第二十九話 終演前の幕間
「どうぞ、おかけください」
その日、職員室のドアを叩いたのは中年の男女だった。
綺麗に纏められたスーツを着込み、整えられた身だしなみからは、余裕のある生活が伺える。
しかし、その服装に似合わずに疲れた顔をしていた。
娘の担任に連れられて談話室に連れてこられた二人は、顔に深く疲労の後が刻んでおり、
こんな所に呼び出された事を困惑するように、恐縮するように伏し目がちになり、出されたコーヒーのカップに目線を落としている。
「すみませんね。わざわざこちらまで、足を運んで頂いてしまって。本来ならこちらからお伺いするのが筋なのですが、
お言葉に甘えてしまいまして」
女性の方が答えた。
「いえ、私達も忙しいですが、ヤヨイについてのお話という事でしたので……」
あいかわらず伏し目がちなのは変わらない。
「ヤヨイさんの事については、本当に残念に思います。当校がお父様、お母様からお預かりしたお嬢さんが、
亡くなられた事は……本当にお悔やみ申し上げます」
校長はそこで話を一旦止めて厳格な顔を作った。
「ところで、ご両親は遺書についてはご存知ですか?」
「あの娘が遺書を残していたのですか!!?」
突然、声を大きくするヤヨイの母に担任が慌ててとりなす。
「いえ、奥さん落ち着いてください。正確には、遺書があったという事が決まっているわけでは無いのです。
ただ、娘さんのクラスの生徒の間で、遺書があったという噂になっていまして。しかし、奥さんのご様子では偽物のようですな。
最近の子供たちですから、文章もワープロソフトで打たれて居て筆跡も分からないものですし、文章の内容も、
クラスメイトであれば、誰でも書ける程度の内容だったので、判別のつかない物でした」
そう言って、A4サイズの普通の印刷紙を取り出す。
「もし、本物であればと思って確認しようと思ったのですが。
困った事に、娘さんのクラスではその遺書の内容を信じてしまった生徒が多数出ましてね。
出回った元が不明な物であるのに、そこに書かれた内容を信じて少々クラス内に不和が生じているものですから、
できたらご両親にも確認いただきたいと思ったのです。
これがイタズラであれば、ご両親に取っても嫌な思いをされる事と思います。
ですから、無理にとは申しませんが、確認いただけませんか?」
ヤヨイの父が黙って紙を受け取った。
「紙に印字された文字では、簡単にはわかりませんね。内容は少し気になりますが、文章も、表現も普通過ぎて娘の物とは断定できないでしょう。
娘は、自分のパソコンは持っていませんが、家族の共用の物があるので、それを使えば作る事はできるでしょうが……」
その後を、担任が続ける。
「わざわざ、遺書をパソコンで作る理由も無いですね。分かりました。
気味が悪いでしょうが、恐らくはイタズラでしょう。うちの生徒が本当に申し訳ありません」
突然立ち上がり、深々と頭を下げる校長に、慌てて夫婦が頭を下げる。
「いえ、私達としても娘の死が自殺であるか、事故であるか分からないのです。もし自殺であったなら、
遺書が無い事が謎ですし、もう私達は事故だと考える事にしているのですよ。
こんな事なら、事故だと発表してしまった方が良かったのでしょう。
最近、世の中の事に関心が薄れてしまって、そういう意味では、いたずらでこれを作った生徒に対しても特に思うところはありません」
「そう言っていただけるとは、ありがとうございます」
「それで、生徒達の不和とは一体何があったのです?」
担任教師はその言葉を聞くと顔をしかめながら言った。
「私も全体を把握できているというわけではありませんし推測も混じっています。それを承知で聞いてくださいね。
あとは、他の保護者の方には口外しないで頂けますか?
生徒のうちの何名かが、この遺書の事を鵜呑みにしまして、ね。
内容はご覧いただいた通りですが、如月ヤヨイさんが自殺した事と、その原因がクラスメイトにあると書かれています。
犯人として名指しされている生徒は……お渡しした紙では黒塗りにさせて頂きましたが、クラスメイトの名前が入っています……
に対する復讐と、もう一人その遺書の中では、明確に名前の語られていない生徒に対して復讐しようと計画した生徒達が居たのです」
担任はそこで言葉を切ると、夫婦の様子を伺った。
もし、嫌な顔をしているなら話を切ろうと考えたのだ。
しかし、夫妻の顔は話の続きを聞きたがっているように思えた。
「生徒達の話では、盛り上がり過ぎたとの事だったようです。噂が噂を呼ぶとでも言いましょうか、雪玉がふくれ上がるようにとでもいいますか、
いつの間にやら、名前の語られて居ない生徒の候補が決められ、その生徒以外全てのクラスメイトが関係する形で、
復讐の計画がたてられました。彼らは、高校生という多感な時期ですし、世の中に触れていない分だけ理想論的な正義感も強い。
受験からもまだ時間がある高2という年齢も関係したのでしょうが、如月さんの死後すぐに、クラスを巻き込んでの復讐計画がたてられたそうです。
誰が主体なのかとも訪ねましたが、全員でそのような方向になったのだと全員が強調しました。
庇い合っているというよりは、全員が共犯の意識なのでしょう。
誰のせいという事になると、自分のせいを認める事になりますから、連帯責任、みんなのせいにしたいのでしょう。
実際に、途中でいやになってもみんなが進めているから、という理由で抜けられなかった生徒もいたようですし」
「それで、復讐というのはいったい何をしたんです?」
「始めはおどかしてやろうという程度の事だったようです。ちょっと、詳細までは語れませんが、
おどしをかけて、そこで如月さんの格好をした女の子が出てくる。そこで、反省してくれるならよし、
そうで無いならより怖がらせてというような話だったようです。
ホラー映画と言うか、スリラー映画が好きな生徒がいたらしく、ちょっとした脅しのはずが路線が大きく変わってしまったらしいのですよ。
まあ、行き過ぎてしまったという事です。
どうも、それを夜の教室に忍び込んでやっていたようで、学校の警備体制についても一から見直している段階でして」
「それは、まあ、大変な事でしたね。もう落ち着いたのでしょうか?」
「ご心配頂きありがとうございます。事件が起きたのが、1週間前の事ですから、まだ生徒達の間にしこりはあると思われます。
脅された側の生徒たちにはそれが夢であったように思ってもらって、極力無かった事にする方針です。
実際に遺書も偽者だったわけですから、やった側も寝覚めが悪く、やられた側も面白くない。
それなら、無かった事にしてしまおうというわけです。
如月さんの方にも、もしかしたら生徒達の親から心無い言葉をかけられるかもしれませんが、学校側としてもできる限りの協力を
していきますので、おっしゃってください。本日はご足労頂きありがとうございました」
談話室を出てからも、見えなくなる所まで、
終始、頭を下げながら担任教師は、如月夫婦を見送った。