1-(6) 旅の始まり
その後の経過を纏めよう。
目の前で起こった事態にエリスが唖然としていると、暫くして武装した集団──街の警備
隊員らが駆け付けてきた。
流石に騒ぎが騒ぎだけに無視出来なかったのだろう。
だが、デトが商会で話していたように、彼らは別段事の詳細を精査し、正義を維持しよう
というつもりではなかったのだ。
何故なら彼らは、巨大な瓦礫の山の中で伸びているゴロツキ達を片っ端から掴み上げると
酸っぱい表情で「面倒な事を起こしやがって」と悪態をつき、事情聴取もろくにすること
なく、そのままゴロツキらを連行し始めたのだから。
公の正義よりも、自分達に降り掛かる火の粉を払う為──。
エリスが彼らから受けた印象は、大よそそんな所である。
最初はエリスを始め、たまたまその場に居合わせた人々も共に連れて行かれそうになった
のだが、警備隊はふとエリスの身なりを認めると「……違うな」と言って解放した。
おそらくスラム街の住人でないと判断されたのだろう。
しかし事実難を逃れた筈なのに、エリスは釈然としない気持ちが膨らむのを感じていた。
「……行ったか?」
「あ、はい。……あの。これいいんでしょうか? さっき、関係ない人達まで連れて行かれ
ちゃったみたいなんですけど」
「助けに行くってのか? 止めとけ。警備隊の目的は逮捕じゃねぇよ。ここみたいな掃き溜め
の人間を、この街から排除したいだけだ。そうすりゃあ面倒事も減るし、対外的にも格好
がつく」
「……」
そうして警備隊が去ったのを見計らって、ようやく物陰に潜んでいたデトが姿を見せた。
エリスは控えめに、しかし確実に良心が痛んで彼に訴えてみたが、当の彼はまたも諦めの
境地が如くそう応えるのみだった。
確かに、むしろ彼の方が──本当に“死に損いなら”──彼らと顔を合わせるのは色々と
拙いのかもしれない。だが元はとは言えば自分の我が侭なのに……。
「……悪いな。結局お前の荷物、ぐしゃぐしゃになっちまった」
すると、浮かない表情で表通りの方を見つめていたエリスに、ふとデトが近付きながら声
を掛けてきた。
手渡されたのは、間違いなく一度は盗まれた自分の鞄。
但し先刻ゴロツキ達によってドブ川に捨てられてしまった為、外も中も酷く汚れてぐしょ
ぐしょになってしまっている。文字通り身体を張ってくれた彼には悪いが、おそらくもう使
い物にはならないだろうなとエリスは思った。
「いいえ……。私の我が侭に付き合ってくれて、すみませんでした」
だけども。エリスはむしろ彼に深く深く頭を下げていた。
文句を言う気にはなれなかった。言う資格もないと思った。最初話を聞いてくれた時に彼
が言っていたように、自分の不注意がいけなかったのだと思うことにした。
鞄ですらこの有様なのだ。きっと今頃、祖母のロケットはドブ川の奥深くに沈んでしまっ
たのだろう。瓦礫と用水路が雑じり、最早足を踏み入れようという気も湧いてこない。
(ごめんね……。ごめんなさい、おばあちゃん……)
心の中で、遠く故郷で待ってくれている筈の祖母に何度も謝る。ボロボロと、自分でも制
御出来ずに涙が零れる。
「……戻るか。ヒューも路銀を用意して待ってくれてる」
「……はい」
だから殊更に、デトがそう自分の心情を見抜いていると感じ取れたからこそ、エリスは敢
えて言葉少なく促してくれた彼の背中が、とても大きく優しいものに見えて……。
「──そうですか。それはまた、随分と面倒事でしたな」
スラム街の混乱を抜けてヴァンダム商会に戻った頃には、日は既に暮れ始めていた。
最初とは違い、夕陽の茜が差し込む会長室。二人から一通りの話を聞いたヒューゼはそう
相変わらずの営業スマイルで呟くと、ちらりと壁に背を預けたデトを見遣っている。
面倒なこと。それはおそらく自分に彼が“死に損い”であることを知られてしまった内容
も含まれているのだろう。
心持ち、後退り。
まだ世間をよく知らないながら、エリスは直感的に身を硬くする。
「……そうビビる事はねぇだろ。通報する気か? あの税金泥棒どもに」
だが当のデトはさして深刻と捉えていなかったようだ。
むしろ自分を売る真似が出来るのか? そう問うように流し目を寄越してくる。
エリスはサーッと自身が青褪めるのが分かった。もしあのゴロツキ達を全滅させた一撃を
自分一人に向けられれば、先ず助からない。どんな“輝術”だのトリックだのを使ったかは
専門家ではないのでさっぱりだが、敵に回すべきではないことは馬鹿でも分かる。
「安心しろ。つーか、娘っこ一人の目撃だけでビクビクするような俺じゃねぇっての。逃げ
回るのは慣れてるんでね」
デトはふっと自信ありげに笑っていた。そういえば彼は、あちこちを行き来しているとい
うような話していた事を思い出す。
……あれはきっと、一所に落ち着く訳にはいかない身の上だからなのだろう。
そう思い返すと、彼の言葉が途端に重みと虚ろさを増すようで……エリスはそのままじっ
と黙り込んでしまう。
「ですが、用心はしておいた方がいいですよ? 既に誰かがデトさんのことをお上に通報し
ているかもしれませんし」
「まぁな……。仕方ねぇ、また何処かへ出掛けるかなあ」
「……あ、あのっ」
そうしてデトとヒューゼがそんなやり取りを交わしている中、はたっと俯き加減になって
いたエリスが顔を上げて声を強めた。
怪訝に見遣ってくる二人。肩の上でキョロキョロと辺りを見回しているチコ。
彼女はぐるぐると、今まさに思考の中にあるものを吐き出そうと口を開く。
「私……村に帰ります」
「……。ああ、そうしろ。荷物もあんな状態だし、帰りはヒューの所で送って──」
「デトさんと一緒に」
「はぁっ!?」
今度は、デトが面を食らう番だった。
眉間に皺を寄せ「何言ってんだお前?」とでも言わんばかりに半眼を向けてくる彼。
そんな彼に──祖父を知っていると語った彼に、エリスは言う。
「デトさんには一緒に村に来て貰いたいんです。おじいちゃんは死んでましたって私が話す
よりも、別の誰かが、おじいちゃんを知っている人が話した方が皆も納得してくれるでしょ
うし……」
「そ、そりゃあそうかもだが……。お前、スラム街で俺のアレを見ただろ? 一応お尋ね者
なんだぞ、俺は。そんな奴を連れて歩くなんざ──」
「だからこそですよ。あれだけ強ければ、また悪い人に狙われても平気です」
デトが、苦虫を噛み潰したような表情で固まっていた。
エリスはそんな彼をついっと見上げ、ヒューが見開いた目から「ほう……?」と妙な笑み
の表情に変わり出す。
「それに……私にはデトさんが悪い人だなんて思えないんです。あの時、おばあちゃんから
預かったロケットが荷物ごとドブに捨てられた時、デトさんは自分の事のように怒ってくれ
ました。想い出はお金みたいに替えが効かないんだって、親身になってくれました」
デトがそっと視線を逸らし、顎鬚を擦るヒューゼと顔を見合わせていた。
何よりも、エリスはようやく内心で納得する。自分の放った言葉に納得する。
「デトさんは──きっとホントはいい人です」
そうだ……。彼を“悪人”として勝手に裁くべきじゃない。
彼は捜していた祖父のその後を知っており、きっと誰よりも優しくて。
だからこそ、あそこまでじっと世界が放つ虚しさと闘っていて……。
「……こりゃあお嬢ちゃんに一本取られましたね、デトさん?」
ヒューゼが破顔していた。にんまりと笑い、ポンと眉を顰めるデトの肩を叩いてみせる。
「いいじゃないですか。どうせまた遠出しないといけなくなるなら、彼女の護衛の仕事って
形で行って来たらどうです? ……色々始末がつきますしね」
「ふん……」
鼻で笑おうとしつつも、デトの表情は冴えなかった。もしかして案外押しには弱いのかも
しれない。伸び放題の白髪をガシガシ。彼は大きな大きなため息をついて言う。
「……分かったよ。行きゃあいいんだろ、行けば。言っとくが、俺は高く付くぞ?」
エリスがにこっと笑い、チコが小さく鳴く。
ヒューゼが目を細めて呵々と笑い、言い放って嘆息をついたデトをそれとなく慰める。
少女と青年(と一匹)の旅が、始まろうとしていた。