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死に損いのデッドレス  作者: 長岡壱月
Phase-1.白髪紅眼の男
6/35

1-(5) 死に損い(デッドレス)

 デト曰く、先程店先に顔を出してきた男は、彼が途中路地裏から引っ張り出してきた即席

の斥候らしい。前金を握らせ、先ず自分を襲ったスリ集団の目星を絞っていたのだそうだ。

 蛇の道は蛇……ということか。

 店の外で情報と引き換えに再び──より多くの金を貰い、嬉々として路地裏に消える男を

見送りながら、エリスは暗澹たる気持ちを抱いていた。

「そんなしょっぱい顔すんなって。とんずらされなかった分、律儀な部類だったと思うぜ。

幸先はいい方だ」

 それでも、俯き加減になる彼女の内心を気取っても、一方のデトはとうに割り切ったと言

わんばかりの淡々とした声色で歩を進めてゆく。

「人は利で釣れる。商人の国なら尚更にな。……まぁ例外っつーか、奇特な連中もいない訳

じゃねぇんだが」

 フッと笑う彼の横顔。エリスはまただと思った。

 出会ってからずっと、彼から受けている印象──諦めの境地のようなもの。

 事実ずっと自分の方が若い。村からあまり出た事もない、世間知らずの言い分なのかもし

れない。

 でも……何故だろう。

 彼には、もっと心の底から笑って欲しいのにとエリスは思う。

 すたすたと進むデトの背中を追い、エリスはエル・レイリーの街中を歩いた。

 商店や露店が軒を連ねるメインストリート。その各所で静かに口を開ける路地裏への小路

に、二人は出たり入ったりを繰り返す。

 そうしている内に、ふと周囲の雰囲気が変わっている事にエリスは気付いた。

 一言で形容するなら、猥雑──スラム街。

 人でごみごみとしているのは表通りと同じだが、ここには金儲けにギラギラする視線は殆

ど感じられない。在るのは、その競争から零れ落ちた人々の落胆と怨嗟の気色だ。

「あの……」

 不安になって、思わずエリスはデトを見上げた。

 すると彼は既に彼女の言いたいことに予想はついていたようで、

「ここの連中に妙な情を掛けるなよ。それが一番、奴らには頭に来ることだからな」

 ほんの一瞬の一瞥すらなく、彼は歩きながらそっと語ってくれる。

「……貧乏は、悪じゃない。そこから“堕ちた”時に初めて、そいつらは悪人とレッテルを

貼られるんだ」

 最初何を言いたいのか分からなかったが、エリスは只々頷くしかなかった。

 世界最大の交易都市。その裏側では、持たざる者達が虚ろなたむろのまま日がな一日を過

ごしている姿が広がっている。

 光と闇。月並に言えばそんなコントラストなのだろうか。

 華やかさの裏で──デトだけではなく──こんなにも多くの人々が絶望、しているなんて……。

「私、ここに来てよかったんでしょうか……?」

「いいも何も、俺はお前が盗られた所を見てねぇんだ。ホシの顔はお前の記憶任せだぞ?」

「え……。えぇ~!?」

 言われて確かにと思いつつ、不安やら何やらがどっと押し寄せてくる。

 正直逃げ出したくても、自分一人(チコはいるが)でこのアウトローな一帯を抜けられる

気などまるでしない。

「……うぅ。分かりましたよお。は、離れないで下さいよ?」

 きゅうっと。エリスは彼の上着の裾を握る。

 へいへい。当のデトはあしらうような声色で返事を寄越し、半眼でこちらを一瞥する。


 それから二人(と一匹)は裏路地──スラム地区の中を調べて回った。

 事前にある程度犯人グループの縄張りは絞り込んであるとはいえ、街の規模が規模だ。足

で把握するにはやはり時間が掛かる。ひび割れ、少なからず崩れたままの路や家屋に踏み込

む度に、スラムの住人達からは一斉に睨みガンが飛んだ。

 デトは何処吹く風と受け流し、エリスはその度に面白ほどに怖気づく。

 彼に「よく見ろ。いねぇか?」と言われて見渡してみるが、記憶にあるあの一団の顔は何

処にも見当たらない。

 エリスがふるふると、すっかり涙目になって首を横に振ると、デトは「またハズレか」と

呟き彼女の首根っこを掴んだまま、また一つとたむろの場所を後にしてゆく。

 ──そうして、どれだけの場所を回った頃だったろうか。

「チッ……質にもならねぇなんて。今日はハズレか……」

 ふと二人が進む先、その一角にある店らしき建物から、一人の男が出て来るのが見えたの

である。

「ッ!? デトさん、あの人です! 私のロケット持ち逃げした人!」

「ほう」「え……?」

 間違いなかった。あの時エリスに声を掛けてきた、作業着姿の男だった。

 傍らのデトが、視線と叫びの向こうで男が、それぞれに目を細め目を見開きまるでスロー

モーションの世界の中でお互いを見遣る。

「──?」

 その、次の瞬間だった。

 フッとエリスの頬を風が掠めた気がした。頭に疑問符が浮かびながら、のそり彼女はデト

の方を振り向こうとし……。

「だはぁっ!?」

 男が急に悲鳴をあげ、にわかに轟音が鳴るのを聞く。

 隣にデトはいなかった。代わりに彼は男の至近距離まで間合いを詰め、左拳を彼の立って

いた質屋の壁にめり込ませている。まるで豆腐でも握り潰すように、バコッとその拳が壁の

中から引っ張り出されていた。

「……ちっ」

 デトが一瞬で駆け出し、拳を振り出した。

 男はその攻撃を殆ど本能で、何とかギリギリに回避した。

 そう理解が追いつくのに、エリスはたっぷり十数秒の時間を要していた。

 次いで、脳裏に満ちていくのは「あり得ない」というフレーズ。

 彼自身は何の造作も無くやってのけたが、普通──いくら廃墟に近い場所でも──石材の

壁を拳で打ち抜くなんて真似など……出来るものなのか。

「ひ、ひぃっ……!!」

 男は腰を抜かしながらもその場から逃げ出そうとしていた。その手には小さな鎖で繋がれ

た首飾り──エリスが祖母から預かったロケットが握られている。

「逃がすかっ!」

 男が路地の奥へと駆けてゆく。

 その姿を追って、今度はデトは一気に跳躍。──これもまたあり得ないレベルの身のこな

しで周囲の建物に次々と飛び移っては、彼もまた路地の奥へと消えてゆく。

「……。え? ちょ、ちょっと待ってデトさん! 置いてかないで下さいよ~!?」


 エリスは猛然と飛び出して行ったデトを追って、スラム街の只中を駆けた。

 姿はあっという間に見えなくなったが、遠くから悲鳴や轟とした破壊音が聞こえてくる。

彼が追跡しながら暴れているのだろう。

「キュッ、キュッ!」

「あっち? うん。オッケー」

 どうやら彼の匂いを覚えていたらしいチコの嗅覚を頼って、エリスは入り組んだ路地の中

を往った。最初は強面だったここの住人達も、突如起こった騒ぎに慌てふためている様子が

あちこちで散見される。

(デトさんって……もしかしなくてももの凄く強いんじゃ……?)

 今更だが、エリスは思った。

 あの最初の一撃、彼を追い始めた際の跳躍。どれを見ても常人の域ではない。

 ヒューゼ会長は賢い選択をしていると思った。あんな人を敵に回したら大変な事になるだ

ろう。むしろ厚遇でも味方に抱え込めば、いざという時に大きな働きをしてくれる。 

『言ったろ。腐れ縁だって。あいつとは、商会が立つ前からの付き合いだからなあ……』

 尤も、あの二人の間にはそんな打算以上の──友情があるように、エリスには見えていた

のではあるが。

 そうして走っていると、ようやくデトの姿が見えた。

 既に一戦を交えたのだろう。男とその部下──隙を突いて自分の荷物を奪っていったあの

若者達が、激しく崩れた瓦礫の上でボロ雑巾になっている。

「おう。やっと来たか」

「おう……じゃないですよ、何やってるんですか!?」

「何って、シメてんだよ。取り返すんだろ? 荷物。持ち金はいくらだったよ? 今こいつ

らから巻き上げて──」

「そ、そこまでしなくていいです! デトさんにそんな事までさせちゃったら、ど、どっち

が悪者か分からなくなっちゃうじゃないですか!」

 もう大分時既に遅しな気はしたが、それでもエリスは彼の猛攻を止める事を選んでいた。

 確かに取り返して欲しいとは思った。だけど、その為に暴力を振るっては結局同じ事をお

互いに繰り返すだけではないか……。

「……お前は優しいな。いや、甘いのか」

 そんな彼女を、デトは肩越しに見遣っていた。

 ぞくりとエリスの背筋に悪寒──のような畏れのような何かが奔る。表情こそ自分に微笑

み掛けてくれてはいるが、十中八九、彼には止める気がない……。

「く、クソが……っ!」

 するとそうした二人のやり取りを隙と見たのか、男──スリグループの面々が瓦礫から立

ち上がっていた。

 満身創痍。だがその身体を鞭打つように、彼らの感情には怒りの炎が点っている。

「何なんだよてめぇは! 此処に攻め込むなんざ正気か? ああ!?」

「馬鹿だろ? こんな大した金にならねぇもんばっかり取り返そうなんて。ったく、今日は

とんでもねぇ厄日だ……」

「欲しけりゃ取って来いよ。こんなゴミばっかの荷物、こっちから願い下げだ!」

 言って男と、エリスの鞄を持っていた若者が、相次いでその手の中の品々を力任せに投擲

していた。旅の着替えや食料を詰めた鞄、エリスが祖母から預かったロケット。それらが放

物線を描いて側方──フェンスの向こうを流れるドブ川へと吸い込まれていく。

「……ッ!?」

 エリスの目がまん丸に見開かれてた。ぼろっと、涙が勝手に溢れ出す。

「おばあちゃんの……ロケット……」

 汚れ切ったドブ川の中に音を立てて落ちてゆく荷物達。何よりも祖母の思い出の品。

 その一部始終を見せ付けられ、エリスはその場で膝をつき泣き崩れていた。肩の上のチコ

も主人の嗚咽に動揺しているのか、しきりに短く鳴いては彼女の頬を舐めている。

「……てめぇ」

 すると、哀しみの向こう側で声がした。

 否──怒声だ。気配だけしかエリスには分からなかったが、自分達とスリグループらの間

に立つ彼が静かにしかし恐ろしく強く憤っている。

「この下衆が。だからカネしか見えてない輩は気に入らねぇんだよ……」

 エリスが涙目のままゆっくりと顔を上げる。横顔のデトは、激怒していた。

 他人の筈なのに。なのに、まるで自分の事のように怒っていて──。

「じゃかましい! 野郎どもやっちまぇ!!」

 男──集団のリーダー格が叫んでいた。同時に部下な若者達が腰や懐から小刀ドスを取り出し

てデトに襲い掛かる。

 エリスが叫ぶのとほぼ同時だった。複数の刃が、雄叫びと共に棒立ちのデトの身体へ次々

と吸い込まれていった。

 ぐらぐらと、エリスの瞳が揺れる。

 ごめんなさい。私の我が侭の所為で、貴方が──。

「……痛ってぇなあ。こんにゃろう」

『ッ!?』

 だがデトは、そうは呟きつつもまるで効いている様子がなかったのである。

 エリスと同様、目を見開いてよろよろと後退し、立ち尽くすゴロツキ達。

 デトは身体に刃が刺さったままで、

「ぬんっ!」

 適当に一人の脳天を掴むと、そのまま石材の地面にこの若者の身体を叩き込む。

 一同が言葉を失っていた。反撃を受けた当の本人は白目を向いて口から血反吐を吐き、そ

のまま陥没した地面に突っ伏して動かなくなった。

「……ったく。無駄に“消耗”させやがって」

 やばい。本能的に悟った面々が大きく後退りをしていた。

 それでもデトは睨みを利かせたまま、まるで無駄毛を抜くかのように軽々と、自身に刺さ

った小刀ドスを抜いてはその場に投げ捨てる。

「カネみたいな物はいくらでも替えが効く。でもな、想い出みたいなのは……それ以外に替

えが効くようなもんじゃねぇんだよ」

 ──言葉よりも、圧倒的な驚愕がそこにあった。

 確かに深々と刺さった筈の小刀ドス達、その傷口。

 間違いなく血が流れ出していたそれらが、突如電気のような血色の奔流を纏いながら急速

に塞がっていったのである。

 ボキボキと、拳を鳴らしてゆっくりと近付いていくデト。

 そんな尋常ではない異変に、やがて男がハッと──恐怖に顔を歪めて何かに気付いた。

「お前……まさか“死に損いデッドレス”か?」

 震える声色に、仲間達が今までに無いほどの怯えた表情で彼を、互いの顔を見合わせる。

「デッドレスって……まさか、あの?」

「今まで数え切れない人数の術師を殺して回ってるっていう“忌術殺し”の!?」

「あちこちの国が血眼になって捜してるっていう、不死身の──“白髪紅眼の男”……」

「……ああ。どう呼ばれてるかは勝手だが、そりゃあ俺だ」

 デトの至極面倒臭そうな声。

 次の瞬間、面々の悲鳴が遠慮なしに重なった。

 中には腰を抜かしてその場に倒れ込む者もいて、場は一気にパニックに陥る。

(デッド、レス……? デトさんが……?)

 そんな彼の背中を見つめながら、エリスもまた唖然とその場で動けなくなっていた。

 噂になら聞いたことがある。

 如何なる傷もあっという間に回復し、世界中で不正を働く輝術師らを抹殺して回っている

という──表向きには大量殺人を繰り返す大罪人。人呼んで“死に損いデッドレス”。

 彼が、私の為に怒ってくれているこの人が、そんな札付きのお尋ね者……?

「な、何でそんな奴がこんな所にぃ!?」

「……さてな。恨むんなら、今日という巡り会わせを恨むこった」

 戸惑いが、目の前の現実と巷説のギャップが、エリスを搔き乱している。

 そんな彼女をそっと肩越しに一瞥し、ニッと口角を吊り上げて。

「──消し飛べ」

 次の瞬間、男達を周囲の街並みごと、彼はその血色に迸るエネルギーと拳で以って破壊の

渦へと吹き飛ばしていた。

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