06.飼養
この一年ほどですっかりアイルの日課となっている
朝の裏庭の霊園での祈りを済ませると母屋に戻る途中で
その存在に気が付いた。
塀の片隅で力なく蹲り、苦し気に喘ぐ
その生き物も同時にアイルに気が付いた様で
顔をこちらに向けるとフラフラと立ち上がり
か弱く唸り声をあげた。
スラム育ちのアイルにとって野良犬なんて
慣れたものだが今相対した存在は犬の形を
しているが犬ではない。
魔物!?逃げなきゃ・・・
スラムを生き抜く嗜みとして
最低限の武器の扱いはできるが
ここは館の敷地内だ。
館にはモンショの結界が張ってあったのも
あって当然武器なんて持ち歩いていない。
「朝ごはんはもうとっくにできておるぞ?」
不意に声が響き、優しく肩を叩かれると
その後ろにはマグを片腕に抱くモンショの姿があった。
アイルが朝ごはんができても戻ってこなかったので
その気配を追ってみるとその感じ取られる様子が
少し妙だったので見に来たのだ。
「おじい様!!」
「魔物が・・・」
『うむ・・・』
当然、それはアイルを見つけたと同時に
モンショも気がついていたが結界が破られた訳では無い。
つまり結界から害がないと判断されてしまう程に
衰弱しきっているのだ。
『死にかけだな』
「ねぇね、ねぇね・・・」
まるで状況の解らないマグは大好きな祖父の
腕の中から同じく大好きな姉を見つけて
その小さな手を伸ばした。
頼れる祖父が来たことで安心しきっていたアイルは
弟のその姿に微笑むとモンショの腕からマグを
受け取って優しく抱きかかえた。
「はい、おねぇちゃんですよ-」
「死にかけ・・・ですか?」
弟をあやしながらアイルはモンショを仰ぎ見た。
『結界も改良の必要があるかもしれんな』
死にかけでも大事な孫たちに危害を加え得る
魔物たちもいるだろう。
もう少し厳重にしておくか。
近づいてよく見てみれば酷い様だ。
恐らく皮膚病に感染しているのだろう。
何の魔物かわからないほどに体毛はほとんど
抜け落ちてしまっているし露出している爛れた
皮膚にはいくつもの深い傷が見て取れた。
無事な部分も自分で掻きむしったのか無数の
ひっかき傷だらけだった。
その魔物は対峙するモンショの気配から何かを
感じ取ったのか諦める様に力なくその場に
へたり込んでしまった。
「わんわん!!」
マグがアイルの腕の中から魔物を見つけて
目を輝かせて手を伸ばした。
「わ!ダメですよ」
ジタバタと手足をバタつかせる弟に四苦八苦している
アイルの頭を優しく撫でるとマグを受け取って
魔物の目の前にしゃがみこんだ。
『そうだな・・・』
『わんわんだ』
モンショの腕の中でマグが魔物に触れたそうに
手を伸ばし続けているが流石に皮膚病の魔物に
触らせる訳にはいかない。
魔物はそもそも人間より病気に強い。
その魔物がかかる病が人にもうつるもので
あったのなら大変なことになる。
「可哀そう・・・」
おずおずとモンショの横に立った
アイルが痛ましそうな瞳で傷だらけの
魔物を見つめた。
・・・ふむ。
モンショはスゥっと息を吸った。
研究室でしか咥えなくなったパイプが口元になくとも
その深く息を吸い込むクセだけは変わらなかった。
魔物はおろか人の間にも同情を呼び込んでおいて
襲う隙を伺う下劣な奴らがいる。
不用意な同情などは全くもって不要だ―――
かつてのモンショならばここで孫たちに
そう教え込んでいた。
それは確かにいつかは教えなければならない事だろう。
が、それはきっと今じゃない。
育児の勝手など何も解らず、街で買い求めた
育児本を読み漁ってその辺はちゃんと理解したつもりだ。
その育児本の中に子供と一緒に動物を育てる意義が
書いてあった。
動物と触れ合うことで豊かな感受性と
コミュニケーション能力が育つ――――と。
それは自分が孫たちに教える事が一番難しいものだ。
何せそれを自分自身が産まれてこの方全く
持ち合わせておらず、むしろオリ―から
それを教えられている立場であったのだ。
これも良い機会であるのかもしれない。
『助けてやるとするか・・・』
この魔物を助けて孫たちに懐くのであれば
それはそれで良し。
懐かないのであって逃がす事になるのだとしても
他者を救ったその成功体験は貴重な糧となるだろう。
「え・・・?」
と祖父の意外な提案に顔を向けると魔物に触れて
回復魔法をかけていた。
意外過ぎたのはその魔物も一緒で傷が治って
大きく飛び跳ねてその恐ろしい存在から
距離を取ろうとしたが皮膚が突っ張るその身体では
うまく動けなかった様だ。
中地半端に距離を取り唸り声をあげていた。
モンショはそれに意にも返さず魔物に触れた
自身の手を見た。
「・・・カビか」
病を治す魔法もあるにはあるが
それは専門外で神官の類が得意とするものだ。
モンショはそっち系は回復魔法がギリ使える程度であった。
だが、原因がわかってしまえば癒すことは容易い。
孫たちに触れてしまわない様にその手を
魔力で洗浄するとマグをアイルに渡して
その魔物をひょいと持ち上げた。
魔物は大人しかった。
一匹で勝てる相手ではないと言うことが
本能的に理解できていたし、傷を癒してくれた
その相手からは敵意を感じなかった。
『さて、遅くなったが朝食としよう』
『お前も来い』
朝食が済むとその魔物にお前も朝食とばかりに
モンショは肉を差し出した。
差し出されたそれに不審げに魔物は鼻を
ひくつかせたが傷ついた身体でしばらく
獲物にありつけていなかった魔物はその食欲に
勝てず、何か危害を加えるなら承知しないぞと
言いたげに唸り声をあげ睨みつけながらその
肉を受け取った。
『さて、これからお前たちにも
手伝って貰わなければならぬ・・・』
『この魔物は見ての通りに皮膚病に
侵されているからな』
『根気強く治療する必要があるだろう』
勿論嘘だ。
その気になれば一瞬で治療してしまう事もできる。
だが、それでは意味がない。
「治せるのですか?」
『ワシにできぬことなどないわ』
その言葉と共に邪悪な微笑みがモンショから
漏れていたが、アイルはもうすっかり
それに慣れてしまっていた。
『この薬を湯に溶かしてそやつを沐浴させて・・・
ついでにこの薬も塗ってやってくれ』
『体力もつける必要があるだろう』
『餌をあげるのも忘れずにな』
「わかりました。おじい様」
ワシは他にやることがあるからその世話を
頼んでよいかと祖父に問われアイルは笑顔で答えた。
「あ・・・」
「もしマグが触れてしまっても大丈夫なのでしょうか?」
「それにいきなりマグが襲われでもしたら・・・」
『その心配は無用だ』
自分より弟のことを気にする優しい姉に
モンショも思わず口元が緩む。
モンショが手を魔物に掲げるとその首に
首輪が現れた。魔物は急に現れたそれを
嫌がってはいたが悪いが我慢してもらおう。
こちらとしても孫をわずかにでも危険な目に
合わせる気などは無い。
さっそくと、アイルは作った薬湯に魔物を
誘導すると最初、嫌がってはいたが
最後は大人しく入ってくれた。
数日も発てば、癒え始めたその身体に
アイルが病を癒そうとしてくれていることに
気が付いて、同じく「わんわん!」と
親し気に自らを呼びながらアイルのその腕の中から
手を伸ばしてその身体を撫でようとする
マグにも懐いたようで親愛の情を示す様に魔物は
アイルとマグのその顔を優しく舐める様になっていた。