シアンの日常
その日の夜も、シアンは夢を見た。二年半くらい前の出来事だ。
乳歯のようにぽつぽつと、白いレンガ造りの家が緩やかな勾配に並ぶルーン村。その階段を上がっている時、ミザリーが「あ」と声を上げた。隣を歩いていたシアンの肩をチョンチョンとつつく。
「ここ半年くらい、あのおじさん、よくルーン村に来てるのよ」
シアンはミザリーの視線の先を追う。階段を上りきったところにある広場で、村では見かけない煌びやかな服を着た中年の男性が、一目で高価と分かる懐中時計に視線を落としていた。
「あの人、いつもコソコソしてて怪しいのよ……。でも身なりからして、かなり身分が高い人よね? 村に何の用かしら……」
「さあ? コソコソしてる割には、服装が自己顕示欲バリバリで目につくッスね……」
「でしょ? ……何なのかしら、ホント……」
ミザリーは心配事があると、シアンの裾を掴む癖がある。
裾を掴まれたシアンはミザリーの形のよい頭を撫でてやってから、階段の上にいる太った男――――ドートレーク・キルギス評議員を、もう一度見上げる。
そこで、深い海の底から引き上げられるように夢から覚めた。
「視察にしては、何度も来てたっぽいよなー……」
目覚めたシアンは、朝日の差し込む本部の寮のベッドから起き上がり、先ほど見た夢を思い返す。
前日のキルギスの、釈然としない受け答え。それについて洗顔の間中考えていたが、着替え終えた頃には、頭の中はミザリーへの手紙の件に切り替わっていた。
一昨日の襲撃事件でグシャグシャになってしまった手紙はさすがに送れないので、シアンは壁際に置かれた机に掛け、机上に転がっていた万年筆を手に、新しい手紙を書く。
「そういや、魔石の隠し場所のリゼンタもロシャーナもミザリーの住む町に近いし、『近寄らないように』って書いとかなきゃッスねー」
独り言を呟きながら、シアンは万年筆を走らせる。妹分への手紙となると、どうしても饒舌な文章になり、毎回博識ぶって『リングの力の使い方のコツはこうだ』とか、『訓練中に火のドラゴンを出して皆を驚かせた』とか、いらぬ自慢話まで書いてしまう。
短編小説くらいの長さになった手紙を書き終えたシアンは、本部の近くにあるポストに投函したあと、レイラーやラゴウと早い朝食をとった。
二人はそれぞれ、リゼンタとロシャーナへ数名の仲間を引き連れて向かうよう、昨日の内にエリシアから命を受けたらしい。準備が出来次第すぐ出発だそうだが、声のかからなかったシアンはつまり留守番組である。
当然、面白くなかった。
「何でオレが待機組なんスかーっ!」
サーモンと茸のテリーヌをフォークでぶっ刺しながら、シアンはふて腐れて言った。テリーヌはほどよくバジルが効いていて美味しかったが、今のシアンは食べ物どころじゃない。
「まあまあ、隊長も待機組だし、ええだろ、別に。ほれ、機嫌直さんかい」
ニシンの燻製やポトフ、カナッペの載った皿を次々シアンへ差し出しながら、ラゴウが機嫌を取る。口に入れた途端ほどけるような柔らかい肉に一瞬ほだされかけたものの、シアンは頭を振った。
「そりゃ、隊長と一緒は嬉しいッスけど! な・ん・で朝から飲んだくれてるレイラー先輩はリゼンタ守護の部隊長を任されてるのに、オレは留守番なんスか!?」
「ああん? 生意気言うじゃねぇの、シアンちゃんよぉ」
シアンの向かい側――ラゴウの隣に掛けるレイラーの周りには、徳利が散らばっていた。
「そいつはオメェ、あれだ、経験と、覚悟の差って奴だなぁ。シアンみてぇに、感情に左右されて先走っちまうような甘ちゃんには、部隊長は任せらんねーんだよ」
「…………覚悟……」
シアンは食べる手を止め、フォークの先を見つめて呟いた。
(やっぱり、憎しみに囚われているだけの今のオレは、いけないってことッスよね……)
昨日、戦闘訓練の際に聞かされた内部の犯行の可能性。それを聞かされた瞬間、胸の内に渦巻いた黒い感情をシアンは思い出し、シアンは俯いた。シアンの元気がなくなったことに気付かないレイラーは、酒を呷りながら言う。
「分かったらテメェはいい子ちゃんにして待ってるんだなぁ。俺の説教に感謝しろよぉ」
「酔っ払いのお前さんが言っても説得力が皆無だろが」
ラゴウがレイラーの頭を叩きながら言った。
「シアン、お前さんも。他にも待機組の奴らはいんだし、そう拗ねんなよ」
「え? あ、はいッス……。不満ばっか零して、すいませんでした……」
気もそぞろに返事をし、シアンは黙って皿に載った料理を平らげた。




