第五章 星屑の種 第九話 バカンス真っ最中にしてクライマックス
船体がみしみしと軋む。とてつもない強力な力が後方の竿のリールがラインを通じで伝わって来る。これは、間違いなく大物のあたりだ。
このままでは、船が転覆してしまう。もっとも、この船は潜水機能もあるので転覆しそうになれば、瞬時にシールドで覆われる。そうなれば、例え、船体にひびや亀裂があろうとも浸水は阻止される。
もちろん、そうしないよう、一刻も早く船体を立て直さないといけないのだ。
「タンク、何やってんの。早く、船を安定させなさいよ」
流石のタンクもこの状態では、アリサの啖呵にも逆上したくなりそうである。もちろん、冗談抜きで、懸命に取り組んでいるわけだが、引きが想像を遥かに越える力だったのだ。
「お嬢が、大物釣りの醍醐味を味わいたいって、さっきセンサをブチ切っちまったから、それを再接続するには早くても30分はかかりますぜ」
タンクはキレそうになる気持ちを抑えながら、いつもの軽い調子で話すのが、精一杯だった。
「ナニその遅さ。線ぶち切っただけなのよ!
コネクタ外さずにレーザーカッターで切ったことは謝るけど。ついでにデスクも真っ二つにしちゃったけど。つなぐだけなら、5分もかからないでしょう!」
「今、左後方下から、物凄い力で引っ張られてますからね。
グレッグが操舵で船を安定させるだけじゃ危ないんですよ。俺が補助エンジンを調節しながら、姿勢を保っているんですから」
「あんたたち、ナニ先史時代的なことやってんのよ! そんなことしなくても、オートバランサーがあるでしょ。故障でもしたの?
全く整備士は何してんのよ? 遊ばせる為に高い給料払ってんじゃないわよ。あついら、減給よ!」
「それも、出航前のパーティの席で、お嬢が船体制御のシステムの一部をシャットダウンした上に、再起動できないよう心臓チップを海に投げ捨てちまったじゃないですか。
機械に頼らない、優雅な船旅をしたいとか言い出して」
「・・・・・、」
「幸いラボは影響受けませんでしたから、あれの製造は出来ますがね。ネットもかなりお嬢が止めたんで、設計図のダウンロードとマシンのセットアップに3日はかかりますぜ」
アリサは思い出した。そう言えば、酔った勢いで、今、タンクが言ったようなことを口走り、自ら率先してやってしまっていたことを、・・・・・
これは、あちゃーとかいうレベルではない。だけども、タンクもグレッグも、全く慌てていない。ホセ爺ちゃんと孫娘のカルメンさんは優雅に演奏しているし、古株クルーも鼻歌でも歌いながら、タンクたちの補佐をしている。
「アリサ嬢ちゃん、そう心配しなさんな。こちとら、あんたの親父さんと、その親父さんに、これ以上のさんざんな状況に晒されてましたから。
これしきのことなんざ、大したことありませんぜ。なあ、おまえら」
「ああ、大したことはない。軽い、軽い」
流石、無茶ぶり大王だった父や祖父の部下というべきか、こいつらなら99パーセント死に体でも、蘇生しちまわんばかりの余裕を見せてくれている。
「じゃあ、お前たち、任せたぞ! この獲物見事捕獲したら、特別ボーナスを出してやる! 望みのものを言え! 可能な限り実現してやる!」
アリサは、クルーの歓声が揚がり、大いに盛り上がると踏んだのだが、意外なことに場は、しらけムードに陥った。
問題は、アリサが言った『望みのものを可能な限り実現してやる!』だった。
夢見で大博打打ちの祖父や父親と違い、現実的なアリサらしい物言いなのだが、嘘でもここは、『何でも望みのものやろう!』と、言うべきなのだ。
アリサの用心深い一言で、皆の気が抜けたのか、それとも見せ場を作って、アリサを楽しませる為にわざと気を抜いたのか、船は急激に後部を引っ張られ今にも垂直立ちしそうにゆっくりと傾き始めた。
「こりゃ、ヤバイぞ! 若造、ふざけてる場合じゃないぞ!」
さっきまで優雅に音楽を奏でていたホセ爺が、すっくと立ちあがり、傾斜にと重力に抵抗しながら、タンクに近寄り、目を見開いて真剣な顔で怒鳴りつけていた。
「おい、若造。ふざけるのもいい加減にしろ!
俺は多少、お前たちの戯言に付き合ってられすがな。カミさんと娘は一般人なんだぞ。 少しはわきまえろ!」
「いや、ふざけちゃ居ませんせ。ご隠居。こりゃあ、とてつもない力です。このままじゃ、マジで海中に引きずり込まれます!」
「だったら、早く立て直せ。この大馬鹿者が」
ホセ翁は、更に急になった傾斜に逆らい、妻と娘のいる席へ戻り。自分と二人に固定安全シートに座り、ベルトをかけた。
タンクらも、最悪の状況を考え、警報を放ち、全員シートの安全ベルトをかけた。
「グレッグ、応急処置だ。お前と船のコンピュータを接続しろ!
大急ぎで頼む。モニタ上は、まだまだ余裕に見えるが、これは一気に来ちまうぞ!」
グレッグは、タンクが言いきらないうちに、無表情のまま、皮膚を頭から肩口まではだかせ、金属骨格を露にした。そして、首の根元から蛇のようにうねうね動く、10本の色違いのケーブルを這い出させた。
そのうちの赤いケーブルが、壁側面にある小さな穴に入り込むと、平面だった壁に四角い切込み線が入り、更にその切込みが内側に沈んで左右にスライドすると、端子群が現れた。
今度は残りの9本のケーブルが、うねうねと壁をはいずり、その四角い切込みにまるで目でも持っているかのように、周囲を見渡し、集合したコネクタを覗き込んで確認し、これだというコネクタを捜し当てると、自ら接合した。
グレッグの目は白目をむいたように、瞳がなく、虹色の光を一定のリズムで、点滅し始めた。
これまでずっと人の皮を被っていたグレッグに見慣れていた彼らは、どちらかといえば、懐かしい光景なのだが、人間の皮膚が剥がれ落ちたように見えて、気持ち悪くなり。思ず嗚咽をもよおしそうになったが、ぐっとこらえ飲み込んだ。
船の傾斜は戻りも止まりもせぬまま、ゆっくりと船尾が引き込まれる形で傾いている。
ほんの数分前まで、船内は大物釣りの余興で、軽いパーティ中だったが、船の異変と共に飲食物は再生機へ放り込まれ、食器も片づけられた。船内セイフティ機能が働いたのだ。
掃除だけは苦手なアリサが、この装置の回路を切断しなかったのは幸いだった。
船体は更に傾き30度くらいまでになった。山の斜面であれば、眼下を見下ろせば直角に見えるし、ものに捕まらないと立ってはいられない角度である。
「グレッグ、まだなのか・・・・、おい・・・・」
こういうときはマシンに徹してしまうグレッグは、何も返答してくれない。白目が無音で、色が点滅するだけで、状況は全く分からない。
更に角度は上がっていく、椅子に固定しているとは言え、重力がかかるとさすがにきつい。
ついに、45度になってしまった。こんなことになってしまうとは、これはもうヤバイどころではない。いい加減、ラインを切断して釣りを諦めるとかしないのかと、一般人なら考えることだが、この人たちは一般人ではない。
彼らは、プロの漁師であり、荒くれ者であり、非常識な人々なのだ。己の意地、己が決めた意志、己の誇りが全てなのだ。
タンクは船首の推進エンジンを噴射して、船体戻しを行っている。ソーラーエネルギーを使っているとはいえ、消費力の方が若干勝っている。エネルギー量は、40パーセントを切ってしまっている。切れれば、海中に引きずり込まれること間違い無しだろう。
港を出航して、まだ二時間だと言うのにこんなクライマックスな状況になろうとは、一体誰が疫病神なのだろうかと、考える余裕は、今は無いだろう。
「これは、楽しませてくれるじゃないの! この大物は絶対に揚げるのよ! いい?」
やはり、アリサもあの祖父の、あの父の娘である。恐怖はしたものの、次第にそれが興奮に変わり、勇気とやる気と意地が出て来たのだ。
99パーセントの逆境でも、桃源郷に切り替えらるメンタルを持っているのだ。
「へい、ガッテンでさあ。お頭!」
クルーもそれに呼応した。
やがて緊急シグナルが鳴り響くと、船体の開いてる空間が、瞬く間にシールドで覆われた。船首の推進エンジンは稼働中だが、角度は50度だ。
何が起こってもおかしくない状況だ。
こりゃ無理かな? アリサと、クルーはそう思ったのか。へらへら笑ながら、笑みを浮かべた。
そして、船体はグイっと下方に落ち込んだ。
落とし穴にでも落ちたかのように、船体は海中に一瞬で呑まれてしまった。
その海上を海鳥が何事も無かったかのように、優雅に飛び、魚が海面を跳ねていた。




