみ足!」


 シアンがエリシアの足を想像すると、リボンのように円を描いていた水がギュッと凝縮された。大量の水は、五階建ての集合住宅より高い、すらりと伸びた足の形になる。特にふくらはぎの緩やかなカーブが見事に出来た――――ではなくて。


「隊長のおみ足、獅子を踵で踏んじゃって下さいッス!」


 シアンがそう言うが早いか、エリシアの足を模した水は、華奢なヒールで獅子を踏みつけた。

 母子へ今にも飛びかからんとしていた獅子は、ジュッと水の蒸発するような唸り声を上げてのた打ち回る。しばらくの間悪あがきのようにもがいていたが、やがて消えた。

 火と交わった水の足は、シアンの意思によってただの水に戻り、地面にベシャリと横たわる。


「よしっ。……おーい! 大丈夫ッスか!?」


 事態がいまいち呑み込めないのか、呆然とする赤ん坊の母親へ、シアンは大きく手を振りながら声をかけた。


「今そっちに――――……」


 そこまで言った時、地割れを彷彿とさせる音が響いて、シアンはハッと口を噤んだ。

 爆発の衝撃でヒビの入っていた教会の支柱が、とうとう折れてしまったのだ。ぎりぎりの均衡を保っていた教会が、見えない手で上から押されたように崩れていく。


「――――――――っ」


「怯むなバカ犬」


肝を冷やしたシアンの背後から、淀みのない囁き声がした。


「比類なく堅固な土帝よ、無垢な命を守りたまえ――リッダ・リゾルデ」


 矢継ぎ早に、教会前の石畳を突き破って土が隆起した。母子を中心にして、土が堅牢なドームを作る。余った土は蛇の如く教会の柱や壁を這いずって、崩れゆく建物を瞬く間に支えた。


「すっげ……」


教会の倒壊を防ぐために土が蔦のように絡まったところで、シアンはやっと我に返った。振り返った先にいた人物を確認するなり、だらしなく相好を崩す。


「隊長~っ! 助かったッスー! さすが隊長ッスよーっ」


 両手を広げて抱きつこうとするシアン。それを華麗に避けて行ったのは、上司のエリシアだった。

 冷静な状況判断力と、降ってくる瓦礫にびくともしない強力な土のドーム。それ目にした時点で、シアンは背後で呪文を唱えた人物の検討がついていたのだが、予想どおりの人の登場に、思わず「素敵ッス」やら「しびれたッス」などと、軽口を連発してしまう。


「大丈夫ですか」


 滑らかな髪を波打たせたエリシアは、動転している母子へ優しく声をかけた。教会の入り口へ続く階段を駆け上がり、ドームの中へ繊手を伸ばす所作には、一切の無駄がない。


「土の支えも長くは持ちません、さあこちらへ。我々が、街の外まで安全に誘導します」


「あ、ありがとうございます……っ」


 赤子の母親は、神の助けと言わんばかりにエリシアへ取り縋った。

しかし腰が抜けてしまっているようで、なかなか立ち上がれない。すかさず走り寄ったシアンが、彼女の腰を支えた。


「もう怯えなくて平気ッスよ。オレたちエレメンタルガードのガーダーがついてるッスから、ドーンと大船に乗った気持ちでいて下さいッス」


「あ、貴方たちは、そのリングに嵌めこまれた魔石ラピスの力で私と息子を助けて下さったんですね……?」


 赤ん坊の母親は、シアンの指輪を怖々見つめた。ごつごつしたシルバーのリングには、真中に小豆ほどの大きさをした石が埋まっている。


「魔石は我が国の支えだというのに……反逆者はどうして、魔石を奪ったのでしょうか……。この街の火災は魔石を……エレメンタルラピスを奪取した者によって引き起こされたのでしょう……?」


 尋ねられたシアンとエリシアは言葉を詰まらせ、決まりが悪そうに目を見合わせた。

 緊張の糸が切れたのか、赤ん坊の母親は、答えを聞く前に気を失ってしまった。



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