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お飾り聖女に転生しました。ツアーで効き目抜群のファンサを飛ばします。

作者: くみの
掲載日:2026/10/08

 目を開けたら、知らない天井だった。


 ……いや、天井というか、高い。やたら高い。しかもステンドグラス付き。


「え、会場、昇格した?」


 つい声に出た。


 ちなみに私のホームは、雑居ビル地下のライブハウスだ。天井は低くて、ダクトがむき出しで、ステージの端に誰かのペットボトルが転がっているような場所である。


 それがどうだ。


 色とりどりの光が、ステンドグラスから降ってきている。私が寝ているのは、柔らかすぎるクッションつきの長椅子。周りには、見渡すかぎり石の柱と、ずらりと並んだ椅子。


 これはもう、キャパ何千人とかの世界では?


 ……待って。冷静に。


 私、さっきまで何してた?


 えーと。ライブが終わって、撤収して、物販の段ボールを抱えて、ビルの階段を降りてて、それで……。


 踏み外した。


 うん、踏み外したな。完全に。


 私は自分の手を見た。白くて、指が細くて、爪の形がきれい。前の私の手じゃない。


「……あー、これ、あれだ」


 ファンのオタクたちが、物販の列で散々語っていたやつ。異世界転生。


 つまり私は、階段から落ちて、死んで、生まれ変わった。


 しかも記憶はそのまま。昨日の物販の売り上げも、新曲の振り付けも、ファンの顔も、全部ちゃんと覚えている。


 そのうえで、今の私は、この身体で生きている。


「お目覚めですか、ミオ様」


 声に振り向くと、眼鏡の青年が立っていた。真面目そうで、背筋がやたらと伸びている。


「あ、はい! おはようございます!」


「失礼しました。任命の儀のあと、大聖堂の長椅子でお休みになっておられたので、お疲れが出たのではと心配しておりました。お身体の具合は?」


 儀式。任命。


 ……ああ、なるほど。長いセレモニーのあとで寝落ちしてたわけだ。


 それなら、この状況にも納得がいく。


「元気です! むしろ、めちゃくちゃ調子いいです!」


「それはよかった」


 彼は、ほっとしたように小さくうなずいた。


「改めて、ご挨拶を。私は教会の事務を預かる、レオンハルトと申します。本日から聖女として活動していただくにあたって、説明と案内を担当いたします」


 聖女。


 私は、すっと背筋を伸ばした。


 センターだ。たぶん、センターの匂いがする。


 レオンハルトさんは、手元の書類を見ながら続けた。


「ミオ様は、先日の選定で、正式に聖女として任命されました。つきましては、今日からの務めについて、お伝えしておかなければならないことがありまして」


 ……ああ、この感じ、知ってる。


 新人アイドルがデビュー前に、事務所の人から受けるやつだ。


 つまりこの人、マネージャーさん。


 彼は言葉を探すように、目を泳がせた。


「現在の聖女は、かつて存在した本物の聖女の、伝統を受け継ぐ役職です。ですが、実際に聖なる力を持つ者は、もう長い間おりません。ですので、今の聖女は教会の象徴であり、広報であり、儀礼の中心であり……あえて言葉を選ばなければ」


「はい」


「お飾りのようなものでして」


 言った。ついに言った、という顔だった。


 きっと、前の聖女たちはここで傷ついたのだろう。レオンハルトさんは、私の反応を覗き込むように待っている。


 私はたっぷり三秒考えた。


「つまり」


「はい」


「ビジュアル担当ってことですね!」


「…………は?」


「ステージのセンターで、みんなに見てもらう役でしょ? それなら私にぴったりです!」


 私は、近くの台座に置いてあった銀の手鏡を拾って、のぞき込んだ。映っているのは、前世より三割増しくらいに整った顔。


 うわ、本当に顔がいい。


「しかもこの顔! これは才能! なるほど、だから私、ここに転生したのかー!」


「……てんせい?」


「あ、いえ、こっちの話です!」


 危ない危ない。


 ファンの人たちは、異世界転生は隠すのがお約束って言ってたよね。わざわざ説明するのも面倒だし、まあいっか。


「あの、ミオ様。我々は今、あなたに結構失礼なことを……」


「え? 全然! 最高の天職ですよ!」


 レオンハルトさんは、口を半開きにしたまま固まった。


 ちなみに内心、私はこう思っている。


(転生先がセンター固定って、運営分かってるじゃん!)


   *


 聖女としての初仕事は、朝の祈りだった。


 大聖堂の隣にある小さな礼拝堂。祭壇の前に立たされた私に、年配の司祭様が説明してくれる。


「聖女様はここで、両手を組み、静かに神へ祈りを捧げていただきます」


「静かに」


「はい」


「ずっと?」


「十五分ほど」


 十五分、じっと。


 ……ライブだったら、お客さん帰ってるな。


 私はそっと手を挙げた。


「あのー。お祈りって、歌ってもいいですかー?」


 礼拝堂が、しんと静まった。


 レオンハルトさんが、ゆっくりこちらを向く。


「……歌?」


「はい! だって、言葉だけより、歌のほうが絶対伝わるじゃないですか。気持ちって、メロディに乗せたほうが届きやすいし。あ、もちろんダメなら普通に祈りますけど」


「ダメ、というか……前例が……」


「前例がないなら、今日が初回ですね!」


 司祭様は何か言いかけて、やめた。レオンハルトさんは眼鏡を押し上げた。たぶん、断る理由を探して見つからなかったのだと思う。


「……では、どうぞ」


 許可が出た。


 私は祭壇の前で、深呼吸をした。


 前世で、一番歌い込んだ曲がある。ファンの前で何百回も歌った、デビュー曲。歌詞は「今日もここにいてくれてありがとう」みたいな、シンプルなやつだ。


 歌詞を、少しだけ変える。


 神様、今日もここにいてくれてありがとう。


 私は、ここにいます。


 声を出した瞬間、礼拝堂に私の声が広がった。やっぱり石造りの建物は響きがいい。ライブハウスより音が丸い。


 サビに入ったとき、祭壇の脇で枯れていた白い花が、ふわりと顔を上げた。


 あれ、と思った。


 枯れていたはずの花が、みるみる開く。照明のような光が、天井から降りてくる。


(おお……! この礼拝堂、魔導灯の演出がすごい! サビで照らしてくれるんだ!)


 最後まで歌い切って振り返ると、司祭様は膝をついて泣いていた。レオンハルトさんは、口元を押さえたまま微動だにしない。


「え。……もしかして、やっぱりダメでした?」


「いえ……あの……」


 司祭様が震える声で言った。


「あの花は、十年前に枯れたきり、一度も咲かなかったのです」


「へえ! ここの照明、花まで咲かせるんですか! すごいですね、この世界の演出!」


 レオンハルトさんが、何か言いたげに私を見た。結局、何も言わなかった。


 やだなぁ。そんなに驚くほど上手かった? まあ、嬉しいけど。


   *


 巡教で、各地をまわる。つまり、ツアーだ。最初の地は、ここ王都。


 儀礼として、聖女が民衆の前に姿を見せる。なんだか、民衆の反応は微妙だった。


 広場に並べられた椅子は、半分以上が空席。集まった人も、「あれが今の聖女様か」「へえ」くらいの温度で、遠巻きにこちらを眺めている。


 わかる。この温度、知ってる。


 対バンイベントで、他のグループのファンしかいない会場に出たときの、あの空気だ。


 とりあえず全力で手を振る。


「今日は来てくれて、ありがとうございまーす!」


 ざわ、と空気が揺れた。


 よしよし。反応はゼロじゃない。ここから育てるのだ。


 ちなみに今日は、伴奏なし。儀礼の祈りを、ステージの上でやる段取りになっている。


 つまり、アカペラ。


 上等だ。地下ライブで、音響トラブルのとき何度もやってきた。


 私は一歩前に出て、息を吸った。


 神様、今日もここにいてくれてありがとう。


 私は、ここにいます。


 広場に、私の声だけが広がっていく。


 野外は音が逃げるから、少しだけ強めに。でも、叫ばない。一番後ろの、空席の向こうで立ち見をしているおばあさんにも届くように。ちゃんと、あなたに向けて歌ってるよ、と思いながら。


 サビを歌い終えたとき、ふっと、風がやんだ。


 あれ、と思った。


 空気が、やわらかい。日向ぼっこをしているときみたいに、肩のあたりがぽかぽかする。


(……なんか、今日のステージ、居心地いいな)


 客席を見ると、遠巻きだった人たちが、いつの間にか少し前に出てきていた。腕を組んでいた人が、腕をほどいている。咳をしていた子どもが、ぽかんと口を開けて私を見ている。


 みんな、なんだか、気持ちよさそうな顔だ。


 うん、いい空気。こういうの、好き。


 最後のフレーズを歌い切って、深く一礼した。


 一拍おいて、ぱらぱらと拍手が起きた。


 控えめだけど、さっきよりずっとあたたかい。


   *


 ステージを降りて、舞台袖へ向かう。


 途中で、最前列に並ぶ人たちの顔が目に入った。老人が多い。腰の曲がったおじいさん、杖をついたおばあさん。みんな、まだ席を立たずに、こちらを見ている。


 私は足を止めて、横にいたレオンハルトさんに聞いた。


「あの、握手会とかって、やらないんですか?」


「……握手会?」


「はい。ファンの人と、一人ずつ握手して、お話しするんです。顔を見て、ありがとうって言って、また来てねって言う。これが一番、距離が縮まるんですよ」


「聖女様と民が、直接手を取り合うなど……」


「ダメですか?」


「ダメ、とは言いませんが……前例が……」


「前例がないなら、今日が初回ですね!」


 さっきも言った気がするな、このやり取り。


 結局、握手会は決行された。


 長い列ができたのは、予想外だった。珍しいもの見たさだと思うけど、並んでくれるなら大歓迎だ。


「来てくれてありがとう!」


 最初に手を握ったのは、腰の曲がったおじいさんだった。


「聖女様……この年寄りに、もったいない……」


「いえいえ、こちらこそ! 来てくれて嬉しいです! また来てくださいね!」


 にっこり笑って、両手で包み込むように握る。ファンサの基本だ。目を見る。笑う。ちゃんと、あなたに向けて言ってるよ、と伝える。


 おじいさんが、固まった。


「……聖女様」


「はい?」


「腰が。腰が、痛くない」


「えっ、よかったですね! 握手会効果ですね! 元気出たんだ!」


 私は笑顔で手を振って、次の人に向き直った。


 次は杖のおばあさん。その次は咳き込んでいた子ども。


 最後の人を送り出したとき、広場の空気が、最初とはまるで違っていた。


 レオンハルトさんが、私の隣に立った。顔が、さっきより白い。


「……聖女様」


「はい!」


「今のは……」


「ファンサです! やっぱり、ファンサって大事ですよね!」


「……ファンサ、ですか」


「はい!」


 彼は、遠い目で広場を見渡した。


「ファンサ……」


 その背中を見ながら、私は思った。


(レオンハルトさん、ちょっと疲れてるな。差し入れ、考えとこう)


   *


 握手会の翌週、私は会議室に呼ばれた。


 部屋の中には、レオンハルトさんのほかに、見慣れない人たちが並んでいる。


 私の衣装を縫ってくれているお針子のマルタさん。魔導灯を管理するヨハンさん。パイプオルガン奏者のセシルさん。会場設営担当の、がっしりした男の人たち。


 全員の顔に、はっきり書いてあった。


『どうせ今回も、お飾り聖女の担当か』


 わかる。無名の頃って、スタッフさんも『はいはい、今回もこの子ね』くらいの感じだったりするよね。


 私は、立ち上がって頭を下げた。


「聖女のミオです! 今日から一緒にお仕事させてください! お世話になります!」


 一瞬、部屋の空気が固まった。


 あ、頭を下げるの、早かったかな。でも、裏方さんあってのステージだし。


「……聖女様が頭を下げるなんて」


 誰かが小さく言った。


「え? だって、みなさんがいなかったら、ステージ立てないですから」


 マルタさんが、ぱちくりと瞬きした。


「それと、マルタさん! この前の衣装、すっごく可愛かったです! いつも本当にありがとうございます!」


「あ……ああ、あれは、まあ、ありあわせの布で……」


「ありあわせであのクオリティ、すごすぎます!」


 マルタさんの耳が、赤くなった。


 私は、持ってきた紙を机に広げた。


「それでですね。ちょっと相談があって」


「相談、ですか」


「グッズとかって、作らないんですか?」


 全員の動きが止まった。


 レオンハルトさんが、遠い目をしたまま言った。


「……グッズ?」


「はい。たとえば、聖女の絵姿のカードとか。タオルとか。ちっちゃいお守りとか。来てくれた記念になるもの。地域限定の何かもあると、ファンの人は絶対集めたくなります」


「なぜ、そのようなものを」


「ライブに来てくれた思い出って、形に残したいじゃないですか。家に帰って、ふっと見て、『あの日、楽しかったな』って思い出せる。それがあると、また来たくなるんです」


「……売るのですか? 聖女の姿を」


「あ、売るというか、教会の運営費にもなりますし。みんなのお給料にもなるし」


 お給料、のところで、がっしりした男の人たちの目が変わった。


 ……大事だよね、お給料。


 結果から言うと、グッズは最初、散々だった。


 二日目の王都広場に、絵姿カード売り場を置いたけど、ほとんど売れなかった。


 ただ、握手会の後にもう一度出してみたら、様子が一変した。


「聖女様のカード、ください!」


「うちの子の分も!」


「ひとつ、いや、三つ!」


 あっという間に、在庫が消えた。


 マルタさんが、帳簿を見ながら呆然としている。


「……三日で、今回の巡教分が、すべて売れました」


「ほんとですか!? わあ、みんな買ってくれたんだ!」


 私は素直に嬉しかった。


「次は、タオルも作りましょうか! 小さい布なら、マルタさんにも負担かからないし!」


「……作りましょう」


 マルタさんは、いつの間にか針を握り直していた。


 隣でレオンハルトさんが、小さく呟く。


「……あのカードを持った病人が、翌朝、起き上がったという報告が、複数……」


「え? なんか言いました?」


「いえ。何も」


   *


 ついに地方公演が始まる!


 地下アイドルをやっていた頃は、ツアーなんてなかなかできなかった。


 それが今は、聖女になったおかげで、各地を回れるらしい。


めちゃくちゃ嬉しい!


 最初の町は、王都から馬車で三日の、山あいの小さな町だった。


 到着してすぐに、私はぐるっと会場を見て回った。会場といっても、町の広場に急ごしらえの台が組んであるだけ。


 私は、ぐっと拳を握った。


「みなさん、ちょっと集まってください! ステージの相談がしたいです!」


 ヨハンさんたちが、ぞろぞろと集まってくる。


 私は、地面に石で、広場の見取り図を描き始めた。


「このステージ、もう少し前に出したいです。奥行きがありすぎると、後ろの人から顔が見えないので」


「前に出すと、足場が……」


「じゃあ、横を広げましょう。で、左右に花道みたいに、細い通路を伸ばすのはどうでしょう? そこを歩いて、近くのお客さんにも手を振れるから」


 大工さんたちが顔を見合わせる。


 私は、続けた。


「ヨハンさん、照明はお願いします。最初は暗くして、曲が始まったら一気に明るく。サビで私に光を集めて、最後はぱーっと全体に広げる感じで!」


「……魔導灯の出力を段階的に切り替える、と」


「それです!」


「それなら、できる」


 ヨハンさんが、ぼそっと言った。無口な人だ。それだけで、胸が熱くなった。


「セシルさんは、最初の曲、オルガンでイントロをお願いします。ゆっくり、荘厳なやつ。そこから急にテンポを上げたいので」


「テンポを……急に?」


「そうです。みんなの心が、びっくりしてから、ぐわっと盛り上がる感じで!」


 セシルさんが、にやりと笑った。


「面白そうですね」


 それから私たちは、夜遅くまで、ステージを作った。


 曲順をどうするか。MCをどこに入れるか。登場の仕方はどうするか。花束を渡す演出は、観客の安全を考えて、どう動線を作るか。


 裏方のみんなが、あれこれ意見を出してくれる。最初は私の話を聞くだけだった人たちが、気づけば、あっちこっちで声を上げていた。


「聖女様、登場は後ろからのほうがいいんじゃないですか」


「お客さんが振り向いたとき、一番盛り上がる位置ってどこですかね」


「ここに柵を置けば、握手会の列も作りやすいですよ」


 あ、これだ。


 この感じ。みんなでステージを作る、あの感じ。


 私は、胸の奥がじんわりした。


「みんな、ありがとう。絶対に、いいステージにしようね」


 誰かが、小さく笑った。


「……お飾り聖女のステージに、なんでこんな本気になってるんだろうな」


「さあな。だが悪くない」


 そんな会話が聞こえて、私は聞こえないふりをして、にやけた。


   *


 本番の日。


 広場には、思っていたよりずっと多くの人が集まっていた。後ろのほうは立ち見だ。


 幕の裏で、私は深呼吸をした。


 足は震えていない。むしろ、わくわくしている。


 ヨハンさんが、親指を立てた。セシルさんが、オルガンの前でうなずいた。マルタさんが、最後の衣装の裾を整えてくれる。


「聖女様。いってらっしゃい」


「いってきます!」


 低く、重い音が響いた。


 オルガンの、荘厳なイントロ。広場が静まる。人々が息をのむ気配。


 その静けさを、一拍。


 そして、セシルさんの指が、一気に跳ねた。


 テンポが変わる。ステージの照明が、一斉にぱっと灯る。


 私は、舞台に飛び出した。


「みなさーん! こんにちはー!」


 歓声が上がった。


 あ、聞こえる。声が届いてる。


 最初の曲は、デビュー曲を、ちょっとアレンジしたもの。


 ステップを踏みながら歌う。観客の顔が見える。おじいさん、子ども、仕事帰りのような人たち。


 サビで、ヨハンさんの魔導灯が、私に集中した。


 真っ白な光の中で、私は両手を広げた。


 手のひらから、何かが溢れるような気がした。


(わ、今日のライトの演出、めちゃくちゃ綺麗……!)


 歌い終わる頃には、広場の空気が変わっていた。


 泣いている人がいる。笑っている人がいる。隣の人と抱き合っている人がいる。


 私は、花道を歩いた。


「ありがとう! 来てくれてありがとう!」


 手を振る。笑いかける。投げキッスも一個、サービスで。


 その瞬間、広場を囲んでいた古い木々から、一斉に新しい芽が吹いた。


「わ、春だ……」


 誰かが呟いた。


 ……あれ? 今って秋だよね?


 まあ、いっか。きれいだし。


 最後の曲で、会場全体が、一つになった。


 誰かが、手拍子を始めた。それが波みたいに広がって、いつしか、全員が一緒に手を叩いていた。


 私は、ステージの中央で、思いきり声を張った。


「ありがとうございましたー!」


 拍手が降り注いだ。


 舞台袖に戻ると、スタッフのみんなが全員、立って待っていた。


 私は、にっこり笑った。


「今日のライブ、めちゃくちゃ盛り上がった! みんなのおかげです!」


 レオンハルトさんが、静かに近づいてきた。


「聖女様」


「はい!」


「あの……広場の、病人たちが」


「え?」


「ライブの最中に、全員、起き上がったと」


「それは嬉しいです! 音楽って、元気になりますもんね!」


「…………はい」


 レオンハルトさんは、何かを飲み込むように目を閉じた。


 ……やっぱり、疲れてるんだな、この人。次の町で、ちょっといいお茶を探そう。


   *


 町から町へ。村から村へ。毎回ステージを作り、毎回握手会を開いた。小さな町では、全員の名前を覚えるつもりで挨拶した。


 王都から馬車で三日の山あいの町を皮切りに、国のいちばん端まで。そこから折り返して、同じ道を王都へ向かって戻っていく。


 行きは「はじめまして」ばかりだった道が、帰りは、だんだん「ただいま」の道になっていく。


 そして、折り返しの旅の途中。


 私たちは、最初に巡った、あの山あいの町に帰ってきた。


 私は、信じられない光景を見た。


 広場の入口に、横断幕がかかっていた。


 『おかえり、聖女様!』


 その下に、子どもたちが並んでいる。手作りの旗を持って。


「聖女さまー! 待ってたー!」


「帰ってきたー!」


「ねえ、また歌ってくれる?」


 私は、足が止まった。


 半年前、この町に来たとき、「聖女? へえ」と言っていた人たちだ。同じ人たちだ。


 それが、今は。


「……覚えててくれたんだ」


 声が、うまく出なかった。


「もちろん! 前のライブで、うちの子の熱が下がったんだ。それから、毎日この日を待ってた」


 近づいてきたのは、前回の握手会で、最後尾にいたお母さんだった。


「また会えて、嬉しい!」


 私は、思わず駆け寄って、その手を握った。


「本当に、また会えて嬉しいです!」


 お母さんが、泣き出してしまった。


 ええっ、泣かせるつもりじゃなかったのに。


 周りの人たちが、笑いながら私たちを囲んだ。


 その輪の外側で、レオンハルトさんが、ぽつりと言った。


「遠い都にいたはずの聖女が、自分たちのところまで来てくれる存在に、変わったのですね」


 私は聞こえなかったふりをして、お母さんの手を握り続けた。


 だって、泣きそうだったから。


   *


 その夜、宿の廊下で、私は奇妙な光景を見た。


 レオンハルトさんが、分厚い古い本を抱えて、司祭様と小声で何かを話している。


 二人とも、顔が青い。


「……間違いありません。笑顔で人を癒し」


「歌によって祈りを届け」


「触れることで、穢れを払う……」


「古い聖女の記録と、全て一致しています」


 あ、何の話だろう。


 私が近づくと、二人は飛び上がるように本を閉じた。


「あ、聖女様」


「何の本ですか? 昔の聖女さんの記録?」


「……はい。少し、調べ物を」


「へえ。昔の聖女さんのこと、私も知りたいな!」


「……知りたい?」


「だって、昔の聖女さんも、歌ったり手を振ったりしてたんでしょう? 聞こえちゃいました。ほら、やっぱり、ステージに立つ人は、みんな一緒なんだなぁって」


「…………」


 二人は、顔を見合わせた。


 レオンハルトさんが、絞り出すように言った。


「聖女様。念のため伺います。ご自身では、その……ご自分の力について、どう思っておられますか?」


「力? ああ、ファンサ力ですか? 最近、すっごく効いてますよね! この世界、ファンサへの反応、すごくないですか? みんな、めちゃくちゃ喜んでくれるし!」


 二人は、目を閉じた。


 司祭様が、そっとレオンハルトさんの肩を叩いた。


「……黙っておきましょう」


「……ですね」


 何を?


 私は首をかしげたが、すぐに別のことを思い出した。


「あ、そうだ、レオンハルトさん。明日の新曲、ちょっとアレンジ入れたいんで、セシルさんに伝えといてください!」


「……承知しました」


 レオンハルトさんの声は、悟りを開いたみたいだった。


   *


 巡教の最後の地は、王都の大聖堂だった。


 私は、その大聖堂の前に立った瞬間、拳を突き上げた。


 目が覚めたあの朝、「会場、昇格した?」と思った場所だ。


 あのときの私、ほぼ正解だったな。


「ついに、ドームですね!」


「いえ、あの、ドームでは……」


 レオンハルトさんが、反射的に訂正しようとして、途中でやめた。


 大聖堂の中には、見たことのない数の人が集まっていた。


 これまで巡った町の人たち。握手会で名前を呼んだおじいさんもいる。ライブで熱が下がった子の、あのお母さんもいる。マルタさんの縫った衣装を着た子どもたちまでいる。


 舞台の袖で、スタッフたちが、一人ずつ私を見ていた。


 ヨハンさん。セシルさん。マルタさん。大工のおじさんたち。レオンハルトさん。


 最初は「どうせお飾り」と言っていた人たちが、今は、全員同じ目をしていた。


「聖女様」


 ヨハンさんが、ぼそっと言った。


「最高の光を、出します」


「ありがとう。お願いします」


 マルタさんが、私の衣装の襟をそっと直した。


「あんたは、いい子だよ」


「マルタさんこそ、最高の衣装屋さんです!」


「……ばか」


 鼻をすする音がした。


 オルガンが鳴る。


 私は、大聖堂の扉の向こうへ、踏み出した。


 光が、降ってくる。


 ヨハンさんの魔導灯が、天井のステンドグラスを透かして、色とりどりの光を床に落とす。床一面が、虹色になった。


 観客が、息をのんだ。


「みなさーん! ツアーファイナルに、来てくれて、ありがとうございまーす!」


 歓声が、天井を揺らした。


 私は、歌った。


 最初の曲。次の曲。MCで、笑わせて、少しだけ泣かせて、また笑わせる。


 ステップを踏む。花道を駆ける。手を振る。目が合った人には、必ず笑う。


 サビで、全部の光が私に集まった。


 最後の曲は、一番最初に礼拝堂で歌った、あの歌だ。


 神様、今日もここにいてくれてありがとう。


 歌いながら、私は思い出していた。


 目が覚めたときのこと。「会場、昇格した?」なんて言ってた朝のこと。


 お飾り、ビジュアル担当、ステージのセンター。そう言われて、本気で「最高じゃん!」と思った。あの気持ちは、今もちっとも変わらない。


 センターに立てて、よかった。


 そして、ここまで一緒に作ってくれたみんなに、会えてよかった。


 最後のフレーズを、両手を広げて、歌いきる。


 その瞬間だった。


 大聖堂の床から、天井へ向かって、光の柱が立ち上がった。


 誰も触れていないのに、ステンドグラスの全ての窓が、同時に輝く。


 古い壁が、ぱあっと、新品みたいに白くなる。


 祭壇の脇の枯れた庭木が、一斉に花を咲かせる。


 観客の傷が、涙が、疲れが、病が、すうっと消えていく。


 大聖堂の外から、鐘の音が響いた。


 一つ。


 また一つ。


 やがて、街中の鐘が、勝手に鳴り響いた。


 私は、ぽかんと口を開けた。


「…………え、今日の演出、すごくない?」


 客席のどこかで、誰かが言った。


「……奇跡だ」


 別の誰かが言った。


「いや、これは……聖女様だ」


 えっと、私、聖女ですけど。


 もしかして今、褒められてる?


 私は、大きく手を振った。


「ありがとうございましたー!」


 割れんばかりの拍手と歓声が、大聖堂を埋め尽くした。


   *


 ライブが終わった夜。


 控室で、私は椅子にぐったりと座っていた。


 最高に、楽しかった。足はぱんぱんだし、喉もからからだけど、そんなの、どうでもいい。


 ドアが、静かに開いた。


 レオンハルトさんだった。


 その後ろに、司祭様。さらにその後ろに、記録官の人たち。なんだか大所帯だ。


「聖女様」


「あ、レオンハルトさん! お疲れさまでした! 今日の舞台、最高でしたね!」


「……はい。最高でした」


 彼は、私の前に立ち、少し黙った。


 それから、とても静かな声で尋ねた。


「聖女様。一つだけ、お聞かせください」


「はい?」


「……あなたは、一体何者なんです?」


 なんだろう、この質問。哲学かな。


「前は別の世界で、地下アイドルやってました!」


 にこっと笑って答える。


 部屋の中が、静まり返った。


 レオンハルトさんが、ゆっくりと口を開いた。


「……別の、世界」


 司祭様が、続いた。


「……地下」


 記録官の一人が、震える声で言う。


「……偶像」


「……崇拝される存在……」


 レオンハルトさんの顔から、血の気が引いていく。


「……あのときの『転生』……」


 誰かが、震える声で呟いた。


「……神の世界から、来られた……?」


「やはり、この方は……」


 全員が、一斉に、ひざまずいた。


「えっ!? ちょ、ちょっと待って、みなさん!? どうしたんですか!?」


 私はおろおろして、立ち上がった。


 レオンハルトさんが、床に額をつけたまま、絞り出すように言った。


「聖女様。……我々は、とんでもない思い違いをしておりました」


「え? 思い違い?」


「お飾りなどと……なんたる、無礼を……」


「いやいやいや、お飾りがいいんですよ!」


 私は慌てて手を振った。


「だって、ステージのセンターに立つ、ビジュアル担当ですよね? 私、それが天職なんで! むしろ誇りです!」


「…………」


 レオンハルトさんが、顔を上げた。


 その目に、涙が光っている。


「……聖女様は、最後まで、そのお立場を貫かれるのですね……」


「え? はい? 貫く……?」


 何言ってるんだろう、この人たち。


 まあ、みんな、今日はテンション高かったしな。無理もない。


 私は、パンと手を叩いた。


「はい! じゃあ、みなさん、立って立って! 打ち上げやりましょう! ライブのあとは、みんなで美味しいもの食べるのが、決まりなんです!」


「打ち上げ……」


「そうです! ほら、マルタさんも、ヨハンさんも、セシルさんも、みんな呼んで! 今夜は、ぜんぜん寝かせませんよ!」


 困惑した顔のまま、それでもレオンハルトさんは、ふっと笑った。


 それは、初めて会った朝には見たことのない、柔らかい笑顔だった。


 私は、にっこり笑い返した。


 やりたいことは、まだまだたくさんある。今から次のツアーが楽しみだ。


「それじゃあ、みなさん」


 大きく息を吸って、手を挙げる。


「今日も、お飾り、頑張ります!」


 控室に、大きな笑い声が弾けた。


 窓の外では、街中の鐘が、まだ鳴り響いていた。

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