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2話 ~ふたりの出会い~



千光苦楽にとっての人生のピークは、小学生時代だったかもしれない。毎日が楽しくて仕方がなかった。


同世代の子供よりも体が大きく、運動が得意で、喧嘩が特に強かった。そうすると自然とクラスのリーダー的なポジションになり、世界は自分中心に回っていると思うほど調子に乗っていた。


そんな黄金期の終わりのきっかけが訪れたのは六年生の春だった。


都心から少し離れた緑豊かな高台にある、石垣と鉄門の並ぶ高級住宅街の彼の家の隣の洋館に、外国人の一家が引っ越してきた。クルシェフスキ家だ。


一人娘の『スルメ・クルシェフスキ』は、日本のアニメや漫画が好きな引っ込み思案の少女で、通っていた現地校ではうまく馴染めなかったらしい。それを心配した両親が、縁あって日本へ移住することを決めたのだ。


初めて『スルメ』を見たときの苦楽の印象は、ただひと言。


「……暗い奴が来たな」


長い前髪で顔を隠し、母親の影にぴったり張りつくようにして立っていた彼女は、話しかけても返事ひとつしなかった。


当時の苦楽にとって、女子というのは全体的に理解不能な存在だった。泣きやすく、群れて、トイレにも連れ立って行く。何かこう……常に不穏。そんな彼女と仲良くするつもりなど、あるはずもなかった。



事件が起こったのは、スルメと苦楽が中学一年生になった春のこと。


やはり日本でもうまく馴染めず、とうとう不登校になってしまったスルメを心配したご両親は、気分転換に家族で京都旅行へ出かけることにした。


問題は、飼い猫『イリーナ』の世話だった。


結果、隣人であり一応顔見知りでもある千光家の息子・苦楽に白羽の矢が立った。最初は「猫ィ?」と露骨に嫌そうな顔をした苦楽だったが、「一日千円」という報酬を聞いた瞬間、掌を返して「もちろん任せてください!」と即答した。


中学一年生には夢のような話だった。


しかし、運命の最終日。


苦楽はうっかり、外に出てしまったイリーナに気づかず鍵を閉めて帰ってしまったのだ。翌朝、帰宅したクルシェフスキ家は大騒ぎになり、最終的に庭の隅で震える白猫を発見することになる。


その瞬間だった――。


スルメが顔を上げた。


長い金色の前髪の奥からのぞく青い目が、初めて苦楽を真っ直ぐに捉えた。その瞳には、いつもの陰気さなど微塵もなく、炎のような怒りが宿っていた。


自分よりも遥かに体の小さな少女の迫力にいつの間にか後ずさっていた。


「Ty gnoju!」


ぴしゃん!


少女の掌が、空を裂いた。


いつも俯いていた少女が顔をあげて苦楽を睨みつけた。美しい金色の前髪の奥に除く青い目は燃えるような力に漲っていた。


少女は跳びあがり自分よりも遥かに体の大きな少年の頬を手の平で叩いた。傍から見れば大した威力では無かったのかもしれない。


しかしながら少年取ってそれは今まで経験したどんな痛みよりも強烈だった。体の内部を百本のカッターナイフで一気に切り裂かれたかのような痛みだった。


知らないうちに膝をついていた少年は再び手の平が振り下ろされるのを見た。そしてまた激烈な痛み。


「ご、ごめんなさい……! 本当にごめんなさい……!」


何度も、何度も頭を下げた。


もう二度と彼女を怒らせてはいけないと思った。体の大きさとか腕力とかそういう事ではない。世の中にはもっと別の不思議な力があるんだと思い知った。


もう二度と彼女には近づかないようにしよう、そう決意した翌日、インターホンが鳴る。


玄関を開けると、そこにいたのは――スルメだった。


「どうして、お見舞い、来ない?」


片言の日本語は強く自分を非難していることは分かったが、何を言われているのかは分からなかった。


ぽかんとする苦楽の顔面に、再び鋭い平手が飛んだ。


「Ty gnoju!」


びしっ!


昨日とまったく同じだった。


「わあああああ! ごめんなさいいいい!!」


再び号泣。


そして謝罪。


しばらくして、ようやく彼女が言いたいことを理解した彼は、慌てて全財産をかき集め、近所の花屋で一輪のカーネーションを、ペットショップで猫用のおやつを購入。


風邪をひいてしまったイリーナのお見舞いへ半泣きのまま向かった。


こうして千光苦楽は“世界の中心”から見事に転げ落ちた。生まれて初めて胃薬を飲んだのはこの夜の事だ。


そしてこの日から、彼の人生にはひとりの“金色の暴君”が住み着くことになる。





最後まで読んでいただきありがとうございました。


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