59話
「どうして坂本さんを………あの人は、いつも俺たち探索者に明るく声をかけてくれたじゃないか」
「それが――余計なお世話なんだよ」
「なんだって?」
「竜介が死んだ」
「……は?」
噛み合わない言葉に思考が止まる。
「俺の人生の中で、たったひとり、心を許せた親友だ。痣だらけの俺を見ても逃げずに、まっすぐ目を見て話しかけてきてくれた。――唯一の存在だった。一緒に探索者になって、大金稼いで六本木ヒルズに住もうって、夢みたいなことを本気で信じて、東京まで来た。なのに、あいつは、何ひとつ叶えられずに死んだ。たったの三階層で。マンボウに、殺されたんだ」
清水の血走った目が、どこかを見ているようで何も見ていない。歯の隙間から漏れる呼気が、湯気のように空気を揺らす。
「袖が歯に引っかかって、バランスを崩したところを引っ張られて、壁に叩きつけられて――。頭を打って、死んだ。七階層を簡単に突破するお前には信じられねぇだろ。誰もが最弱って笑うマンボウなんかに、命を奪われるなんてよ」
笑った。
けれどそれは、痛みに耐えきれず痙攣するような、涙の混じった笑いだった。
「俺も、もう死のうって思ったよ。死ぬときは一緒って、そう決めてたから。だけど――誰が葬式あげてやるんだよ? 親からも絶縁されて、誰からも見送られることなく朽ちてく、そんな最期でいいのかって思った。だから、俺がやるしかない。俺が金を稼いで、恥ずかしくない葬式を――そう思って、ひとりでダンジョンに潜った」
目の前に広がるのは、よく整備された公園の緑。鳥のさえずりが、清水の声の合間を縫うように静かに響いている。
「それで、ボロボロで帰ってきた俺に、あいつが……あのジジイがなんて言ったと思う? 坂本だよ。坂本、警備員の。――『頑張れよ』だってさ」
両脇を固める警察官たちは、無言のまま。鳥の声だけが、どこまでも響く。
「頑張れ? ふざけんな……! ただ立ってるだけで金もらってるジジイが、誰に向かってそんな言葉吐いてんだよ! 俺はなァ、生きるために毎日泣いて、殴られて、それでも必死に歯を食いしばって生きてきたんだよ……楽しさなんて、一度も知らねぇ。そんな俺に、親友を亡くした俺に、気軽に『頑張れ』だと? ――ふざけんじゃねぇ!!」
叫びが、大気を裂く。、狂気の熱を帯びて、聞く者の肌に突き刺さるようだった。
「……だから、殺したのか?」
「そうだよッ! 悪いかよ!? 文句あるか!? お前みたいに何の苦労もなく育って、探索者になって、稼いでる奴に俺の何がわかるってんだよ、えぇっ!?」
一瞬、苦楽は黙った。
確かに――自分の人生は、清水三郎に比べれば圧倒的に恵まれていた。それは否定できない。けれど。
それでも、坂本さんを殺したことだけは、違う。それだけは、どうしても違う。
だから、言う。
「……葬式は、出来たのか?」
「……あ?」
「お前の親友、竜介の葬式。ちゃんと、あげてやれたのかって聞いてるんだ」
清水の顔が、目に見えて歪んだ。
「ダンジョン肉は、警察に押収されたはずだ。つまり、お前の手元に金は入ってない。――違うか?」
「だからなんだ! 関係ねぇだろ!」
「確かに、俺には関係ない。けど……お前がこうして捕まったら、竜介の葬式、誰が上げてやるんだ?」
「黙れ」
「……親友を弔うことよりも、自分の怒りを優先したのか?」
「黙れ……!」
奥歯を噛みしめすぎて、口の端から血がにじむ。
「――最後の最後で、お前は親友を捨てたんだよ」
それは、罪を突きつける言葉。普通の言葉ではこいつには届かない。いくら非難しようとも笑いながら流すだろう。
だから清水の言葉を拾って作った十字架をその胸に突き刺した。
「黙れって言ってんだよおおおおおッ!!」
叫びとともに、清水が警察官たちの拘束を振りほどく。
その身体が、苦楽へと向かって突進し――。
金色の風。
ひと筋の光が走った。スルメだった。長く伸びた金髪が空気を裂き、そのまま全身のバネを跳ね上げ――
跳び蹴り。
鋭い一撃が清水の顔面を捉えた。
清水の身体が空を舞い、ベンチの向こう側へ吹っ飛んでいく。まるでトラックに跳ねられたのかと思うほど強烈な威力。
スルメは超能力者である。
本気で怒ったその蹴りは、人智を超越した威力を持つ。
清水の元に駆け寄る警察官たち。さざ波のような騒然としたざわめきが、静まり返っていた公園に一気に戻ってくる。
その中を、苦楽はゆっくりとスルメのもとへ歩いた。
「……大丈夫か?」
「うん」
スルメは真っ直ぐに答えた。
坂本さんは明るくて気さくな人だった。誰にでも笑顔で、言葉をかけてくれた。
初めてダンジョンに潜った時も、ダンジョン肉がひとつも見つからずに帰ってきた時も、仲間と言い争いになった時も。坂本さんの声は、勇気づけてくれた。
スルメもまた、その声に救われたひとりだった。
「今日は、帰ろうか?」
「……ダンジョンに、潜りたい」
「……わかった」
やりきれない思いの中、緑はどこまでも美しく、風は優しかった。
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