3話 ~転落と転機~
『千光苦楽』にとって、人生最悪の時期は高校卒業後に勤めた会社を辞めた時だったかもしれない。
勉強が苦手だった彼は、高校を出るとすぐに都内の建設会社に就職した。自信満々だった。「この会社で成り上がって、いずれは国会議員に立候補する。日本を手中に収めるような金と権力を手に入れる」と本気で考えていた。
しかし現実は、甘くなかった。
体力には絶対の自信があったが、建設業の現場では体力だけでなく、経験と知識が必要だった。
現場では毎日、上司や先輩から怒鳴られ、無力感に打ちひしがれた。さらに労働基準法を無視した長時間労働が日常で、毎日の胃薬が欠かせなかった。
半年ももたずに退職した。
最後の日、ムカつく奴らを全員ボコボコにして辞めたことで多少はスッキリしたが、それでも苦楽にとっては人生最大の挫折だった。
一方で、スルメ・クルシェフスキの人生は順調だった。
彼女は人付き合いが得意ではなかったため大学には進学しなかったが、個人投資家として着実に成果を上げていた。
きっかけは小学生の誕生日。彼女は突拍子もなく「ビットコインが欲しい」と両親にねだった。金融教育になると考えた両親は、百万円分のビットコインを買い与えた。
その後のビットコイン高騰は説明するまでもないが、彼女はその利益を元手に株式投資を始め、多少の失敗を重ねながらも、億を優に超える利益を稼ぎ続けている。
千光苦楽が彼女の「お世話係」になったのは、そんな時だった。
当時、身長198cm、体重113kgの巨漢であるにもかかわらず、苦楽のメンタルは意外と繊細で、「もう二度と就職なんてできないかもしれない」と毎日ふらふら過ごしていた。
そんな彼に、スルメが「部屋の掃除や買い物を手伝ってくれないか」と声をかけた。
苦楽は迷った。中学一年生のときにスルメから受けたトラウマは今も残っていたが、「日給一万円」という高額報酬には抗えなかった。結果的に彼はその申し出を受け入れた。
その瞬間にふたりの力関係は確定した。
それからというもの苦楽はスルメに頭が上がらなくなった。スルメは実質的に彼の“ご主人様”となり、苦楽は彼女の一挙一動に気を遣うようになる。
その後、苦楽が『探索者』となったのは、母の一言がきっかけだった。
「会社のルールとか上司に従わずに自由に働けるから、苦楽ちゃんの性格に合ってるんじゃない?」
確かにそうだと思った。子供の頃から喧嘩で負けたことがなく、今や街のチンピラすら彼を見て目を逸らすようになっていた。
「このままでは駄目だ。いつまでもスルメのお世話係をしているわけにはいかない」
そう決意して探索者になった苦楽だったが、まさかスルメが「ダイエットとストレス発散のために、私も一緒に行く」と言い出すとは思ってもいなかった。
そうして今もふたりは探索者としてダンジョンに潜り続けている。
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