第2話 貴族会議と、裏の命令
翌朝。
いつもより早く目を覚ました。
外はまだ薄暗く、窓の外には霧が漂っている。
だが、胸の中は妙に静かだった。
(今日からだ。無能を演じながら生き延びる計画の、第一日目)
机の上には夜通し書き上げた覚書が山積みになっている。
領民の配給計画、倉庫の在庫整理、そして商人ギルドへの協力要請案。
すべて、俺が前世で得た“経済の知識”をもとに作った。
扉をノックする音。
「アレン様。朝食のご用意が整っております」
「ありがとう、ガリウス。……ああ、それと一つ命令を」
「命令、でございますか?」
「穀物庫の在庫を調べろ。昨夜言った通り、配給を始めたい」
「……配給、でございますか?」
「そうだ。明日には市場で配る。王都の監査が来る前に、民の不満を抑える必要がある」
ガリウスはしばし沈黙し、やがて深く頭を下げた。
「承知しました。ただし――公にはなさらぬよう」
「わかっている。俺が“無能”でなきゃ、都合が悪いんだろ?」
老執事は口の端をわずかに上げた。
その表情には、かすかな期待のようなものが宿っていた。
⸻
王城の会議室は、いつも通り重苦しい空気に満ちていた。
長机を囲む十数名の領主たち。
皆、金糸の服をまとい、贅沢な香水を漂わせている。
(うわ……この感じ、ゲームそのままだ)
議題は「南部領の税率引き上げについて」。
つまり、俺の領地がさらに搾り取られる話だ。
「クロフォード侯爵。あなたの領は相変わらず赤字続きと聞くが?」
「……まあな」
「税を上げることに異論は?」
「異論? ないとも」
俺はわざとにやりと笑った。
「どうせ、俺が何を言っても“無能”の一言で片付けられるだろ?」
会議室に冷笑が広がる。
「ははっ、確かに。お前が真面目に働く姿など誰も見たことがない」
「酒と女と怠惰に溺れる領主、だそうだな」
(よし、思った通りだ)
俺は彼らの笑い声を聞きながら、黙って書類を差し出した。
「では、これをどうぞ」
「なんだ、またくだらぬ報告書か?」
「うん。貴族会議用の“赤字報告”だ」
一見、いつも通りの無能報告書。
だが中身には“偽の数値”を混ぜてある。
実際の備蓄量を隠すことで、穀物配給の秘密を守るためだ。
(貴族たちは数字に興味がない。見栄と面子で動く連中だ)
「ふむ……相変わらず、無能ぶりが板についているな」
「まったくだ」
彼らの嘲笑の中で、俺は心の中でほくそ笑んだ。
“無能”という仮面ほど、自由に動けるものはない。
⸻
会議が終わると、俺はすぐに馬車に乗り込んだ。
行き先は――領内の穀物庫。
巨大な倉庫の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ込む。
並ぶのは古びた麻袋の山。だが、その多くは空に近い。
「……思ったより酷いな」
奥から倉庫番の老人が現れた。
背中を丸め、手には古い帳簿を持っている。
「アレン様……ここに何のご用で?」
「在庫を確認しに来ただけだ。……こっそりとな」
「は、はい……ですが、もう残りはわずかで」
俺は麻袋の一つを開け、中の穀物をすくった。
手のひらの上に転がる小麦は乾ききっていて、質が悪い。
「これじゃあ、冬を越せないな」
「ええ。領民は皆、畑を捨てて他領へ逃げ始めています」
老人の言葉に、俺の胸がずしりと重くなった。
(このままだと、革命なんて起こるまでもなく滅ぶ)
「……よし、わかった。残りの穀物を三割、配給に回せ」
「なっ……!? 三割も!?」
「いいんだ。表向きは“ネズミに食われた”ことにしておけ」
老人は一瞬固まったが、やがて理解したように頷いた。
「……かしこまりました、アレン様」
⸻
夜。屋敷の自室に戻ると、窓の外は雨。
遠くで雷が鳴っていた。
暖炉の火を見つめながら、ガリウスが静かに言った。
「アレン様。穀物の件、確かに手配いたしました」
「ありがとう。……それと、もう一つ頼みがある」
「何なりと」
「――“内通者”を探してくれ」
ガリウスの目が細くなる。
「内通者……とは」
「この領地の反乱は、内部から始まる。俺が知らないはずの情報が、革命軍に漏れるんだ」
それはゲームの記憶だ。
アレンの屋敷の中には、革命派と繋がる裏切り者がいる。
しかも、意外な人物だった――確か……。
(そうだ、あのとき裏切ったのは……誰だっけ?)
記憶が霞のようにぼやける。
どうやら転生の影響か、細部までは思い出せない。
「ガリウス。屋敷の使用人を監視しろ。だが、誰にも悟られるな」
「承知いたしました。……して、どのような形で?」
「“無能領主の道楽調査”としてやれ。俺が暇つぶしに噂を集めていると思わせる」
老執事の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「ふふ……見事な策でございますな」
「褒めるな。生き延びたいだけだ」
暖炉の火が、静かに弾けた。
⸻
翌朝。
配給の日。
市場の広場には、想像を超える数の人々が集まっていた。
母親が子を抱きしめ、老人が杖をつき、皆、怯えたように列を作っている。
「本当に……配るのか」
「嘘じゃないのか……?」
ざわめく群衆の中で、俺は壇上に立った。
「俺はアレン・クロフォード。この領地の主だ」
一斉にどよめきが起こる。
「怠惰卿が……何をしに?」
「また税を取る気だ!」
罵声も混じる。
だが俺は、怯まずに続けた。
「穀物を配る。ただし、子どもと老人を優先しろ。兵は監督に回せ」
一瞬、沈黙。
次いで、涙ぐむ声が広場を満たした。
「ほ、本当に……もらえるのか?」
「アレン様が……救ってくださるのか……?」
(違う。救うんじゃない。俺が生き延びるためにやってるだけだ)
そう思いながらも、胸の奥が熱くなる。
嬉しそうにパンを抱える子どもを見た瞬間、
この世界の“ゲームじゃない現実”を改めて実感した。
「……悪くないな」
ガリウスが後ろから囁く。
「アレン様、皆、貴方を見ております」
「見せておけ。無能の気まぐれだと思わせろ」
俺は静かに笑った。
――革命まで、あと二年。
それまでに、この領地を立て直す。
無能を演じ続け、裏では誰よりも賢く動く。
生き延びるために。
そして、未来を変えるために。
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