第19話 軍団長クレイグ、屈辱の選択
谷を満たす魔獣たちの咆哮は、王国軍第一軍団の兵たちの心を一瞬で折った。
槍を構えていた兵士は腕を震わせ、
盾を前に出していた兵士は足に力が入らず、
整然としていた隊列は、わずかな動揺で乱れ始める。
その中心で――軍団長クレイグだけが、微動だにしなかった。
(……魔獣軍団。しかも統率が取れている。
こいつ……どれほどの“異能”を隠していた?)
だが、軍団長はそれを顔に出さない。
あくまで“強硬派の象徴”として、鋼鉄の視線をアレンへ向ける。
「アレン・グリード――貴様、何者だ?」
その問いに、アレンは“無能らしさ”を完全に消していた。
「僕は……この領地と人々を守る者ですよ。
ただそれだけです」
静かに言う。
しかし、その声には確固たる意志があった。
魔獣たちが一斉にアレンの背後へ列を作る。
まるで彼を王と崇めているかのように。
その異様すぎる光景に、軍団長の側近が叫び声を上げた。
「ぐ、軍団長殿! 一旦退避を――!」
「黙れ。こんな状況で背を見せれば、本当に全滅するだけだ」
クレイグは低く言い放ち、アレンへ再び視線を向けた。
「……要求を言え。
この状況で我らが勝てぬことくらい、わかっている」
ついに軍団長が折れた――
兵士たちにとって、その言葉は衝撃でしかなかった。
「軍団長が……降伏……?」
「あり得ない……! あのクレイグ様が……!」
軍の士気はさらに沈む。
(よし……狙い通り“主導権”はこちらのものだ)
アレンは一歩、軍団長へ歩み寄った。
そして――口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「では、条件を提示します」
兵士たちが息を呑んだ。
アレンの言葉は、静かで、だが逃げ場のない刃のように響き渡る。
「第一軍団は、この領地から即時撤退すること。
その上で――査察結果を『アレン領は問題なし』と王都へ報告してください」
当然、反発が起こる。
「む、無茶だ! そんなこと出来るわけが――!」
「軍団が虚偽報告など――軍法会議ものだぞ!」
だが、クレイグだけは沈黙していた。
(どうする?
プライドを選べば……お前はこの谷で死ぬ。
軍団長の命令ひとつで千の兵が無駄死にする。
それで王都に帰れるのか?)
アレンは何も言わない。
ただ、魔獣たちを背にして佇む。
その静かな圧迫こそが、最も恐ろしかった。
――長い沈黙。
そして。
軍団長クレイグは、甲冑越しでも分かるほどに拳を握りしめ――
屈辱に歯を食いしばりながら、言った。
「……撤退だ。
第一軍団、アレン領より退く!」
兵士たちは叫び声を上げ、半ば混乱しながらも命令に従った。
クレイグは去り際、アレンにだけ聞こえる声で呟いた。
「……この恥辱、必ず王都が覚えておけと言っているぞ」
アレンはにこりと微笑む。
「その頃には、王都の情勢も変わっていると思いますよ?」
一瞬、軍団長の眉が跳ね上がった。
だが彼は何も言わず、部隊と共に谷を去っていく。
魔獣たちが咆哮し、森へ散っていく。
アレンは深い息を吐いた。
(――これで、“処刑イベント”は完全に回避。
王都は慌てるだろうな。
次は……こっちの反撃だ)
無能領主の逆転劇は、まだ始まったばかりだった。
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