2-(5) 歯車を伝う
「──よし、ここで休憩とする。軽い食事なら許可するぞ!」
“死に損い”がトーア同盟領内を移動しているとの情報がもたらされたのは、ほんの
数日前のことだ。
何処の誰からの提供かは知らない。ただこうして国軍が動いているということは、相応の
証拠が伴っているのだろう。
リノン・パーシュは、司令官の指示で思い思いに散っていく兵らに交じって周囲を散策し
てみることにした。
緩く束ねられた深い紺色の長髪が揺れ、白地のマントが胸元のピンで留められて静かには
ためいている。トーア連峰の山々。この稜線を何度超えれば国外に出るのだろうか。
(……急き過ぎよね。いくら何でも)
本来なら、聖教国の精鋭部隊を掻き集めてくるのが筋だ。
なのに軍上層部はそれよりも早く出陣することに拘っていたように思う。
理由は、先日それとなく探らせに遣った部下から明かされた。
帝国である。どうやら今回の情報提供者は自分達だけではなく、他の国にも同じように
話を持ち掛けたらしい。
舐められているなと思った。或いは──それほどデッドレスに強い恨みを持つ者か。
だがリノンはそんな思考を一旦脇に置く。そっと髪をかき上げ、山が抱く風──山川草木
の声に耳を澄ませる。
(死に損い……。忌術殺し、不死身の男……)
表向きは世界的大罪人の討伐だ。しかしそれは単なる方便だとリノンは知っている。
いや、自分だけではない。今回の遠征に加わった輝術師の殆どが薄々気付いている筈だ。
確かに腕が立ち手を焼く相手には違いないが、各国がここまで躍起になって──我先にその
身柄を捕らえようとするのには、裏がある。
「……本当、嘘ばっかり」
誰も周りにいないことを確かめてから、リノンは深くため息をついた。
虚飾の世界。大地から採れる“キセキ”を消費することで、いや消費することでしか繁栄
というものを作り出せなかったこの世界。
知らないことは「罪」なのだろうか。少なくとも全くの無罪とは思えない。だが……そう
した無知を作り出し、維持してきているのは他ならぬ自分達──。
「……」
リノンはぎゅっと握る手に力を込めていた。
そうだ。ただ“潰す”のではない。もっと世界を“啓く”為だ。そう言い聞かせる。
「──あだっ!」
「ッ!?」
そんな時だった。はたと向こうの林の方から人の声がした。
敵襲か? リノンは眉根を顰め、そっとマントの下、ローブの懐から杖を取り出す。先端
に取り付けられているのは深い青色の術玉。きらりと光を反射して静かに輝くそれを握り締
めて、彼女はゆっくりと声のした方向へと近付いてみる。
「うぅぅ……し、死ぬかと思った~……。下にいっぱい木が生えてて助かったよぉ。チコ、
大丈夫~?」
「キュッ! クゥ~?」
「あはは、そうだね……。あちこち擦り剥いちゃったよ……」
物陰に隠れながら接近していくと、そこには一人の少女がいた。
年格好は十六・七といった所か。ちょろっとお下げにした淡い金髪のセミロング、空色の
チュニックにスカートとニーソックス。少なくとも他の軍属や賊には見えない。何処からか
落っこちてきたのか、身体のあちこちに葉っぱや折れた枝がくっつき、瑞々しい柔肌に傷が
いくつも走って赤く滲んでいるのが見て取れる。
(……あれは、輝獣?)
だがリノンはそれ以上に小さく驚いていた。
今あの少女が話している仔狐は、輝獣ではないのか?
自分も輝術師だ。術石と同じ起源を持つ存在か否かくらいは感覚を集中させてやれば自ず
と知れる。
(このまま見逃すのは、賢明じゃないわね……)
逡巡したが、リノンはコクと自身を促すように決断した。
即敵軍とは言えないだろう。だが輝術師として、いち人間として、あんな傷だらけの女の
子を放置したままというのは気が引けた。
「っ……!?」
ガサリと、リノンが彼女に近付いてゆき、エリスが弾かれたように怯えた様子をみせた。
何か怖い目にでも遭ったのだろうか。飼い主(?)の感情を察してか、勇敢にも仔狐は双
方の間に割って入り、フーッと威嚇の体勢を取っている。
「……大丈夫よ。そんなに怖がらないで」
だから、そして不思議と、リノンは自分の頬が緩むのを自覚していた。フッと優しく微笑
みを寄越し、彼女達にそっと手を差し伸べる。
「怪我してるじゃない。大丈夫? 私輝術師なの。よければ手当てしてあげるけど……」
「……」
暫く、少女は黙ってこちらを見上げていた。
もう一度微笑んでおき、返答を待つ。
「……じゃ、じゃあ、お……お願いします」
怪我は当人自身が一番分かっている。やがて少女はどもりながらも頷いた。その応答に、
仔狐の方も踵を返してぴょんと彼女の肩の上に戻っていく。
「オッケー、じゃあ行きましょうか。すぐそこにキャンプがあるから」
優しく少女の手を取って、地べたなままの彼女を起き上がらせた。
お姉さんのように穏やかな笑み。
リノンはゆたりと身を返すと、ふわっとそのマントを揺らしたのだった。




