1-(0) 忌術の日
キセキとは、通常ではおよそ起こらない事象を指して云う。
という事は……言い方を変えてやれば、起こりうる状態へとそれらを導き出すことが出来
れば、キセキは人の手中に収まるとも解釈できる。
──そんな理屈を、ある時実行に移した者達がいた。
「準備は整ったか?」
「はい、配置完了しました。いつでも発動可能です」
そこは薄暗い、窓一つないだだっ広い密室の中であるようだった。
床一面には巨大な六芒星を囲む円、それらの隙間にびっちりと書き込まれた複雑な文字列
らしきものが石灰で描かれている。そんな陣の外周で、ローブを目深に被った者達が作業を
終えて集合しつつあった。
「ならば、早速始めよう。いつ嗅ぎ付けられるか分からん」
リーダー格らしき男のしゃがれた声が場に響いた。他のローブ達も拝承と言わんばかりに
頷くと、ぐるりと円陣の外周へと立ち位置を変えて広がる。
彼らが焦る理由は、この部屋の中央──六芒星の中心部にあった。
「お、おい……。お前ら何をする気だ?」
「此処は一体何処なの? 貴方達は誰なの……?」
「くそっ! 離せっ、ここから出しやがれ!」
人だった。
厳密に表現するならば、両手足を縛られて枷と錘を付けられた無数の人間だ。
目を覚まし、口々に不安や怒りを撒き散らしている者、或いはまだ気を失ったままの者。
少なくとも彼らとローブの一団との間にに面識はないようだ。
更に付け加えるなら、外界と隔絶されてると見えるこの部屋でどれだけ叫ぼうとも、もう
彼らの訴えは届くことはないという点か。
ローブの一団は誰一人として彼らの叫びに応じなかった。
ただ在るのは、静かな狂気だ。
──彼らは“人間”じゃない。これは皆“要素”だ。
そう言い聞かせなければ、自分達の側から脱落者が出る。チカラが乱れる。もし失敗して
しまえば、これまでの苦労が全て水の泡になってしまう。それは一団の共通理解だった。
「……始めるぞ。全ては、人類永遠の夢の為だ」
感情の失せたリーダー格の声色が密室に響いた。
その一言を合図に、ローブの一団は懐から一斉にある物を取り出す。
手にされたそれらは、杖だった。
木材と思しき本体に艶のある塗料を被せ、黒や焦げ茶など各々の杖が申し訳程度の個性を
演出している。
だが何よりも目を惹くのは、それらの杖先全てに宝石……のようなものが取り付けてある
ことだろう。赤や緑など色彩は様々だが、共通して受けるその印象は──“何処となく宝石
自体に見返されている”ような、そんな錯覚にある。
その杖を掲げ、ローブ達が精神を集中し始めた。
円陣中央内の人々が怪訝に押し黙ったのは、ほんの数秒の事。
『──がっッ!?』
訴える叫びが、次の瞬間苦痛の雄叫びに変わる。
床一面に描かれた文様が、余す所なく強い光を放ち始めていた。
同時、生まれるのは巨大なエネルギーの渦。
囚われの人々から、まるでもぎ取られるように発生する血色の奔流。
目には見えない、しかし確実にこの場に生まれ、蓄積されていくエネルギーの膨張に密室
が不気味に震えていた。
白目を剥き、渇いたように喉を掻き毟りながら次々に床に倒れていく人々。
重なり合っては断続的に響く、最早人間のそれではない断末魔の叫び声。
それでも、ローブの一団はかざした杖を下げる事はしなかった。むしろこの阿鼻叫喚の様
を推し進めるように口元を結び、自身の人間性を封じ込めるが如く押し黙っては“儀式”に
ひたすら集中する。
(今更、怖気づく必要はない……我々は古くから“犠牲”を払って今の世を作ってきた)
リーダー格の男の表情が僅かに見えた。
奔流に煽られはためき続けるローブの下から覗くのは、ギラギラとした眼。
だがそれは野心──私利と言うには違うと印象付けられる。
むしろ、他益。自分が無数の他の為に礎と為ろうとする、その歪んだまでの決意だ。
「──もう少しだ。もう少しで、奇跡はヒトの前に跪くのだ!」
狂気。叫ぶ声。一層力を込める面々の力。唸るように強く輝く杖先の宝石達。
その日、巨大なエネルギーの奔流が彼らの視界全てを血色の紅に染め上げた。