第37話 王命討伐軍
夜明けの空は、残酷なほど澄んでいた。
昨夜まで火が上がっていた王都も、今は何事もなかったかのように静まり返っている。だが、それは嵐の前の静寂だった。
丘の上に立つアレンは、昇る朝日を黙って見つめていた。冷たい空気が肺に入り、胸の奥を刺す。眠っていない目は赤く、それでも揺らぎはなかった。
背後から、足音。
「王命が出ました」
参謀の声は、低く、重い。
「第四王命。グリード領主アレンを反逆者と認定。討伐軍を編成……総勢三万」
三万。
その数字は、風の音よりも重く丘を沈黙させた。
グリード領の常備兵は、精鋭でも三千に届かない。
十倍。
まともにぶつかれば、すり潰される数だ。
それでも。
アレンは振り返らなかった。
「……そうか」
短い言葉。
だがそこに、恐怖はなかった。
参謀が思わず問う。
「後悔は?」
ほんの一瞬だけ、沈黙が落ちる。
アレンは目を細め、遠く畑を見た。朝露に濡れた麦。煙突から上がる白い煙。走り回る子ども。昨夜の戦いなど知らない、小さな日常。
「あるさ」
静かな答え。
「もっと上手くやれたかもしれない。戦わずに済む道も、あったかもしれない」
参謀は息を呑む。
「だが」
アレンはゆっくり振り返った。
「彼を見殺しにする道だけは、選べなかった」
その言葉は、強くもなく、叫びでもなく、ただ真実だった。
◇◆◇
その頃、王都。
巨大な軍旗が翻り、重装歩兵が列を成す。騎兵、弓兵、魔導兵器を牽く車輪。整然と並ぶ軍勢は、圧倒的だった。
若い騎士が隣の老兵に小声で言う。
「本当に反逆者なのですか」
老兵は答えない。
ただ、遠くを見る。
「命令だ」
それが全てだった。
だがその目には、迷いがあった。
◇◆◇
グリード領。
救出された兵士が、アレンの前に立つ。
まだ顔色は悪い。それでも、目はまっすぐだ。
「俺のせいです」
彼は深く頭を下げた。
「俺一人の命で、三万の軍が動く。俺は……」
声が震える。
だがアレンは、ゆっくりと首を振った。
「違う」
兵士は顔を上げる。
「これは、俺が選んだ」
その言葉に嘘はない。
「お前は、剣を振らなかった。それだけだ」
一歩、近づく。
「俺は、それを守りたかった」
兵士の喉が鳴る。目に涙が滲む。
「……なぜですか」
アレンは少しだけ空を見上げた。
「俺も、昔そうだったからだ」
誰にも言わなかった過去が、ほんの少しだけ零れる。
「振れなかった。振りたくなかった。だから無能と呼ばれた」
風が吹く。
「でもな」
視線を戻す。
「それは、弱さじゃなかった」
その瞬間、周囲にいた兵たちの背筋が伸びた。
◇◆◇
広場に兵が集められる。
三千。
数は少ない。だが誰一人、視線を逸らさない。
アレンは壇上に立つ。
大声ではない。
それでも、全員に届く声だった。
「王命が出た」
ざわめきが広がる。
「俺は、反逆者だそうだ」
小さな笑いが漏れる。
「逃げたい者は逃げろ」
空気が凍る。
「家族を連れて、今すぐでもいい。責めない」
誰も動かない。
誰も。
長い沈黙。
やがて、一人の老人兵が前に出た。
「若」
その呼び方は、昔のままだった。
「わしはあの日、剣を振った」
静かな告白。
「守るためだと信じていた。だが、守れなかった」
震える手を握りしめる。
「今度こそ、守りたい」
その言葉に、若い兵が続く。
「俺もです」
「俺も」
声が重なる。
波のように。
アレンの胸の奥が、強く鳴る。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
◇◆◇
丘の上。
王都からの土煙が見える。
討伐軍だ。
圧倒的な数。
恐怖がないわけではない。
だが、それ以上に――
守りたいものがある。
アレンは剣を抜く。
陽光が刃に宿る。
「戦うぞ」
叫ばない。
だがその声は、確かに震えていた。
恐怖ではない。
覚悟の震え。
「勝つためじゃない」
兵たちを見る。
「守るために」
その瞬間、三千の剣が一斉に抜かれた。
金属音が、空を震わせる。
涙を拭う者。
歯を食いしばる者。
静かに微笑む者。
彼らはもう、命令で動く兵ではなかった。
選んで立つ者たちだった。
遠くで戦鼓が鳴る。
三万の軍勢が迫る。
だが丘の上には、確かに熱があった。
小さい。
だが消えない火。
アレンは前を向く。
「来い」
その一言は、祈りであり、宣言だった。
守るための戦いが、始まる。
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