8話
現れたのは、ウサギ耳のカチューシャを付けた受付嬢、菅野愛理だった。落ち着いた笑みを浮かべたその姿は、十色とはまた違った安心感を与える。
「あ、菅野先輩、お疲れ様です。今日は遅番じゃなかったんですか?」
「なんだか嫌な予感がしたから……ほら、やっぱり逃げようとしてるでしょ、苦楽さん」
「ちっ」
苦楽が舌打ちをし、肩を落とした。
「今日もダンジョン肉の買取、ありがとうございます。いつも助かっています」
「苦楽さんは今日は売りたくないみたいですよ」
十色が不思議そうな顔をしながら言う。
「探索者の人たちはそう言うわよね。でも、そこをどうにかするのが、私たちの仕事なの」
「ほえ?」
十色が子どもっぽく首を傾げた。
「どうして探索者が、うちに売りたくないのか。それは、ダンジョン肉って、民間企業に売ったほうが高く売れるからなの」
「そうなんですか!?」
目を丸くする十色に、愛理は書類を整理しながら説明を続ける。
「うちで買い取る一階層の肉は、一個あたりだいたい8千円程度。だけど民間なら3万円近くになることもあるわ」
「そんなに違うんですか?!」
「最近じゃ、美容効果があるってSNSで話題になってるでしょ。特にインフルエンサーがこぞって宣伝してるせいで、若い子の間じゃ“魔肉”とか呼ばれてるし」
「お肌ぷるぷるになるって話、私も聞いたことあります!」
「需要が高まれば価格も高騰するけど、公的機関はそれに即応できないのが現実。買取価格は“厚労省の指針”で決まってるから、現場が勝手に上げるわけにはいかないのよ」
「なんだか、いかにもお役所仕事って感じですね……」
「あなたもその“お役所”の一員なんだけど?」
「あっ……うっかりしてました」
十色はアニメのキャラのように舌を出して笑った。
「でも、私たちとしてはどうしてもダンジョン肉が必要なのよ」
「どうしてですか?」
「都の“ふるさと納税返礼品”に組み込まれてるの。ダンジョン肉は人気だから。量を確保しなきゃ苦情が来るのよ」
「なるほど……でも、みんな民間に売ってしまうなら、数が足りなくなりませんか?」
「だから、私たちが頭を使って工夫するの。例えば――」
彼女は苦楽を横目で見た。
「――この人みたいに、顔なじみの探索者には“順番待ち”を優遇したりね。朝一の枠にこっそり入れるだけでも、かなり時間が浮くから」
「そんな裏技が……」
「探索者は“待たされる”のが一番嫌いなの。逆に言えば、そこをちょっと融通すれば、お返しも期待できる」
「なるほど~……でも、苦楽さん、顔があまり納得していないように見えますけど」
十色が心配そうに言う。
「……探索者はな、基本的に頭が悪いんだ」
「えっ」
「理屈では分かってるんだよ。“協会と関係を良好に保つことが大事”だって。でも、目先の現金に釣られてしまう。だからすぐ民間に流そうとする」
「それで、さっき逃げようとしてたんですね……」
「別に逃げようとしてなんか………」
巨体の男がモゴモゴ言っているが、それはどう見ても後ろめたいことのある人間の姿だった。
「だから私たちがしっかりと見張ってないと駄目なのよ」
「分かりました!」
十色は決意の籠った瞳で小さなこぶしを握り締めた。
「まあ、探索者の中には頭の良い奴も何人か入るけど。たとえばスルメとか………」
「スルメさん?」
十色が受付の奥の椅子で雑誌を読んでいる小柄な女性に目をやる。
「そう言われてみればずっと余裕がありそうな感じがしますね」
「金もあるし、頭も切れる。あいつは普通の探索者とは違うんだ」
「へえ、そうなんだ。なんだか……かっこいい……」
十色の目がきらきらと輝いた。
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