お飾り聖女に転生しました。ツアーで効き目抜群のファンサを飛ばします。
目を開けたら、知らない天井だった。
……いや、天井というか、高い。やたら高い。しかもステンドグラス付き。
「え、会場、昇格した?」
つい声に出た。
ちなみに私のホームは、雑居ビル地下のライブハウスだ。天井は低くて、ダクトがむき出しで、ステージの端に誰かのペットボトルが転がっているような場所である。
それがどうだ。
色とりどりの光が、ステンドグラスから降ってきている。私が寝ているのは、柔らかすぎるクッションつきの長椅子。周りには、見渡すかぎり石の柱と、ずらりと並んだ椅子。
これはもう、キャパ何千人とかの世界では?
……待って。冷静に。
私、さっきまで何してた?
えーと。ライブが終わって、撤収して、物販の段ボールを抱えて、ビルの階段を降りてて、それで……。
踏み外した。
うん、踏み外したな。完全に。
私は自分の手を見た。白くて、指が細くて、爪の形がきれい。前の私の手じゃない。
「……あー、これ、あれだ」
ファンのオタクたちが、物販の列で散々語っていたやつ。異世界転生。
つまり私は、階段から落ちて、死んで、生まれ変わった。
しかも記憶はそのまま。昨日の物販の売り上げも、新曲の振り付けも、ファンの顔も、全部ちゃんと覚えている。
そのうえで、今の私は、この身体で生きている。
「お目覚めですか、ミオ様」
声に振り向くと、眼鏡の青年が立っていた。真面目そうで、背筋がやたらと伸びている。
「あ、はい! おはようございます!」
「失礼しました。任命の儀のあと、大聖堂の長椅子でお休みになっておられたので、お疲れが出たのではと心配しておりました。お身体の具合は?」
儀式。任命。
……ああ、なるほど。長いセレモニーのあとで寝落ちしてたわけだ。
それなら、この状況にも納得がいく。
「元気です! むしろ、めちゃくちゃ調子いいです!」
「それはよかった」
彼は、ほっとしたように小さくうなずいた。
「改めて、ご挨拶を。私は教会の事務を預かる、レオンハルトと申します。本日から聖女として活動していただくにあたって、説明と案内を担当いたします」
聖女。
私は、すっと背筋を伸ばした。
センターだ。たぶん、センターの匂いがする。
レオンハルトさんは、手元の書類を見ながら続けた。
「ミオ様は、先日の選定で、正式に聖女として任命されました。つきましては、今日からの務めについて、お伝えしておかなければならないことがありまして」
……ああ、この感じ、知ってる。
新人アイドルがデビュー前に、事務所の人から受けるやつだ。
つまりこの人、マネージャーさん。
彼は言葉を探すように、目を泳がせた。
「現在の聖女は、かつて存在した本物の聖女の、伝統を受け継ぐ役職です。ですが、実際に聖なる力を持つ者は、もう長い間おりません。ですので、今の聖女は教会の象徴であり、広報であり、儀礼の中心であり……あえて言葉を選ばなければ」
「はい」
「お飾りのようなものでして」
言った。ついに言った、という顔だった。
きっと、前の聖女たちはここで傷ついたのだろう。レオンハルトさんは、私の反応を覗き込むように待っている。
私はたっぷり三秒考えた。
「つまり」
「はい」
「ビジュアル担当ってことですね!」
「…………は?」
「ステージのセンターで、みんなに見てもらう役でしょ? それなら私にぴったりです!」
私は、近くの台座に置いてあった銀の手鏡を拾って、のぞき込んだ。映っているのは、前世より三割増しくらいに整った顔。
うわ、本当に顔がいい。
「しかもこの顔! これは才能! なるほど、だから私、ここに転生したのかー!」
「……てんせい?」
「あ、いえ、こっちの話です!」
危ない危ない。
ファンの人たちは、異世界転生は隠すのがお約束って言ってたよね。わざわざ説明するのも面倒だし、まあいっか。
「あの、ミオ様。我々は今、あなたに結構失礼なことを……」
「え? 全然! 最高の天職ですよ!」
レオンハルトさんは、口を半開きにしたまま固まった。
ちなみに内心、私はこう思っている。
(転生先がセンター固定って、運営分かってるじゃん!)
*
聖女としての初仕事は、朝の祈りだった。
大聖堂の隣にある小さな礼拝堂。祭壇の前に立たされた私に、年配の司祭様が説明してくれる。
「聖女様はここで、両手を組み、静かに神へ祈りを捧げていただきます」
「静かに」
「はい」
「ずっと?」
「十五分ほど」
十五分、じっと。
……ライブだったら、お客さん帰ってるな。
私はそっと手を挙げた。
「あのー。お祈りって、歌ってもいいですかー?」
礼拝堂が、しんと静まった。
レオンハルトさんが、ゆっくりこちらを向く。
「……歌?」
「はい! だって、言葉だけより、歌のほうが絶対伝わるじゃないですか。気持ちって、メロディに乗せたほうが届きやすいし。あ、もちろんダメなら普通に祈りますけど」
「ダメ、というか……前例が……」
「前例がないなら、今日が初回ですね!」
司祭様は何か言いかけて、やめた。レオンハルトさんは眼鏡を押し上げた。たぶん、断る理由を探して見つからなかったのだと思う。
「……では、どうぞ」
許可が出た。
私は祭壇の前で、深呼吸をした。
前世で、一番歌い込んだ曲がある。ファンの前で何百回も歌った、デビュー曲。歌詞は「今日もここにいてくれてありがとう」みたいな、シンプルなやつだ。
歌詞を、少しだけ変える。
神様、今日もここにいてくれてありがとう。
私は、ここにいます。
声を出した瞬間、礼拝堂に私の声が広がった。やっぱり石造りの建物は響きがいい。ライブハウスより音が丸い。
サビに入ったとき、祭壇の脇で枯れていた白い花が、ふわりと顔を上げた。
あれ、と思った。
枯れていたはずの花が、みるみる開く。照明のような光が、天井から降りてくる。
(おお……! この礼拝堂、魔導灯の演出がすごい! サビで照らしてくれるんだ!)
最後まで歌い切って振り返ると、司祭様は膝をついて泣いていた。レオンハルトさんは、口元を押さえたまま微動だにしない。
「え。……もしかして、やっぱりダメでした?」
「いえ……あの……」
司祭様が震える声で言った。
「あの花は、十年前に枯れたきり、一度も咲かなかったのです」
「へえ! ここの照明、花まで咲かせるんですか! すごいですね、この世界の演出!」
レオンハルトさんが、何か言いたげに私を見た。結局、何も言わなかった。
やだなぁ。そんなに驚くほど上手かった? まあ、嬉しいけど。
*
巡教で、各地をまわる。つまり、ツアーだ。最初の地は、ここ王都。
儀礼として、聖女が民衆の前に姿を見せる。なんだか、民衆の反応は微妙だった。
広場に並べられた椅子は、半分以上が空席。集まった人も、「あれが今の聖女様か」「へえ」くらいの温度で、遠巻きにこちらを眺めている。
わかる。この温度、知ってる。
対バンイベントで、他のグループのファンしかいない会場に出たときの、あの空気だ。
とりあえず全力で手を振る。
「今日は来てくれて、ありがとうございまーす!」
ざわ、と空気が揺れた。
よしよし。反応はゼロじゃない。ここから育てるのだ。
ちなみに今日は、伴奏なし。儀礼の祈りを、ステージの上でやる段取りになっている。
つまり、アカペラ。
上等だ。地下ライブで、音響トラブルのとき何度もやってきた。
私は一歩前に出て、息を吸った。
神様、今日もここにいてくれてありがとう。
私は、ここにいます。
広場に、私の声だけが広がっていく。
野外は音が逃げるから、少しだけ強めに。でも、叫ばない。一番後ろの、空席の向こうで立ち見をしているおばあさんにも届くように。ちゃんと、あなたに向けて歌ってるよ、と思いながら。
サビを歌い終えたとき、ふっと、風がやんだ。
あれ、と思った。
空気が、やわらかい。日向ぼっこをしているときみたいに、肩のあたりがぽかぽかする。
(……なんか、今日のステージ、居心地いいな)
客席を見ると、遠巻きだった人たちが、いつの間にか少し前に出てきていた。腕を組んでいた人が、腕をほどいている。咳をしていた子どもが、ぽかんと口を開けて私を見ている。
みんな、なんだか、気持ちよさそうな顔だ。
うん、いい空気。こういうの、好き。
最後のフレーズを歌い切って、深く一礼した。
一拍おいて、ぱらぱらと拍手が起きた。
控えめだけど、さっきよりずっとあたたかい。
*
ステージを降りて、舞台袖へ向かう。
途中で、最前列に並ぶ人たちの顔が目に入った。老人が多い。腰の曲がったおじいさん、杖をついたおばあさん。みんな、まだ席を立たずに、こちらを見ている。
私は足を止めて、横にいたレオンハルトさんに聞いた。
「あの、握手会とかって、やらないんですか?」
「……握手会?」
「はい。ファンの人と、一人ずつ握手して、お話しするんです。顔を見て、ありがとうって言って、また来てねって言う。これが一番、距離が縮まるんですよ」
「聖女様と民が、直接手を取り合うなど……」
「ダメですか?」
「ダメ、とは言いませんが……前例が……」
「前例がないなら、今日が初回ですね!」
さっきも言った気がするな、このやり取り。
結局、握手会は決行された。
長い列ができたのは、予想外だった。珍しいもの見たさだと思うけど、並んでくれるなら大歓迎だ。
「来てくれてありがとう!」
最初に手を握ったのは、腰の曲がったおじいさんだった。
「聖女様……この年寄りに、もったいない……」
「いえいえ、こちらこそ! 来てくれて嬉しいです! また来てくださいね!」
にっこり笑って、両手で包み込むように握る。ファンサの基本だ。目を見る。笑う。ちゃんと、あなたに向けて言ってるよ、と伝える。
おじいさんが、固まった。
「……聖女様」
「はい?」
「腰が。腰が、痛くない」
「えっ、よかったですね! 握手会効果ですね! 元気出たんだ!」
私は笑顔で手を振って、次の人に向き直った。
次は杖のおばあさん。その次は咳き込んでいた子ども。
最後の人を送り出したとき、広場の空気が、最初とはまるで違っていた。
レオンハルトさんが、私の隣に立った。顔が、さっきより白い。
「……聖女様」
「はい!」
「今のは……」
「ファンサです! やっぱり、ファンサって大事ですよね!」
「……ファンサ、ですか」
「はい!」
彼は、遠い目で広場を見渡した。
「ファンサ……」
その背中を見ながら、私は思った。
(レオンハルトさん、ちょっと疲れてるな。差し入れ、考えとこう)
*
握手会の翌週、私は会議室に呼ばれた。
部屋の中には、レオンハルトさんのほかに、見慣れない人たちが並んでいる。
私の衣装を縫ってくれているお針子のマルタさん。魔導灯を管理するヨハンさん。パイプオルガン奏者のセシルさん。会場設営担当の、がっしりした男の人たち。
全員の顔に、はっきり書いてあった。
『どうせ今回も、お飾り聖女の担当か』
わかる。無名の頃って、スタッフさんも『はいはい、今回もこの子ね』くらいの感じだったりするよね。
私は、立ち上がって頭を下げた。
「聖女のミオです! 今日から一緒にお仕事させてください! お世話になります!」
一瞬、部屋の空気が固まった。
あ、頭を下げるの、早かったかな。でも、裏方さんあってのステージだし。
「……聖女様が頭を下げるなんて」
誰かが小さく言った。
「え? だって、みなさんがいなかったら、ステージ立てないですから」
マルタさんが、ぱちくりと瞬きした。
「それと、マルタさん! この前の衣装、すっごく可愛かったです! いつも本当にありがとうございます!」
「あ……ああ、あれは、まあ、ありあわせの布で……」
「ありあわせであのクオリティ、すごすぎます!」
マルタさんの耳が、赤くなった。
私は、持ってきた紙を机に広げた。
「それでですね。ちょっと相談があって」
「相談、ですか」
「グッズとかって、作らないんですか?」
全員の動きが止まった。
レオンハルトさんが、遠い目をしたまま言った。
「……グッズ?」
「はい。たとえば、聖女の絵姿のカードとか。タオルとか。ちっちゃいお守りとか。来てくれた記念になるもの。地域限定の何かもあると、ファンの人は絶対集めたくなります」
「なぜ、そのようなものを」
「ライブに来てくれた思い出って、形に残したいじゃないですか。家に帰って、ふっと見て、『あの日、楽しかったな』って思い出せる。それがあると、また来たくなるんです」
「……売るのですか? 聖女の姿を」
「あ、売るというか、教会の運営費にもなりますし。みんなのお給料にもなるし」
お給料、のところで、がっしりした男の人たちの目が変わった。
……大事だよね、お給料。
結果から言うと、グッズは最初、散々だった。
二日目の王都広場に、絵姿カード売り場を置いたけど、ほとんど売れなかった。
ただ、握手会の後にもう一度出してみたら、様子が一変した。
「聖女様のカード、ください!」
「うちの子の分も!」
「ひとつ、いや、三つ!」
あっという間に、在庫が消えた。
マルタさんが、帳簿を見ながら呆然としている。
「……三日で、今回の巡教分が、すべて売れました」
「ほんとですか!? わあ、みんな買ってくれたんだ!」
私は素直に嬉しかった。
「次は、タオルも作りましょうか! 小さい布なら、マルタさんにも負担かからないし!」
「……作りましょう」
マルタさんは、いつの間にか針を握り直していた。
隣でレオンハルトさんが、小さく呟く。
「……あのカードを持った病人が、翌朝、起き上がったという報告が、複数……」
「え? なんか言いました?」
「いえ。何も」
*
ついに地方公演が始まる!
地下アイドルをやっていた頃は、ツアーなんてなかなかできなかった。
それが今は、聖女になったおかげで、各地を回れるらしい。
めちゃくちゃ嬉しい!
最初の町は、王都から馬車で三日の、山あいの小さな町だった。
到着してすぐに、私はぐるっと会場を見て回った。会場といっても、町の広場に急ごしらえの台が組んであるだけ。
私は、ぐっと拳を握った。
「みなさん、ちょっと集まってください! ステージの相談がしたいです!」
ヨハンさんたちが、ぞろぞろと集まってくる。
私は、地面に石で、広場の見取り図を描き始めた。
「このステージ、もう少し前に出したいです。奥行きがありすぎると、後ろの人から顔が見えないので」
「前に出すと、足場が……」
「じゃあ、横を広げましょう。で、左右に花道みたいに、細い通路を伸ばすのはどうでしょう? そこを歩いて、近くのお客さんにも手を振れるから」
大工さんたちが顔を見合わせる。
私は、続けた。
「ヨハンさん、照明はお願いします。最初は暗くして、曲が始まったら一気に明るく。サビで私に光を集めて、最後はぱーっと全体に広げる感じで!」
「……魔導灯の出力を段階的に切り替える、と」
「それです!」
「それなら、できる」
ヨハンさんが、ぼそっと言った。無口な人だ。それだけで、胸が熱くなった。
「セシルさんは、最初の曲、オルガンでイントロをお願いします。ゆっくり、荘厳なやつ。そこから急にテンポを上げたいので」
「テンポを……急に?」
「そうです。みんなの心が、びっくりしてから、ぐわっと盛り上がる感じで!」
セシルさんが、にやりと笑った。
「面白そうですね」
それから私たちは、夜遅くまで、ステージを作った。
曲順をどうするか。MCをどこに入れるか。登場の仕方はどうするか。花束を渡す演出は、観客の安全を考えて、どう動線を作るか。
裏方のみんなが、あれこれ意見を出してくれる。最初は私の話を聞くだけだった人たちが、気づけば、あっちこっちで声を上げていた。
「聖女様、登場は後ろからのほうがいいんじゃないですか」
「お客さんが振り向いたとき、一番盛り上がる位置ってどこですかね」
「ここに柵を置けば、握手会の列も作りやすいですよ」
あ、これだ。
この感じ。みんなでステージを作る、あの感じ。
私は、胸の奥がじんわりした。
「みんな、ありがとう。絶対に、いいステージにしようね」
誰かが、小さく笑った。
「……お飾り聖女のステージに、なんでこんな本気になってるんだろうな」
「さあな。だが悪くない」
そんな会話が聞こえて、私は聞こえないふりをして、にやけた。
*
本番の日。
広場には、思っていたよりずっと多くの人が集まっていた。後ろのほうは立ち見だ。
幕の裏で、私は深呼吸をした。
足は震えていない。むしろ、わくわくしている。
ヨハンさんが、親指を立てた。セシルさんが、オルガンの前でうなずいた。マルタさんが、最後の衣装の裾を整えてくれる。
「聖女様。いってらっしゃい」
「いってきます!」
低く、重い音が響いた。
オルガンの、荘厳なイントロ。広場が静まる。人々が息をのむ気配。
その静けさを、一拍。
そして、セシルさんの指が、一気に跳ねた。
テンポが変わる。ステージの照明が、一斉にぱっと灯る。
私は、舞台に飛び出した。
「みなさーん! こんにちはー!」
歓声が上がった。
あ、聞こえる。声が届いてる。
最初の曲は、デビュー曲を、ちょっとアレンジしたもの。
ステップを踏みながら歌う。観客の顔が見える。おじいさん、子ども、仕事帰りのような人たち。
サビで、ヨハンさんの魔導灯が、私に集中した。
真っ白な光の中で、私は両手を広げた。
手のひらから、何かが溢れるような気がした。
(わ、今日のライトの演出、めちゃくちゃ綺麗……!)
歌い終わる頃には、広場の空気が変わっていた。
泣いている人がいる。笑っている人がいる。隣の人と抱き合っている人がいる。
私は、花道を歩いた。
「ありがとう! 来てくれてありがとう!」
手を振る。笑いかける。投げキッスも一個、サービスで。
その瞬間、広場を囲んでいた古い木々から、一斉に新しい芽が吹いた。
「わ、春だ……」
誰かが呟いた。
……あれ? 今って秋だよね?
まあ、いっか。きれいだし。
最後の曲で、会場全体が、一つになった。
誰かが、手拍子を始めた。それが波みたいに広がって、いつしか、全員が一緒に手を叩いていた。
私は、ステージの中央で、思いきり声を張った。
「ありがとうございましたー!」
拍手が降り注いだ。
舞台袖に戻ると、スタッフのみんなが全員、立って待っていた。
私は、にっこり笑った。
「今日のライブ、めちゃくちゃ盛り上がった! みんなのおかげです!」
レオンハルトさんが、静かに近づいてきた。
「聖女様」
「はい!」
「あの……広場の、病人たちが」
「え?」
「ライブの最中に、全員、起き上がったと」
「それは嬉しいです! 音楽って、元気になりますもんね!」
「…………はい」
レオンハルトさんは、何かを飲み込むように目を閉じた。
……やっぱり、疲れてるんだな、この人。次の町で、ちょっといいお茶を探そう。
*
町から町へ。村から村へ。毎回ステージを作り、毎回握手会を開いた。小さな町では、全員の名前を覚えるつもりで挨拶した。
王都から馬車で三日の山あいの町を皮切りに、国のいちばん端まで。そこから折り返して、同じ道を王都へ向かって戻っていく。
行きは「はじめまして」ばかりだった道が、帰りは、だんだん「ただいま」の道になっていく。
そして、折り返しの旅の途中。
私たちは、最初に巡った、あの山あいの町に帰ってきた。
私は、信じられない光景を見た。
広場の入口に、横断幕がかかっていた。
『おかえり、聖女様!』
その下に、子どもたちが並んでいる。手作りの旗を持って。
「聖女さまー! 待ってたー!」
「帰ってきたー!」
「ねえ、また歌ってくれる?」
私は、足が止まった。
半年前、この町に来たとき、「聖女? へえ」と言っていた人たちだ。同じ人たちだ。
それが、今は。
「……覚えててくれたんだ」
声が、うまく出なかった。
「もちろん! 前のライブで、うちの子の熱が下がったんだ。それから、毎日この日を待ってた」
近づいてきたのは、前回の握手会で、最後尾にいたお母さんだった。
「また会えて、嬉しい!」
私は、思わず駆け寄って、その手を握った。
「本当に、また会えて嬉しいです!」
お母さんが、泣き出してしまった。
ええっ、泣かせるつもりじゃなかったのに。
周りの人たちが、笑いながら私たちを囲んだ。
その輪の外側で、レオンハルトさんが、ぽつりと言った。
「遠い都にいたはずの聖女が、自分たちのところまで来てくれる存在に、変わったのですね」
私は聞こえなかったふりをして、お母さんの手を握り続けた。
だって、泣きそうだったから。
*
その夜、宿の廊下で、私は奇妙な光景を見た。
レオンハルトさんが、分厚い古い本を抱えて、司祭様と小声で何かを話している。
二人とも、顔が青い。
「……間違いありません。笑顔で人を癒し」
「歌によって祈りを届け」
「触れることで、穢れを払う……」
「古い聖女の記録と、全て一致しています」
あ、何の話だろう。
私が近づくと、二人は飛び上がるように本を閉じた。
「あ、聖女様」
「何の本ですか? 昔の聖女さんの記録?」
「……はい。少し、調べ物を」
「へえ。昔の聖女さんのこと、私も知りたいな!」
「……知りたい?」
「だって、昔の聖女さんも、歌ったり手を振ったりしてたんでしょう? 聞こえちゃいました。ほら、やっぱり、ステージに立つ人は、みんな一緒なんだなぁって」
「…………」
二人は、顔を見合わせた。
レオンハルトさんが、絞り出すように言った。
「聖女様。念のため伺います。ご自身では、その……ご自分の力について、どう思っておられますか?」
「力? ああ、ファンサ力ですか? 最近、すっごく効いてますよね! この世界、ファンサへの反応、すごくないですか? みんな、めちゃくちゃ喜んでくれるし!」
二人は、目を閉じた。
司祭様が、そっとレオンハルトさんの肩を叩いた。
「……黙っておきましょう」
「……ですね」
何を?
私は首をかしげたが、すぐに別のことを思い出した。
「あ、そうだ、レオンハルトさん。明日の新曲、ちょっとアレンジ入れたいんで、セシルさんに伝えといてください!」
「……承知しました」
レオンハルトさんの声は、悟りを開いたみたいだった。
*
巡教の最後の地は、王都の大聖堂だった。
私は、その大聖堂の前に立った瞬間、拳を突き上げた。
目が覚めたあの朝、「会場、昇格した?」と思った場所だ。
あのときの私、ほぼ正解だったな。
「ついに、ドームですね!」
「いえ、あの、ドームでは……」
レオンハルトさんが、反射的に訂正しようとして、途中でやめた。
大聖堂の中には、見たことのない数の人が集まっていた。
これまで巡った町の人たち。握手会で名前を呼んだおじいさんもいる。ライブで熱が下がった子の、あのお母さんもいる。マルタさんの縫った衣装を着た子どもたちまでいる。
舞台の袖で、スタッフたちが、一人ずつ私を見ていた。
ヨハンさん。セシルさん。マルタさん。大工のおじさんたち。レオンハルトさん。
最初は「どうせお飾り」と言っていた人たちが、今は、全員同じ目をしていた。
「聖女様」
ヨハンさんが、ぼそっと言った。
「最高の光を、出します」
「ありがとう。お願いします」
マルタさんが、私の衣装の襟をそっと直した。
「あんたは、いい子だよ」
「マルタさんこそ、最高の衣装屋さんです!」
「……ばか」
鼻をすする音がした。
オルガンが鳴る。
私は、大聖堂の扉の向こうへ、踏み出した。
光が、降ってくる。
ヨハンさんの魔導灯が、天井のステンドグラスを透かして、色とりどりの光を床に落とす。床一面が、虹色になった。
観客が、息をのんだ。
「みなさーん! ツアーファイナルに、来てくれて、ありがとうございまーす!」
歓声が、天井を揺らした。
私は、歌った。
最初の曲。次の曲。MCで、笑わせて、少しだけ泣かせて、また笑わせる。
ステップを踏む。花道を駆ける。手を振る。目が合った人には、必ず笑う。
サビで、全部の光が私に集まった。
最後の曲は、一番最初に礼拝堂で歌った、あの歌だ。
神様、今日もここにいてくれてありがとう。
歌いながら、私は思い出していた。
目が覚めたときのこと。「会場、昇格した?」なんて言ってた朝のこと。
お飾り、ビジュアル担当、ステージのセンター。そう言われて、本気で「最高じゃん!」と思った。あの気持ちは、今もちっとも変わらない。
センターに立てて、よかった。
そして、ここまで一緒に作ってくれたみんなに、会えてよかった。
最後のフレーズを、両手を広げて、歌いきる。
その瞬間だった。
大聖堂の床から、天井へ向かって、光の柱が立ち上がった。
誰も触れていないのに、ステンドグラスの全ての窓が、同時に輝く。
古い壁が、ぱあっと、新品みたいに白くなる。
祭壇の脇の枯れた庭木が、一斉に花を咲かせる。
観客の傷が、涙が、疲れが、病が、すうっと消えていく。
大聖堂の外から、鐘の音が響いた。
一つ。
また一つ。
やがて、街中の鐘が、勝手に鳴り響いた。
私は、ぽかんと口を開けた。
「…………え、今日の演出、すごくない?」
客席のどこかで、誰かが言った。
「……奇跡だ」
別の誰かが言った。
「いや、これは……聖女様だ」
えっと、私、聖女ですけど。
もしかして今、褒められてる?
私は、大きく手を振った。
「ありがとうございましたー!」
割れんばかりの拍手と歓声が、大聖堂を埋め尽くした。
*
ライブが終わった夜。
控室で、私は椅子にぐったりと座っていた。
最高に、楽しかった。足はぱんぱんだし、喉もからからだけど、そんなの、どうでもいい。
ドアが、静かに開いた。
レオンハルトさんだった。
その後ろに、司祭様。さらにその後ろに、記録官の人たち。なんだか大所帯だ。
「聖女様」
「あ、レオンハルトさん! お疲れさまでした! 今日の舞台、最高でしたね!」
「……はい。最高でした」
彼は、私の前に立ち、少し黙った。
それから、とても静かな声で尋ねた。
「聖女様。一つだけ、お聞かせください」
「はい?」
「……あなたは、一体何者なんです?」
なんだろう、この質問。哲学かな。
「前は別の世界で、地下アイドルやってました!」
にこっと笑って答える。
部屋の中が、静まり返った。
レオンハルトさんが、ゆっくりと口を開いた。
「……別の、世界」
司祭様が、続いた。
「……地下」
記録官の一人が、震える声で言う。
「……偶像」
「……崇拝される存在……」
レオンハルトさんの顔から、血の気が引いていく。
「……あのときの『転生』……」
誰かが、震える声で呟いた。
「……神の世界から、来られた……?」
「やはり、この方は……」
全員が、一斉に、ひざまずいた。
「えっ!? ちょ、ちょっと待って、みなさん!? どうしたんですか!?」
私はおろおろして、立ち上がった。
レオンハルトさんが、床に額をつけたまま、絞り出すように言った。
「聖女様。……我々は、とんでもない思い違いをしておりました」
「え? 思い違い?」
「お飾りなどと……なんたる、無礼を……」
「いやいやいや、お飾りがいいんですよ!」
私は慌てて手を振った。
「だって、ステージのセンターに立つ、ビジュアル担当ですよね? 私、それが天職なんで! むしろ誇りです!」
「…………」
レオンハルトさんが、顔を上げた。
その目に、涙が光っている。
「……聖女様は、最後まで、そのお立場を貫かれるのですね……」
「え? はい? 貫く……?」
何言ってるんだろう、この人たち。
まあ、みんな、今日はテンション高かったしな。無理もない。
私は、パンと手を叩いた。
「はい! じゃあ、みなさん、立って立って! 打ち上げやりましょう! ライブのあとは、みんなで美味しいもの食べるのが、決まりなんです!」
「打ち上げ……」
「そうです! ほら、マルタさんも、ヨハンさんも、セシルさんも、みんな呼んで! 今夜は、ぜんぜん寝かせませんよ!」
困惑した顔のまま、それでもレオンハルトさんは、ふっと笑った。
それは、初めて会った朝には見たことのない、柔らかい笑顔だった。
私は、にっこり笑い返した。
やりたいことは、まだまだたくさんある。今から次のツアーが楽しみだ。
「それじゃあ、みなさん」
大きく息を吸って、手を挙げる。
「今日も、お飾り、頑張ります!」
控室に、大きな笑い声が弾けた。
窓の外では、街中の鐘が、まだ鳴り響いていた。




