29話
ここは東京都目黒区自由が丘にある喫茶店『ディオゲネス倶楽部』。
古いレンガ造りの外壁に、控えめな金文字の看板。駅前の喧騒から少し外れた路地裏にあり、知る人ぞ知る隠れ家のような雰囲気を漂わせている。
普通の喫茶店とは大きく異なる特徴があり、それは「店内は口をきいてはいけない」というルールがあることだ。
近くにある安価なコーヒーチェーンに比べれば、コーヒーの値段は高いが、その代わりに静かで落ち着いた空間がある。文庫本片手に黙々と過ごす常連客たちに好かれている店だ。
ここはスルメと苦楽の行きつけの店のひとつだ。
それというのは、高校のクラスメイトだった『村上 愛嬌』の家族が営む喫茶店だからである。
極度の人見知りであるスルメにとっては、誰にも話しかけられないこの空間が心安らぐ場所だし、苦楽にとっては、ここは美味しいカレーを出す店なのだ(しかも大盛り無料)。
今からここで中川賢治と会って、苦楽の無実を晴らすための話し合いをする予定だ。
そうは言っても、いきなり二人きりで会うのはハードルが高すぎるので、愛嬌にも話し合いに参加してもらうつもりだった。
「店内は口をきいてはいけない」というルールはあるが、防音設備のある特別室の中だけは別だ。
静かな空間に、控えめなノック音が響く。
「お待たせ」
扉を開けて入って来たのは、白いシャツに白いパンツを合わせた長身の男。まるでパントマイマーの衣装をモードに仕立て直したかのような装いで、本人だけは満足げだ。
彼の名前は中川賢治。高校の時のスルメの同学年であり、苦楽の友達でもある。学年で一番の秀才と呼ばれていたが、変人としても有名であった。
「何よそのファッションは」
「え、なにが?」
「白すぎるでしょ」
「格好いいだろ?」
「格好つけすぎ」
「そうかな」
「そうでしょ」
言い合いを始めたのは、スルメの高校の同級生であり友達の村上愛嬌、通称アイピー。
スルメは少し驚いた。
愛嬌は社交的な性格で、高校の時から友達がたくさんいた。それにしても中川と会うのは久しぶりなのに、こんなにスムーズに会話ができるものだろうか。まるで昨日も顔を合わせていたかのようだ。
「まあいいわ、座って」
「もちろん座るよ。椅子は座るためにあるからね」
「なにこいつ………」
愛嬌は顔をしかめたが、嫌っているわけではないことにスルメは気づいていた。妙に憎めないのだ。変ではあるけれど、嫌味は感じない。おそらく天然なのだろう。
「父には連絡しておいたよ」
スルメは胸をなでおろした。弁護士である彼の父が力を貸してくれるなら、相当助けになるはずだ。
「それともう一人、助っ人が来ることになったよ」
「助っ人?」
愛嬌が聞く。
「龍一さんだよ」
「誰よそれ!」
「ああごめん、うちの家族はお互いを下の名前で呼ぶっていうルールなんだ。龍一さんっていうのは僕の祖父のことだ」
「どうしてお爺さんが?」
「麗華さんがそうした方が良いんじゃないかってアドバイスをくれたんだ」
「だから誰なのよそれ!」
「僕の母だよ」
「なんか、あんたと話をしていると頭がおかしくなりそうなんだけど」
愛嬌はこめかみをマッサージしながら言った。
「そういえば、苦楽も同じようなこと言ってたな……」
「それで、どうしてお爺さんが協力してくれることになったのよ?」
「警察官だから」
「ふぇ?」
「龍一さんは現役の警察官なんだ。だからきっと力になってくれると思うよ」
「おお!」
スルメは思わず拍手していた。
「なんだ、あんた結構役に立つじゃない。お父さんは弁護士で、お爺さんは警察官だなんて、事件解決にもってこいね」
「僕のことも忘れてもらっちゃ困るよ。苦楽のことは僕のこの明晰な頭脳でビビッと解決してみせる!」
「……あんたには別に期待してないけど」
「どうして!」
中川賢治は納得できないとばかりに声を張り上げたが、スルメも愛嬌とまったく同じ気持ちだった。
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